6月17日
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
憂うつで、誰にも会いたくないのに、仕事場に行かなければならないのが苦痛です。
こういうときは、ショーペンハウアーかカントを読んで、脳の(というか思考の)焦点を生活からずらせばいいことがわかっているのですが、読むひまがありません。というか、読み始めたら、おそらく明日から職場に行かなくなるでしょう。(心の底から)それでもいいのですが、そうするとまたしばらくたつと職探しをしなくてはならず、よけい面倒なことがわかっているのでできません。
それで、このところ、なんとなく、安易な逃避という感じで「萬葉集・釈注」を読んでいたのですが、これがなかなかおもしろく、以前別の訳で全体の半分を読んだときにはほとんど何もわかっていなかったんだな、と痛感しました。全十巻の一巻を読み終わり、現在第二巻。三巻まではまとめて買ったので、とりあえず四巻以降も買っておこう、と考えて近所の本屋に行くと、返本したとかで、在庫なし。隣の駅の少し大きい本屋でも同じ回答。これは、でかい店に行くしかないと、今日は散髪に行った帰りに紀伊国屋に寄って来ました。
とりあえず、四巻と五巻を手に取り、書棚を見て回ると、驚きの新刊が。
ジョイスの「若い芸術家の肖像」の新訳(岩波文庫)です。
なんの情報も持っていなかったので、びっくり。
この作品の新訳が文庫で出たのは、二十何年ぶりです。いまは新潮文庫に入っている丸谷才一訳の講談社文庫版が、私の大学生時代に出て以来です。
訳者は大沢正佳氏。たしか中央大学の先生だったはずですが、この方の本は「ジョイスのための長い通夜」を持っていて、何度か読みました。タイトルから見てもわかるように、これは「フィネガンズ・ウェイク」を読むための本です。
この方は、私が知る限りちょっと不幸というか、ジョイスの研究者としては高名なのに、これまでジョイス作品の翻訳は、あまり日の目を見ていません。
本当は、筑摩世界文学大系の最後の配本の「ジョイスⅡ」(セリーヌの亡命三部作と同時刊行)で、この方が中心となった「ユリシーズ」の新訳が出る予定になっていて、それがこの方の晴れの舞台になるはずだったのです。私は、もうわくわくして十年以上待ったのですが、結局、「諸般の事情で実現できなくなりました」とか月報に書いてあって、「ジョイスⅡ」は「スティーブンヒーロー」を中心に編まれたのです。
当時、柳瀬尚紀訳のフィネガンが話題で、「ジョイスⅡ」にも、大沢氏の手による抄訳はあるのですが、どうしても、柳瀬氏の影にかすんでしまうという雰囲気でした。
「諸般の事情」のひとつは、丸谷才一氏らの「ユリシーズ」の新訳(集英社)のことだったと思います。大沢氏から見れば、先輩方が新訳を出されるのなら、という考えがあったでしょうし、同じ時期に2種類の訳が出る必要もないという考えもあったのかもしれません。
それ以降、柳瀬氏による「ユリシーズ」の新訳(河出)、結城英雄氏の「ダブリンの人々」の新訳(岩波)と、目立つところは別の人にもっていかれっぱなしでした。
そんな中、今回、「肖像」の訳者になったのは、満を持してという感じで、よかったな、と思わずにいられません。
今日すでに三章まで読みました。
その訳文はというと、すばらしい、のひと言です。
もちろん、丸谷訳は名訳の定評もあり、それ以前の訳と比べると、比較にならない読みやすさなのですが、その、以前の訳と比べて何度か読むうちに、どこか「丸谷臭」のようなものを感じてくるようになりました(私だけかもしれませんが)。
今回の大沢訳は、そのようなにおいを完全に消し去ってくれています。非常にプレーンな訳だと感じます。
もし、これから「肖像」を読もうとされる方は、この大沢訳で読むのがいいと、私は思います。
これで、「ダブリンの人々」も「若い芸術家の肖像」も、岩波文庫のものが一番新しい訳ということになりました。昔、どこよりも早く「ユリシーズ」の翻訳を出したというプライドが、いま、そうさせているのでしょうか。……と考えてくると、大沢氏のグループが世界文学大系用に準備していた「ユリシーズ」の新訳の原稿は、どこに行ったのか、ひょっとすると、岩波文庫で実現されるのでは、というような期待もわいてきます。そうなったら、いいですね。
とにかく、今日はひさしぶりに興奮しました。
では、また来週。