麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

リポビタンD 2/3 (短編7)

2006-03-25 15:10:46 | 創作

 さっきまでとても暗い気持ちだったが、リポビタンDを3分の2飲んで風呂に入ると、まわったらしく、別の考えが浮かんできたのだった。自分がインタビューをされているような気分で頭の中でひとり言を言うクセが昔からあるが、ヒゲを剃っているとふと「あなたはどういうときが幸せなのか?」と質問された。「町をぶらぶらしているとき」と、すぐに答えが出た。「たとえば新宿のような街。銀座とかはよく知らないのでダメです。新宿のように道を熟知していて、いま自分がどこそこにいるということをまったく意識しないでも正確にわかっていて、それで頭の中ではいつものようなわけのわからないことを――たとえばハイデッガーの顔は高血圧っぽいというような――生活に何の関係もないようなことを考えながらぶらぶらする。そうして腹が減ったら、桂花に行き――桂花が嫌いな人もいるのはよくわかりますが私は好きなのです――その桂花も三丁目のところがいいのですが――そこで体を気遣うフリをして『完全食』をたいらげ、そのあとで三丁目駅地下のルノアールへ行ってコーヒーを飲みながらタバコを吸う――これはもう宇宙一の幸せものというところですね」「アミューズメントスポットがあなたはお嫌いなようだが?」「ええ嫌いです。――ここで楽しめ、オラ! どうだ楽しいか? オラ! ――そういわれているみたいで、まるで無理して勉強しているような気分になってしまう。すぐ帰りたくなるんですよ。この感じは、私の場合、あの、『休め!』といわれて左足を前に出す、あの命令と同じ感じがします。というのも、私は運動会の行進練習などが大嫌いで、それ以上にその練習の途中で、『その場で座ってしばらく休め』といわれたりするのが大嫌いでした。ここで休んでいても、マンガを描くこともおやつを食べることも音楽を聴くこともできないのに、なにが『休め』なんだ? こんなんで休むより続けて練習して早く終えて、こうやって先生たちがあてはめている、この枠そのものから解放してくれよ。――それが私の気持ちでした。いつでも、どんな場所でも、いやになったら自由に立ち去りたい――幼稚園のころから、私はそう考えていました。友だちなんかといっしょにいても、そこにいっしょにいることを『義務』にしようとする奴が出てくると、即座に何もいわずに私はその場を立ち去ったものです――それは、他人の書いたものの中では、あの『地下室の手記』で初めて同じ感覚を読みましたが――そんなとき、私はただ、『自分が好きなときに立ち去れること』を自分に証明するためだけに立ち去るのです――しかし、このような態度が、『大人にならなければ』と考えてしまう一時期――それを過ぎればまたそんなことは考えなくなるのですが――には、いけないことだと思え、とくに恋愛の場などですと、私はどんなにうまくいっているときも、ふいに立ち去りたくなるのですが、そう感じれば感じるほど『それではいけないのだ』と考えていっしょにいるようにしてしまったものです。それを、私がとても執着している証拠だと取り、しつこいとさえ感じた女性もいたことでしょう。しかし私の頭の中はいつも反対で、そうして反対を押し切ってそうすることでとても疲れてしまうのです……」
 リポビタンDの効果が少し薄れてきたのを私は感じた。すでに少し暗いほうに頭が向かっていたから。3分の2ではこんなものだろう。150円だし。しかし、全部飲むといまだに鼻血が出るので飲めないのだ。ユンケルはそんなことはない。きっと栄養ドリンクにも相性があるのだ。

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