麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第186回)

2009-08-30 21:02:35 | Weblog
8月30日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

昨日、あまりに暑くてがまんできなくなったので、恵比寿に散髪に行きました。
めずらしく、夕方でないと空いてないといわれ、終わると7時半を回りました。
夜に恵比寿にいるのはとてもひさしぶり。
以前、町の風景が変わったことをここで嘆きましたが、不思議と夜の恵比寿は20年前となにも変わっていないように感じられました。
大して売りのない商店街の、入り口のステンドグラスふう看板。
薬屋の店先の、昭和の縁日のようなやる気のない明かり。
老人が押し詰まった飲み屋のカウンターみたいな路地の奥のうやむやの店並み(なんの肉を食わせるところなのか)。
歩道に面した飲食店の顔ぶれも変わっているのに、駒沢通りのにおいも昔と同じで、その場にへたりこみたいくらい安心しました。



夏もじたばたしてるようですね。



潮文学ライブラリーから「レ・ミゼラブル」(辻昶訳・全5巻)が刊行中です(現在4巻まで)。かつて講談社文庫に入っていたものですが(その版も全巻もっています)、活字が大きく、紙もよく、読みやすい。これから読もうとする方にはいいと思います。



では、また来週。
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生活と意見 (第185回)

2009-08-23 21:53:08 | Weblog
8月23日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

ここで何回か書いたPHP文庫の古典シリーズで、伊藤左千夫の「野菊の墓」が出ていたので、読みました。
初めて読みました。たぶん一生読まないだろうと思っていましたが。
とてもよかったです。最後の数ページは、昔の日本人らしく「家」というものがにおってきて無気味なのと、場面に涙が多すぎてよくないですが(おかげで泣こうにも泣けなくなりました)、前半はすばらしい。この作品も、芥川龍之介の「鼻」と同じく、漱石が激賞したことでメジャーになったという事実も初めて知りました。



「友だち」の本文を書くのを中断して、自分の浪人時代の日記から、須田真由子のモデルについて書いたところを読み返してみました。ここから架空の日記を作って、それを本文に少し引用しようと思ったからです。1日平均5行くらいしか書いていないのですが、読むと当時がよみがえってきます。

子どものころから、おもに大人をまねることで身につけてきた価値観を、中学高校時代を通じ、否定して、とっくに否定しつくしたつもりでも、実はなお多くのおとぎ話を心の底で信じ、失望するたびに誰にも言わずに傷ついて、その傷を自分の妄想で補おうとする若い自分。その自分の目を通して見ていた予備校の周り。広島本通り。失望の味のする駐車場の金網。完璧な希望のにおいのする喫茶店の店先。その風景と時間の中に自分を閉じ込めてどこにも出なくていいようにするために、落語(?)「友だち」を書き続けるつもりです。



今日はちょっと暑いですね。
できるだけ早く、秋になってほしいです。

では、また来週。
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生活と意見 (第184回)

2009-08-15 22:39:55 | Weblog
8月15日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

「響きと怒り」、読み終わりました。
なんだか、よかった。作者の深い意図はむずかしくて、完全にわかったとはいえないし、書き方はごちゃごちゃしていましたが、なにかよかった。
作者が、本当に書きたいことを書いている、というパワーが伝わるからでしょう。
きっと、また読むと思います。
以前読んだ「サンクチュアリ」はぜんぜんわからなくて、好きになれなかったけど、それとはまったく違いますね。

最後のあたりで黒人おばあさんのディルシーが、日曜の朝、ベンジャミンを連れて教会に行く場面は、神聖で、力強く、とてもよかった。こんなに美しい日曜の朝を感じられる作品をほかに知りません。「ここにもってくるつもりだったんだな、そうか」と、ここにきて作者の意図が理解できたように思いました。不穏な材料をすべて投げ出したあと、物語の中に自ら教会を作った。これは、やっぱり、作品自体が懺悔なのでしょうね。その長い懺悔のあいだ作者の心に連れ添ってくれたディルシーはマリアなのでしょう。

フォークナーはきっとこの作品を読むたびに救われたに違いありません。

第一部の、ベンジャミンの意識の流れも、途中で思ったのは、「これは映画の表現法だな」ということ。そう考えれば、それほど奇異な書き方でもないと思いました。まあ、それでも読みにくいけど。



では、また来週。
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生活と意見 (第183回)

2009-08-09 17:52:49 | Weblog
8月9日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。


「響きと怒り」は、同じところで止まったままです。
先週は、読みすすめる時間がどうしてもとれませんでした。

今日は、突然思い立って「友だち」に手を入れてみました。
一人称だったのを三人称にかえて、数十行書き加えました。少し見えたかも。
たぶん、最終的には、落語のような感じになるんだろうなと思います。つまり、それは「何度も読める」ということです。
誰にも望まれていないのはわかっていますが、なんとか仕上げてみたいものです。



ここにすわっていて、しかし、ここにすわっている理由がなにもないのがしみじみと感じられます。
どこか穴があいていてそこをふさがないといけないのにどこだかわからない。
ただすーすーとその穴から「自分」が漏れていく。尻ではなく、背中のあたりのような気がするのですが。



では、また来週。
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生活と意見 (第182回)

2009-08-02 21:05:43 | Weblog
8月2日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

今週は、「これを読みきった」という報告がありません。
というのも、2週間くらい前から、フォークナーの「響きと怒り」を読んでいて、今週はそれを読み続けることだけに絞っていたからです。でもはかどりませんでした。

ご存知の方も多いと思いますが、この小説の第一部は、「白痴の主人公の意識の流れ」形式で描かれていて、読みにくい。私はこれまで学生時代から、おおげさでなく100回は挑戦してきましたが、多いときで最初の10ページくらい読めたのがせいぜいで、ずっと挫折していました。
講談社世界文学全集(のちに文庫化。そのあと同文芸文庫)版です。現在は岩波文庫からも新訳が出ています。

今回、読み進むことができたのは、文芸文庫に入ったおかげです(出ているのは知っていたのですが「どうせこれまでと同じだろ」と思って、ついこの間まで見もしなかったのです)。この文庫はちょっと高いけど、文字が読みやすく、紙もいい。それと、この版になって初めて、これまで読むのを妨げてきた、「意識の中の場面変換時(つまり思い出が現在の意識に取って代わるとき)」に使われていたカタカナ文が、ひらがなの斜体文字になったからです。カタカナ文の読みにくさときたら! まったく。稲垣足穂の「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」も、ちくまの日本文学全集でひらがな表記になって初めて読めました。

今、第三部(全四部)の終わりのあたりです。
とりあえず、読みきったら、ひと言書こうと思います。



前にPHP文庫から出た「草枕」のことを書きました。
同じシリーズで、太宰治の「人間失格/富嶽百景」と、宮沢賢治「銀河鉄道の夜/風の又三郎/セロ弾きのゴーシュ」も出ています。どれも思い切った収録作品数で(表題のものしか入っていません)、字が大きくて読みやすい。あらためて読んでみるにはとてもいい企画だと思います。漱石のものをもっと出してもらえるとうれしいですね。とくに小品を。



では、また来週。
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