麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第120回}

2008-05-18 22:59:19 | Weblog
5月18日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

先日、地下鉄の改札のところで、小学1年生くらいの男の子が4人、改札の外と中に分かれてふざけていました。制服からしても、いい家の子どもだとすぐにわかる(つまり私の子ども時代とはぜんぜん違う)、4人とも同じくらいの背格好の少年たちでした。いじめというようなふんいきはまったくありません。

彼らは2人ずつ改札の中と外に分かれているのでしたが、中にいた2人のうちの1人が、突然、外の子どもに向けて制帽をフリスビーのように投げました。どうやら外の2人は、その、取られた帽子を追いかけて改札まで来ていたらしいのです。

そういう事情を知らないで改札を出ようと通りかかった私には、そのとき飛んでいく帽子が一大スペクタクルのように感じられました。受け取ろうと手を伸ばした男の子の横では、改札をくぐろうとしていた青年が迷惑そうな顔をしていましたが、私は声を立てて笑ってしまいました。

ひとつには、子どものころ、しょっちゅう帽子をぶん投げていたことをなつかしく思い出したからですが、それよりも、なんというか、ひさしぶりに「意味」を無視した光景を見たような気がしたからです。

帽子はかぶるもの。ふだんの生活では、帽子を、ただそれだけの意味でしか見ていません。しかし、当然のことですが、帽子自身は、自分が帽子であることなど知らない。あそこを飛んでいるのは、「頭にかぶらせる」という概念を思い描いた人間によって縫い合わされた布のかたまりであり、われわれが見ているものも、帽子という概念にすぎません。だから、その概念にさえとらわれなければ、その布のかたまりを投げようが、それで鼻をかんで捨てようがかまわないわけです。

子どものころは、その定型の概念を大人に押し付けられて、それをたくさん持つことが頭のいいこととされます。教育はまさにそういう行為で、なぜそれが必要かといえば、子どもは、動物と同じで、概念にとらわれにくいからです。概念の中で生きる大人には、概念を無視して生きている人間がいると自分という固体の存続に危害を加えられるかもしれないので、都合が悪いのです。たとえば、ナイフやフォークを見て、「これで親父を刺してみたらどうだろう?」と子どもが考えては困るので、マナーなどというものを作り出して、それに沿った概念しか見えないようにしようとするわけです。

子どもが「下らないいたずら」をやらずにいられないのは、たぶん、生えてきた歯がかゆくて指でさわってみたくなるのと同じで、少しずつ概念に固められて決まりきったもののように見えてきた世界が歯がゆく、もっと小さかったころに感じていた自由がまだあるのだと試してみたくなるのにちがいありません。「帽子は投げるもんじゃありません!」と、いくら母親が怒鳴ろうと、投げてしまえば、投げるものであってもいいということがたちまち証明できるわけですから。

……しかし、やがて彼らにも、帽子を投げることのどこがあんなにおもしろかったのかわからなくなる日がやってくることでしょう。そうして「性欲過剰」という病気の時期にさしかかると、その不安定さにつけこんで、「帽子はかぶるもの」式のかわり映えのしない概念を、まるで自分オリジナルの新しい思想のように香水に混ぜて吐く女になにか堅固なものを感じ、突き進んでいく。が、しばらくして振り返ってみれば、そこにはただ母親よりは少し若いもう一人の母親がいて、「帽子は投げるもんじゃありません!」と1000年前と同じ言葉で子どもをしかりつける……。

ふぁーっ。

なんて退屈なんだ。(サミュエル・ベケット『マロウンは死ぬ』より)



では、また来週。
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2 コメント

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Unknown (ねも)
2008-05-20 15:02:45
第118回とも関連しますが、
大人になると、愛情という概念にも捕らわれている気がします。
性欲は本能的なものなのに、愛情という概念に縛られたセックスをしているような感じです。愛情という概念は、近代になって外国から伝わったものとも聞きます。
それに比べて昔の日本人の性的な交わり方は、もっと直接的であり、頭と身体が一致していたようなイメージを持ちます。
だから、大人になりきらない人が愛情で勃起しないのは、当然なのかもしれないと思いました。私も愛情では勃起しないのです。
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おひさしぶりです (麻里布)
2008-05-25 23:05:48
ねもさん、どうも。
おっしゃるとおりだと思います。
古典とか読んでいると昔の性はおおらかですよね。
好色一代男とか。まあフィクションなのはわかっていますが。
いずれにしても、ねもさんが私の作品を手に取ってくださったのはやっぱり縁のないことではなかったな、と感じます。
まだ、創作をあきらめたわけではありません。いつか新しいものを読んでもらいたいです。もちろん、ねもさんがなにかを作られるのなら、教えてください。

また、なんでも書いてください。

では。
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