1月27日
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
ブログを始めて今週で丸2年。本当にあっという間ですね。
2006年1月28日に、最初のあいさつをアップしていますが、いまでもそのときのことはよくおぼえています。創作メモ兼日記を見ると、1月21日に大雪が降ったと書いてあります。その翌日に部屋の賃貸契約の更新に行き、帰りに下北沢に寄って、「風景をまきとる人」が二十冊近く売れたことを知り、ブログを始めてみよう、と思いました。そうして、次の休み(28日)がくるのを待って、さっそく立ち上げてみたというわけです。なんと朝の10時前に、です。
あのころは、まだ入院の記憶も生々しくて、いまより心がすっきりしていました。自分にとって大切なことはなにか、それさえじっと見据えていればいいという緊張感が自分の中にありました。
入院するときには、咳をするたびに血を吐いたので、肺がんだと思っていて(毎日100本近くタバコを吸っていましたから)、たぶんもう出てはこれないだろう、と感じていました。だから、どうしても読みきってしまいたいと、埴谷雄高の「死霊」を持ち込み、また、長いこと読みたいと思っていたマハーバーラタも、もはや完訳版を読んでいる時間はないだろうとからと、縮約版を買い揃えたりしました。それは冗談ではなく、本気で「最後だから」と考えたからです。聖書も、アラビアンナイトもプルーストも、古典文学大系の原始仏典も、エセーも国家も、とりあえず一回は読めてよかった、と思いました。一冊だけ本も書けてよかったと思いました。不思議と、それ以外のことはなにも気になりませんでした。以前はよく、東京では死にたくない、と思いましたが、いざとなるとそんなのどうでもいいと思いました。むしろ、新宿に里帰りしたような形になったので、ここでいいや、と思いました。検査をしている間に「死霊」を読み終わり、がんではないとわかってからは、ヘミングウェイが読みたくなりました。「海流のなかの~」「誰がため~」と立て続けに読んでいるうちに血は出なくなって、血圧も下がりました。ひと月半過ぎて、出てきたとき、新緑の季節になっていて、木々の緑が目にしみました。
あのときの、すっきりした気持ち。それが、ブログを始めたころにはまだ残っていて、一回一回が、なんとなく遺言を書いているような(そこまで大げさではないですが)気分に近いものがあったと思います。
それが、いまでは、またしても、自分がいつまでも生き続けられるかのような錯覚にとらわれ(DNAの巧妙なやり口のおかげで)、あるときは若い人たちと同じような視線で世の中をながめ、自分の死期がもうすぐ近くにきていることを忘れてしまっています。人生の主要登場人物との出会いは40歳ころを最後ににすでに終わっており(その最後の人は宮島径氏です)、冠婚葬祭の中で、まだ経験していないのは、親と自分の葬式だけ。そんな地点にいることをちゃんと自覚しなければ。なによりも、カテーテル検査のあと、病院のベッドの上で身動きできずに何時間も天井をながめていたときの気分をいつも思い出さなければ。また、あのときとなりのベッドにいたKさんは、もうこの世にはいないのだということをしっかりおぼえていなければ。「行ってくるよ」と、散歩に出かけたときのKさんのダンディな姿も。
☆
「全一冊」シリーズで、啄木の巻が大きな活字になって出ました。明日にも買ってこようと思います。
では、また来週。
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
ブログを始めて今週で丸2年。本当にあっという間ですね。
2006年1月28日に、最初のあいさつをアップしていますが、いまでもそのときのことはよくおぼえています。創作メモ兼日記を見ると、1月21日に大雪が降ったと書いてあります。その翌日に部屋の賃貸契約の更新に行き、帰りに下北沢に寄って、「風景をまきとる人」が二十冊近く売れたことを知り、ブログを始めてみよう、と思いました。そうして、次の休み(28日)がくるのを待って、さっそく立ち上げてみたというわけです。なんと朝の10時前に、です。
あのころは、まだ入院の記憶も生々しくて、いまより心がすっきりしていました。自分にとって大切なことはなにか、それさえじっと見据えていればいいという緊張感が自分の中にありました。
入院するときには、咳をするたびに血を吐いたので、肺がんだと思っていて(毎日100本近くタバコを吸っていましたから)、たぶんもう出てはこれないだろう、と感じていました。だから、どうしても読みきってしまいたいと、埴谷雄高の「死霊」を持ち込み、また、長いこと読みたいと思っていたマハーバーラタも、もはや完訳版を読んでいる時間はないだろうとからと、縮約版を買い揃えたりしました。それは冗談ではなく、本気で「最後だから」と考えたからです。聖書も、アラビアンナイトもプルーストも、古典文学大系の原始仏典も、エセーも国家も、とりあえず一回は読めてよかった、と思いました。一冊だけ本も書けてよかったと思いました。不思議と、それ以外のことはなにも気になりませんでした。以前はよく、東京では死にたくない、と思いましたが、いざとなるとそんなのどうでもいいと思いました。むしろ、新宿に里帰りしたような形になったので、ここでいいや、と思いました。検査をしている間に「死霊」を読み終わり、がんではないとわかってからは、ヘミングウェイが読みたくなりました。「海流のなかの~」「誰がため~」と立て続けに読んでいるうちに血は出なくなって、血圧も下がりました。ひと月半過ぎて、出てきたとき、新緑の季節になっていて、木々の緑が目にしみました。
あのときの、すっきりした気持ち。それが、ブログを始めたころにはまだ残っていて、一回一回が、なんとなく遺言を書いているような(そこまで大げさではないですが)気分に近いものがあったと思います。
それが、いまでは、またしても、自分がいつまでも生き続けられるかのような錯覚にとらわれ(DNAの巧妙なやり口のおかげで)、あるときは若い人たちと同じような視線で世の中をながめ、自分の死期がもうすぐ近くにきていることを忘れてしまっています。人生の主要登場人物との出会いは40歳ころを最後ににすでに終わっており(その最後の人は宮島径氏です)、冠婚葬祭の中で、まだ経験していないのは、親と自分の葬式だけ。そんな地点にいることをちゃんと自覚しなければ。なによりも、カテーテル検査のあと、病院のベッドの上で身動きできずに何時間も天井をながめていたときの気分をいつも思い出さなければ。また、あのときとなりのベッドにいたKさんは、もうこの世にはいないのだということをしっかりおぼえていなければ。「行ってくるよ」と、散歩に出かけたときのKさんのダンディな姿も。
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「全一冊」シリーズで、啄木の巻が大きな活字になって出ました。明日にも買ってこようと思います。
では、また来週。