柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

安直

2011-07-17 08:00:02 | Weblog
くどいですが、マスコミ批判をします。結論を先に言えば、どうせこうしたかったんだろうけれど、放射線汚染された肉牛を送り出した畜産農家を探し出し、マイク突き付けて謝らせて得々としてます、顔を見せぬように背中から撮ったり首から下を撮ったりたっぷりの思わせぶりです。この恣意のすり替え、寄って集っての弱い者いじめ、集団暴力を恥じろ!です。新聞もTVもこういう時の速いこと速いこと、あっという間に流通路を確定して犯人扱いです。どのメディアもこの事態そのものに大騒ぎしたいわけです、危険かどうかはあっちに措いて、です。TBSの朝番組でも、全部の肉が危ないんじゃないですから誤解しないように、なんて言いながら、内部被曝は云々かんぬん、放射性セシウムは長期間体内に止まって放射し続ける、なんて「正しいことだけど現状にそぐわない無用な知識」を撒き散らしての徒らな不安を煽ります、風評被害を批判しながら一番のスピーカーがマスコミだという、マッチポンプです。現状にそぐわない無用な知識とは、今マスコミや御用学者らが基準値として常に出してくる数値は、全くの平時における環境維持の為の基準であって、現在、あれだけの原発事故があって放射線がガンガン出ていて(そこにはもう飽きちゃったか言及せずに)それがどこかに飛んで行く、雨が降れば地面に落ちて来るのは想定外どころか子供でも理解できることで、そういう急場、常ならぬ状況に、平時の基準を持ってきてどうするんだ、という意味です。平時の基準は平穏な環境維持の為のこれでもかときつく決めた「呑気な」数字です。非常時に要るのは生き物(敢えて人間様だけに限定しますまい)の生命に関わる数値、そこで生活していくための環境破壊の危険域です。違って当然です。違わなければなりません。今はこういう状況下であるからこのくらいは仕方ないのだ。そう告げるべきなのです。それをダラダラと呑気な数字と比べ続けてる。このくらいの線量では直ちに健康被害はない。何時まで経っても学者専門家有識者連中は、どいつもこいつも雁首並べてオウム返しです。新聞はその藁の線量を書きたてます、郡山では50万ベクレル、相馬市では12万ベクレル、喜多方市で3万9千ベクレル、宮城県大崎市で17600ベクレルだそうです(それぞれ1kg当たり)。50万ベクレルを指して暫定基準値の378倍!と新聞は煽ります。50万÷378=1322.7です。食肉には500ベクレルです、外は1300ですか。いつもと違ってきっと今も降って来ているんですよ、呑気な数字を当てはめて騒ぐは間違いでしょう?そこに「大人さ」がないんですね、騒いでなんぼの幼稚さが嫌ですね。何が大事なのか、です。どの新聞も同じ調子ですが、中国新聞にその典型を見ました。こうです。「健康影響 懸念広がる」と大見出し、「少量なら心配ない」「基準値に異論も」と小さく見出し、これで言いたいことが、流れがわかりますが、文章もそのままです。専門家、学者のいつものセリフをいつものように(申し訳のように)載せて、被曝線量が少なくても危険がないわけではないんだ、という基準値に対する「異論」を最後に載せる。つまり、ゼロじゃないといけないんだという宗教です。基準値の500も気に入らぬわけです。今回のような放射線禍下と平時との区別をどうつけるんでしょうね。こういう時にはきっと、学者の純粋さ、純な学問性の煙幕を張るんでしょうけれど。たった今、TBSの朝番組で河野元衆院議長が言ってます、日本のダブルスタンダードはいけないことだと。何かというと、今回の放射線汚染された肉牛について全頭検査しろと言う意見に対して機械も時間もないと反論する、一方でアメリカからの牛肉輸入に対しては口蹄疫、狂牛病の危険を避けるべく全頭検査を要求してきたじゃないかと。ううむ、これも見事なすり替えです、ごまかしです。危険が微々たる放射線汚染と、プリオン病(特殊な感染症です、治療方法がありません)の危険とを同列では論じられません。危険の度合いがそれこそ桁違いでしょう。ダブルスタンダードがあるなしは知りません(きっとありますが)が、危険の軽重を無視してます。大マスコミの論法です。有識者達の頭の中はこういう安易なまとめ方に進むようにできてます。危険の軽重。どうかここをしっかり伝えて欲しいと思います。扱いやすい、犯人探しし易い、俗耳に入り易い、スキャンダラスな、軽々な話題を吹聴扇動する責任をいい加減に感じろと言いたいことです。いつまで幼稚なことやってる?
コメント
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