麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第272回)

2011-04-25 01:10:05 | Weblog
4月25日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

新訳文庫から「悪霊2」が出ました。
半分ほど読みましたが、「1」を読んでから時間が経ってしまったので、「お話を楽しむ」というところまで入っていけません。それでもニコライの異常さはすごく伝わってくるし、フォン・レンプケのエピソードなどはやはりおもしろいです。「3」が出たら通読しなおそうと思います。目が悪いのと不注意のせいで、これまで長い間レンプケをレンブケだと思っていました。どこかに書いていたら修正します。

大昔に出たグリーン版世界文学全集の、モーム編「世界文学100選」の第一巻を古本屋で買ってきました(100円)。ワシントン・アーヴィングの、読んだことのない短編「でっぷり肥った紳士」が入っていたからです。単純な物語だけど、とてもとてもおもしろかったです。ああ、もっと読みたい。「スケッチ・ブック」の完訳版と「旅人の物語」の完訳版、岩波で出してもらえないでしょうか。「アルハンブラ物語」はかなり売れているみたいだから、出してみてもいいと思うのですが。どうでしょう? たしかに「ブレイスブリッジ邸」は売れてないと思いますが……。先に「旅人の物語」を出すべきだったような気が。



「老い」を感じます。心に。強く。
若い人や女性の生き生きした姿が、軟体動物の動きみたいでとても不愉快に感じられます。いよいよもって終わりの時期に入ったな、と思います。



では、また来週。


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生活と意見 (第271回)

2011-04-18 08:58:24 | Weblog
「方向が違うよ」

1

「あなた、この人によく似てる」
「えっ? こんなデブタレントに」
「二重あごで苦しそうなところや肩の肉が丸く盛り上がったところなんてそっくりよ」
「この男は若いころからずっとデブだろ。でも、オレはもともとこんな体型だったわけじゃないよ。知ってるだろ、初めて会ったころ」
「だけど、いまはそっくりよ」
「方向がぜんぜん違うんだよ。オレはこの20年、やりたくない仕事についてストレスをためまくって食べすぎでこうなったんだ。いつか自分の思い通りやれてストレスがなくなれば、絶対元の体型に戻るよ。まあ、先のことはべつとしても、ずっと平気でデブだったこいつとはこれまでの方向がぜんぜん違うんだよ」
「でも、そっくりよ」


2

「あなたの顔、この人に似てるわ」
「えっ? こんなハゲタレントに」
「両方の生え際が入り江みたいになっていて、真ん中が薄くなってマンガの湯気の表現みたいになってるとこなんてそっくりよ」
「この男は若いときからハゲだろ。でも、オレはここ1~2年なんだよ。もともとうちの家系にはハゲはいないんだよ。いまだってちょっと薄くなってるだけだし」
「だけど、見れば見るほど似てるわ」
「方向がぜんぜん違うんだよ。オレはこの20年、やりたくない仕事についてストレスをためまくってハゲたんだ。いつか自分の思い通りやれてストレスがなくなれば、自然、毛もはえるよ。まあ、先のことはべつとしても、ずっとハゲを売りにしてきたこいつとはこれまでの方向がぜんぜん違うんだよ」
「そう。でも、そっくりよ」


3

「あなたの言ってること、この人の言ってることに似てるわ」
「えっ? こんなバカタレントに」
「『ごはん食べたーい』とか『やりたーい』とか、すぐに言ってしまうんだって。そっくりじゃない」
「この男は本当のバカだよ。それしか本当に知らないんだ。だけどオレはそうじゃない。ある意味、わざとそう言ってるんだよ。作為的にね」
「だけど、言い方もそっくりよ」
「方向がぜんぜん違うんだよ。オレは若いとき、人間の存在理由について考えに考えて、もう少しで発狂するんじゃないかというところまでいった。そこから帰ってくるのに、作為的にバカになることを必要としたんだ。本能的な自己肯定という、生物としての基本まで失いそうになったから、そうすることで徐々にこの世に帰ってきたんだ。つまり知性の行き着く先から帰ってきたバカなんだよ、オレのバカは。ねっからのバカのこいつとは方向が違うんだ」
「そう。でも、バカはバカでしょ」



