1月29日
昔出ていた講談社文庫の「出口/廃墟の眺め」(吉行淳之介)の、「流行」と「曲がった背中」を読みました。とてもよかったです。吉行淳之介の小説は、そのすべてが好きではありませんが、好きなものもあります。この2編は違いますが、子どもの頃のことを書いたものはどれも好きです。
この文庫本はもともと高校の同級生で上智大学の法学部に進んだNのものでした。日本の小説家のことは私よりはるかに詳しかったと思います。市谷台町に住み、夏目坂に下宿していた私と毎日のように行き来していた時期もあります。たぶん、どこか天才的な人間だったのだろうと思います。私には理解できないところもたくさんありました。「風景をまきとる人」の中に、油尾が、「子どもの頃、親子三人で川の字になって寝ている時に、横向きの楽な姿勢をとれずに苦悩していた」というエピソードを語る場面があるのですが、この話はNの体験です。
入学して三年目か四年目(こういう言い方をするのは、二人とも留年していたからです)、ある晩、いつものようにやってくると、「俺、洗礼を受けたよ」と言って、そのまま帰っていきました。以来、誰もNの消息を知りません。
☆
では、また来週。
昔出ていた講談社文庫の「出口/廃墟の眺め」(吉行淳之介)の、「流行」と「曲がった背中」を読みました。とてもよかったです。吉行淳之介の小説は、そのすべてが好きではありませんが、好きなものもあります。この2編は違いますが、子どもの頃のことを書いたものはどれも好きです。
この文庫本はもともと高校の同級生で上智大学の法学部に進んだNのものでした。日本の小説家のことは私よりはるかに詳しかったと思います。市谷台町に住み、夏目坂に下宿していた私と毎日のように行き来していた時期もあります。たぶん、どこか天才的な人間だったのだろうと思います。私には理解できないところもたくさんありました。「風景をまきとる人」の中に、油尾が、「子どもの頃、親子三人で川の字になって寝ている時に、横向きの楽な姿勢をとれずに苦悩していた」というエピソードを語る場面があるのですが、この話はNの体験です。
入学して三年目か四年目(こういう言い方をするのは、二人とも留年していたからです)、ある晩、いつものようにやってくると、「俺、洗礼を受けたよ」と言って、そのまま帰っていきました。以来、誰もNの消息を知りません。
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では、また来週。