麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第615回)

2018-07-22 19:23:52 | Weblog
7月22日

岩波ブックセンターのあとにできたのは、「神保町ブックセンター」です。
ようやく名前がわかりました。

前に書いたことですが、老いるとは、事物を自分の物語の文脈の中に引き込むパワーがなくなってくるということです。それは、事物が本当の姿をむき出しにし、つねにこちらに襲いかかってくるということ。これに対抗するには普通、パワーを持っている若い人や神にすがって自分を彼らの文脈に入れてもらうのが手っ取り早い。おじいさんは孫の「成長する」という文脈にいれてもらい、その物語に便乗することで自分がまだ事物を飼いならすことができるかのような錯覚に陥る。おばあさんは神に祈ることで不死性という錯覚を手に入れる。しかし、もう一つ、まったく別の方法もあります。それは、「自分というものはない」と気がつくことです。襲ってきた事物に「おまえは何を攻撃しているのか。小さな雲の集まって見えるところをいくら攻撃してもむなしいだけだぞ」。そう言うことです。事物も自分も、攻撃も損壊も、一瞬の「世界の雰囲気」でしかない。それに気がついたら事物のほうでも恥じ入り、二度と攻撃をしてこなくなることでしょう。ただし、この方法には弊害があります。もはや他人とはまったく会話ができなくなることです。仕方ありません。そこは死ぬまで、依然自分があるかのような演技をし続けるしかありません。なあに、もうすぐです。
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生活と意見 (第614回)

2018-07-08 22:04:08 | Weblog
7月8日

諸葛亮伝読みました。普通の大将軍で、劉備の忠臣として描かれていて、演義で強く印象付けられる魔術師的な姿はほとんど出てきませんでした。

神保町でツァラの作品集が出ているのを見たのですが、高いのであきらめました。
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生活と意見 (第613回)

2018-07-01 20:58:26 | Weblog
7月1日

外を歩いていたら、ブルトンの「溶ける魚」みたいに溶けそうでしたね(読んだことはないけど)。

あれからめまいで2日寝込みました。部屋が回りました。ずーっと回っていて不思議でした。吐いて、眠れず、「これが続いて死ぬわけか」と思いました。

旧世界文學大系「中國散文選」で、「漢書」(班固)の「霍光(かくこう)伝」を読みました。とてもおもしろかったです。「漢書」なんて、きっとこれ以上読むことはないと思います。次は「正史三国志」(陳寿)の「諸葛亮伝」になっています。演義とどれだけ違うのか、たぶんわからないでしょうね。ずいぶん前に岩波少年文庫で演義の縮約版を読んだだけなので(いま昔のブログを見たら、徳間文庫で平凡社版の演義全訳の新版が出た時、いちおうそれを読んだことを思い出しました。その本はもう手元にありませんが)。

「ぺガーナの神々」をひさしぶりに読みました。失礼この上ないですが、やはり自分と同じ気質を強く感じます。
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