俺には人生の……
俺には人生の全てが見えてしまった。つまり、人生とは「もっとあとになって考えればいいと思っていること」が、「いま考えなければいけないこと」になる、ということだ。
死んでもまだ世界が……
死んでもまだ世界が(その人の主観が)続く――つまり霊魂不滅説は、それを説く人間のつぎのような心を証明する。
「俺は物がほしくても盗んだりしなかったし、欲情にかられても強姦もしなかった。怒りにまかせて人を殺したこともなければ、内心で思っている悪口を人に言ったこともない。なのに、もし、死んで全てが終わるなら、あの憎々しい犯罪者と同じ終わり方じゃないか。あいつらも死んで全てが許されるなら、こんなにがまんしている俺はなんだよ? だから地獄はある。あいつらと区別されるために。俺は自分のがまんをほめられる。褒美をもらえるはずだ」
――おそらく彼は期待はずれに終わるだろう。
自分を知って治す
たとえば、酒を飲むと暴れる人がいる。習慣的にそうなのであり、その人は自分でもそれがわかっている。その人がある日、もうそういうことはやめたい、と思ったとする。と、彼は酒場でこう宣言するのだ。
「俺は今日からもう酔って暴れたりしない。暴れるほど飲まない」と。
これは、改心を表明しているのだが、実のところ彼は改心などまったくしていない。
この人の改心に必要なのは、「飲むと暴れる」のが自分の習性であるのなら、「酒を飲まない環境に自分を置く」ということだ。それが自分を知って治すということだ。
恋愛におぼれるとバランスを失い、周囲が見えなくなる傾向が自分にはある――ならば、彼は女から身を遠ざけなければ危険からは逃れられない。
「今度の恋愛では、一定の距離を保って……」
――無理だ。