7月22日
岩波ブックセンターのあとにできたのは、「神保町ブックセンター」です。
ようやく名前がわかりました。
前に書いたことですが、老いるとは、事物を自分の物語の文脈の中に引き込むパワーがなくなってくるということです。それは、事物が本当の姿をむき出しにし、つねにこちらに襲いかかってくるということ。これに対抗するには普通、パワーを持っている若い人や神にすがって自分を彼らの文脈に入れてもらうのが手っ取り早い。おじいさんは孫の「成長する」という文脈にいれてもらい、その物語に便乗することで自分がまだ事物を飼いならすことができるかのような錯覚に陥る。おばあさんは神に祈ることで不死性という錯覚を手に入れる。しかし、もう一つ、まったく別の方法もあります。それは、「自分というものはない」と気がつくことです。襲ってきた事物に「おまえは何を攻撃しているのか。小さな雲の集まって見えるところをいくら攻撃してもむなしいだけだぞ」。そう言うことです。事物も自分も、攻撃も損壊も、一瞬の「世界の雰囲気」でしかない。それに気がついたら事物のほうでも恥じ入り、二度と攻撃をしてこなくなることでしょう。ただし、この方法には弊害があります。もはや他人とはまったく会話ができなくなることです。仕方ありません。そこは死ぬまで、依然自分があるかのような演技をし続けるしかありません。なあに、もうすぐです。
岩波ブックセンターのあとにできたのは、「神保町ブックセンター」です。
ようやく名前がわかりました。
前に書いたことですが、老いるとは、事物を自分の物語の文脈の中に引き込むパワーがなくなってくるということです。それは、事物が本当の姿をむき出しにし、つねにこちらに襲いかかってくるということ。これに対抗するには普通、パワーを持っている若い人や神にすがって自分を彼らの文脈に入れてもらうのが手っ取り早い。おじいさんは孫の「成長する」という文脈にいれてもらい、その物語に便乗することで自分がまだ事物を飼いならすことができるかのような錯覚に陥る。おばあさんは神に祈ることで不死性という錯覚を手に入れる。しかし、もう一つ、まったく別の方法もあります。それは、「自分というものはない」と気がつくことです。襲ってきた事物に「おまえは何を攻撃しているのか。小さな雲の集まって見えるところをいくら攻撃してもむなしいだけだぞ」。そう言うことです。事物も自分も、攻撃も損壊も、一瞬の「世界の雰囲気」でしかない。それに気がついたら事物のほうでも恥じ入り、二度と攻撃をしてこなくなることでしょう。ただし、この方法には弊害があります。もはや他人とはまったく会話ができなくなることです。仕方ありません。そこは死ぬまで、依然自分があるかのような演技をし続けるしかありません。なあに、もうすぐです。