嫌煙権のことカサブランカのボギーを持ち出して中国新聞コラムで書いています。確かに昔の映画見てるととにかく男達は煙草、煙草、煙草。飲み屋や屋外ではもちろんのこと、電車の中でも家の中でも食事の場でも。ああ、それだけ今は喫煙者が外に弾き出されているということ、これだけ映画の場面に違和感を覚えるのはこれだけ日常生活の場から煙草が排除されているということです。そう思えば確かにこの社会の変化は早い進行でした。嫌煙権といういやな言い回しであっと言う間でした。健康被害、副煙流なんて言葉捻り出して危険を言い立てる手口。そして、一旦煙草を悪者に仕立てると一気に集団暴力です、迷惑と健康被害の二本立て。御用学者達がつまらぬ集計を採って後押しする、例えば喫煙と肺癌、喉頭癌やらの癌発病との関係に始まって、副煙流(本人は吸わないけれど隣で吸うものの煙を吸い込むこと、フィルターつけている本人より直接に吸い込んでいるこちらの方が被害が大きいなんて与太言う学者もいました、煙草吸う奴こそ副煙流も直に多く吸い込んでいるじゃありませんか)と癌、挙げ句は鬱病とか検査値とかの関係まで言い立てる。これ簡単なんです、ある集団例えば鬱病になった人を集める、その人達と煙草吸う人と吸わぬ人に分ける、単純に言えば6:4以上の差がつけば、実際には色々統計学的有意さを出す式があってそれに当てはめていくんですが、結果が出れば発表するんです、いくらでもできるでしょう?喫煙者とそうでない人に分けるというとても簡単な分類です、いまに煙草と性格の関係とか、煙草とDVの関係とかやり出しますよ馬鹿馬鹿しいこと。そういう先駆け争いにばかり血眼になっている学者の出してくるこの手のつまらぬ結果を後ろ盾にして社会から煙草をなくそうとする勢力は嫌煙権なんて権利創り出してブンブン振り回します。煙草嫌う人はもちろん少なくとも喫煙者と同じだけいたわけで、彼らは歓迎しますね、特に子供の健康とか、くわえ煙草とか歩きながらの煙草がいかに危険かなんて今さらのように言う、抗えない正論を次々に積み上げて反論を封じ込める。果たしてホタル族なんて言葉でもって嫌煙主義は世論にすり替えられます。ああ、いやなこと。禁煙ファッショなんて表現してる人もいますが、私も賛成です、たかが嗜好品をここまで悪者にするはおかしいですわね。禁酒法が悪法だったと評価されるのはなぜですか、人の社会を見損なったからでしょう、社会の雑多性に枠を架けられないからです。ボギーは格好いいですよね、あのセリフもそうですが煙草吸う仕草所作の格好良さ、何人が真似したでしょうね、私もアランドロンの吸い方真似できますよ。健康被害を言い過ぎます、禁煙によって医療費をいくら削減できるなんてまさに画に描いた餅を錦の御旗にして(厚労省の計算好きの役人が掛け算掛け算で弾き出した大嘘の数字です、個人差を全く無視した馬鹿馬鹿しい大嘘です)、問題すり替えていく。私はこういう仕事してますから、必要な人には禁煙を勧めますが、そうでない人には酒も煙草もどうぞお好きにと言ってます。これが正しい指示だからです。全く個人の嗜好に関わることだからです。こういう態度で処するべき事項なのです。人が迷惑に思うことは避ける、それが社会生活の原則その一です。でも迷惑だと言い立てればいいというものでもない、飲み屋に行ってたばこの煙が気に入らないなんて与太は通らないわけです、いやなら行くなですから。公共の場(これまた左翼的な響きですが)から迷惑を排除するのは社会の利益だという正論でもって、公共の場がどんどん拡がっていくわけですね、列車内、駅構内、学校敷地内。禁煙にしている飲み屋もあるんでしょう、煙草吸いが行かなくなるだけのことですが。私は社会の利益安寧は個人の権利に優先するべきと考える方で、迷惑かける者を排除せよと考える方なのですが、禁煙運動には反対です、単なる嗜好を制限する無茶だからです。もっと浅いところで(ちょっと気をつけるだけで)解決できることだからです。健康被害なんて大嘘でもって大上段に構えるほどのことではないからです。私は人に禁煙を勧めねばならぬ立場にいますから煙草は吸いません、16、7年前に止めました。が、医者を辞める時が来ればまた吸い始めようと思っています。何故か?格好いいと思うからです、服や靴と同類のファッションと思うからです。ボギーやアランドロンのようにちょっと顔をしかめて煙を吐き出す。いいでしょう?そんなことを他人に禁じられたくないですよね。所詮は勝手事なんですから。そうですよね。
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