柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

鉄ちゃん

2009-01-11 08:24:54 | Weblog
鉄道好きの話をもう少し。映画やドラマに汽車電車が重要な役割を持つものが多いでしょう。最近の西村京太郎シリーズは時刻表の組合せのトリックが主ですが(小説を読んでません、ひたすら土曜の昼の刑事モノ検察官モノTVドラマ再放送分を見るだけのことですが)、昔の映画には列車自体が印象的なものが多いです。渥美清が車掌役で主演の喜劇映画ではブルートレイン(特急さくらでしたね)が舞台になってました。松本清張ものの映画も多いです、私の大好きな映画なんですが「張込み」では東京から九州長崎まで繋ぐ夜行の急行列車のシーンから始まります。いきなり引き寄せられます、食い入るように見てしまいます。蒸気機関車が引っ張ってます。昭和30年の映画です、舞台は佐賀なんですがそこに着くまでの車中車外の風景がいいんです、小郡(だったと思います)駅も映るんです、白黒で何とも風景がいいんですね。寝台列車じゃありません、普通の堅い四人掛けの椅子の客車です。東京を夜に出て、名古屋辺りで夜が明けて、佐賀に着いたら夜になってる。この時間の流れがいいですよね。飛行機使わぬ限りこの流れに従うしかない、丸一日掛けて出かけるしかないという時代。ゆっくり流れていたと表現できるんでしょうが、それは急からしい現在と比較すればの話、その当時はそれしかなかったんですから従うばかりだったんですが、物事を考える時間がそういう風にできていたと言うことはできるのかなと思います。「点と線」も、これも九州が舞台で、有名な東京駅のトリック、他のホームを見通せる時間帯の妙だけでなく、当時の九州の田舎駅前の風景が何とも郷愁をそそります。もう一つ、題名ど忘れしました、本編は三船敏郎や仲代達也がキャスティングされた少年取り違え誘拐事件の映画、走る車窓から身代金を投げ落とすシーンが有名ですが、あの電車は当時の花形特急こだまでしたね。「点と線」もこの映画も最近リメイクされてTV放映されましたが、オリジナルには到底届かぬものでした。俳優の重さもさることながら、私のような者には時代の空気が何より重要な要素なので端から勝負にはならぬことでしたが。つまり私の懐古趣味の強さだけが律速要素だということですが、いつも言ってますが私の世代が昔と現代との境を知っている最後の集団、昔の(貧乏だった)日本の空気を知っている最後の世代なんだろうと思うのです。昔のシーンに郷愁を感じる最後の世代、単なる記録映画的な見方以上の思いを感じている、ということなんでしょう。九州行きブルートレインの廃止計画から長々と書きました。九州の果てから花の東京を結ぶ列車。どちらからも遠い片田舎の、通過駅近くに住む私にとっては、東京なり西鹿児島なり行き先を誇らしげに掲示して走るこの寝台特急はうっとり眺める対象でした。今も遠くに見遣っています。気持ちに大きく変わりはないと、思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キッズ

2009-01-10 08:00:13 | Weblog
寒波到来とやらです。確かに温暖の当地も今朝は寒いです。夜がなかなか明けません、6時半でまだ暗いです、まさに彼誰(かはたれ)時、人の顔を判別できぬ明るさです。冬至の前後一ヶ月はこうですね、暗い冬。そして寒さ。この週末はじっとしていましょうか(いつもどこへも行かないくせに)。
