柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

2008-11-27 08:42:45 | Weblog
御陰様でこのブログ連続1000日継ぐことができました。雨の日も風の日も(いつも室内でキーボード打つんですから外の気候には関わりありません、それを思うと新聞配達で代表される連日の屋外業務の大変さに改めて気づきます)盆も正月も、という表現ですが、これは単にしつこいというだけのこと、そういう性分であることの証明でしかありません。しかし読んでくださる方々がいていただけるということこそが最大の原動力です。今後とも宜しくお付き合いいただきますようおねがいいたします。1000という数字を実感すること、あまりないでしょう?いかがですか。1000円といっても、一円玉を千個という実感はないですよね、あの千円札一枚というイメージです。これこれを1000倍するいうのも概念上の掛け算ですよね、1000という数字を実感するものではありません。実感とは?例えば千人の観客を目の前にするとか、あんパン千個目の前に並べるとか、そういう直截な量の感覚です。そういう考え方すれば100もそうですね。日頃では10の単位でしょう、具体的に量として数えたり感じたりするのは。今、一から十まで口に出して数えるにしても結構時間がかかるんです、10という量は相当なモノなのです。いや10の100のという捉え方は、私達の生活が十進法で成り立っているからであって(慣れているから)、7でも900でもいいことなのですが。今回も、繋いできて結果1000日になったのですが、1000という数の実感があるわけではありません。平成18年3月10日から続けての1000です。2年と8カ月。それだけのことです。3年といえば中高入学から卒業までかとか、やはりそういう概念に当てはめて理解しようとしてしまいます。つまり量としての実感がないのですね。この感覚は面白いことではないでしょうか。特に金の計算になったとき、それも掛け算掛け算でどんどん数が大きくなっていくときの危うさを物語ることなのでしょう。100や1000を実感できぬ者が億兆などわかるはずがないですから。
 厚生次官殺人事件、やはりとんだ間抜けな顛末、危ない奴による無茶ということになりそうです。保健所が厚生省の管轄ではなく自治体の管轄だと知らされて本人絶句したと記事にあります。政治的理由のあるテロでもなく、義憤からの天誅騒ぎでもなく、個人的怨恨でもなく、です。何~んだ。これで当地も潮が引くように静けさを取り戻すことでしょう。さて次の興味は(大した興味じゃないですが)精神鑑定ですか。性格異常(人格障害)なのか統合失調症系なのか。明らかにマスコミは肩すかし喰らいました。大山鳴動してさて何が出てきたと表現されましょうか。
 安馬、大関昇進です。日馬富士(はるまふじ)と改名です。大関が安い馬じゃぁ具合悪いというわけでした。この字面見て感じたこと、日という字の持つ異様な雰囲気です。日の出ずる国の日。日輪の日。そして日の本の日。高天原やら天照大神などを連想させる字です。それと馬という字の組合せの違和感。富士はもちろん富士山なんですが、師匠が横綱旭富士ですからこれはこれで正当。なかなかに、いかに当て字とは言え、重々しい字面であることです。それとも日馬に何か語源があるのでしょうか。はるまと読ますのもこれまた特別のニュアンスを伝えます。面白いですねぇ漢字というのは。
コメント
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