麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第277回)

2011-05-28 22:26:00 | Weblog
5月28日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

神保町の古本屋に、世界幻想文学大系版のボルヘスの「夢の本」があったので買ってきました。今半分ほど読んだところ。恍惚。この本は単行本として今も出ているのは知っていますが、カバーのデザインがどうしてもダメで立ち読みしかしたことがなかったのです。「紅楼夢」からもふたつのエピソードが取られていて、タイミング的に少し驚きました。また、ギルガメシュとエンキドゥのエピソードが、以前読んだときは「ややこしい話だな」と疎遠に感じただけでしたが、この3年くらい、筑摩世界文学大系第一巻の「古代オリエント集」をときどき読んでいるおかげで、自分にとって、ふたりが桃太郎なみに親しみのあるキャラになってきたのが感じられました。成長ですね。無意味な。

では、また来週。

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生活と意見 (第276回)

2011-05-22 10:55:02 | Weblog
5月22日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

「紅楼夢」読了。
これはやはり、「中国の“源氏物語”」ではなく「中国の“失われた時を求めて”」ではないか、と思います。後半四分の一は、誰が読んでもわかるように、そこまでの作者とは別の人の手が入っています。「金瓶梅」のようなニュアンスもあり(「金瓶梅」も抄訳で読みましたが)、「聊斎志異」や「唐代伝奇」などの怪異譚の要素も入ってきて、雰囲気が変わります。でも、そこで逆に気づいたのは、前半の書き方が、これまで読んできた中国の小説とは違い、どちらかというと西洋のリアリズム小説に近いということ。とくに宝玉と黛玉の心理描写などは、そういう印象が強い。

たぶん、これから、注釈つきの、もっと現代風の翻訳が出れば、読者はすごく増えるのではないかと思います。「埋もれている宝」という感じではないでしょうか。なぜかというと、宝玉は、貴族で才能があるとはいえ、今の言葉でいうなら、「ひきこもり」で、私の「風景をまきとる人」の時代(80年代)なら「モラトリアム人間」といわれていたような青年であり、そこに共感する人は多いと思うからです。「失われた時~」に似ているのもそのせいです。

宝玉は、感情と感覚のディテールを楽しむ以外、人生に何の目的も持っていない。恋愛ですらその一部であり、女として成人していく黛玉との距離が開いてくのもそのせいです(宝玉には基本的に結婚というような概念がないので)。最後にはいちおう役人の試験に合格する設定になっていますが、その試験に受かる実力を示しただけで、そのまま試験会場からいなくなり、世俗を捨ててしまう。これは、つまり、現実の世の中はすっ飛ばして、子どもからいきなり悟りの世界へ移ったわけです。私事で恐縮ですが、中学時代、あまりに充実した毎日に「必ずしっぺ返しがくるな」と、ときどき不安を感じ、「できれば、青年と壮年という生臭い時期は飛ばして老人になりたい」と思っていた自分を思い出さずにはいられません。

「三国志演義」も「水滸伝」も、以前書いたようにいろいろな形で読んでいますが、おそらく再読することはあまりないでしょう。でも「西遊記」と「聊斎志異」と「紅楼夢」は、時間さえ許せばもっと何度も読みたいです。とりあえずは平凡社ライブラリーで現在絶版になっている「紅楼夢」12冊本が復刊したら、読もうと思います。

では、また来週。


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生活と意見 (第275回)

2011-05-15 20:46:14 | Weblog
5月15日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

「紅楼夢」を読んでいます。
講談社世界文学全集で1976年に出た抄訳(一冊本)。
訳者は岩波文庫の全訳を手がけた松枝茂夫さんという先生で、全訳の四分の一の量。それを今半分まで読みました。とてもおもしろいです。

二年前、やはり講談社から出た「要訳 紅楼夢」を読みました。
今回の本はそれ以前からずっと持っていたのですが、いつか読もうと思っただけで本棚の飾りになっていたもの。

「要訳」のほうは女性が訳者だったせいもあって、登場する女性たちの生き生きした姿が前面に出てくるように構成されていました。たしかにそれも作者の意図のひとつだと思いますが、より全訳に近い形で読むと、やはりこの小説は、宝玉(ほうぎょく)という少年のお話なのだとわかります。

