麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第618回)

2018-08-19 20:31:52 | Weblog
8月19日

(前略)
ほとんどの人々はいつも興奮していて
宴会それも大宴会を開いているようだし
いつも大騒ぎで
暖かくなった春に高楼に登って奇声をあげて楽しんでいるようだ
私ひとり歓びを知らず
まだ笑うことを知らない嬰児のようになんの兆しもない
(中略)
ほとんどの人々は
余裕しゃくしゃくなのに
私はそうではなく
私の心は漠として見極めがたく
ひとり悶々としている
ほとんどの人々は何に対しても物知り顔でご明察
まるでなすことが山ほどあるようなのに
私ひとり用のない人間のようだ
(後略)

【王明訳「老子(全)」(地湧社)第二十章より】

何種類か持っている訳本のなかで、たぶんもっとも知られていないけど、もっとも好きな訳です。
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生活と意見 (第617回)

2018-08-13 00:03:20 | Weblog
8月13日

ちくま新書から「老子」の現代語訳が出ました。半分ほど読みましたが、ずっと残っていく本ではないような気がします。普通に、中公文庫や中公クラシックスで読んだほうがいいと思います。それにしても、中国文学者でない人が老子の訳を手がけると、なぜ白いひげと髪をのばし、仙人風になるのでしょうか。加島祥造さんしかり。この著者もしかり。私が老子と聞いてすぐに思い浮かべるのは、ヘンリー・ミラーの顔です。上品なゴリラ、という感じもしますが、さっぱりして、なんの執着もないような顔。とてもドイツ系アメリカ人には見えない、東洋的な顔。老子が実在したのなら、あんなふうなじじいだったような気がします。
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生活と意見 (第616回)

2018-08-05 22:25:02 | Weblog
8月5日

また無意味な一週間がはじまります。完全に無意味な。――でも、最近よく思い出すのですが、大学を卒業するころも、いまとまったく同じように、私は何もする気がありませんでした。いえ、いま以上にそうだったかもしれません。日刊アルバイトニュースを見て、出勤時間が10時以降のところを探して銭湯の横のコインランドリーの横の本屋兼タバコ屋の赤い公衆電話から電話して、翌日か翌々日の午後3時(それならなんとか行けるだろうから)ぐらいに面接をしてもらうようにしたものの、当日その会社に向かっている途中にいやになって断りの電話を入れて帰ってきたことも何度かありました(電話もせずに行かなかったこともあります)。別に自分が働かなくても社会はなにも困らないし、自分も、他社ではなく、その会社でなければ働きたくないという理由はなにもない。だから面接で話すこともほとんどない。すぐにしんとして、面接する人も次の言葉が出てこない。自分が望んでいるのは、家賃の2万5000円と、本代を含めて6~7万円の生活費。それだけで、それをくれるならどんな命令にも従うつもりでした。そのことだけは正直に言いました。――スーツを持っていないので膝が破れたジーパンをはいた、この意味不明の学生はもちろん何社もずっと落ち続けました。――10年ぐらいあと、仕事の後輩に、「それは麻里布さんが名前の知れた大学を出ているからそんなことができるんですよ」といわれたことがあります。しかし、それは完全な誤解です。彼は、私が、受ける会社を下に見ているからそういうことができたと言いたいのかもしれませんが、まったく違う。――文学部で二年留年している。それだけで、高卒とまでは言わないが、仕事を求める大学生として自分は底辺にいると思っていました(実際そうだったと思います)。また、留年の理由を聞かれると、「ノイローゼだったと思います」と、そのころになると自分で顧みてそう判断できたので、いつもそう答えました。そこにどんなねらいもなく、いつもぎりぎりの気持ちで「正直に、本当のことだけ話そう」と考えていました。「それで雇ってもらえなかったらそれは仕方がない。元々社会の経済活動に興味もない。そこでめざましい活動をしたいという意欲もない。資本主義の時代に生まれたのは自分のせいではないと思う。いったい自分は何を志望しているのか。おそらく正しくは無為志望といっていいだろう。資本主義の時代に、この国に生まれたから、資本を持っている人に自分の労働を売って賃金を得て生活を成り立たせる。それは当然のこと。しかし、そうやって成り立たせる生活のうえで、仕事以外の時間に自分が何を志望するかは自由なはず。僕は無為志望を継続させるために仕事をするのだ」。――もし、あの後輩が感じとった、当時の私のプライドがあるとすれば、その「自由は絶対に守る」、というその一点にあったとはいえるでしょう。――いまや老いて、それを守っているのかどうかすらわからなくなりました。わかるのは、もはや経済活動どころか人間のあらゆる活動に興味を感じなくなってきているということ。まあ、これも無為志望がいよいよ徹底されてきた、とそう取ってもいいのかもしれません。ならば、初志貫徹。めでたい、めでたい。は。――無意味な明日がくるようです。
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