柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

歴史

2009-01-21 08:09:50 | Weblog
オバマさん大統領就任しました。あれだけ日本でも選挙戦が報道されましたから、私のレベルの者でも彼が選出された意味なり歴史的意義なりは(メディアや評論家達が教えてくれるものですが)わかっているつもりです。そして例によって斜に構えて見ているんですがでも、やはり期待を持たせますねこの人は。クリーンさというかクレバーさというか、マスコミが言うように喋りがうまいんでしょう、聴衆に向いてますから顔も心もそして言葉そのものも。小沢さんやら麻生さんやらとの違いはここなんですね、彼らはこっち向いて話しませんから。そう思うとガッカリしますが、オバマさんです。石油がらみの利権貪りが当初から見え見えだったブッシュとはっきり一線画しました。エネルギー改革がどんどん進めばまた日本にも目が出てくると言うことです。折からパナソニックが三洋傘下に入れてリチウム電池生産拡大路線に舵を切りましたね、この方向です。技術大国日本の生きる道が示されてことでもあるのでしょう。資源の囲い込み、保護貿易と一時的には世界中そう流れるんだとは思うのですが、やはり便利さ高品質さに扉は開くでしょう。アンチ日本のアメリカ民主党ではありますが、向こうさんが真っ当な技術競争を宣言するのです、受けて立てばいいですね。彼の淀みない演説の字幕読みながら、そう思いました。そしてTVはアメリカにおける黒人の歴史をレクチャーします。名だたる人種差別の国ですからねアメリカは。人種差別と聞いてどの国を思い浮かべるんでしょうか、アメリカ、オーストラリア、南アフリカ。日本人も朝鮮人や中国人を差別してきた歴史を持ちます。自分のことを棚には上げられません、そういう前提で。昔の映像が流れます、for colored only なんて看板が平気で掲げられています、黒人に向かってコップのコーヒーか何かを頭からぶちまけてる絵、どこかの知事が平気で人種差別する!と宣言していたり。オバマさんも演説の中で、ほんの60年前には父はレストランにも入れなかったと挙げました。彼はリンカーンを前に押し出して理想にしているようです、奴隷解放令を出した人だからでしょう。でも、かのリンカーンにしてもその奴隷解放令を出したその日にインディアン皆殺しの命令を出したそうなのです。時は南北戦争の頃、西部開拓という名の先住民(インディアン)虐殺虐待の真っ盛りの頃です。ここは含まねばならぬ事実と思います。そして暗殺の国アメリカ。この就任式最中にズドンてなことになればすごい映像だったんでしょうね、きっと皆それも期待していたんでしょうに。KKK団はどうした?彼らもさすがに今は生活第一ですか。彼に期待しているんでしょうか。色々思ったことでした。
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2009-01-20 07:55:40 | Weblog
定額給付金と消費税増額問題、槍玉です。自民党内から反論噴出です。渡辺さんはもう飛び出しましたからあれですが、なんだか最近はおおっぴらというか平気で大声出してます、広島の中川さんやら参院の飛び上がり山本某。麻生さんは曲げません。いいんじゃないですかね。民主党の女議員(蓮航?)がもっと他に使えとさかんに言ってました。確かに他に使い道はあるんでしょうが、でもそのどれが最良かなんてのはわかりません、そこをいいことに連中わかっていて言い合ってます。医療福祉に回せ(私達の業界はこう思っていましょう)、雇用対策に回せ、失業者を救え、社会のセーフティーネット拡充に回せ等々。どこかに持っていけば他が文句言う。均等に割ったらそれこそ中途半端に終わってしまう。いえいえそれより何より、例えば雇用対策とかセーフティーネットとかの抽象に大金放り込むと、役人達が私腹を肥やすばかりです。政治家も同類には違いないのですが、今時端々の小役人達のタチが悪いですから。ううむ、やはり個々にばらまいた方が問題少ない、というか国民それぞれには分かり易いです、あの大金どこに行った?じゃなくなりますから。