麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第835回)

2023-12-31 10:53:30 | Weblog
12月31日

なんとか引っ越しが終わりました。同時に本当の終活がはじまった、という感じです。

更新ができなかった間、読むことと書くことについて、いくつか小事件がありました。まず読むことについて。

ヘミングウェイ「日はまた昇る」(ハヤカワ文庫)を再読しました。作品としては六回目(旧新潮文庫のあと角川の単行本、それが文庫化された現新潮文庫、そのあと旺文社文庫の守屋陽一訳、続いてハヤカワ版)の読書です。以前より、なお一層感動しました。作者については、こんなものを二十代半ばで書けるなんて信じられない、とあらためて天才を感じました。また、訳書としては、たぶん、いろいろな研究が反映されてディテールの正確さが増しており、なおかつ現代の日本語としてうまく訳されていると前回以上に感じました。ぜひ、一度、この版で読んでみてほしいと思います。

書くことについて。これも、「読む」からはじまるのですが、五年ぶりにキンドル(ハード)を買いました。前のものが第四世代、今回のものが十一世代ということらしいです。画面が大きくなって軽くなっています。8.6インチなので、ほぼ文庫と同じように読めて、改ページもスムーズ。漫画も読みやすい。で、さっそく拙作「風景をまきとる人」と「地球の思い出」を読んでみました。フォントを標準にすると、本当に文庫本が中に納まっているような感じで読めて快適です。これから、できれば新作も含めて、テーマごとにキンドル版としてまとめたいと思っているのですが、仕上がりがこんなにきれいになるのなら、とやる気がわきました。その気分が冷めないうちに、自分だけの仕事を進めたい、と思ったことでした。

もうひとつ「読む」について。岩波文庫の新刊、ボルヘス「シェイクスピアの記憶」を読みました。とてもよかったです。実は、元の部屋を片付けに行く途中、電車で寝てしまって(正直、ものすごく疲れています)、該当駅ではっと目覚めて下りたのはよかったのですが、そのとき手にしていたこの本を車内に忘れました。一度は「縁がなかったな」とあきらめたのですが、翌日駅に電話してみると終電後の点検時に拾われたとのこと。数日後、忘れ物センターで再会できました。小学生のころ、授業中に消しゴムを天井に向かって投げ、取り、「この消しゴムは、いま天井に行って帰ってきた消しゴムだ」と考えることで、こことは違う現実に触れる自由さを感じて(いまこれ以上説明する気になれません)いました。それと同様に、おそらく終点まで何往復かし、ふと手にして開いた人の興味もひかないままもう一度投げ出され、夜に駅員さんにピックアップされるまで静かに横になっていたこの本は、引っ越し、転出転入手続き、不動産屋さんとのやり取り、仕事、など、生きることにがんじがらめになっている自分に、「本当はすべてどうでもいいんだ」という自由さを感じさせてくれました。

なかでも「パラケルススの薔薇」が、心にしみとおりました。

あ、そうだ。今回、ヘミングウェイとボルヘスが同い年ということを知り、なにか驚きました。まるで日なたと日陰みたいな二人。でもその両方が私には必要です。

純粋な宣伝もひとつ。キンドル版「風景をまきとる人」を読んでみてください。退屈になったら途中で投げ出して、でもいつか続きを読んでみてください。

よいお年を。
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再掲

2023-12-13 23:41:54 | Weblog
雑文を書く余裕もないので。再掲三つ。
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風景をまきとる人(短編)

