2016年オリンピック招致、東京が選択肢に残ったということです。万博、オリンピック、サッカーワールドカップなど世界の注目を浴びるイベントは国威発揚、景気刺激の象徴になること、石原都知事がえらくご執心で、もっと国中で気持ちを盛り上げてくれ!と煽ってますが、町の声は冷ややかです。みんな言います、もっと他にやることがあるだろう?って。大金を持っていくところ他にあるんじゃないのか?という極めて普通の健全な意見です。その通りでしょうね。知事に言わせれば、それもこれも通り抜けていこうという元気の源になるんだそうですがどうですかね。東京オリンピックの時とは状況が違いますね。あの時も反対意見が大きかったそうですが、それこそ豊かさへの起爆剤になりました。今回は?国中を覆う閉塞感の解決策?いや、そこまで国民は単純じゃないんでしょう。結局東京だけが潤う(金は東京にしか落ちないでしょうし)、中央集権そのままですから。じゃぁ大阪やら名古屋やらでは、となりますがご承知の通り何処も落選しました。候補地としては日本では東京しかないわけです。そんなことにも周りは飽きちゃってる、どうせそうでしょうよって。都知事のテンションの高さに鼻白んでいる。国民の賛同期待にはほど遠いことでありましょうか、新規の巨大な公共事業のように感じてますから。この人には見えているのであろう坂の上の雲が未だ多くの人には見えないのですね。
NHKが受信料の訪問徴収を止めるんだそうです、経費削減目的だそうです。ああ、またここで失業者が出ます。人件費を削るしか考えないんですね。夜中の放送止めればしっかり支出の削減になるのに。どこの民放も一日中馬鹿な番組流してるんです、同調する必要などありません。大災害のニュースなど必要なときに必要なだけ(夜中ですよ)放送すればいいです。何十年か前のように12時になったら日の丸がはためいて君が代が流れて放送終了とすればいいんです。受信料の徴収率も却って悪くなるんじゃないんでしょうかね。大丈夫かなぁこの経営陣。新しいトップはどこかの民間経営者でしたよね。結局役人の頭と同じって事でしたか。がっかりです。
タスポ、もう一題。佐賀の業者、6台の自販機を稼働させていて月数百万(!)の収入を得ていたところ、この制度導入後、5月第一週は前年の一割にまで落ち込んで、昨日書いた福岡の事例のようにタスポを自販機横にぶら下げておいたのですが怒られそうなので今度はブザーをつけて呼び出して貰う、そこでタスポを持っていって買ってもらうという手に出たんだそうです。それでも全然売上は戻らないそうなのですが、このあの手この手が面白いじゃないですか。タスポ販売元の日本たばこ協会はコメントです、成人であることを確認すれば対面販売と同じことだ(問題ない)、禁止事項の譲渡貸与にはあたらない、そうです。これはいいんです。本人がタスポ持ってなくてもこれはいいんだそうです。なんだかいたちごっこの様相です。ま、悪法として名高い禁酒法の類の一物ですから当然といえば当然。いつ引っ込めますかねこの協会。当の未成年者は別に何も困っていない、不便しているのは大人達という顛末。嫌煙イデオローグにとってはそれで好都合なんでしょうが。
くどいですが水着騒動もう少し。人間が進歩進化したのではなく、トレーニング方法やら競技技術の変化(背面飛びやバサロスタートに象徴される新技術やら、運動生理学上の考え方の変化)、競技ルールの変化、競技環境の整備(トラックやらプールやらはザトペックや古橋の時代のものと比べれば雲泥の差がありましょう)によって、記録がよくなってきたのだと言いました。百分の一秒に賭ける青春!なんてスポ根番組調に叫ばれる如く、記録は百分の何秒ずつ更新されていきます。これは個人差に負うものなのでしょうけれどしかしやはりその日の天候とか気温とかも含めて環境に左右される部分の方が大きいのだろうと思います。今回のように画期的な水着が登場して記録が更新される事態はその証明でしょう。そしてそれを許しているんですね、陸連やら水連は。真の身体能力とそれに付加修飾したものの区別、就中付加修飾するものの中での区別が曖昧に過ぎるんでしょう。私はステロイドによる筋肉増強は、水着などのウエアや靴などの道具の工夫と同次元と思います。オリンピックでカールルイスに大差で勝ったカナダの選手(すぐ名を忘れるんです、なんとかジョンソンでしたかね)、あの人は自分の足で走ったんですよ、ジェット噴射なんかしなかったですよ、エイトマン(いささか古い譬えで恐縮です)のように足が見えなかったんじゃなかったですよ。あの人も人間です、あの記録は人間の記録です、一人の人間が他に何の力も借りずに自分の足だけで出した記録です。あれも人間の能力でしょう?単に道具を使って自分の体を強くした結果です。ウエイトトレーニングや、軽い靴、締め付ける水着とどう違うんですかね。いえ、でもとんでもない記録というのはあります。何年何十年も破られない記録は、道具を工夫しても歯が立たなかったということです。ひとえにその選手の身体能力の優越度が飛び抜けていたことに拠るもので、ウエアが競技場が風が雨がなんて講釈を一切ふきとばすものです、例えばビーモンの走り幅跳び8m90。ああいうのが例外ってのもおかしな事ですが、ああいう記録こそが道具や技術論に汲々としている協会幹部やコーチ連に身体能力の個人差を思い知らせ、優れモノを捜すことの重要性を教えるんでしょうね。もっともあの人が他の道具(ステロイド)使ってなかったって証明があるのかないのかそれは知らないことですが、でもあの大記録も破られたでしょう。道具とは到達できる高見に時間短縮して届くためのものであると定義しましょう。きっと限界なんてのはないんでしょうね、マラソンも2時間を切る時代がきっと来るんでしょう。前の記録を塗り替えることを繰り返すだけのこと、技術の進歩をさも人間の進歩進化のように見立てているだけのこと。私はそう思うのですが違いますかね。それとも、それがアスリートとしての進歩じゃないかと考えるんですかね。