二万円弱で景気がどうのこうのできるはずがない。確かにそう。でも、やってみなければわからないのも確かでしょう?そんなアバウトなことでどうする、二兆円ぞ?!ですよね、それもそうなんですが、仮に首相折れてどこかに回すってことになったとしましょう、どこに?これまたまとまらぬ論議になります、で、やりそうなこと均等割り。でも二兆円ですからね、少々割ってもこれは大金、それぞれに使い手があるとは思いますが、それこそどこへ行った?に終わりましょう。なれば定額給付ですわね。具体的に手元に回ってくるんです、ああ、本当にやっちゃったという思いは呼びますね。反発は想定内のことだったに違いないです、曲げずにやってもらいたいと思ってます。消費税増額計画。2011年にやると計画に書き込むことにえらく反発食らってます。特に自民党の飛び上がり山本某。田原の番組で持ち上げられてるもんですから舞い上がってる奴ですが、今回も威勢がいいですよ、景気回復に逆効果だと。負のアナウンスメント効果、だそうです。誰が考えたんだ?自分の創作?首相は景気の回復が前提だとずっと言ってます。国の税収がどんどん落ち込んでいる現況に対する直接的な手当てですわね。もちろん国民の納得を得るべく十分に話して行かねばなりますまいが、方針示しているんです、どうしてそんなに噛みつかねばならぬですかね。この男、(昔からですが)ずれが大きくなってきました。こういう決意で立て直していくぞ、という表明と見ればいいじゃないんでしょうかね。それとも目先の選挙が怖いんですかねやはり。連中にとれば背に腹は代えられない、死活問題ではありましょうから。となると首相が強いですか。さてさて。
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乗除

2009-01-19 08:01:22 | Weblog
その辺のアンケート結果の処理として%表示してそれで終わりというのがよくあります。一応数字で表せば体裁つきますし、全体の数で割ればいいんですから考え方も簡単、もちろんそうだから見ている人全員の理解が届く訳で、見ている人もああそうかいとわかったつもりになります、そういう効能は確かにあるのですが、その比率がどういう意味があるのか、もっと言えば割り算することに意味があるのかどうか何も考えていない安直さに驚くことがあります。内閣支持率なんかは分かり易い方ですね、何人に聞いて何人支持しているかですから。いつも噛みついてますが降雨確率、あれはわかりません。雨の降る確率。言葉はすんなり入ってきますが、よく考えれば分子分母は何なんでしょうか。何でもかんでも割合表示すればいいわけじゃないと思うのですが、この前NHKでお天気お姉さんが解説しているのを聞いてました。山口県ではこの一月によく雪が降りましたがカレンダーに降った日に印が打ってあって1/10から連続して6日降ってるんです、がそれより前は降ってないのです。それを彼女は二日に一日降ったことになりますとやりました。それはなかろうに、と偏屈おやじは思ったことでした。これだけ見た目明らかに偏っているものをおしなべる必要はなかったですね。きっと彼女はなんの考えもなくいつものように割り算して実数ともう一つ比率を言い並べただけなんでしょうが、たかが二週間という少ない分母であること、一目見たら散らばり方がわかるものであったことが禍しました。もっとも、世の中のアンケート処理は殆どがこの類です。これは何%、あれは何%でした、で終わり。だからどうするかとこのデータが生かされることがないでしょう?そう思われませんか?人を騙すには掛け算割り算すればいいです、人を不安に陥れるには割り算です。一日にこれだけやれば一年でこれです、10年やれば初期投資は十分元を取れますなんて大法螺話。逆に、今の額は大きいですが一日にいくら、一人当たりいくら上げていけばなんとかなるんですよという持って行き方。それは不安要素でもあります、一日のノルマ一人当たりのノルマが毎日上がるはずもないわけですから、数字に押し潰されます。掛け算や割り算はしないことです。昨日に今日を重ねていくだけですから所詮は。人生は足し算です。そうですよね。掛け算割り算に騙されないように!!