貴族に生まれ、ほとんど屋敷の外の世界を知らずに、多くの召使やお手伝いの女性に囲まれて育ち、祖母や母親にあまやかされ、学問を熱心にやるわけでもなく、なにか武術のようなものを習うわけでもなく、毎日感受性だけを全開にして生きる虚弱な男の子。林黛玉(りんたいぎょく)という少女(いとこ)とのやりとりはあまりに微妙で幼く、また甘美です。本当は2人はお互いを一番好きなのに、幼い頃からいっしょにいすぎたために、うまく恋愛の方向に移行できずにいる。また、宝玉は少年ながらすでに女中と肉体関係を持ち、黛玉もそれを知っている。そういうシチュエーションが、つねに2人の間に仲たがいと仲直りを繰り返させる。そのつど「もう死にます。二度と会いません」などと、大げさなやりとりをし、泣きわめき、また泣きながらお互いを抱きしめる。

これに最も近いのは、やはり「失われた時を求めて」でしょう。語り手の少年時代、ジルベルト・スワンとのやりとりがすぐに頭に浮かんできました。相手のちょっとした不注意なひと言に傷つけられ、その原因を自分のうちに探り、「それを許してくれないならもう死にます」などと手紙に書いて出し、またそのことを後悔して手紙を取り戻そうと考えたりする。

どちらも、作者は実際にこういう経験を持ったのでしょう。

現実には、作者・曹雪斤は、14歳ころ自分の家の没落を経験し、最後は貧困と不遇のうちに死んだと解説に書いてあります。「紅楼夢」には、虚無的な雰囲気が漂うところも多々あります。それもまた、体験によるのでしょう。誰にもわかるのは、この小説を書くことが、作者にとって永遠の少年時代を生きる方法だったということ。

庭園に散り落ちた花びらが川面に浮かぶのを見て、あれはあのまま流れて行くと、邸の外に出て行き、きたないものが捨てられた下流の水に穢れてしまう。だから花びらは集めて土に埋めよう、と黛玉が提案し、2人は花を埋葬する。たぶん、それも作者の実体験でしょう。なんという甘美な記憶。このような記憶のある人に現実の不遇がどれほど意味をもっていたか。おそらく大した意味はなかったに違いありません。

ゆっくりと最後まで読もうと思います。
何年か先には全訳を読みたいと思います。

では、また来週。


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生活と意見 (第274回)

2011-05-09 09:18:15 | Weblog
5月9日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

自分のせいもありますが、結局1日も休みが取れないゴールデンウイークになりました。
先週書いたことにもう少しつけ加えようと思ったのですが、できませんでした。
すみません。

また、来週。
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生活と意見 (第273回)

2011-05-01 11:15:28 | Weblog
5月1日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

ちくま学芸文庫「原始仏典」を読みました。
中村元先生による、岩波文庫の現代語訳仏典の解説と言ってもいい本。
仏典に出てくる土地を先生が実際に訪れた話をまぜつつ語ることで、仏典中に描かれている場面をリアルに思い浮かべられるように構成されています。

以前、アーナンダとブッダのやりとりを漫才のボケとツッコミのようだと思って、先生の訳をさらに意訳したものを作りましたが、ふざけたわけではありません。
仏典中の会話には、ブッダの説法をもとに創作として作り上げられたものと、ブッダと弟子の会話のスナップショットの二種類があるように思います。

スナップショットがなぜ記録として残ったのかといえば、おそらく、その会話が「皆にうけた」からだと思います。ブッダとアーナンダのちょっとしたやりとりが記録に残っているのは、それがふたりの関係を表すリアルな会話であり、信者の誰が聞いても「あー、あるある。あの二人ってそういう感じだよね」というところがあったからだと思います。

あらためて言わなくても、福音書も論語もプラトンの対話編も同じような事情でできあがったものでしょう。そうして、ブッダもキリストも孔子もソクラテスも、自分ではなにも書かなかったというところに、世界に対する騎士的態度の徹底さが表れていると思います。やはり書くことは、センチメンタルで、卑俗で、言い訳好きな人間のすることだといえるでしょう(司馬遷も強烈にセンチメンタルですよね)。また、権威好きともいえるかもしれません。卑俗な私が書くのは(それこそどうでもいい話ですが)、センチメンタルがそのおもな理由ですが、遅くに仕事を始めたので、言い訳や権威のためでないことは自分でわかっています。私にはそうやって日々をしのぐ以外今のこの世に楽しみがないのです。もしかしたら興味もないのかもしれません。



では、また来週。

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