 ブルートレインが、正確には九州行きのブルートレインがなくなります。この3月でダイヤから消えるそうです。私はこう見えても(顔も姿もご存じない方も多いでしょうが)小学生高学年時分は鉄道キッズでしたのよ。ピントも何も合わせなくても子供でも綺麗にとれる、当時出始めの小さなカメラ持って、柳井駅の機関区へ入り込んでよく写真撮ってたもんです。もちろん連れがいました。子供が機関区に入り込んで線路の近くで写真撮ってるんです、大文句言われそうですがそこは昔のこと、まただだっ広い機関区でのできごとです、一度も咎められたことはなかったです。そういえば同級生にものすごいマニアがいました、そいつは自分でダイヤを書いて悦に入ってるというレベルの違う奴で(貨物列車の線まで引いてあってまことマニアック)、私達は辞典代わりにわからないことがあれば聞きに行くといった風情、敬して遠ざけていました、そんな奴があなたの近くにも一人や二人はいたでしょう?寝台特急はやはりキッズの心にも憧れでした。でも、当時は新幹線のない時代、つまり山陽本線には昼間の特急、急行が花盛りの頃です(もう準急というのはなかったと思います)。同じ好き者でも、魅かれるところは銘々違うのでしょう、機関車の型番号を皆覚えているもの、客車の種類を(クハとやらクモとやら)諳んじている奴、つまり男の共通癖である「車好き」「機械好き」系がこっちに伸びた奴。私はそうじゃなかったです、車体の横っ腹やらドア近くに掲げてある行き先表示板、新大阪ー下関という表示見てうっとりしてました。いや、そのプレートを集めたいという向きではなく、あんな遠くからこんな所までこの電車は走っていくんだ・・という感慨、憧れです。妙ですかね。だから長距離列車はドキドキします。当時の昼間の特急、例えばディーゼルのかもめ。長崎、佐世保ー京都だったですよね。京都行きという電車はこの一本でした、これを見送るときの気持ち、今も再現できますよ。うっとり見てるんです。ブルートレインが全盛時代でしょう。これに加えてもう一つ別系列の寝台特急があったですね、月光とか日向とか。昔の特急こだまやはつかりの鼻を短く切り落としたような面構えの電車、これは当地を夕方に通るんです、だから直接見られたですね、そういう記憶です、違ったでしょうか。ただ本物のブルートレインは当地を上りは午後9時前後、下りは朝早く6時頃通過します。柳井にただ一本停車しました、特急富士です。ですからブルートレインの中ではこれに対して思い入れがひとしおです。西鹿児島ー東京です。同じ西鹿児島ー東京でも、特急はやぶさとは違うんです。富士は日豊本線を通ってきます、はやぶさは鹿児島本線経由です。こういうスケールの大きい違いを比べるのが好きでしたから、私社会(地理)強かったですよ。ああ、今思っても気が沸きたちます。夢があったですね。一度も乗ったことないのですが。今も朝6時半頃に走っていきます。あれがなくなるのか、と思いながら見ています。こんな気分もいいもんです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶番

2009-01-09 07:53:45 | Weblog
長く拘束されていた日本人女医が解放された事件、昨日ここでイラクかアフガンかなんていいかげんなこと書きました、エチオピアでの誘拐事件でした。お詫びして訂正します。思い込んで書いてしまう、ちょっと調べればわかることを確認せずに書いて(為して)しまう、どうにも治らぬ性癖です。反省します。その記事です。向こうさんは多額の身代金を受け取ったと言ってます、こっちはそんなものは払っていないと。ご丁寧に新聞は解説してくれます、こういう場合国(日本政府)はたとえ払っていてもそうは言わない、なぜなら脅せば金をふんだくれるとテロ集団に知らせてしまうことになるからだと。この「解説」にも腰が抜けます。そこまで言う?誰でもわかりますよそのくらいの理屈は。でも、日本という国は誰に気を遣っているんでしょうね。こういうときの迅速なこと。自分が勝手に行った地でのトラブルには代わりに大金はたいて、北朝鮮に拉致された人達には未だ知らん顔です。こっちも大金払って取り戻したらどうでしょうか。相手の無体さは同等、いえ、金将軍様の方が罪深いこと、非がないのは拉致された人達です、ノコノコ出かけていった奴らとは決定的に違いますわね、それなのにこの差。怒りましょうね、情けないでしょうね。横田さんならずともこの気持ちわかる気がします。本人のニコニコした笑顔が新聞一面飾っています。