麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第73回)

2007-06-24 18:04:11 | Weblog
6月24日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

先日報告した短編集の校正作業にかかっています。
それが、スムーズにいかなくて、ストレスがたまっています。
ひょっとすると、どうなるかわからない感じになってきました。
決着がついて、ちゃんとできたら、報告します。

いまは、それ以上言えません。

自分にとっては、二冊目で、これが最後になるかもしれない本です。だから、今日はすみません。ほかのことは何も考えられません。

また、来週、寄ってみてください。
お願いします
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生活と意見 (第72回)

2007-06-17 04:20:39 | Weblog
6月17日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

憂うつで、誰にも会いたくないのに、仕事場に行かなければならないのが苦痛です。
こういうときは、ショーペンハウアーかカントを読んで、脳の(というか思考の)焦点を生活からずらせばいいことがわかっているのですが、読むひまがありません。というか、読み始めたら、おそらく明日から職場に行かなくなるでしょう。(心の底から)それでもいいのですが、そうするとまたしばらくたつと職探しをしなくてはならず、よけい面倒なことがわかっているのでできません。

それで、このところ、なんとなく、安易な逃避という感じで「萬葉集・釈注」を読んでいたのですが、これがなかなかおもしろく、以前別の訳で全体の半分を読んだときにはほとんど何もわかっていなかったんだな、と痛感しました。全十巻の一巻を読み終わり、現在第二巻。三巻まではまとめて買ったので、とりあえず四巻以降も買っておこう、と考えて近所の本屋に行くと、返本したとかで、在庫なし。隣の駅の少し大きい本屋でも同じ回答。これは、でかい店に行くしかないと、今日は散髪に行った帰りに紀伊国屋に寄って来ました。

とりあえず、四巻と五巻を手に取り、書棚を見て回ると、驚きの新刊が。
ジョイスの「若い芸術家の肖像」の新訳(岩波文庫)です。
なんの情報も持っていなかったので、びっくり。
この作品の新訳が文庫で出たのは、二十何年ぶりです。いまは新潮文庫に入っている丸谷才一訳の講談社文庫版が、私の大学生時代に出て以来です。

訳者は大沢正佳氏。たしか中央大学の先生だったはずですが、この方の本は「ジョイスのための長い通夜」を持っていて、何度か読みました。タイトルから見てもわかるように、これは「フィネガンズ・ウェイク」を読むための本です。

この方は、私が知る限りちょっと不幸というか、ジョイスの研究者としては高名なのに、これまでジョイス作品の翻訳は、あまり日の目を見ていません。
本当は、筑摩世界文学大系の最後の配本の「ジョイスⅡ」(セリーヌの亡命三部作と同時刊行)で、この方が中心となった「ユリシーズ」の新訳が出る予定になっていて、それがこの方の晴れの舞台になるはずだったのです。私は、もうわくわくして十年以上待ったのですが、結局、「諸般の事情で実現できなくなりました」とか月報に書いてあって、「ジョイスⅡ」は「スティーブンヒーロー」を中心に編まれたのです。

当時、柳瀬尚紀訳のフィネガンが話題で、「ジョイスⅡ」にも、大沢氏の手による抄訳はあるのですが、どうしても、柳瀬氏の影にかすんでしまうという雰囲気でした。

「諸般の事情」のひとつは、丸谷才一氏らの「ユリシーズ」の新訳(集英社)のことだったと思います。大沢氏から見れば、先輩方が新訳を出されるのなら、という考えがあったでしょうし、同じ時期に2種類の訳が出る必要もないという考えもあったのかもしれません。

それ以降、柳瀬氏による「ユリシーズ」の新訳(河出)、結城英雄氏の「ダブリンの人々」の新訳(岩波)と、目立つところは別の人にもっていかれっぱなしでした。
そんな中、今回、「肖像」の訳者になったのは、満を持してという感じで、よかったな、と思わずにいられません。

今日すでに三章まで読みました。

その訳文はというと、すばらしい、のひと言です。

もちろん、丸谷訳は名訳の定評もあり、それ以前の訳と比べると、比較にならない読みやすさなのですが、その、以前の訳と比べて何度か読むうちに、どこか「丸谷臭」のようなものを感じてくるようになりました(私だけかもしれませんが)。
今回の大沢訳は、そのようなにおいを完全に消し去ってくれています。非常にプレーンな訳だと感じます。
もし、これから「肖像」を読もうとされる方は、この大沢訳で読むのがいいと、私は思います。

