3月29日
一代男のあと、「西鶴諸国ばなし」(暉峻訳)、「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」(平岩弓枝訳/学研M文庫)を読みました。弓張月は、逐語訳ではなく抄訳。実は逐語訳も持っている(昭和48年発行、潮文庫)のですが、前・後・続・拾遺・残の全5編のうち、前・後編までしかなく、中途半端なところで終わっているので、ちゃんと完結しているものを読むことにしました。滝沢(曲亭)馬琴を読んだのは、約10年前、河出文庫の「八犬伝」(白井訳)を読んで以来です。物語としてのおもしろさは、やっぱりすごい。楽しい。ぐいぐい読ませる。曚雲国師(もううんこくし)という悪者(正体は大蛇)のイメージはなんだか怪人二十面相みたいで(個人的な感想ですが)、江戸時代の創作ということを忘れさせます。この魔法使いが「禍(わざわい)」という名の獣(体が牛のようで頭は虎)を現出させるくだりがあって、なにか馬琴にしては観念的で意外な展開だと思うと同時に、「ボルヘス怪奇譚集」におさめられてもいいような哲学的な場面だと感じました。「仁義」という、馬琴がもっとも大切だと考えたに違いないテーマについては、八犬伝ほどの徹底さがないと感じました。主人公の源為朝は、ちょっとモテ男のようにも描いてあり、全編に八犬伝よりあまい感じが漂っています。男としては、八犬伝の義へのこだわりがやはり感動的です。――「おまえが義をうんぬんするな」と言われそうですが、ひと言。私が忠実に尽くしているのに、図に乗ってこちらに失礼なことをしたことのある人に対して、元々私は義のかけらも感じていません――常に強烈なメッセージを面白さの中に練りこんで読者の心にある雰囲気を(それこそ弓張月にも八犬伝にも出てくる「珠」のように)残す、いうまでもなく馬琴は大作家だと思います。
下痢が止まると同時に風邪をひきました。ばかばかしい。
一代男のあと、「西鶴諸国ばなし」(暉峻訳)、「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」(平岩弓枝訳/学研M文庫)を読みました。弓張月は、逐語訳ではなく抄訳。実は逐語訳も持っている(昭和48年発行、潮文庫)のですが、前・後・続・拾遺・残の全5編のうち、前・後編までしかなく、中途半端なところで終わっているので、ちゃんと完結しているものを読むことにしました。滝沢(曲亭)馬琴を読んだのは、約10年前、河出文庫の「八犬伝」(白井訳)を読んで以来です。物語としてのおもしろさは、やっぱりすごい。楽しい。ぐいぐい読ませる。曚雲国師(もううんこくし)という悪者(正体は大蛇)のイメージはなんだか怪人二十面相みたいで(個人的な感想ですが)、江戸時代の創作ということを忘れさせます。この魔法使いが「禍(わざわい)」という名の獣(体が牛のようで頭は虎)を現出させるくだりがあって、なにか馬琴にしては観念的で意外な展開だと思うと同時に、「ボルヘス怪奇譚集」におさめられてもいいような哲学的な場面だと感じました。「仁義」という、馬琴がもっとも大切だと考えたに違いないテーマについては、八犬伝ほどの徹底さがないと感じました。主人公の源為朝は、ちょっとモテ男のようにも描いてあり、全編に八犬伝よりあまい感じが漂っています。男としては、八犬伝の義へのこだわりがやはり感動的です。――「おまえが義をうんぬんするな」と言われそうですが、ひと言。私が忠実に尽くしているのに、図に乗ってこちらに失礼なことをしたことのある人に対して、元々私は義のかけらも感じていません――常に強烈なメッセージを面白さの中に練りこんで読者の心にある雰囲気を(それこそ弓張月にも八犬伝にも出てくる「珠」のように)残す、いうまでもなく馬琴は大作家だと思います。
下痢が止まると同時に風邪をひきました。ばかばかしい。