2023-12-13 23:39:25 | Weblog
 夜道の散歩は気持ちがいい。
 特に、水銀灯の冷たい光の中に、作りもののような桜の花びらが浮き立って見える、春の並木道なら最高だ。
 その道の途中には、いったいどこまで伸びているのかわからないくらいに高い赤レンガ造りの病院がある。
 月は三日月がいい。
 空は群青色がいい。
 もちろん、自分以外には誰もいない。
 理想的な風景にするなら、道はずっと向こうまでまっすぐに続き、その彼方の中空にはドッジボールくらいの大きさの惑星が浮かんで見えているべきだ。
 そして、その惑星が、生物の死滅してしまった地球であるならなおすばらしい。
 核分裂よりも大きなエネルギーを持った快感が僕をバラバラにしてくれることだろう。
 ――夢の中で、僕は、そんな風景の中を歩いていた。
 歌が自然に飛び出す。
 他に音をたてるものは何もないので、僕の歌声は宇宙中に響く。
 夜の壁がびりびりとふるえる。
 (ということは、夜はくもりガラスなのか?)
 その音が、僕の傷ついた鼓膜をつらくしたので、今度は口笛を吹いた。
 すると、夜が、ぴーんと張りつめるのが感じられた。
 (ということは、夜はセロハンなのか?)
 病院の建て物を右手に見ながら、僕が新しい曲を吹き始めようとした時、後の方でカサコソ音がした。
 ふりむいてみたが誰もいない。
 僕は再び前へ進もうとした。
 すると、やはり後でカサコソ音がする。
 が、すぐにふりむくと、どうせまた逃げられると思ったので、今度は心の中で、
「僕はふりむかない」
 と呟きながら、ゆっくりふりむいた。
 そのとたん、
「ひきょうもの!」
 と、すごく大きな声が宇宙中に響いた。
 その声の主は、僕の背後の風景を、絨毯をまくように、きれいにまきとっている大きな人だった。
「見られたからには生かしておけぬ」
 大きな人はそう言うと、風景といっしょに僕をまきとり始めた。
 ペラペラになってまきとられてゆく僕の目に風景はとてもおもしろく見える。
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彼の青春

2023-12-13 23:35:36 | Weblog
 彼は美しくない青年だった。どれくらいそうかといえば、およそ下位五分の一に入るくらいだろう。少なくとも自分自身では、そう感じていた。
 だから、彼は自分には存在意義がないのだと感じていた。
 ――いったい、美しくない青年に生きる意味があるだろうか?
 この、若さという難所を越え、だらだらと生きていれば、彼にも少しの財力ができ、そうすれば使い道も出てくるかもしれない。
 女性はいい。若い女性は、たとえ美しくなくても、すでに自分のエネルギーの衰えを感じた中年や老年の男からすれば、つねに意味がある。
 もし、美しくない青年に意味があるとすれば、それは、父親の財力のおかげで「育ちがいい」「金持ちである」という場合だけだろう。
 貧しい家に生まれた美しくない青年に、いったいどんな意味があるというのか? なにもない。
 彼には、そのことがよくわかっていた。
 大学の教室に入っていくとき、クラスの女の子の目が、さっとこちらを向く。本能的に品定めをせずにはおけない若い彼女たちの目が、すぐに、「何の意味もない男」と、彼に対して答えを出し、そらされるのを彼は何度感じたことだろう。
 それは、電車やバスの中、サークルの部室などでも同じことだった。

 彼は自分の醜さを知っていたので、服装や髪型に気を使ったことが一度もなかった。
 第一、鏡を見るのが耐えられなかった。たかが髪を撫でつけようとするのさえ、「おまえはそんなどうしようもない容姿なのに、髪を撫でつけるのか」と、自分で自分を非難せずにはいられなかった。
 また、とうとう破れてしまった、何年も着古したシャツを買い換えようと、安物売りの店に入っていくだけで、「おまえは服を買うのか? そんな容姿のくせに」という思いがこみ上げてきて恥ずかしさで赤面し、結局何も見ることができずに出てくるのだった。

 彼は、当然、どんな女性とも触れ合ったことがなかった。大学時代、女性と会話をしたのは、一度きりだった。
 それは、ほとんど出向くことのなかったサークル(映画研究会)の部室でのことで、たまたまある女の子とふたりきりになったときだった。
 会話といっても、ただ彼はそのとき、自分の好きな古い映画について、聞かれるままにひとりごとを言っただけだった。
 その女の子は彼を映画に誘った。
 待ち合わせをして、ふたりは映画に行った。
 彼はまったく緊張などしなかった。というのも、彼は、彼女が自分に特別な好意を抱くなどということは、まったくありえないとわかっていたからだ。それが当然であり、そんな彼女に対して、もし自分がほんの少しでも彼女を特別に意識などしてしまったら、それはなにより彼女に悪いことをすることになる。そう思った。
 彼女はそのとき、恋人と別れたばかりで、そういうときの女の子がなりがちな、「誰でもいいから一緒にいたい」というような気持ちがあった。しかし、そこからまた、彼を好きになる可能性もゼロではなかったことだろう。
 古いラブストーリーだったので、女の子はなんとなく非日常的な気分になり、ほんの少し、隣の座席の彼のほうへ体を近づけてみた。
 とたんに彼は彼女をはねのけ、
「バカにしないでください」
 と言った。
 「誰でもいいと思っている気持ちがばれたかな」と、彼女は一瞬考えたが、そんなところまで、まだ自分のことを彼に話してはいないはずだ。
 彼は、彼女にからかわれたと思っていた。自分のような男に、異性が少しでも好意を持つわけがないというのは、彼にとって、三角形の内角の和は180度であるということと同じ定理だったから、そのうえで、彼女がこんなことをする理由は、自分の醜さをバカにし、からかっている以外ないと結論したからだ。彼はふいに席を立ち、映画館を出た。くやし涙がぽろぽろと出た。