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2009-01-18 09:52:48 | Weblog
映画「感染列島」見ました。新型インフルエンザと想定されていた原因ビールスが未知のものであったという筋、タミフルが実名で出てくる、これを飲むしかないという現実、重症例を前にしても(吐血、目からの出血、痙攣など他の致命的感染症を参考にした症状なのでしょう)対症療法しかないという医療現場に即した描写等々、TVドラマでありがちな「そんな馬鹿な」が少なくてとても見よい映画でした。養鶏場が元凶と槍玉に挙げられる、否応なく潰される、経営者が自殺するというのもいつか実際に見た場面です。医者の知識を持って斜に構える者の批判にも十分に耐えうるものだと感想持ちました。対症療法というのは目の前の症状に応じて施す処置のことです。血圧下がってきたら昇圧剤を投与する、呼吸がなくなったら呼吸器を装着する、吐血(胃から食道から出血するものです)すれば輸血するというものです。これに対するのは原因を除去する、大元を治す治療です、原因療法とでも言いますか。この場合であれば次から次に体の過剰反応を引き起こしているビールスそのものをやっつける除去する療法です、抗ウイルス剤の投与です。現在、インフルエンザビールスにはタミフルやリレンザが有名になっています。他には帯状疱疹などのヘルペスビールスに対する抗ウイルス剤が実用に供されています。でも、それこそ未知のビールスであればまったくの丸腰です、対応しようがありません。もっと言えば、私達が普通にひく風邪、これもビールス感染なのですが、このビールスに効く薬はまだありません。風邪の時に医者がドッサリ出す薬はみんな「対症」薬です。原因療法ができないから対症療法を期を逸さずに継続してとにかく急場を凌ぎながら体が勝つのを待つ。風邪もインフルエンザも、もっといえば肺炎も体が勝つのを待つだけです。そういうところがこの映画を見た方々に伝わっていたならこれは非常に意義深いことなのですが、ICUで防疫服に身を固めたスタッフが走り回る場面は、そしてあちこちで死んでいく、次々に新しい重症患者が運び込まれる場面、こういう場面になじみのない方々にはもちろん一歩も二歩も引いて眺めるばかりだとは思いますが、それでもどの人にも対症処置していくしかない現場のむなしさがうまく漂っているように思いました、新人医師が音を上げる場面でそれを象徴していたのでしたが、無力さの表現には十分だと思いました。それは我が身に何度も覚えのあることであるからなのですが、禅問答のような謂になりますが、死にゆく人を前にして医療(医者)は全くの無力だと改めて示された感です。死んでしまうから死にゆく人なのであって、どんな手を尽くしても死んでしまう人を死にゆく人と言うのだろう?語の定義からしてこの謂は矛盾しているとも指摘できるのですが、でも映画であったように私達は(医療は)失われたものを補う、止まろうとする心臓を何度も叩き揺することしかできないから続けます。そして百人に一人、あるいはもっと低い確率で何とか死に落ちずに済む人が現れる、そこを手がかりにして治療法が見つかっていく。医療の進歩はこうやってもたらされてきたのです。今回の映画ではコッホや北里柴三郎の時代の方法、血清療法が奏功するというこれまたとても印象的で啓示的な展開して、ワクチンができてやっと鎮静したという流れでした。今の時代に回復者の血清をそのまま患者にうちこむなんてのはあまりに乱暴、リスクが高すぎるという反対論も紹介して、それでもこれしかないからという判断も示します。よくできている映画、と言うべきなんでしょう。きっと実際にこういう場面になっても、医学界の偉いさん達はこういう考え方や反応するんだろうなと思わせる、よくできたシミュレーションだとも思いました。主演の妻夫木が普通のよくいる青年医師然として違和感のないのもよかったのでしょう。スタッフが大声で指示出し受けし、バタバタと時間が過ぎていく医療現場のシーン見ながら、泣く場面でもないのに涙が出そうになりました。医療の現実に即した作りだったからに違いないのですが(夢のような治療法が見つかるとか、ブラックジャックのようなスーパーマンが出てくるわけでもなく、死にゆくひとが理不尽に蘇るわけでもなく)、あのバタバタの現場にいたことがあるんだなぁという感慨でした。やれと言われればまだやれるだろうという自負も同時に湧きますが、懐かしい感じ、そしてこの職業選んで間違いじゃなかったという満足感充足感でした。医療モノのドラマは殊更に嫌う方で、事実嘘と誇張とが鼻につく作りのものが多いのですが、この映画はよく勉強された、良質な作りと思いました。是非ご覧になればいいと思います。