本人にすればもちろん被害者意識でしょうし、こうなって当然と思っているんでしょうけれど、違うぞと誰か言ってやって欲しいと思いますね。キラキラのボランティア精神でもってわざわざアフリカにまで行ってるんです、褒められこそすれ誰に咎められる行為じゃないです、彼女の思いも理解はしますし、彼女はどこかの誰かみたいに泣いたり叫んだり騒いだりしなかったですしね、そういう意味では肚が据わっている娘さんなんでしょうが、それでも、です。身代金。こうやって金は回っていくんですね、世の中の大原則はどんな場面にでも通用するというわけです。表社会と裏社会、権力と地下組織、政府とテロ集団。後者に資金が枯渇するって事は古今東西なかったことですからね。どこから供給されるんです?もちろん前者からです。非正規手段によって堂々と前者から後者に大金が渡ります。後者はますます勢いづきます。そういう繰り返し、いたちごっこです。もっと言えば、前者は真剣に後者を抹殺しようなんて考えていないんです、所詮は共存指向です。とんでもない野郎達だ!と憤慨しながら、それで世間の目が向こうに離れる好都合、こっちの非が隠れる好都合、持ちつ持たれつ。北朝鮮問題もそういうことですよね。将軍様一人どうして暗殺できないでしょうか。しないんです。そんなことすれば今世界回して金吸い上げている奴ら(つまりはアメリカ首脳やら中国と言うことでしょうが)に不都合ですから。そういうことですよね。フセインはあっさり殺されましたよ。持ちつ持たれつなんですね。私達は茶番の中に生きているというわけです。そうですよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安全

2009-01-08 08:02:42 | Weblog
遡、謎、遜の三字のしんにゅう(しんにょうが正しいそうです)が二点になるんだそうです。もともとしんにゅうは二点だったんですよね。遡る、這うという字は二点しんにゅうが似合うと昔から思っていて書くときにはわざとそう書いてきたのですが、もともとがこういう字であるのに戦後の簡易化でどんどんおかしな字にしていく、当用の常用のと区別していく事自体が愚策だったのに、こういう措置にもあれこれ反対があるそうです。現場が混乱するなんて。与太言いなさんな、教員がしっかり勉強すればいいことです。今更旧かな使いに戻せと言うじゃなく、ゐやゑ、ヰ、ヱをそれぞれい、え、イ、エと使い分けなさいなんて「難しいこと」いってるんじゃないんです(この使い分けを思うに、昔の日本語は如何に表現力に富んでいたかということです。戦後の愚民政策が如何に愚かであったかです)。懐古趣味ではなくて、本字、正字に戻っていくは大事な傾向と私は歓迎します。
 平成の御代二十年です。昭和64年1月7日、よく覚えています、広島の病院で朝から急ぎの手術して、天皇崩御を知って、TVのどの局も一斉に薄墨色、歌舞音曲の自粛という変化に驚きました。長く御不例であっていつか近いうちにと誰もが知っていた中でのできごとでしたが、果たしてその時が来た時のマスコミのオーバーさには驚きましたね。今は亡き小渕さんが平成と大書きした半紙掲げて次の元号を発表していたのもはっきり覚えています。あれから二十年です。過ぎてしまえばあっという間です。あの時の記憶が鮮明である分、時の流れの早さも強く感じます。皆さんはいかがでしょうか。
 イラクで(アフガンでしたか)誘拐された日本人女医が解放されたそうです。長く拘束されたものですが、ここにもまた多額の身代金が支払われたんでしょうね。先に誘拐されて解放された男には多額の金が渡ったとこの前公表されたところです。どうなんでしょうね。よく石原慎太郎が国家の国民に対する責任と言う話題に出す譬え話、理不尽に誘拐された自国民をアメリカは軍隊動かして救出に行くのだ、日本はそういう事をしないから愛国心が育たないのだという言及がありますが、こういう危険な場所に自らの正義感だけで、もっと正確に言えば周りが止めているのに勝手に行って難儀にあって助けてくださいもないもんだとも思うわけです。