 しばらくすると、彼女は、同じサークルの中に新しい恋人を見つけた。
 相手は美しいというほどではなかったが、上位三分の一くらいに入る容姿の男だった。
 ベッドの中で、彼女は、醜い青年とのことを恋人に話した。
「あいつは頭がおかしいよ」
 と、恋人は言った。そのひとことで、彼女の復讐心と自尊心は満たされた。

 青年は、ふたりが仲よくキャンパスを歩くのを見かけた。そうして安心し、心の中でこうつぶやいた。
 ――彼女がなぜあのとき僕をバカにしようと思ったのかはわからない。だが、それがきっと女性特有の残酷さというものなのだ。
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古典風

2023-12-13 23:26:29 | Weblog
こもよ。こもこもこもこ。私のあそこはおまえを見るともこもこだ。

さあ、おまえの欠損部分に俺の過剰部分を差し入れて生み出そう。

なにを?

世界を。

またか。股か。また書くのか。股掻くのか。いい気持ちになろうっちゅうのか。
そこ、下品。消して。

なにを?

世界のスイッチを。

もういいだろう。みんな満足してる。やる? やらない? うっそー。まじまじまじ。ひどーい。さいてー。やりてー。もう最高ッス。

日本語なんかいるかよ。こんなくそみたいな概念しかないのに。

そこ、じゃま。消えて。

なにが?

人間ども。

今日は、暖かかった。ということは冬か。季語を見つけなければ。たらちねの。しだりおの。はらわた凍る夜や下痢便。

なんだ。恥ずかしがっているのか。馬鹿者。もう何処にもいなくなった馬鹿者よ。
あああれだ。伝統にのっとれば、いとものぐるおしけれ。見つかった。

なにが?

書き出しが。それは精液と溶け合った押し入れの中の闇だ。
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生活と意見 (第834回)

2023-12-02 17:37:51 | Weblog
12月2日

夏に読んでいた、フォークナー「野生の棕櫚」が、加島祥造さんの訳で中公文庫から出ました。約60年ぶりの文庫化です。詳細を書いたか忘れましたが、私は新潮リバイバルの大久保訳で読んで途中でどうしても意味がとれないところが出てきたので、全集の古本を手に入れて読み切りました。今回の訳は、1978年の学研世界文学全集のもの。全集版よりいいのは、会話で、女性がどんな男性にも敬語を使うという昔の日本の悪しき習慣が訳文から完全に消えていることです。より自然に読めます。これも書いたかどうか忘れましたが、「八月の光」を三分の二まで読んだけど、あまりにつまらなくて読むのをやめました。クリスマスという人物に興味も共感も持てなかったです。まだ、「響きと怒り」のほうがいいと思いました。たぶん、やっぱりフォークナーは私にはあまり縁のない作家なんだと思います。でも、「野生の棕櫚」は別で、なにかすごく惹かれます。いまももう、加島訳で再読を始めているくらいなので本当に好きなんだと思います。ぜひ、読んでみてください。
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また3つ