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均衡

2009-01-17 07:52:19 | Weblog
朝青龍、負けませんねぇ。みんないつ負けるかいつ負けるかと待っています、負ければ引退騒ぎになります、それを待ってます、つまり他人の不幸を待ってます、悪役の潰れるのを見たがっています。でも負けません。ヒールはこれくらいでなくちゃぁなんてね、勝てば勝ったでしたり顔です、町の評論家達。いつも思うのですが朝青龍の立ち会い、あれでいいんですかね、いわゆるちょんづきですよね。両手をしっかり降ろしてちゃんと仕切ってから立つ。協会が指導厳しいことの筈ですが、ついたかついてないかよく見ないと分からないようなあんな立ち会いして、出足がよかったなんて言わせていいんですかねぇ。ビデオで見てちゃんとついています、なんて判定はここでは無意味でしょう、要は見た目見映えですから。あれだけ二言目には形式美とやら伝統やらを振り回すのなら、看板横綱のこの態度を正したらどうですかね。と、負けないヒールを見ながら思っています。、もっとも、昔の映像、特に北の湖とか輪島の時代の相撲見ていると連中の立ち会いはちょっと屈むだけです、片手もついてないです、所詮そんな歴史ですけれど。
 アフリカソマリア海域の海賊騒ぎ、時代がかってますねぇ。ジョニーデップとかフック船長辺りとイメージがダブってしまって、あくまで遠き彼の地のできごと、おとぎ話みたいに聞いてしまいます。でも大まじめに首相自衛隊送るって言ってます。またそれにハマコーの息子の大臣が反発してます。この防衛大臣、田母神さんの処分でミソつけましたから、今度は存在感を示そうって腹ですかね。もっとも、ミソつけたなんて思ってないかもしれません、あの処分処理で(残念ながら)世論形成する力を有する左翼勢力は黙りましたから。自分の国の近くを航行する他国船を襲って金品を奪う、人質を獲る、身代金を奪うというまさに海賊行為。自国の政情不安定、治安悪化が原因に違いないのですが、この近代においてまだこんな事(映画や漫画の出来事ですよね)が横行する事実、人の本性を見ることですね。持たざる者が持てる者から非正規に奪う。持てる者は持たざる者から尚一層正規に奪う(これを左翼さん達は搾取と言います)、聖書にも書いてある人間の真実です。持たざる者は直截な暴力に訴えるばかり。この繰り返し。これを彼の地の足踏み、非文明、低文化と評するか、大なる均衡と見るか。話し合いで何事も解決できるなんてのはあくまで建前論であることの何よりの証拠でしょうね。この海賊もしかり、中近東のやバルカン半島の民族紛争然り。貧困や圧政やの必要に迫られてという言い方になるのでしょうが、もっと根本は血が騒ぐんでしょう。体を突き上げる得も言われぬ感情。憎いとか腹が立つとかの理由のある感情でなく、沸き上がる熱い塊のようなもの。やってまえ!それだけで済む動機。繰り返しという観点から眺めれば、やはりこれは大なる均衡なのでしょう。一方で繁栄を誇った資本主義が躓いている、その一方では何百年前然とした単純な殺戮略奪が存在する。均衡。違いますかね。
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偽善

2009-01-16 08:01:37 | Weblog
高校生ら学生の短歌を天声人語で紹介しています。コラム子は「急ぎ足で過ぎる青春の日々を、虫ピンで留めたような言の葉の数々」と評します。まことその通り、ここに載っている歌だけでなくもっと読みたいと思いました、ストレートに心に響きます。「染みついた鉄のにおいがする髪をとかして思うもはや職人」工業高校三年生女子。大人の女の仕草が目の前に現れませんか。高校三年の女子はもう大人ですから。参った、という感じです。「幼き日遊び場だった畑作地今では父と僕との職場」農業高校三年男子。素直な少年の笑顔が浮かびますね。そしておやじの嬉しそうな顔と。ドキンとしたのはこの歌です「生も死も書けば一文字十五夜のすすきの中にぽつんとひとり」高校一年男子。