麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第334回)

2012-06-30 13:37:20 | Weblog
6月30日


また風邪をひいています。
年寄りはダメですね。

たぶん、その薬のせいで、おかしな夢をいくつか見ました。
ひとつだけはっきり覚えていたので、起きてすぐ書きました。

これでも、ひさしぶりの作品ということになるのかもしれません。

読んで、笑ってください。

では、また来週。



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ダンスト・ザ・ドラゴン

2012-06-30 13:24:14 | Weblog
すごく晴れている。
黒い、溶岩が固まったようなごつごつした斜面を両親と三人でおそるおそる降りていく。と、途中で左手下に海岸が見え、海岸線と垂直に檻が並んだみすぼらしい動物園があるのが見える。よく見ると、それは檻ではなく、網状の鉄のフェンスで適当にスペースを区切ってあるだけで、動物も四種類か五種類しかいない。他ははっきりわからないが、右から二番目のスペースには体長20メートルはある白い大蛇が入っていて、まっすぐ僕のほうに鎌首をもたげている。僕はそれを見下ろしている。そのまま蛇が首をのばせば僕をひと飲みにできるだろう。だが、蛇の表情にそんな殺意は感じられない。むしろ、蛇は僕にほほ笑んでいるような気がする。そのうち僕は、蛇の胴が、膨らませた風船のように太く、作り物のようだと気づく。だが、そう思ったとき、蛇は少し動き、自分が本物であることを知らせたような気がした。いずれにしても、仕切りはおおざっぱに左右にあるだけだから、いつでも逃げられるのに、なぜ逃げないのか、と思う。砂浜に降りたときには、僕の道連れは、昔の仕事仲間の、ひとりの男に変わっている。僕たちは左に歩いていく。なんだかわからない動物と、白蛇と、もうひとつ別の動物の前を過ぎると海が目の前だった。その、海にいちばん近いところに展示してあるのは、紫色の、50センチくらいの棒のような生き物で、展示スペースの真ん中に水の入った大きな皿が置いてあり、その中で活発に何十匹もバシャバシャと動いている。ウナギみたいにやわらかく、ぬめっとした動きではなく、短く切ったゴムホースがちょっと曲がってすぐ元に戻る、そんなふうに小刻みに動いている。「絶対逃げだすよな」と、僕は道連れに言うが、彼はひょうきんなキャラクターのくせに、フンとした顔でなにも答えない。一匹、二匹、三匹と順番に、生き物は小刻みに震えながら皿から出て、海に入っていく。頭も尻尾もない。「danced the dragonだ」と道連れが言う。ダンスト・ザ・ドラゴン? 「それならdancing dragonのほうが正しいんじゃないのか」と僕は言う。「いいや。違うんです」と彼はにやりとする。おまえの英語の実力はあやしいよ、という顔で。僕は、長年彼より学力は上のようなつもりでいたが(口に出したことはないが)、いまやまったく自信を失った。紫色の生き物は全部海に逃げた。
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生活と意見 (第333回)

2012-06-24 12:49:00 | Weblog
6月24日


じめじめしていますね。

「紅楼夢」全訳、三分の一まで読みました。
おもしろいです。去年読んだ抄訳もすごくいいですが、全訳だと、とくに、黛玉の性質がより詳しくわかって興味深いです。そうして、やはり、他の中国古典文学とはまるで異質なものを感じます。ヨーロッパ近代文学と変わらない感じ。機会があれば読んでみてください。

少しずつ仕事をしてはいるのですが、調子はよくありません。死ぬまでになんとかもう一冊は書いてみたいのですが。

では、また来週。


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生活と意見 (第332回)

2012-06-16 22:41:38 | Weblog
6月16日


鷗外の「文づかい」を青い鳥文庫の現代語訳で読みました。とてもいいですね。これと、「舞姫」と「うたかたの記」でドイツ三部作なんですね。初めて知りました。三つともいい。前も書きましたが、ロマンチックの極みたいな人ですね。

最近、日本の作家について触れることも多いので、「こいつ50を過ぎて高校生のようなことばかり書いて」と思う方もいるかもしれません。でも、しかたないというか、私は、高校卒業から40歳くらいまで、内田百以外、日本文学をまともに読んでいません(高校時代は読みました)。「豊饒の海」とか、古典のいくつか(雨月物語、西鶴、芭蕉、源氏など)特定のものは読み返していましたが、プルーストとドストエフスキーを筆頭に、ほとんど海外文学(中国も含む)の翻訳、多くは古典のようなもの、哲学、聖書とその周辺、原始仏典などが中心の読書でした。筑摩世界文学大系的なラインナップを8割方は読んだと思います。理由は、分析するのもめんどうくさいですが、そのほうがしっくりきたからです。

もちろん、しっくりきたから海外物を読んだのですが、若いころ、ある時「ステパン・トモフェロヴィチ(たぶん正確ではない)・ヴェルホーベンスキーなんて名前の人物が出てくる小説を、年とってから初読するのはつらいだろうなあ」と考えたことを覚えています。「世界文学を読めるだけ読んだら、日本に戻ってくればいいか」と。「三輪与志」くらいなら、いくつになっても読み始められますからね。理解はできなくても。

私は、百も志賀直哉も三島由紀夫も、日本文学(文芸)として読んでいるわけではありません。雨月もそうだし、芭蕉もそうです。源氏も、やはりそうですね。啄木もそうですね(意外なことに、安部公房は、私には文芸と感じられて、いつも最後まで読めません。もはや試みるのもやめました。カフカとはまったく似ていない、と思います)。ですが、いま、老いて、「日本に戻ってきた」という側面もあるのだと思います。


では、また来週。

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生活と意見 (第331回)

2012-06-12 00:41:41 | Weblog
6月12日


もう今年は約半分終わったんですね。

驚きです。

新しい長いもののメモを書き始めたり、「紅楼夢」の全訳を読み進めたりいろいろしてはいるのですが、すぐに終わるようなことでもないし、報告できないと思って書きませんでした。

ちくま学芸文庫から、バタイユの「ニーチェ覚書」が出ました。なかなかいい感じです。バタイユは、もちろん、初めは村上龍の発言などから知って、「眼球譚」などを若いころさかんに読みましたが、今は小説はあまり読み返しません。でも、無神学大全3部作、とくに「有罪者」のアフォリズムはとても好きで、卒論の巻頭にも引用しました。「エロティシズム」は読んでいないし、なんとなく、きっと読まないと思います。

思い出したのでちょっと書くと、サドの後輩としてはバタイユよりマンディアルグのほうがすごいと思うし、哲学者としてはサルトルのほうが明晰だと思います。



長いものの舞台が少し見えて、ちょっとだけ意欲がよみがえってくるのを感じました。

では、できれば週末に。

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生活と意見 (第330回)

2012-06-04 09:33:02 | Weblog
6月4日


土曜、日曜両日仕事をして、帰って寝ていました。

風邪がまだ完全に抜けず、面倒なことです。

更新もしなかったのに昨日立ち寄ってくれた方、ありがとうございました。

では、また来週。


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