これがたとえば国の命令で派遣されている自衛官達が拉致されたとなれば、本当は相手潰すくらいの軍事行動で奪還するべきなんでしょうが、まぁ身代金解決もやむないかとなりましょうが、こういう独り善がりの市民活動家にそんな国費を費やすが適当なんでしょうかね。承服しかねますね。こうやってテロとは断固闘うなんて口では勇ましいくせに、敵さんたちに資金調達しているというわけです、しっかりやりなさいよと言ってるようなもんです。人の命は地球より重いなんて与太がこの国では未だに通用するという証拠なんでしょう。テロと共存するならちゃんとそうやりなさいな。そういえば何年か前に、複数人誘拐されて今回のように無事解放されたはいいが、その帰りの運賃を本人達が払うの払わないのとまことつまらぬことで話題になったことがあったですね。こんなバカ達からはひん剥いてやればいいんですわ。何百万もね。そう思います。国民の安全をはき違えてますね。そう思いませんか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矛盾

2009-01-07 08:01:11 | Weblog
昨昼国会中継見ました、途切れ途切れに3時まで。民主党の鳩山さん、あと自民党、公明党ときて辻本さんも聞きました。聞きモノはやはり鳩山、辻本両氏でしたが、どちらもマンネリ。辻本さんの方は悲しいかな時間が少ないのでしょう、自分が体験介護した感想を縷々述べて情に訴えるばかり、何だか面白くないこと。鳩山さんはたっぷり時間がありましたが、不適格の早く辞めろの言葉はきついのですが、きついのは単語だけで、民主党の宣伝も一緒にしようと思うからでしょう、散漫。はじめにきつい言葉を吐いて尻すぼみの中だるみ、最後に声張り上げて罵声を浴びせると言ったパターンです。目を見開いて飛び交う野次の中大声を張り上げている姿はそれなりに必死さが滲みましたが、この人の度量を見る感じがします。そして昔から揶揄されるところの必要以上の丁寧語尾。~させていただく、~されたらいかがでしょうかの類。余りに耳について、慇懃無礼というニュアンス以外に、きっとこいつは女房の前でもパンツ降ろさせていただいているんだろうなんてどこかの週刊誌にからかわれていたこと思い出しました。総務省政務官の問題発言についてもふれていましたが、全然熱さが伝わりません。国会の代表質問の場でご丁寧に冒頭と掉尾に国民の皆様なんて呼び掛ける、TV放映を十分に意識した外連見せるのなら、もっと国民に届く話をしたらどうだい?と思いました。所詮はこのくらいの器、大将になれぬ器と言うことでしょうか。その意味では麻生さんも同じ。ダラダラと(早口で)原稿読むばかりです。ちょっとは自分の言葉で喋ったらどうだい?自分の言葉に危険が一杯なのはもう国民が認めているところ、もっと言えばそこを待っているのに、棒読み。がっかりしました。ただ一箇所、新聞も囲み記事で小さく採り上げていましたが、低迷をていまいと読んで、この時はすぐに気づいてていめいと言い直してましたが、言い直せばそれだけばれてしまうという顛末、さすがに会場の議員達も気づいたんでしょう、やんややんや野次飛ばしてましたが。面白いんじゃなくて実は情けないことなんですが、こういう失敗避けるために原稿棒読みするんでしょうに・・と呆れてしまいます。それならフロアの議員達を睨みながら俺はこうしたいんだと自分の言葉で喋った方がうんと伝わります。それこそ「国民の皆様」に伝わりましょう。言葉尻のとりあい、揚げ足の取り合いやってるから全くつまらぬ事になるんですね。定額給付金について首相は高額所得者は辞退しろなんていっていたのを撤回したそうです。朝日は社説でこの給付金問題、君子は豹変するのだと見出し打って首相に再考を促しています、鳩山さんは質問の項目に上げてすぐさまこんな愚策は取り下げろと息巻いてました。で、この撤回変更をさしてこう評価します、論理も矜持もないと。だから早くやれよという世間のため息には違いないのですが、それでもマイナーチェンジしていくわけです、豹変できる君子には届かずとも、面を革める小人としての改正をしようとするわけです。消費へのテコ入れという「論理」はあるのでしょう。矜持ですか。説を曲げないことですか?ならば君子の豹変は矛盾することではありますね。もっともろくな大局観のない変節を豹変というのではありません。それはわかっていますが、結局この人達はああ言えばこう言うの世界の住民なんですね。そう呆れることです。ああ言えば上祐。この人、元気なんでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猥雑