静けさ、静謐さが伝わります。情景が目に浮かびます。こういう感性こそが羨ましいですね。こういう感覚は大人の子供のの差はないはずです。誰かが言ってました、子供も大人と同じように聞き感じ考えているんだ、ただ彼らには表現する言葉が少ないだけだ、と。こんな歌を子供が書くからびっくりする、のですが、子供でも当然感じることは同じだということでもあるわけです、確かにこの子達には表現能力も備わってはいるのですが。でも、やはり子供が書いたと知るから読む方の感動が大きいのですよね、この効果は否めません。同じ歌でもプロが詠んだとなればふ~んくらいのことでしょうから。そしてもう一つよく石原慎太郎が言うこと、五七五、五七五七七といった短い言葉で広大な世界や深い感情を表現し、その句や歌を国民全員が味わえるというのは日本人の優れた能力であり感性なのだと。これも強く肯きます。特にこんな瑞々しい歌を朝一番に読むなんてのは気分のすぐれることでありました。
 「子どもと教育をまもる山口県民会議」なる集団が小中学生を対象に実施される全国学力テストの中止や結果の非公表を県教委に要請したんだそうです。理由は陳腐なこと、いつもの奴ですから改めて書きませんが、県教委は結果公表する予定はないと賛同したそうです。大阪で橋本知事がぶっ放したあれです、公表して自己評価して、世間の評価も受けて、ちゃんとやれよというものですが、あららおらが国さもダメですか。どうして周りと競って伸びていく、褒められて伸びていくという人の本性、生まれ持つ性癖を隠しますかね。個人差を隠すんでしょうね。思想や信念や言動などについてはこれでもかと自由を要求し個人差尊重を金科玉条にしているくせに、こと競争(能力差)に係ることになるとこれですわ。おかしいですよね。連中も自分が優れている分野やら既得権益持っている分野では平気で差別抑圧しているのに、です。こんなことをいつまでも許していたんではきっと活力そのものが失われます、なんとかせねばと本気で思います。そして目に付く連中の言葉狩り、偽善臭ぷんぷんする言葉遣い、子ども。供という字が気に入らぬのです。婦という字を毛嫌い排除しているのと同根。昔、娘がそういう風に学校で言われたと教えてくれてびっくりしたことがあります。野郎ども!という語感につながる、一人一人ではなく集団としての呼称、蔑称だというのです。このクズども!馬鹿ども!の類。そんなこと思って使ってますか?子供は「大人ども」の対語じゃないですよね。語源は知りませんが当然に大人の対語として昔から存在する名詞です。そこに侮蔑の意味などはありません。全くの言いがかり、アヤつけてる因縁つけてるようなもんです。そういう与太を平気で子供に吹き込むんです。もっとも、頭のいい子達は相手にしないですがね。また障害者を障がい者と書き直しことさらに垂れ幕に大書きする愚もどこかで見ました。胸が悪くなりますね。こういう手口と知りつつ誰も止めない。日本語を潰すことは許されない、そういう観点で振り回せばいいのに、と思いますがね。悔しいことです。
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異様

2009-01-15 07:51:41 | Weblog
上原2年9億円、川上3年21億円だそうです。野茂が開けてイチローが展いたこの世界、不況もどこ吹く風です。日本人の評価は高いんでしょうね。張本がさかんに言う、日本の野球の方がアメリカのものより上等だというのは向こうさん達も認めているのでしょうか。しかし資源流出という意味では由々しき問題ではありましょうね。巨人の上原、中日の川上でなくなったんですから。
 父親殺しの少年の精神鑑定書を精神科医が女ジャーナリストに渡して、講談社の依頼でそれを本にした事件、確か情報流した医者が有罪、このライターはお咎め無しだったんでしたよね、このフリージャーナリスト(こういう呼称がよくわかりませんね、ネタを依頼されてルポルタージュという名の文章を書く人達ですね、つまりは売文屋達)が今までは殊勝にも取材元情報元を言わなかったのですが、今回はっきりこの医者だと明言しました。すでに医者がこの女に渡したと話している、講談社側も認めているという背景の出来事ですから、外野から見ている分には大したことじゃないように思いますがこれが違うようです。ジャーナリストの風上にも置けぬという非難です。取材元を秘匿するのはジャーナリストの守るべき大原則、イロハのイだと。なるほど、ここまで外堀埋められた(事実が明々白々の)環境に置いても、知らぬ言えぬを貫かねばならなかったというわけです。よく判決言い渡しの際の理由の使われる、その職業に対する社会的信用を失墜させた罪は大きいなんてことでしょうか。この女ジャーナリストの行く末を知りたいですね。職業人として抹殺されるんでしょうか。確かに危ない奴というレッテルは貼られますかね。それぞれの職業にそれぞれの鉄則がある、守るべき一線がある、それは誰に聞くともなく身に沁み自ずから行動を抑制するものであると知ることでした。
