麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第850回)

2024-10-12 10:57:39 | Weblog
10月12日

新潮文庫から、なんとサリンジャーの新刊が出ました。「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年」です。生きている間に、新潮文庫のサリンジャーが四冊になるなんて想像もしなかったこと。すごい。もちろん、単行本として出たときに買いましたが、今回もすぐに買いました。「ハプワース~」をまた読みました。もちろん、全部が理解できたとはとても思えないし、全部に共感できたともいえませんが、読むたび、この作品が少しずつ好きになっていきます。

誰でもそうだと思うのですが、この、とっつきにくい作品を読んでいて最初にひっかかってしまうのは、7歳のシーモアの性欲についての記述です。初読のときは思わず眉をしかめて一度本を手放しました。いくらシーモアが早熟すぎる天才でもこれはないだろう、と感じたから。でも、自分の子供のころをよくよく思い出してみれば、ここで直接いうのは恥ずかしいのでいいませんが、たしかにときどき猛烈な性欲を感じることがありました。年を取っていつのまにかそのことを忘れていたんですね。平凡な自分にしてそうだったのだから、シーモアにとってはこれは自然なのかもしれない。だんだんそう感じるようになりました。また、後半の、シーモアの読書希望リストですが、ここにドストエフスキーが一冊も入っていないことに以前はどうも納得できないものを感じていました。ですが、「エズミに捧ぐ」にカラマーゾフの引用があるのを見ても、作者はドストエフスキーを嫌いではないはず。ここは、7歳の特殊な登場人物の選んだものとして除外されたことに大きな意味はないと考えることにしよう。そう思いました。

むしろ、この作品の中のシーモアのセリフ、「煙草一本に火をつけることさえ、宇宙の芸術的許可が気前よく与えられなければ不可能なんだよ」が、「悪霊」のステパン・ヴェルホーベンスキーのセリフ、「ただひとつ、美がなければ、人類は生存しえないのだぞ、なぜならば、美がなければ、この世においてすることがまったく何ひとつなくなってしまうからだ!」と完全に呼応しているところを見れば、シーモア自身が、もう1人のドストエフスキーなのかもしれません。彼らは続けてこう叫ぶのです。「君たちはこのことを知っているのか、げらげら笑う者どもよ。私は一歩たりとも引かないぞ!」と。地上で最も美しい男、ドン・キホーテのように。
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生活と意見 (第849回)

2024-09-23 00:50:43 | Weblog
9月23日

冬蜂(ふゆばち)の死にどころなく歩きけり (村上鬼城)

という感じの日常です。冬にはほどとおい暑さですが。

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生活と意見 (第848回)

2024-07-15 08:18:42 | Weblog
7月15日

万葉集の読書について、少しメモを。まず、一番最初に興味をもったのは、河出の旧・日本の古典シリーズの万葉集全一巻です。「えっ、一冊で万葉集が読めるの?」と思い、たしか300円で神保町で買いました。原文の読みと訳文のみ、というシンプルな構成であまりよくわからなかったけど五巻までとりあえず目を進め、そこで旅人の、亡くなった奥さんを思う歌や山上憶良の貧窮問答歌をはじめてまともに読んですごいと思いました。そのころ集英社のヘリテイジ文庫で伊藤博訳「萬葉集」が出始めたのでそちらを読めばほかも理解できるかも、と思い読み始めましたが、身が入った、とは言えなかったと思います。すごく、勉強っぽくなって、苦痛になり、途中でやめました。16年に、いまはなき神保町の三省堂の四階の古本コーナーで中公文庫・折口信夫全集四巻五巻「口訳万葉集」を発見。直観的にこれはいい、と感じ購入。訳を読み始めたら、すぐに、訳者の天才を感じました。勉強ではなく、普通の読書として万葉集が読めるのだとはじめて思いました。そのあとの経緯はここでも書いています。中心はあくまでも折口訳、しかしやはりわかりにくいものもあって以前からもっていた旺文社文庫なども参考にしました。また、伊藤訳に挫折した後に出始めた岩波文庫の全訳万葉集も(全巻買いました)さすがに、偏りなく秀才の読み方がされていてとても参考になりました。また、もうひとつ。大岡信の「私の万葉集(全五巻)」も、とてもすばらしい本で、こちらは、読み進んだ後に、その巻の復習をするのに大変役に立ちました。万葉集の全体のダイジェストが読みたいという方は「私の万葉集」を読めばその全貌を知ることができる、と思います。いま、その第五巻を読んで、万葉集巻十七からの家持歌日記の復習をしているところです。この本は、講談社文芸文庫から出ています。
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生活と意見 (第847回)

2024-07-07 23:28:16 | Weblog
7月7日

さきほど、万葉集を読了しました。
途中で挫折した伊藤訳から数えれば約20年。折口信夫口訳に出会って再度あたまから読み始めてからは約8年。とうとうやりました。自分をほめてやりたいと思います。今日は七夕ですが、ずーっと七夕の歌が出てくるところでは本当に再度挫折しそうになりました。でも、ひとつでも飛ばして読むと通読の意味がなくなると思い、しばらく(かなり、のときもありました)休んでまた進み、という感じでなんとか最後にたどりつきました。そうして、全貌をなんとなくわかったところでいまようやくいえるのは、万葉集はすばらしい。本当にすばらしい宝物のような書物だということ。様々な人間のさまざまな世界観と感情。それが技巧に走らずに素直に歌われている。こんなすごいこと、人間にできるんだ、と、そういう感動をおぼえます。私がいつも使う概念ですが、歌を詠んだ人が自分の心に刺さった感動の矢の角度を正確に描けている場合、千年以上の時を超えて私はその、詠んだ人のシチュエーションの中にいる私自身を感じることができる。本物の芸術ならなんでもそうですが。まあ、ともかく、死ぬまでに読めてほっとしました。なんとしても今日、それだけ書きたかったので書きました。暑いですね。

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生活と意見 (第846回)

2024-06-23 11:37:28 | Weblog
6月23日


ジェイムズ・М・ケインの「ミルドレッド・ピアース」(吉田恭子訳、幻戯書房)を読みました。ケインは、言うまでもなく、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の作者で、その作品をどう思っているかは、ここに書いたことがあります。「郵便配達~」が有名すぎ、また、ほかの作品は出版しても売れなかったからか、「郵便配達~」以外、いまでも手に入る訳本はごくわずか。10年前に新潮文庫から出た、遺作「カクテル・ウェイトレス」も、現在は絶版のようです。なので、まさか3年前に「ミルドレッド~」が本邦初訳で出ていたとは知りませんでした(なにも期待していなかったので探しもしなかったから)。仕事中、なんとなく思いついて、ケインの名前でググってみたらこの本が出てきました。ちょっと興奮して、紀伊国屋に在庫確認したらあったので、すぐに行きました。ずっと売れなかったのでしょう。本文部分は汚れているし、カバーのピンクは一部くすんでいましたが、ケインのファンとしては読めるだけでうれしくて、4000円払って買ってきました。二段組み320ページを一週間で読了。「カクテル~」とちょっと似ていて、ディテールがすばらしく、リアリティはものすごい。傑作だと思います。が、「郵便配達~」から得られたようなはげしい感動は、「カクテル~」同様ありませんでした。やはり、あの処女作だけは、なにか別次元の力を持っている気がします。その力はカミュに「異邦人」を書かせたほどですが(極端に言えば)、その力をひと言でいうなら、主人公・フランクの虚無的な生き方のリアリティなのだと思います。虚無的なのですが、いつも神を求め、問いかけているような(それはすごく宗教的な感じがします)。「殺人保険」も「カクテル~」も「ミルドレッド~」も、中心人物は女性で、その描き方は「ケインはハードボイルドなふりをしているが、実際の性は女性なのでは」と感じさせるほどですが、女には誰かへの当てつけ以外の「虚無」はなく、報酬をもらえる以外の「神」も存在しないので、その心情にそこまでのめりこめないのだと思います。でも、小説家として、ケインは天才的であり、もっと評価されていい人だとあらためて思いました。
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生活と意見 (第845回)

2024-06-08 19:18:52 | Weblog
6月8日

原稿は進みませんが、生きています。去年の、私のいかれた耳による個人的事件にはコロナ災厄どころではなく、生活を破壊されました。でも、そのおかげで(おもに引っ越しのための整理)自分が過去に書いたものに再会し、またそれをこのブログにあげられたりしたので、いい面もあったといまは思っています。

カフカの断片集が新潮文庫から出ましたが、いまひとつ読む気がしません。カフカは本当に、私にとっては青年前期にのみ重要な作家だったと感じます。
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生活と意見 (第844回)

2024-05-14 12:51:25 | Weblog
5月14日

「宇宙の哲学」(講談社学術文庫)を読みました。ものすごくおもしろかったです。

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生活と意見 (第843回)

2024-05-06 00:09:51 | Weblog
5月6日

なんと、万葉集巻十七と十八を読み終わりました。
うわさどおり、巻十七からは大伴家持の、歌による日記のようなものになっています。
正直、深みも深刻さもないけど、読みやすいです。あっという間に二巻まとめて読みました。
口訳万葉集では、折口信夫が気に入った作品には「佳作」「傑作」などの評価が加えられるのですが、この二巻はその評価をつけられたものはありませんでした。めずらしいです。

ただ、この時代の上級公務員の生活はよくわかるし、つまらなくはありません。
まるで「ここまで読んできてごくろうさん。あとは軽く読み切って」とでも言われているよう。
もう少しです。
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生活と意見 (第842回)

2024-04-26 23:41:21 | Weblog
4月26日

ひさしぶりに風邪でダウンしています。

万葉集巻十六をもう少しで読み終わるところです。この巻はすごく特徴のある巻で、シュールともいえるギャグの歌があるかと思うと、さだまさしという人の、例の「海は死にますか。山は死にますか」のもとになった歌もあるといった感じでバラエティに富んでいます。この巻が終わると、あとはどうやら家持の歌日記のようなものになっていく、という噂ですがどうでしょう。まあでも、いろいろ書いてますが、感動的な歌もすごく多くて、やはりこれが言霊か、というふうにこんなぼんくらでも感じますね。最後まで到達できればいいですが。
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生活と意見 (第841回)

2024-04-20 20:14:19 | Weblog
4月20日

万葉集十五巻に、なんと「周防国玖珂郡の麻里布の浦を行きし時に作りし歌八首」がありました。「大船にかし振り立てて浜清き麻里布の浦に宿りかせまし」他三首には、「麻里布」という地名がそのまま詠み込まれています。うれしい。「岩国山」の出てくる歌は初めのほうにありましたが、まさか「麻里布」が詠われているとは。天皇の命令で新羅に派遣された人たちがここを通ったときに詠んだ歌だそう。これもはずみになり、なんとか今回は最後まで読めるかも。もちろん、完読の手前でくたばっても、文句はありませんが。
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