2009-01-06 08:14:41 | Weblog
年末年始の急な失業者に向けて、どういう集め方だったのかはわかりませんが全国から二千万円のカンパと何千人のボランティアが集まったんだそうです。炊き出しの風景は映像で見ましたが、これも立派なセーフティーネットですよね。こういうのは日本人に特有のことではないんでしょう?他国の場合にどう社会が動くのか知りませんから偉そうに言えませんが、きっとこういうのは恒産ある国民の恒心だと思うのです、どの民族にもこういうことに突き動かされる人達がいるんじゃないのかって思うのです。ま、余所の国のことはさておき、これだけの迅速な対応できるのはやはり日本人なんだろうなとも思います。私はボランティアというのを胡散臭く思っています、と言うより苦手なんですね親切の押し売りという感覚がどうしても拭えないからです。いえ、助ける人がいればきっと助けられる人がいて、正真正銘のボランティア活動というものはきっと存在しましょう、そこはもちろん認めています、いかな偏屈の私でもそう思っています、でも、でも、そうじゃないところも必ずあって、そっちにばかり目が行くというわけです。だからいつも斜に構えています、ながめすがめつしています。本来の意義目的から外れる輩が必ずいるのです。総務政務官(衆院議員)が総務省での年頭挨拶で、日比谷公園での年越し派遣村(これはNPO団体が主催したそうです)での出来事をさして、そこに集まっている人達は本当にまじめに働こうと思っている人なのか、厚労省の講堂を開放しろとかもっといろんな人が出てこいなんて要求するのは昔の学園紛争の手口を思わせる、なんて言ったそうです。新聞が採り上げて火をつけています。ここですわね。いろんなのが混じってくるんです。「本来の」派遣切りにあって急に路頭に迷っている人達の他に、色々なのが。何年も迷っている者とか、単なるプータローとか。炊き出しなんて事聞きつけるのは早いですからね、ご相伴に与る連中。救世鍋の様相。でも、ボランティアさんたちは優しい。区別つけられないこともあるけれど、ああいうところの無差別な優しさを見ると私は尊敬します。とても私にはできそうにないことですから。そして群集心理。社長出てこい!!あれです。麻生出てこいとかなんとか連中叫んでいたんでしょう。学生紛争を例に出すところはこの政務官の個人的な好みでしょうが、こういう雑多な猥雑な集団心理というのはこういうもんだとわかっていてもそれを受ける側にとればカチンと来るものでしょうし、勝手なことを言うんじゃないと切り返したい気持ちはわからぬでもないことではあります。でも、政治家の言、行政人の言となるといささか不適当というわけです。クビ飛びましょうか。つくづく言葉の怖ろしさを知ることですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学級会

2009-01-05 08:12:09 | Weblog