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生活と意見 (第270回)

2011-04-11 05:37:51 | Weblog
4月11日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。


自分の時間がほとんどとれません。
「ガリバー」をあと30ページくらいまで読み進めました。
鳥影社から「ツァラトゥストラ」の新訳が出ました。ほんの少ししか読んでいませんが、いい訳だと思います。

では、また来週。

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生活と意見 (第269回)

2011-04-04 00:46:45 | Weblog
4月4日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

先週、ちょっと引用したので、ひさしぶりに「フィネガンズ・ウェイク」を読んでいました。
柳瀬訳が出たのが91年の秋。三省堂で発売日に買って、いまはなき神保町の「いっふく」という喫茶店に入りました(もちろん仕事はさぼったのです)。ものすごい興奮。しかし、ほとんど一行もわからずびっくり。あれから20年。なんとか、ほぼ、味読できるようになったのが文庫でいうなら100ページ分くらいでしょうか。といっても、そのうちの60ページは、柳瀬訳が出て一年くらいの間に読んだので、以後怠け切っていますが。とりあえず、その柳瀬訳を買った後、訳者の「フィネガン辛航紀」や大澤正佳氏(岩波文庫の「肖像」の訳者)の「ジョイスのための長い通夜」、また70年代に都市出版社から出た「フィネガン徹夜祭」、宮田恭子氏(「ジェイムズ・ジョイス伝」の訳者)訳「抄訳フィネガンズ・ウェイク」(集英社)、筑摩世界文学大系「ジョイスⅡ・オブライエン」の、大澤氏らによるフィネガンの試訳など、いろいろ読みました。でも、やっぱり結局、柳瀬訳を直に読むのが一番いいと思います。すごい人だなあ、と思います。ジョイスも、柳瀬氏も。

先週、スウィフトとラブレーを「うんこ好き」と書きました。
ラブレーは「金玉好き」かもしれない、と書いたあとで思いました。

うまく伝わればいいのですが、私は学生最後の年に、グリーン版世界文学全集で「ユリシーズ」を通読したとき、若者ならではの激しい感動を覚えました。思い切り古臭い表現ですが、そうとしかいいようがありません。意識の流れ手法のすばらしさと、ジョイスの言葉の感覚のすばらしさはもちろんですが、私が感動したのは、そこにブルームの、「排便」と「オナニー」が描写してあったからです。いままでどこでも一度も読んだことのない人間の、あたりまえの二つの行為。しかも、ラブレーのように笑わせようと書いたのではない。笑わせようという意図を告げてしまうことはすでに「照れ」であり、自分を守る行為です。しかし、ジョイスは違う。どちらも、ただ、リアリズムとして必要だから描いている。医者が解剖しながら内臓の描写をするように(そんな医者がいたらですが)ただリアルにひたすらリアルに。涙が出ました。そのときは、世界で、ジョイスひとりが本当の芸術家だと思いました。どこにも嘘がないのでまったく下品ではないうんことオナニー。ユーモアはあるが、下卑たヒヒヒ笑いを誘うものではない。これが芸術だ。と何度も思いました。「若い芸術家の肖像」で、地獄の責苦をあれほど天上的に見事に描いてみせたあのスティーヴン(ジョイス)は、人間を描くために、地に落ちてき、オデュッセウスが貞節な妻・ペネロペイアのもとへ帰っていく壮大な旅を、何のとりえもない中年男が、別の男に寝とられた妻のもとへ帰っていく物語に変えることで、英雄の千日も平凡な人間の一日も同じ価値しかないと宣言した。すごい。ものすごい……。そんな衝撃を受けたのは、高校1年のとき「異邦人」を読んだときと、大学に入ってすぐ「地下室の手記」を読んだときだけでした。そのあとは30歳を挟んでプルーストを読んだとき。……いやあ、やっぱり文学って本当にいいものですね。おミズノ晴郎でした。老人の照れか。醜。臭。終。



では、また来週。

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