柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

判断力

2008-03-20 13:13:20 | Weblog
畠山被告に無期懲役判決、被告側が控訴したそうです、これじゃぁ刑が重すぎると言うわけです。わざとですかね、わざと世論に逆することをする。おまけにこの女法廷で土下座するなんてパフォーマンスしたそうです、どうせ弁護士の差し金でしょうが。高裁、最高裁まで行く裁判と踏んでのことなんでしょうね。記憶の抑圧なんて言葉を使う、素人が一知半解に使っていい言葉じゃありません、大体こういうことが本当にあるのかどうかも疑わしいことです。素人(裁判官)が素人(検察官、弁護士)相手に専門用語を振り回す。真実なぞどうでもいいのでしょう。この小難しそうな言葉にだけ振り回されます。あらぬ方向に進むばかりです。長崎市長射殺事件、死刑を求刑したそうです。殺すつもりはなかった、なんて一番単純な故意の否定をどう覆すのか、計画性とか日頃の怨恨とかでしょうか。読売は「民主主義揺るがす」なんて見出し打ってます。こんな事が死刑の理由になるのかどうかは知りませんが、この事件が起きたときからそうでしたね、こんな事件の度に新聞やらTV(特に古館)は言います、民主主義への挑戦だって。違うでしょう。単なる個人間の怨恨です。殺してやろうとは思ってなくても、死んだって構わないと思って撃ったに違いないことです。でもそれだけですわね。銃を撃つことがどうして民主主義揺るがすことなんでしょうね。わからんでしょう?選挙の結果を無視するとか、民意を無視して独裁専制に走るとか、そんなことなら民主主義への挑戦でしょうが、銃を持つのは法律破り、人を殺すは殺人罪。それだけですわね。人を傷つけるな、殺すな、は民主主義じゃありませんよ。安全な社会生活、集団生活送るためのルールです。それを法律立てて、遵守を強いているだけのことです。おかしいでしょう?新聞に言うことが正しいのじゃないです。評論家が言うことが全て正しいのでは決してないです。ここは私達個人の知識と判断力が試されるところなのです。心得なければなりませぬ。
コメント
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