朝日新聞が囲み記事(コラムのような扱いでしょう)で「人は道具ではない」との見出しで派遣社員ばかりでない正社員までの馘首に及んでいる企業の態度を非難しています。ほしい時だけほしい労働力を、という人間のカンバン方式はいけないことだ、人はカネを生み出す道具ではない、会社の使命は利益追求だけではない、と怒り、トドメは新しい会社と社会の仕組みづくりが求められるとの締めです。あらら、またまた小学生の学級会並みのお話で。いいですねぇこんな事書き並べればいいんですから、いかにやっつけの隙間埋めの仕事だったにせよです。ちなみにカンバン方式というのは(看板の意なんですが、敢えてカタカナで表記するのは)世界のトヨタのモノづくり原価削減原則のことです、そのこころは「必要な量だけ供給しろ」、大量に作って仮にその単価を低くすることができたとしてもそのものをだぶつかせて積み上げていたのでは結局コスト高になる、だからこれこれの量必要だと看板に書いてラインの前段階に示せ、その量だけ供給するようにしろという有名なシステムのことです。こう書くと何でもないことのようですがね、百個しか要らないのに、千個なら単価が三割安ですなんて誘惑に負けるもんなんです、で、九百個余らせて結局損しているものなんですね。百個分の値段より千個分の値段の方が高いに決まってますから。単価じゃなくて実際に出ていく金の問題なんですが、人はこうやって割り算や掛け算で比較しがちなんです。そして大概はそれで誤る。このカンバン方式はコロンブスの卵的な真実なんです。そう思います。これを書いた記者(もっと偉い人でしょうか)の頭にはやっぱり人の所為にしようとする社是が染み込んでいるんでしょうね。こういう物言いを平気でするところがすごいことと思います。照れませんからね。私はこまっしゃくれたガキでしたから学級会で人の話の腰を折るのによく「それは本人が自覚するしかないと思います」なんて言ってたこと覚えています。同じレベル。餅の絵を平気で描いてそれで終わり。派遣法はそれを許しているのですから。社民党も民主党もみんなで決めたことなんでしょうに、労働者の選択肢が拡がるとか、雇用者の拘束から離れて自立につながるとか何とか言いながら。労働者の味方だったんでしょう?その素っとぼけ方が気に入りません。さて今日からまた国会が開かれるそうです。麻生さんどう出ますかね。こっちは注目です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肉声

2009-01-04 09:30:58 | Weblog
タクシー運転手が殺されて売上金を奪われる事件が重なっています。不況の影響だという括りをしています報道番組。規制緩和でタクシー会社が乗務員を多く雇い入れているが高齢者が多いのだ、という側面をさも事の原因のように言うコメンテーターがいます。アメリカはペンタゴンが暴動に備えて軍隊の配置を考えているらしいです、だからこんなことは起こり得るんですよという解釈です。ホームレスの人を無職の30代の男が理由なく撲殺する。これも不況の所為。社会不安はみんなこの時期不況の所為にされます。セーフティーネットがないからだ。行政が悪い。政治が悪い。こんな事態になってからあれこれ遡って非難しても仕方のないことです、だからこそ多くの評論家達が口を揃えるようにはやく効果的な手を打てということなんですが、どれを優先するか、これを内閣が決められません、麻生さんが号令かけません。野党の反対なんぞは大事を為す障害などにはならぬはずですし、事を為した後にどうにでもなりましょうに。うまく行けば自然に消えます、うまく行かなくとも次の手を迅速に打っていけばいいのです、もっといえば言い訳なんぞはなんとでもできます。要はやるかやらぬかなのです。だのにウダウダと言を左右しているだけ。2兆円ばらまくならばらまけばいいんです。それをさっさとやらないから、そんな大金もっと他に使え!って話になる。あちこちが自分勝手を言い出す。市町村に分配してセーフティーネットを充実しろ、今日明日の資金繰りに困っている中小企業を助けてやれ、手前味噌を言えば医療福祉費抑制2200億の10倍?!外需の内需の、派遣法改正の、じゃないですよね今やらねばならぬことは。もう少し即効性のある(ように思える)、実感のある、具体的な方策が要るんでしょうに。そして、これも評論家達がよく言いますが、ヴィジョンの表明。総理の口から、ここは辛抱してくれ、これこれこういう手を打つから、もう少し我慢してくれと、あの調子で明るく言って欲しい。与謝野さんが暗くつぶやいたのではダメなんです。すれば日本人は待てるんです。