 35歳の母親が、5人子を産んで、その4人を手にかけた、それも病院に入れて点滴に汚水を混入させてという事件。呆れると言うべきか、それより何より言葉を失うと表現するべきか。こういう子殺しの事件を聞くたびに私は殺された子の運命と殺した親の来し方という観方をしてきました。また男の女の差異、つまり母親特有の、男にはわかりようのない気持ちなり感情なりのうねりが、私にはわからぬこと故に原因かもしれないなんて勝手に推測もしてきました。でも今回は猟奇的とも言えるほどの異様さです。新聞によれば何やら小難しい病名がついて、病人だったという免罪されそうですが、なんとも後味の悪いことです。やはり運命論で処理すべきなんでしょうか、この親の子に産まれた悲運。配偶者はどんな奴なんでしょうね。別にこっちが悪い訳じゃないんですが、どうにかできなかったのでしょうか、おかしいと思っていたでしょうにね、一度ならず四人ですよ。言い方がえげつないですが、殺しては産み殺しては産みの異様。この妻にしてこの夫の様相でしょうか。聞かされて胸が悪くなる、でも自分の子を手にかけただけのこと他人様には迷惑はかからぬこと(病院はいい迷惑ですが)、わざわざ報道してくれなんて誰も頼んでいない、なんてことになれば黙るしかないのでしょうかね。
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個々

2009-01-14 08:10:27 | Weblog
当地でも今朝氷が張りました。寒波は本格的ですか。当地は温暖山口県の中でもとりわけ暖かい所で、近辺に雪が降っていても柳井と大島には降らぬと一般的に言えるほどの土地柄です(ご存じない方は是非一度地図を開いていただいて。山口県の東南隅に大きな島と象の鼻みたいに半島が突き出てます。その根本が柳井、大きな島が周防大島(屋代島)です)。私の年代の者でも昔はもっと寒かったよねというくらいの最近の暖冬ですが、それでも毎年思い出したように雪は降りますし、氷も張ります。年寄り達は「冬がなくなった」と言いますが、それでもこんな手のかじかむ寒い朝も一興であります。冬はつとめて。もののあはれにはいまひとつ届きませぬが。
 広島皆実高校サッカー全国制覇です。下馬評にも挙がらなかった高校が優勝するのは甲子園でもよくあること、これ自体は珍しくもないことですが、やはり世間の目はスター選手に注がれます。相手の鹿児島の高校のエースストライカー、あれだけきついマーク受けながらそれでも一点蹴り込むところやはり評判通りなんでしょうね。この選手J1鹿島に入団するそうです、記事は有望さを書き立てますが、何年か前の平山の例がありますからね。平山も高校生時分はこれでもかとばかりに持ち上げられ褒めそやされてましたが、今は日本代表に入れません。うむ、厳しい世界であります。もう一つTV聞いていて気づいたこと、高校名を「ひろしまみなみ」と呼ぶのですが、そのイントネーションが広島南なんです、この違和感。ひろしまみなみと一気に読むんですね。皆実は「み」にアクセントがありますから、私達はそう発音しますから違和感なんですね。後に高校をつける場合は一緒なんでしょうが、広島皆実で切る場合はアクセントが違いますよね。ずっとこの違和感の中で聞いていました。いかがでしたか。そうそう、吉田拓郎がここの出身だそうです。張本は、ここは広島屈指の進学校で私なんぞは入りたくても入れなかったと褒めていました。
 渡辺前大臣、離党しました。海図のない単独航海、だそうです。中国新聞には大きく見出しです。定額給付金やめろとか言ってることは確かに世論に沿っていますが、やはりここまででしょうね。すぐにマスコミも相手にしなくなるでしょう。今週末の田原の番組に呼ばれて終わりでしょう。さてさて、若気の至りと言うには歳取りすぎていますけれどねぇ。
