映画「感染列島」見ました。新型インフルエンザと想定されていた原因ビールスが未知のものであったという筋、タミフルが実名で出てくる、これを飲むしかないという現実、重症例を前にしても(吐血、目からの出血、痙攣など他の致命的感染症を参考にした症状なのでしょう)対症療法しかないという医療現場に即した描写等々、TVドラマでありがちな「そんな馬鹿な」が少なくてとても見よい映画でした。養鶏場が元凶と槍玉に挙げられる、否応なく潰される、経営者が自殺するというのもいつか実際に見た場面です。医者の知識を持って斜に構える者の批判にも十分に耐えうるものだと感想持ちました。対症療法というのは目の前の症状に応じて施す処置のことです。血圧下がってきたら昇圧剤を投与する、呼吸がなくなったら呼吸器を装着する、吐血(胃から食道から出血するものです)すれば輸血するというものです。これに対するのは原因を除去する、大元を治す治療です、原因療法とでも言いますか。この場合であれば次から次に体の過剰反応を引き起こしているビールスそのものをやっつける除去する療法です、抗ウイルス剤の投与です。現在、インフルエンザビールスにはタミフルやリレンザが有名になっています。他には帯状疱疹などのヘルペスビールスに対する抗ウイルス剤が実用に供されています。でも、それこそ未知のビールスであればまったくの丸腰です、対応しようがありません。もっと言えば、私達が普通にひく風邪、これもビールス感染なのですが、このビールスに効く薬はまだありません。風邪の時に医者がドッサリ出す薬はみんな「対症」薬です。原因療法ができないから対症療法を期を逸さずに継続してとにかく急場を凌ぎながら体が勝つのを待つ。風邪もインフルエンザも、もっといえば肺炎も体が勝つのを待つだけです。そういうところがこの映画を見た方々に伝わっていたならこれは非常に意義深いことなのですが、ICUで防疫服に身を固めたスタッフが走り回る場面は、そしてあちこちで死んでいく、次々に新しい重症患者が運び込まれる場面、こういう場面になじみのない方々にはもちろん一歩も二歩も引いて眺めるばかりだとは思いますが、それでもどの人にも対症処置していくしかない現場のむなしさがうまく漂っているように思いました、新人医師が音を上げる場面でそれを象徴していたのでしたが、無力さの表現には十分だと思いました。それは我が身に何度も覚えのあることであるからなのですが、禅問答のような謂になりますが、死にゆく人を前にして医療(医者)は全くの無力だと改めて示された感です。死んでしまうから死にゆく人なのであって、どんな手を尽くしても死んでしまう人を死にゆく人と言うのだろう?語の定義からしてこの謂は矛盾しているとも指摘できるのですが、でも映画であったように私達は(医療は)失われたものを補う、止まろうとする心臓を何度も叩き揺することしかできないから続けます。そして百人に一人、あるいはもっと低い確率で何とか死に落ちずに済む人が現れる、そこを手がかりにして治療法が見つかっていく。医療の進歩はこうやってもたらされてきたのです。今回の映画ではコッホや北里柴三郎の時代の方法、血清療法が奏功するというこれまたとても印象的で啓示的な展開して、ワクチンができてやっと鎮静したという流れでした。今の時代に回復者の血清をそのまま患者にうちこむなんてのはあまりに乱暴、リスクが高すぎるという反対論も紹介して、それでもこれしかないからという判断も示します。よくできている映画、と言うべきなんでしょう。きっと実際にこういう場面になっても、医学界の偉いさん達はこういう考え方や反応するんだろうなと思わせる、よくできたシミュレーションだとも思いました。主演の妻夫木が普通のよくいる青年医師然として違和感のないのもよかったのでしょう。スタッフが大声で指示出し受けし、バタバタと時間が過ぎていく医療現場のシーン見ながら、泣く場面でもないのに涙が出そうになりました。医療の現実に即した作りだったからに違いないのですが(夢のような治療法が見つかるとか、ブラックジャックのようなスーパーマンが出てくるわけでもなく、死にゆくひとが理不尽に蘇るわけでもなく)、あのバタバタの現場にいたことがあるんだなぁという感慨でした。やれと言われればまだやれるだろうという自負も同時に湧きますが、懐かしい感じ、そしてこの職業選んで間違いじゃなかったという満足感充足感でした。医療モノのドラマは殊更に嫌う方で、事実嘘と誇張とが鼻につく作りのものが多いのですが、この映画はよく勉強された、良質な作りと思いました。是非ご覧になればいいと思います。
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