辛抱できるんです。これがどこかの国々と違うところでしょう。新自由主義とやらグローバリズムとやらを受け入れられない国民性です。もちろんこの不況、社会不安を奇貨にして他に直していくところは多くありましょう、しつけ、教育をはじめとした規制緩和が失敗だった諸点の是正。同時進行すべき事々なのですが、それも芯があればこそのこと、その「貫く棒のようなもの」こそがリーダー(首相)の国民に向けたメッセージ、より具体的なメッセージなんでしょう。こういう時にリーダーの存在意義が示されます。つまり才能の有無が示されます。麻生さん、百年に一度の危急時(自分が何度も命名してました)に正月を暦通りそのまんま休んだからには、明日にはきちりと話をするんでしょうね?そろそろ私のような麻生シンパ達にも倦みと諦め感が出てきました。貧乏したことのない人間の鷹揚さをここでパーンと見せてもらいたいと切に願うことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

要諦

2009-01-03 08:25:38 | Weblog
スポーツ番組しか見ませんので定かではないのですが、今朝の新聞見るに、目出度いはずの正月にこの寒空の下野宿する首切られた非正規社員のベタ記事が小さくあるだけで、年末あれだけ大騒ぎした、あれだけ大社会問題だと目をつり上げていた出来事でしたがこんな顛末です。何人かが凍死するとか自殺するとかそういう事態になればこそ社会問題なんでしょうが、世の中は十分に機能しています。セーフティーネットは多くの人々を掬っています。そういう証拠でもあり、例によってのマスコミの勝手な面白がり、世論騙りつまりは恣意の世論形成に過ぎなかったということです。いえ、もちろん正月期間だけでこの不況が終息するわけではありませんし、寒空はあと3カ月続きます、今からどうなるかこそが・・という、言うなればキリのない話になりそうですが、こういうマスコミの性癖を知って且つ狼少年の寓話を忘れず我々は振り回されず煽られず、我が身の幸運に傲らず毎日の暮らしを確実に繰り返すしかないのでありましょう。
 社説に不況と保護貿易の連関、そしてかの昔その打開のためという大義の元戦争へ流れていった世界の歴史を綴っています。大正時代の大恐慌、各国が採った自国の保護政策(当然でしょう)、すると資源のない国が悲鳴を上げる、どう打開するか、折から世情は帝国主義です、答えは一つです。資源のない国、つまりは植民地の少ない国、ドイツであり日本であり。日本だけが侵略国家だったのではないというのが田母神論文でしたがその通り、スペインポルトガルに始まって英仏蘭のアジア、中南米侵略はいかがか、日の沈むことのないと形容された広大な植民地を得ればこそイギリスのような小国が大きな態度でいられたのです、それは侵略の結果です、彼らの勝手な価値観歴史観で正当化しているだけです。アメリカもスペインと覇権争いしてフィリピンを獲りました、ハワイ王国を侵略しました、正義の味方などでは決してありませぬ。日本が朝鮮併合して満州進出(侵略ではなく)して中国本土へ入っていったことばかりを責められる筋では決してないのです。田母神さんの説は正しいのです。でも、今更資源を獲りによその国を侵すなんてことは、それこそ金将軍様か、反日気運に世情が狂った中国くらいしか考えられませぬ。世界広しと言えども、具体的に軍事侵攻を被る危険がある国は日本か台湾ぐらいじゃないんでしょうか。イランイラクや中近東、東ヨーロッパは宗教紛争、民族紛争です、資源目的の侵略ではありません。もっとも、中国が日本を攻めるとすれば資源などが目的じゃないですね、民族紛争でもなく、ひとえに報復です。怨恨です。だからややこしいのではありますが。保護貿易なんてことになるんでしょうか。自国の製品を自国でのみ消費する、他国からの原料やら製品やらの輸入にあれこれ制限加えて自国製品を高く売りつけるなんてことは植民地相手にだけにできた無茶です。先進国後進国という差別のあった時代ではすでにないのです。自動車業界がその象徴です。