柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

世代

2009-01-01 07:14:26 | Weblog
新年明けましておめでとうございます。紅白歌合戦は年々面白くなくなり、しかし他のチャンネルに回す気にもならず、見た目は何十年変わらず、年始一番にお参りする人々の映像を見ながら「好きじゃのう」とこれまた何十年変わらぬ気持ちの中に年が巡りました。昔、年若い頃、私が酒を飲める年齢になってから母親は正月に酒を飲まぬ、飲もうとしない私を怪訝に見、どうして飲まない?と咎めもしたこと思い出します。母親は正月を非日常を過ごすものと決めていたようで、そして彼女の記憶には年末年始はどっかり座り込んで朝から酒煽っている自分の父親の姿が焼き付いているのでしょう、男とはそういうもんだと思い用意もしていたという背景でした。連れ合いがまた酒飲まぬ男でしたから、そういう意味では肩すかしの正月が続いて、同じように飲まぬ私をみて呆れるやら落胆するやらだったのだろうと思います。そして忘れられぬセリフ、年末30日大晦日にあれがないこれがないなんて言おうものなら大カミナリでした。おせち以外のモノ食わせろと要求しようものなら一喝されたものです、正月に買い物するなんて恥ずかしいことができるか?!もちろんスーパーマーケットもまばら、コンビニなどない時代です年末年始はどの店も閉まっています、物理的に難しいことなんですが母親が言うのはそういう事じゃなくて、正月とは何日も買い出しに行かなくても過ごせるようにちゃんと用意しておくもんだ、そしておせちとはそういう用意であってこれに文句を言うなんてのは筋違いも甚だしいという考え方でした。なるほどと気づいたのはずっと後でしたが、つまり正月にバタバタしたんでは世間様に恥ずかしい、人に笑われるという強烈な行動則、これが文化という奴です、日本人の誰もがもっていた処世規範でしょう。こう一般化できたときに、なるほど文化というのは、うちの母親なんていう端々の者、一隅に生きている者に至るまで遍く広く且つ強く精神的な抑制を掛けるものなのだ、これは誰かが号令かけて一朝一夕にできる業などでは有り得ないことだと感じ入ったことを思い出します。中国四千年なんて言いますが、日本は皇紀二千六百余年です、歴史の積み重ねはまさしく偉大。広大にして深淵。天地無窮(ちと意味合いが違いますか)。大晦日にあれがないこれが足りぬと買いに走りながら、コンビニも貸しビデオ屋も本屋もどこもかしこもいつもの通りに開いている光景、珍しくも何ともないことではありますが、こうじゃなかったよなぁと本当に心の片隅で思うことでした。便利さが拡がればそれのない不便には戻れません、世の中は戻りません。懐かしがるばかりです。形のない文化は不便さを甘受せねば継続できぬものなのでありましょう。文明が便利さを追い求める以上この選択は悩ましいものではあるのでしょうがしかし不便さが残った例はありません。この現実。私達が社会に関わった者として、ある時代生きた者(世代)として残し伝えて行かねばならぬ事、きっと沢山あるんでしょうね。そう思われませんか。
コメント
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