2023-12-02 00:25:09 | Weblog
「生活と意見」からのピックアップ。読んでみてください。

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恋のはじめ

2023-12-02 00:18:13 | 創作
 なにか、どこかに裏があるようだ。と、陽一は思った。なぜあの女は、あんな事を言ったのか。「私とあの女は幸せじゃない。それはちょうど、西日のさす部屋から眺めた人のいない公園のように」。それとも単なる聞き間違いなのか。「私はあの女のしわ寄せではない。橇は、ちょうどニキビの先、ヘアから舐めた人はいない高円寺のように」そんなはずはない、と陽一は思った。だが、陽一のキャパシティは狭く、子どものころから、自分で世界を単純化しないと落ち着けなかった。その世界の中ではいつも自分は王様のようだった。ある日、陽一は、「人は死ぬ」という認識したくないことを認識した。だが、そんな知識には耐えられなかったので、「自分ひとりは、これまで生まれてきた人間とは違い、死なないのだ」と考えた。実をいうと三十歳になる今もそう考えていた。自分だけは死なないのだ、と。単純化しなければ。早く単純化して「そういうこともあるさ」といういつもの状態にならなければ。そうしないと俺は安心していることが出来ない。雨が降っている。どしゃ降りではないが。だが、陽一は濡れてはいない。あの女のことがどうしてこんなに気になるんだろう。それは、あの女とやりたいからだろうと思った。やりたくない女が何を言っても関係ないから。でも不思議なことだ。どんな女にもやりたいと思う男が必ずいる。相性。実にうまく出来ている。それは生き物の本能なのだ。自分の遺伝子を残そうとする。生き物の本能という客観的な事実を認識した瞬間、陽一の、あの女への執着は消えて、まるで新学年になってもらったばかりの教科書のページのように心が静まった。しかし、心は揺れることを望んでいるのだろうか。しばらくすると、あの女への気持ちが、戻ってきた。煩悩の固まり。俺は時々岩波文庫の「ブッダの言葉」を読む。犀の角のようにただ一人歩め。俺にはその心がわかる。だが、いまはわからない。わからないのが心地いいのだ。あの女の声を聞きたい。そう思った時、雨が降っているのを感じた。なぜなら、シーツから雨の日のにおいがしたからだ。雨か……。雨か。何で俺は「雨か」なんていうのか。誰も聞いてはいないこの部屋で。あの女の足を見るのはいい。あの女の歩くたびに、短いスカートが腿のところで跳ね上がる。スカート自身にも執着はないし、女の腿だけでも足りない。スカートが、腿のところで跳ね上がるのがいいのだ。それが女のいる意味だ。結局のところ、うまく口説けたとしたら、またお決まりの場面があるばかりだ。女は下着を脱ぐ。そして、俺は勃起したものを女に入れようと最高に興奮しながらも、頭の片隅で考えるのだ。「あの、スカートが腿のところで跳ね上がっていた感じが、今はもう、ない」と。そうして、その女と付き合えば付き合うほど、失われた感覚が大きくなっていき、やがて、女への愛情が冷めていくのだ。なぜ俺はそんなことまで考えてしまうのだろう。前は、こんなことはなかった。ひとりの女とやりたいと思えば、その気持ちをずっと持ち続けて、熱に浮かされる自分を感じるのが心地よかった。だが、いまは違う。この気持ちはやっかいな病気のようだ。そして心は病気になりたがっている。こうして悩むこと自体、つぎにあの女に会ったとき、すぐに欲望を沸騰させられるように準備をしているだけなのかもしれない。やりたい。ほかの方法があればもっといいが、それしかないつまらない行為を。やりたい。陽一は思った。あまりに月並みで恥ずかしいが、つまり、俺は恋をしているのだ。この恥ずかしさもうれしいくらい。
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恋のはじめ・続あるいは前半

2023-12-02 00:15:46 | 創作
その女をはじめて見た時、口の中に甘酸っぱい唾液が込み上げてきた。上司である編集長のAと打ち合わせをしている時で、女は突然、Aのデスクの横に立っている僕とデスクについている彼のあいだに割って入った。その時、女の体臭がした。「いきなりくるんじゃないよ。馬鹿。打ち合わせ中だぞ」。Aは言った。非難してはいるが、本当に気分を害しているのではないことがはっきりわかる口調で。「すみませーん」。若い女だから許されている、ということを知り抜いています、ということを表明する儀式的な甘い口調。僕の顔は自然曇った。というのは、女が常に自分の価値を計算し、たくましく世の中を渡っていく、その姿勢、そしてそれが、結局その女のためでも誰のためでもなく、女がやがて子どもを産み、本能の満足を得るために組み込まれた姿勢であり、初めからできあがった回路に電気を流すのと同じことであり、そのことで誰が得するわけでもない、自然の摂理が成就されるだけなのだとわかる時には、いつも憂鬱になったから。しかし、その気分とは別に、僕自身の本能も動き出していた。なぜなら、その女の体臭が、たぶん、本人も気づかず、誰に向けるでもなく、自分という個体を、やがて滅び行く個体を生殖という再生行為で保とうとさせるために準備された動物のシステムが発したにおいが、人間の空しさを客観的に透視し、生物としては、マイナスの認識を得ているいまの僕の体の中に、理性による認識とはまったくべつの反応を呼び起こしていたから。