 フランスの女法相、出産五日目に職務復帰したんですって。未婚で父親を公表せずというおまけ付きだそうです。女性権利団体が反発してるそうです、こんな前例作られたのでは雇用者側の圧力が増すばかりだと。なるほど、言いそうなこと。産婦人科医ももっと休んだ方がいいと言ってます。フランスでは16週間の産後休暇が保障されていて、普通は10週間休むんだそうです。世間に聞くと女の60%男の51%がこの態度に反対、賛成したのは33%だったそうです。もちろん相手が天下の法務大臣だからこんな話になっているだけで、隣の若奥さんがこうしたんならおばちゃん連中は褒めるくらいのことでしょうけれどね。でも所が天下の人権国家フランスですわ。産休は保障すべきです、妊娠して出産して職失いましたではいけません。日本でも当然のことですわね、でも野蛮国日本ではまだまだ端々では出産即失職のケースが多いのでしょう?それは措き、この大臣、母親がすぐに働いていた姿を見ているからとこれまた平気だそうです。いいですねぇ。このまま突っぱねてもらいたいと思います。みんなにそうしろというのでは決してなく、こういう人もいるんだということで済ますべきですよね。人権の国がどう対処しましょうかね、こっちも面白いと思うのです。無理矢理休ませましょうか、大統領。
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大見得

2009-01-13 07:58:27 | Weblog
自民党の渡辺喜美前大臣、離党するんだそうです。ふむ。麻生さんじゃないですが、あなたのお好きに、で終わりですか。二世議員の割には骨のある奴かと映ってましたし、実際行政改革なんて肩書きはこの人には適所だったんじゃないんでしょうか。天下り禁止とか無駄な公共施設の潰し(大阪で橋下知事がやっているような)をガンガンやりかけて、安倍福田と居抜きで仕事続けていられたところ麻生さんに知らん顔されて、という顛末。無念はわかるし、世論に沿っている(それが輿論にならぬのがくやしいわけですが)という自負もあるのでしょう、つまり向こうが間違っているという思い、義憤。で、離党。民主党に行くのか彼がそうなればいいなと思い描いている「新しい勢力の結成」となるのかというのが現時点での展望予想でしょうが、いえ残念ながらこれ以上はオチません。なぜなら、彼が自民党員で元大臣で二世議員の中では頭を上げているもののうちの一人で、やがて自民党内でおやじを越えるかなんてのが世間の認識と興味を持続する前提であって、あの衆院の採決場面で切ったTVカメラの前での大見得でこの人の運は尽きましたね。堕ちていく恐怖ときっと闘っていると思いますよ、おやじあればこその今の地位です、今の注目度なんです。それを振り回すしか自分には、自分の力では耳目を集められぬのですから。で今がピークです。この人がどう化けるか、それは誰にもわかりませんが、自民党出て新党やら新しい集団作って、そのまま自民党に戻らずに一線に居続けているは小沢さんただ一人です。今の河野衆院議長も出戻りです。今の中川大臣のおやじと石原慎太郎らは青嵐会なんて集団作って時の親分達に逆らいましたが離党などと言うバカはしなかった。国民新党の綿貫、両亀井さんたちもTVには呼ばれはするけれど福島瑞穂辺りと同じ扱い、あくまで刺身のつまですわね。自民党にいりゃこそメディアに露出できる。自民党員でいるから飛び上がれば話題になるんです。本人も会見で言ってましたが、まず私が外側に出て云々かんぬんと、一旦出てしまうと何を言ってもどう吠えても誰も気にも掛けてくれぬのです。そのくらいわからぬことじゃないでしょうにね。わざわざ自分の選挙区(栃木)で会見したと言うことは支援者と相談したなんてことなんでしょうが、この人に広島における亀井鬼瓦静香ほどの力があるんでしょうかね。つまり自民党離れてたちまち次の選挙大丈夫かしらとのお節介。それこそおやじならいざ知らずということでしょう。向こう見ずですか。義憤に駆られて。ここまででしたか。おやじ泣いてるんでしょうな。麻生さんは知らん顔。そりゃ知らん顔ですわ。こんな奴要らぬのでしょうから。厳しいですなぁ。
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態度

2009-01-12 07:05:45 | Weblog