NHKが受信料の訪問徴収を止めるんだそうです、経費削減目的だそうです。ああ、またここで失業者が出ます。人件費を削るしか考えないんですね。夜中の放送止めればしっかり支出の削減になるのに。どこの民放も一日中馬鹿な番組流してるんです、同調する必要などありません。大災害のニュースなど必要なときに必要なだけ(夜中ですよ)放送すればいいです。何十年か前のように12時になったら日の丸がはためいて君が代が流れて放送終了とすればいいんです。受信料の徴収率も却って悪くなるんじゃないんでしょうかね。大丈夫かなぁこの経営陣。新しいトップはどこかの民間経営者でしたよね。結局役人の頭と同じって事でしたか。がっかりです。
タスポ、もう一題。佐賀の業者、6台の自販機を稼働させていて月数百万(!)の収入を得ていたところ、この制度導入後、5月第一週は前年の一割にまで落ち込んで、昨日書いた福岡の事例のようにタスポを自販機横にぶら下げておいたのですが怒られそうなので今度はブザーをつけて呼び出して貰う、そこでタスポを持っていって買ってもらうという手に出たんだそうです。それでも全然売上は戻らないそうなのですが、このあの手この手が面白いじゃないですか。タスポ販売元の日本たばこ協会はコメントです、成人であることを確認すれば対面販売と同じことだ(問題ない)、禁止事項の譲渡貸与にはあたらない、そうです。これはいいんです。本人がタスポ持ってなくてもこれはいいんだそうです。なんだかいたちごっこの様相です。ま、悪法として名高い禁酒法の類の一物ですから当然といえば当然。いつ引っ込めますかねこの協会。当の未成年者は別に何も困っていない、不便しているのは大人達という顛末。嫌煙イデオローグにとってはそれで好都合なんでしょうが。
くどいですが水着騒動もう少し。人間が進歩進化したのではなく、トレーニング方法やら競技技術の変化(背面飛びやバサロスタートに象徴される新技術やら、運動生理学上の考え方の変化)、競技ルールの変化、競技環境の整備(トラックやらプールやらはザトペックや古橋の時代のものと比べれば雲泥の差がありましょう)によって、記録がよくなってきたのだと言いました。百分の一秒に賭ける青春!なんてスポ根番組調に叫ばれる如く、記録は百分の何秒ずつ更新されていきます。これは個人差に負うものなのでしょうけれどしかしやはりその日の天候とか気温とかも含めて環境に左右される部分の方が大きいのだろうと思います。今回のように画期的な水着が登場して記録が更新される事態はその証明でしょう。そしてそれを許しているんですね、陸連やら水連は。真の身体能力とそれに付加修飾したものの区別、就中付加修飾するものの中での区別が曖昧に過ぎるんでしょう。私はステロイドによる筋肉増強は、水着などのウエアや靴などの道具の工夫と同次元と思います。オリンピックでカールルイスに大差で勝ったカナダの選手(すぐ名を忘れるんです、なんとかジョンソンでしたかね)、あの人は自分の足で走ったんですよ、ジェット噴射なんかしなかったですよ、エイトマン(いささか古い譬えで恐縮です)のように足が見えなかったんじゃなかったですよ。あの人も人間です、あの記録は人間の記録です、一人の人間が他に何の力も借りずに自分の足だけで出した記録です。あれも人間の能力でしょう?単に道具を使って自分の体を強くした結果です。ウエイトトレーニングや、軽い靴、締め付ける水着とどう違うんですかね。いえ、でもとんでもない記録というのはあります。何年何十年も破られない記録は、道具を工夫しても歯が立たなかったということです。ひとえにその選手の身体能力の優越度が飛び抜けていたことに拠るもので、ウエアが競技場が風が雨がなんて講釈を一切ふきとばすものです、例えばビーモンの走り幅跳び8m90。ああいうのが例外ってのもおかしな事ですが、ああいう記録こそが道具や技術論に汲々としている協会幹部やコーチ連に身体能力の個人差を思い知らせ、優れモノを捜すことの重要性を教えるんでしょうね。もっともあの人が他の道具(ステロイド)使ってなかったって証明があるのかないのかそれは知らないことですが、でもあの大記録も破られたでしょう。道具とは到達できる高見に時間短縮して届くためのものであると定義しましょう。きっと限界なんてのはないんでしょうね、マラソンも2時間を切る時代がきっと来るんでしょう。前の記録を塗り替えることを繰り返すだけのこと、技術の進歩をさも人間の進歩進化のように見立てているだけのこと。私はそう思うのですが違いますかね。それとも、それがアスリートとしての進歩じゃないかと考えるんですかね。