とてもまずいことになった、と陽一は思った。
俺はあの女とやりたいらしい。だが。
だが、という音のない言葉が、コーヒーを飲むためにわずかに開いた口からカップの中へ滑り込んだ。一口だけすすると、砂糖も入れていないのに甘い味がした。
ほらみろ。もう、周りの世界が変化し始めている。これから、もっとひどくなっていくぞ。この馬鹿。
心の中で自分を罵りながらも、陽一は、自分の唇がかすかに微笑んでいることを、それに、ひょっとすると、目も輝いているかもしれないことを知っていた。店にはほかに客がいなかった。それでも陽一は手放しで喜びの表情をしているのが恥ずかしくなって、どこにもいない誰かに向けて背中を曲げ、テーブルにひじを突いて右手で頭を抱え、悩んでいるような演技をして見せた。
もうわかっているはずじゃないか。いい年をして。しかも相手は自分よりかなり年下だし、ひょっとすると上司の愛人かもしれないというのに。

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方向が違うよ

2023-12-02 00:10:06 | 創作
1

「あなた、この人によく似てる」
「えっ? こんなデブタレントに」
「二重あごで苦しそうなところや肩の肉が丸く盛り上がったところなんてそっくりよ」
「この男は若いころからずっとデブだろ。でも、オレはもともとこんな体型だったわけじゃないよ。知ってるだろ、初めて会ったころ」
「だけど、いまはそっくりよ」
「方向がぜんぜん違うんだよ。オレはこの20年、やりたくない仕事についてストレスをためまくって食べすぎでこうなったんだ。いつか自分の思い通りやれてストレスがなくなれば、絶対元の体型に戻るよ。まあ、先のことはべつとしても、ずっと平気でデブだったこいつとはこれまでの方向がぜんぜん違うんだよ」
「でも、そっくりよ」


2

「あなたの顔、この人に似てるわ」
「えっ? こんなハゲタレントに」
「両方の生え際が入り江みたいになっていて、真ん中が薄くなってマンガの湯気の表現みたいになってるとこなんてそっくりよ」
「この男は若いときからハゲだろ。でも、オレはここ1~2年なんだよ。もともとうちの家系にはハゲはいないんだよ。いまだってちょっと薄くなってるだけだし」
「だけど、見れば見るほど似てるわ」
「方向がぜんぜん違うんだよ。オレはこの20年、やりたくない仕事についてストレスをためまくってハゲたんだ。いつか自分の思い通りやれてストレスがなくなれば、自然、毛もはえるよ。まあ、先のことはべつとしても、ずっとハゲを売りにしてきたこいつとはこれまでの方向がぜんぜん違うんだよ」
「そう。でも、そっくりよ」


3

「あなたの言ってること、この人の言ってることに似てるわ」
「えっ? こんなバカタレントに」
「『ごはん食べたーい』とか『やりたーい』とか、すぐに言ってしまうんだって。そっくりじゃない」
「この男は本当のバカだよ。それしか本当に知らないんだ。だけどオレはそうじゃない。ある意味、わざとそう言ってるんだよ。作為的にね」
「だけど、言い方もそっくりよ」
「方向がぜんぜん違うんだよ。オレは若いとき、人間の存在理由について考えに考えて、もう少しで発狂するんじゃないかというところまでいった。そこから帰ってくるのに、作為的にバカになることを必要としたんだ。本能的な自己肯定という、生物としての基本まで失いそうになったから、そうすることで徐々にこの世に帰ってきたんだ。つまり知性の行き着く先から帰ってきたバカなんだよ、オレのバカは。ねっからのバカのこいつとは方向が違うんだ」
「そう。でも、バカはバカでしょ」

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