エチオピアで武装勢力に拉致拘束されていた日本人女医がパリで「解放記念」記者会見しています。判断のポイントは二つですか、身代金はどうなったんだ?とこういう集団(いわゆる正義の集団、世に言う奉仕の精神で成立している集団)はそれほどに貴く上等で立派な「必要」なのか。所属のNGO「世界の医師団」の会長は身代金などは払っていないと言ってますが、どうかしら。じゃぁ何の為に連中が誘拐拉致したんだ?って話です。ハイジャック犯達がよく要求するような、例えばエチオピアで拘束されている政治犯の解放やらその他の便宜との引き替えだったんでしょうか。それならそれで報道がありそうなもんです。それこそちゃんとした交渉成立ですから。NGOが払ってないのなら、日本政府でしょうか。もう一人男の看護士が一緒だったんですね、この男の国と日本とで払ったんでしょうか。テロとは断固闘うなんて言いながらね、どこも闘ってないんですから。結局ドンパチやりあって、ミサイルじゃ何とかじゃぁを沢山打ち込み合う(勝てないですがねアメリカ)ゲーム、全面戦争の前段階にこういうゲリラ行為があるわけです。国際社会の決まりとか常識とかは反体制勢力、テロ組織には好都合この上ないモノでなんでしょう、こうやって誘拐すれば金ふんだくれるんですから。そして朝日が社説で教えてくれていますが、この手の世界規模のNGOの資金潤沢なこと。趣意に賛同する立派なボランティア精神溢れる人や団体が多いという証です。この女医のように、この手の活動に心動かされる人間もきっと後を絶ちませんから、世界中に募集かければ人材に不足することもないでしょう。インフラの足りぬ所へは技師や労働力を、医療の足らぬ所へは医師を。立派な行為です。と思います。でも、こうやって敵さんに資金を回していく仕組みでもあるということなのです。戦争のさなかでも病院船やら赤十字の旗は攻撃するななんて国際法(ちゃんと記載があるのかどうかは知りません)作って、それは偽善じゃないか、そんなことするなら戦争をやらねばいいことだという子供でもわかる、そして正しい理屈をいつも二の次に回してきた人類の歴史であらばこそ、さらに今次のイスラエルパレスチナ紛争の、日本に住んでいる者にはどうにも理解しがたい、シンパシーの湧かぬ理由を聞くにつけ、所詮は人は人との交わりにおいては命を的にした交渉で生きていくしかない、どこまで文化文明が進歩しても人間の本性は変えられないと知るわけです。なれば翻れば、正式な軍隊を持たず他国への攻撃行為を憲法で禁じている日本という国の特異性が際だちますか。もちろんアメリカの核の傘の下にいて、例えばどこか他国の侵略を受けた場合にはアメリカさんがやってきて代わりにやっつけてくれるというまことに空想以外の何物でもない制度のもと(これで安全が保障されているといういわば理論上の武装)、幸いこの六十有余年の間他国の侵攻を受けなかったのではありますが、昨今佐藤首相の書簡などからはより生々しい交渉、アメリカの言質を取ろうとする意図がはっきりしています、丸腰で大丈夫なんて進歩的文化人以外は、当の為政者達は考えてなかったのですが。日本人だけが例外であるはずもないことです。そしてこの女医の態度毅然たるところ。心配掛けて大事になって申し訳なかったなんてそぶりを見せません。こういうのも珍しいですか。自分のやっていること、エチオピアくんだりまでやってきてこういう顛末になった事自体は彼女にとれば非のないことなんでしょう。自己責任で対応するという心意気の表れともとれます。殺されるかと思ったと平気で言います、もっとも殺されなかったから言える台詞ですが。母親と兄がパリまで迎えに行って云々の報道。何だか釈然としないのはどうしてなんでしょうね。私が偏屈で天の邪鬼でボランティア活動というものに寄れない性分だからでしょう、それが第一。どうしてこんな危険な所に行こうと思うのか、それが理解できないから、いわば自分で入っていった災難にこれだけマスコミが大騒ぎする、しかも朝日の社説の如くこれでもかと賞讃して持ち上げる流れに合点がいかぬのが二つ目。それとやっぱりこの女医さんのしれっとした会見具合でしょうか。ああ、心配して損した、という感想。なかなかに人は勝手な思いを抱くものですでね。自分のこの気持ちの動きを考えるに、いつもの結論、言葉と態度には気をつけるべしと思い直すことです。
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