柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

キッズ

2009-01-10 08:00:13 | Weblog
寒波到来とやらです。確かに温暖の当地も今朝は寒いです。夜がなかなか明けません、6時半でまだ暗いです、まさに彼誰(かはたれ)時、人の顔を判別できぬ明るさです。冬至の前後一ヶ月はこうですね、暗い冬。そして寒さ。この週末はじっとしていましょうか(いつもどこへも行かないくせに)。
 ブルートレインが、正確には九州行きのブルートレインがなくなります。この3月でダイヤから消えるそうです。私はこう見えても(顔も姿もご存じない方も多いでしょうが)小学生高学年時分は鉄道キッズでしたのよ。ピントも何も合わせなくても子供でも綺麗にとれる、当時出始めの小さなカメラ持って、柳井駅の機関区へ入り込んでよく写真撮ってたもんです。もちろん連れがいました。子供が機関区に入り込んで線路の近くで写真撮ってるんです、大文句言われそうですがそこは昔のこと、まただだっ広い機関区でのできごとです、一度も咎められたことはなかったです。そういえば同級生にものすごいマニアがいました、そいつは自分でダイヤを書いて悦に入ってるというレベルの違う奴で(貨物列車の線まで引いてあってまことマニアック)、私達は辞典代わりにわからないことがあれば聞きに行くといった風情、敬して遠ざけていました、そんな奴があなたの近くにも一人や二人はいたでしょう?寝台特急はやはりキッズの心にも憧れでした。でも、当時は新幹線のない時代、つまり山陽本線には昼間の特急、急行が花盛りの頃です(もう準急というのはなかったと思います)。同じ好き者でも、魅かれるところは銘々違うのでしょう、機関車の型番号を皆覚えているもの、客車の種類を(クハとやらクモとやら)諳んじている奴、つまり男の共通癖である「車好き」「機械好き」系がこっちに伸びた奴。私はそうじゃなかったです、車体の横っ腹やらドア近くに掲げてある行き先表示板、新大阪ー下関という表示見てうっとりしてました。いや、そのプレートを集めたいという向きではなく、あんな遠くからこんな所までこの電車は走っていくんだ・・という感慨、憧れです。妙ですかね。だから長距離列車はドキドキします。当時の昼間の特急、例えばディーゼルのかもめ。長崎、佐世保ー京都だったですよね。京都行きという電車はこの一本でした、これを見送るときの気持ち、今も再現できますよ。うっとり見てるんです。ブルートレインが全盛時代でしょう。これに加えてもう一つ別系列の寝台特急があったですね、月光とか日向とか。昔の特急こだまやはつかりの鼻を短く切り落としたような面構えの電車、これは当地を夕方に通るんです、だから直接見られたですね、そういう記憶です、違ったでしょうか。ただ本物のブルートレインは当地を上りは午後9時前後、下りは朝早く6時頃通過します。柳井にただ一本停車しました、特急富士です。ですからブルートレインの中ではこれに対して思い入れがひとしおです。西鹿児島ー東京です。同じ西鹿児島ー東京でも、特急はやぶさとは違うんです。富士は日豊本線を通ってきます、はやぶさは鹿児島本線経由です。こういうスケールの大きい違いを比べるのが好きでしたから、私社会(地理)強かったですよ。ああ、今思っても気が沸きたちます。夢があったですね。一度も乗ったことないのですが。今も朝6時半頃に走っていきます。あれがなくなるのか、と思いながら見ています。こんな気分もいいもんです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする