柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

皮肉

2009-01-24 08:03:03 | Weblog
毎日相撲ばかりにかみついてますが、今朝は毎日が朝青龍の予想外の勝ち続けをクンロク大関達の所為にして怒ってます、何日か前の朝日のように。昨日の相撲見ていたら肯かざるを得ませんか、何年も続いていることですが。千代大海と朝青龍の取り組み、これこそ出来山(八百長)じゃないの?っていうくらいの滑らかさ。ぶちかまして、脇には全く注意を回さずがぶり寄って、朝青龍は土俵際まで下がって余裕でもろ差し、体を入れ替えてすくい投げ、ゴロリ、終わり。この間、千代大海一切抵抗なし。琴欧州は勝手に転けるし。誰が書いた筋なんでしょう、朝青龍はまだ金になると協会は踏んだのでしょうか。だとすれば当たりましたね。優勝して、より一層強いヒールに徹すれば客が戻ってきます、今場所の客の入りをご覧なさいな。
 昨日の朝日新聞に「行政用語 障害を障がいとする意味は」という見出しで、聴覚障害者連盟相談役という肩書きの、自身聴覚障害者である男性の投稿が載ってます。朝日新聞に障害者自身が名乗って書くんですから、どうせ肯定する文章だと思って読みましたが、違いました、逆でした。内容は本文を読んでもらいたいのですが、筆者、題名から想像されるものと大きく違わないです。役所がこういう表記を選んだ理由は、害は悪いイメージがする、負の面を感じる、不快感等だそうです。本人も障害という表記は必ずしも適切とは思ってないそうで、他に障碍等の漢字表記があるけれど妨げるという意味で適切ではない、でも他に的確な言葉がないから仕方ないそうです。マスコミはよく障害を乗り越えてと書くが、乗り越えることは不可能に近い、障害には負けないのだと。要は社会環境や政策的不備で起きている不自由さこそが障害なのだ、それを取り除くことこそが必要だと。不快に思う人が一人でもいれば変更するなんてのは理由にならないと言い、私は障がい者にあらず、障害者であるとまとめます。行政の「弱者」に擦り寄る安直さは咎められるべきです。前に書いたとおり子供を子どもと書く安易さ。ここは賛成します。が、この人も弱者として書いています。こういう立場の人の言とあらば、世間は黙ります。そうわかって書いているのでしょう。実はここが朝日らしいという皮肉でもあるのでしょう。そう思いました。
コメント
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