2月25日
古典新訳文庫の「グレート・ギャッツビー」を再読。この訳、いいですね。この作品を何度か読んできたわけですが、もはや、トムもギャッビーも対立概念なのかどうかわからなくなってきました。老い。ですね。前に書いたように、デイジーが俗物の仲間で、ギャッツビーが純粋だとしても、純粋さはこの世で満足して生活を送る人々には迷惑なものであり、どちらがよりよいということもない…そんな感じですね(もっと言えば両方不要ではないか)。本当にドン・キホーテになるなら、今の時代なら孤独にもならないと。一人で狂っている分には迷惑はかからないわけだから。それが私の最後の理想です。
最近書き忘れたことを書くと…
「幻滅」「浮かれ女盛衰記」はかなり深く入りました。しかし、前に読んだ「ゴリオ」はストーリーの概要も忘れました。自分を犠牲にして育てた二人の娘が、貴族に嫁ぎ、父のことは忘れて愛人とのやりとりに夢中になっている。それは覚えています。しかし、読みながら思ったのは、ゴリオは別に不幸な男ではないし、これは悲劇(同時に喜劇)ではない、ということ。なぜならゴリオの娘たちが夢中になっているのは、「遺伝子を残す」ことにつながる行為であり、その遺伝子はいうまでもなくゴリオの遺伝子なのだから。娘を貴族に嫁がせられるまで育てたのも、結局のところ、自分のコピーを残したいという本能の至上命令にしたがってのことであり、ただそれだけのことなのだから。娘たちはいまもゴリオの遺伝子がさまざまな場所に拡散されるよう動いているわけで親孝行といってもいい。ただし、なんのためにコピーが残っていく必要があるのかは私にはわかりません。
古典新訳文庫の「グレート・ギャッツビー」を再読。この訳、いいですね。この作品を何度か読んできたわけですが、もはや、トムもギャッビーも対立概念なのかどうかわからなくなってきました。老い。ですね。前に書いたように、デイジーが俗物の仲間で、ギャッツビーが純粋だとしても、純粋さはこの世で満足して生活を送る人々には迷惑なものであり、どちらがよりよいということもない…そんな感じですね(もっと言えば両方不要ではないか)。本当にドン・キホーテになるなら、今の時代なら孤独にもならないと。一人で狂っている分には迷惑はかからないわけだから。それが私の最後の理想です。
最近書き忘れたことを書くと…
「幻滅」「浮かれ女盛衰記」はかなり深く入りました。しかし、前に読んだ「ゴリオ」はストーリーの概要も忘れました。自分を犠牲にして育てた二人の娘が、貴族に嫁ぎ、父のことは忘れて愛人とのやりとりに夢中になっている。それは覚えています。しかし、読みながら思ったのは、ゴリオは別に不幸な男ではないし、これは悲劇(同時に喜劇)ではない、ということ。なぜならゴリオの娘たちが夢中になっているのは、「遺伝子を残す」ことにつながる行為であり、その遺伝子はいうまでもなくゴリオの遺伝子なのだから。娘を貴族に嫁がせられるまで育てたのも、結局のところ、自分のコピーを残したいという本能の至上命令にしたがってのことであり、ただそれだけのことなのだから。娘たちはいまもゴリオの遺伝子がさまざまな場所に拡散されるよう動いているわけで親孝行といってもいい。ただし、なんのためにコピーが残っていく必要があるのかは私にはわかりません。