これで、「ダブリンの人々」も「若い芸術家の肖像」も、岩波文庫のものが一番新しい訳ということになりました。昔、どこよりも早く「ユリシーズ」の翻訳を出したというプライドが、いま、そうさせているのでしょうか。……と考えてくると、大沢氏のグループが世界文学大系用に準備していた「ユリシーズ」の新訳の原稿は、どこに行ったのか、ひょっとすると、岩波文庫で実現されるのでは、というような期待もわいてきます。そうなったら、いいですね。

とにかく、今日はひさしぶりに興奮しました。

では、また来週。
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生活と意見 (第71回)

2007-06-10 22:15:35 | Weblog
6月10日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

私は、中学三年の夏休みのキャンプの夜の一時間について語ろうとする語り手です。

前回、キャンプ前日に、私たちが、買い物のために小学校に集合したと書き、その理由を次回に書くといいましたが、それは延期して、今日は別のことを書きます。


現在、短編集を出版するために動いています。
前の「風景をまきとる人」よりはるかに少ない部数ですが、おそらく来週には出来上がると思います。そのときは、また書きますので、よかったら、手に入れて読んでみてください。
もちろん、内容は、すでにこのブログで公開しているものばかりなので、いまさら、と思う方もいらっしゃるでしょうが、紙で読んでもらうと、また少し印象が違うはずです。今回は文庫ではなく、四六判です。

カバーには、宮島径氏の写真を使わせてもらいます。
去年冬のコラボ展「世界のしくみ」でも、展示した写真です。

その写真のデータを受け取るために、夕方宮島氏の作業場へ行き、さっきまで三鷹をぶらぶらしていました。新興住宅街のまっすぐな道を吉祥寺のほうへ歩き、その道と垂直に交わるまっすぐな道を何度も渡りながら、
「僕には、ふいに、いま見ている風景とは関係のない昔見た風景が頭の中で再生され始めることがよくあって、その風景の印象と、その過去の時間の雰囲気が、現在の会話の内容にも影響を及ぼすことがあるんですが。たとえばいまは、西武線のかなり遠くの駅に取材に行ったときの、死にたいようなわびしい町並みを思い出して、すべてがむなしくなっています」
 と、私は言いました。よくあることなのに、はじめて言葉にできたこと。

本のタイトルは「画用紙の夜・絵本」です。

今日は、天気がころころ変わって、変な一日でしたね。
目が覚めてすぐ、庭のほうから誰かが窓を蹴り上げたと思ったら、雷でした。

キャンプについてはまた次回に語る……と思います。

では、また来週。
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生活と意見 (第70回)

2007-06-02 20:25:41 | Weblog
6月2日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

私は、中学三年の夏休みのキャンプの夜の一時間を語ろうとする語り手ですが、いまはその話をする前に、別の話をします。

今日、昼飯を食べたあと、駅前の新刊書店に寄ったら、なんとおとといで店は終わり、と書いてあってびっくりしました。そういえば、昨夜仕事から帰ったのは、まだこの店のあいている時間だったのに、明かりがついてなくて「なんでかな」と思ったことは思ったのですが。昭和四十六年の創業だそうです。私がこの街に住んで八年。すでにいろいろな店がなくなりましたが、ここだけは、「駅前の本屋」として永遠にあるように思っていた、というより、思うまでもなくそういうふうに接していたので、びっくりです。拙作「風景をまきとる人」を仕上げるために半年こもったとき、ホームレスのような格好でこの店を一回りするのが、私の休憩でした。書き上げてからは、「南総里見八犬伝」もこの店で買って読み、シャーロックホームズの読み直しもすべてこの店の1階の真ん中の文庫の棚で買った本で実行しました。頑固そうなご主人が、うろうろする私をうさんくさそうに見ていましたが、考えてみると、創業当時、彼はきっと20代の青年だったはずです。おとといの夜、いったい、どういう気持ちで最後に店じまいをしたのでしょうか。

 過ぎ去る幻!
 何を見ても何かを思い出す。
 何かを思い出すと、また何かを思い出す。

 感傷的な気分が切り替わらないので、一回保存します。(午後六時三十三分)

 そういうわけで、気分が変わりました。(午後八時五分)
 いまは、こんな気分です。つまり、

「論理については……僕は今でも自分のことをとても感じがいいと思っている。」(トリスタン・ツァラ)

 さて、キャンプの夜のことなのですが、どうしてもそれを語る前に、キャンプの前日のことを語っておきたいと思うのです。なぜかというと、どんな気持ちでその日を迎えたかを知ってもらうには、その少し前から語り始めるほうがわかりやすいと思うからです。キャンプの前の日、中三の私たちは、明日もっていく食料を買うために、以前自分たちが通っていた小学校の校庭に集合しました。なぜ、そこを集合場所にしたのかは、また次回に話したいと思います。

 では、また来週。
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