保護貿易で一気に転けるのは我が日本でありましょう。これは私のような素人が考えてもわかる理屈です。アメリカ人の大浪費気風によって支えられていた世界経済でした、ひいては日本景気でした。打開ですか。アメリカが暫く財布の紐を締めるに違いないですから、その間をどうこらえるか。どう引き締めるか。日本の要は、どう身を折り畳んで待つか、でしょうね。歴史が教えてくれることは、人の性癖や考えることは何千年も変わりはしないという真実と文明(生活環境の利便化)は必ず人の心を変えていくという事実です。財布の中にある金で毎日を過ごしていくしかないと諦め待ち日常を繰り返すこと。これが要諦ではありますまいか。背伸びを嫌う臆病な私はそう心得ています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

指標

2009-01-02 07:53:29 | Weblog
昨日は男子実業団駅伝、天皇杯サッカー。そして今日明日は箱根。正月の定番です。それ以外はそれこそどのチャンネル見てもお笑い(これが面白くないこと、一つ一つの漫才やコントは面白いのでしょうが、流れがイージー、馬鹿笑いする、ワーワー叫ぶばかり)か食い物、旅行モノ。振り袖着てればそれで正月ですから、のノリ。この安易さが鼻についてどうにもいけません。スポーツ見ているが順当。これも毎年のこと。
 当地は来春に市長選挙、下馬評を総合すると久しぶりに外野から見るには面白い展開が期待されます。現市長は四期を勤めています、初当選時は全国最年少市長として話題をさらいました、私より歳下です。彼が立候補した際に当時の市長の多選(前市長も20年やられました)を批判していたこともあり、自身の多選とどう整合性を持たせるのかというプレスが好きそうな形式的な質問に素人目にもちょっと苦しい回答して、彼は立候補を表明しています。今のところ正式には対立候補はいません。が、今回は強力な相手が立ちそうな話が伝わり、水面下(という名の公然)の押し引きは始まっています。選挙好き達が俄然色めき立っています。それを二重三重に取り巻く選挙スズメたちが声大きくさえずり始めています。選挙というのは人を魅せる魔力を持つものなのでしょう。綺麗事で済まないところがまた旨みを生んでいます。人と人の繋がりは複雑です、どこで誰にどういう世話になるかわかりませんし、どういう不利益を及ぼすかわかりません。そこを人は計算して見通して、開きそうな穴を前もって塞ぎながら回りを見渡しながら人と付き合うわけです。そこにこそ妙味があり、色があり、凸凹のできる個人差、運命を生じるわけです。選挙は所詮勝ち負けのゲームですから人を惑わせる。踊らせる、狂わせる。一事が万事じゃ!と言い放つは簡単です。普段にきっちりやらないと、という非難はこういう場面に吹き出します。何年に一度という更新事は選挙に限らず全てこういう批判を受ける宿命です。よく不祥事起こした政治家達が進退決めるときに言うセリフ、後援者達に相談して。これが端的に示していますが、選挙に勝って地位を得る、仕事の場を得る職であればこそ、どちらも大事とは言え、選挙での盤石さを優先するのか仕事の評価で十分と割り切れるか。つまり支援者に顔を向け続けるか、敢えて愛想を振らずに行くか。どちらも大切。そう分かっていてそう簡単に行かないのが実際でしょう、当然です、相手が雑多極まりない世間様であるからです。どういう掴み方なんでしょうか、選挙を人生の主要部分にして生きている人達にとって世間とは。塊のイメージなんでしょうか、それとも粒々の集まりなんでしょうか。草の根、どぶ板なんて表現があるくらいです、個々の集まりという捉え方が正解なのでしょうが、ということはつまり、世間を大きな塊と見たときが下り坂の初めということなのかもしれません。人の振り見て我が振り直せ。人はせいぜい一つの人生を過ごすことしかできないのです。この金言はまさに生きる指標なのだと思うことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする