麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第82回)

2007-08-26 16:28:08 | Weblog
8月26日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

なんとなく、自分の中で、にわかに中国ブームが起きていて、岩波少年文庫で「水滸伝」を読みました。以前、金聖嘆の逐語訳(つまり70回本)で挫折しましたが、今度はこの120回本の抄訳を読み終わりました。

挫折したときは、まだ主人公の宋江が登場しませんでした。「須磨源氏」的に何度も同じところで挫折したので、魯智深や林沖(正しくは「さんずい」ではなく「にすい」)についてはとても身近に感じていたのですが、彼らは実は脇役で、おもだった人物は中盤から出始めるのです(もちろん読まれた方もたくさんいると思いますが)。

とても、おもしろかったです。
だけど、以前にも書きましたが、やはり中国小説の登場人物の「義」は、どうもころころ意味が変わるように見えて、納得できないところが多々あります。なぜ馬琴が、「水滸伝」の翻訳をしただけでは飽き足らず、「南総里見八犬伝」を書きたくなったのかがわかるような気がします。

同時に、平凡社ライブラリーの「捜神記」を読みました。こちらは、受験生のころに漢文の参考書でいくつかの話を読んでから、さまざまなアンソロジーで部分を読んでいましたが、通読したのは初めてです。「聊斎志異」のご先祖様みたいな短い物語集で、むりやり結び付けてよければ、私の短編集もその影響を受けています。牛が人間の言葉をしゃべり始めたり(そのまま百の「件」ですが)、母親が亀に変わったり、自分のことを皇帝だという狂人が現れたり、火星人の子供が出てきたり……。なかでも、受験生のころから最も好きなのは「首の仇討ち」という話で、父の復讐を誓った息子が、その仇である王からおたずねものにされ、隠れ住んでいると、たまたま通りかかった人が「代わりに復讐してやるぞ」というので、息子は自分の首を切り落とし、手にもってそれを旅人に預け、旅人はそのおたずねものの首を持って王に会い、隙を見て王を殺します。なるほど、その旅人がどういう人であれ、とりあえずあっぱれ、と思うのですが、物語の結末はそこではなく、なぜか理由はまったくわからないのですが、息子と王の首がゆでられている甕(かめ)の中に、旅人も自分の首を切り落としてしまい、三つの首が煮えて、どれがどれだかわからなくなった。(終わり)というのが結末なのです。なんというけったいな終わり方でしょう。中国小説の伝奇ものには、こういう結末が多いです。

そういえば「水滸伝」も、初め高大尉に嫌われた王進という役人は途中から結局物語のどこにも出てこなくなって、108人の頭領の一人にもなりません。なにか尻切れトンボみたいな話の流れです。



また、今回不思議に思ったのは、「水滸伝」の中に「金瓶梅」の主役が登場することです。いわずと知れた金蓮(夫を毒殺して浮気相手とくっつく女)、その相手の西門慶、殺される夫の武大、その弟の武松らです。「金瓶梅」では、金蓮と西門慶は、やりすぎで死ぬまで生きていて、それが「金瓶梅」のおもな話なのですが、同じ人物が「水滸伝」では、武松に殺されて、武松は梁山泊の頭領のひとりになります。これは、どういうことなのでしょうか。そのうち調べてみようと思います。



「カラマーゾフ」新訳は25万部とか売れたそうですね。
すごい話ですね。まあ、私は、同じ訳者の「悪霊」の新訳が出るのを心待ちにしています。



短編集「画用紙の夜・絵本」をよろしくお願いします。

では、また来週。
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生活と意見 (第81回)

2007-08-20 00:13:20 | Weblog
8月20日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。


光文社文庫の新訳で「武器よさらば」を読んでしまいました。
前に書いたように、前回読んでからまだ2年も経っていないので、少し早すぎた感じですが――前回の各場面のイメージがまだ生々しいので――訳文そのものは、とても読みやすくて、いいと思いました。

その本に告知があって、野崎歓訳の、スタンダールの「赤と黒」が来月出るようです。
スタンダールは、恥ずかしながら、一作品も読んでいません。もちろん、「赤と黒」にも「パルムの僧院」にも何度も挑戦しました。しかし、退屈で、途中でどうしても読めなくなりました。でも、ひょっとしたら、訳文のせいかもしれません(たぶん違うかもしれませんが)。

「名作文学」といわれるものは、かなり読んでいるほうだと思いますが、やはり、相性の悪い――つまり、その人の描こうとしている主題や世界観が自分とまったく関係ないように感じられる作家――がいるもので、スタンダールはきっと、私自身とあまり心の血縁関係がないのだと思います。でも、野崎訳なら、ひょっとしたら……と思うので、読んでみようと思います。

更新が遅くなって申し訳ありません。

短編集「画用紙の夜・絵本」をどうぞよろしく。

では、また来週。
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生活と意見 (第80回)

2007-08-12 23:02:16 | Weblog
8月12日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。


 唐突ですが、私は、なんでもバッグに入れて持ち歩くのが好きです。
パソコン、布張りのノート、通帳、ハンコ、パスポートなど、つねに持ち歩いています。「重くて不便では」と思われるかもしれませんが、逆に「これさえあれば、いざとなればすぐにどこにでも行ける」という感じが好きだからです。

 もちろん、自分のたった2冊の著書も持っています。どこにいても、本を開くと、その場の状況とは関係なく、それを書いたときの自分の気分や、書いた場面のもとになった経験や、そのときの感覚を思い出すことができ、また、それを配置したときの思考をたどることができます。それは、まるで自分の過去の時間を押し固めた、何度食べてもなくならないおにぎりを携帯しているような感じです。

「ティファニーで朝食を」の主人公ではないけれど、「麻里布栄 旅行中」というような気分で生きているということでしょうか。子どものころから、私には、世界が自分の家の中、という感覚があって、いまだに、それを、崩れ去る壁で囲って「俺の城」などと言いたがる人の気持ちがまったく理解できません。所有できるのも一瞬だし、所有しているという感覚さえ錯覚にすぎないようにしか、私には思えないからです。もちろん、ただ、自分ひとりでいることを保てるという意味での他人との壁は、なくてはならないものですが……。

 旅行もすでに終盤にさしかかっています。
最後の最後には、「自分」という病気を克服し、無になって消え去れればいいというのが唯一つの願いです。そのためには、病気の原因をもっともっとあきらかにし、自分に突きつけてやらなければならないでしょう。
 
 短編集「画用紙の夜・絵本」。いまの季節には合わないかもしれませんが、もう少し涼しくなったら、読んでみてください。でも、手に入れていただくのは、もちろんいまでもいいと思うのです。

 では、また来週。

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生活と意見 (第79回)

2007-08-05 23:57:41 | Weblog
8月5日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

こんなに遅れたのは初めてです。
飯を食うための仕事をやっていたので……。

最近、毎朝一時間だけ、「友だち」を書いています。
たぶん、一年くらい経ったら、ここで発表できるかもしれません。

「カラマーゾフ」(光文社文庫)が完結して(結局読み直してはいませんが、五巻は買いました)五巻目に、訳者によるドストエフスキーの生涯と解題(カラマーゾフの読み方のようなもの)が付録として付いていて、これがおもしろいです。
ドストエフスキー伝は、アンリ・トロワイヤのそれが、中公文庫に入っていましたが、いまは絶版でしょうか。見かけません。ともかく、カラマーゾフを読み通すのはちょっと、という方も、五巻目のドストエフスキー伝だけ読まれてみてはいかがでしょうか。

では、また来週。

いちおう、短編集「画用紙の夜・絵本」もよろしくお願いします。
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