人間の悲惨さは、彼が自分の悲惨さを、子どもが風船につけられたヒモを握りしめるのと同じように、しっかりつかんで放さないことにある。人間は悲惨さを愛している。なぜなら悲惨さにこそリアリティがあるからである。悲惨さに身を投じることで、彼はリアリティを得ようとする。悲惨にがんじがらめにされることで、彼は「不自由」という快楽を手に入れるのだ。「自由」ほど彼らをおびえさせるものはない。なぜなら「自由」には、リアリティがないからである。リアリティのないものを彼は恐怖する。彼らの言葉で言えば、「自由」は現実ではないからである。しかし、宇宙の知る唯一の現実とは「自由」であり、宇宙にはリアリティなど存在しない。リアリティのないことが宇宙のリアリティであり、人間の言うリアリティは幻にすぎない。――私はそんなことを考えながら、夜中の2時に部屋を出て、街灯の中に紫色の霧が浮かぶ都市を歩き始めた。ゆるやかな坂道をのぼり、向こうに高層ビルの照明が見える交差点まで来た。私は月を見たいと思ったが、今夜は彼は非番であるらしかった。あるいは私自身が彼だったのかもしれない。というのも、その夜、私にはふだん聞きなれない、さまざまなものたちの話し声が聞こえたからである。闇は獣のように生き生きしていた。広い道路をはさんで、ビルがビルにささやきかけていた。「こんなマネをいつまで続けるのだろうか」と。私は彼らに「もういいよ」と言った。すると彼らは一瞬のうちに薄いベニヤ板に戻り、後ろへ倒れた。つぎに「夜」のひとり言が聞こえた。「昼は不潔だ」。彼はそう言ったようだった。「そのとおりだ」と私は言った。私たちの共感を祝して、彼は自分の体をうす紫色に透き通らせた。「よけいなことを言うのは誰か」と、ふいに大きな声が響いた。「いまは、酒盛りの最中だ。卑小な人間のくせに、風景を許すのは誰か。じゃまをするな」。私は悲しくなってこう言った。「どうして俺を仲間はずれにするのか。俺は人間の仲間ではないのに」。大きな声の主は笑った。「たしかにお前は人間の仲間ではない。が、われわれの仲間でもない。お前も酒のサカナにすぎない」。私は再び悲惨さのリアリティにとりかこまれた。「夜」は急に、不幸に陥った友人を無視するように、私を見捨てた。ビルは知らん顔をして建っていた。一分のスキもなくリアリティを取り戻した風景は、もう私とは無関係なものとなっていた。私は霧の中をつまずきながら、悲惨さのほうへ戻っていった。
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