麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第643回)

2019-04-21 22:58:06 | Weblog
4月21日


思いつくまま。

岩波文庫のボルヘス作品集で、唯一まだ買っていない「続審問」を立ち読みしていたら、アメリカ文学はホーソーンからが重要で、ワシントン・アーヴィングを含むそれ以前の作家には触れる必要がない、というようなことが書かれていて驚きました。初めてボルヘスに反発を感じました。ワシントン・アーヴィングこそ真の天才であり、人間がいなくなるまで読まれ続ける作家なのに。

稲垣足穂「フェヴァリット」を再読。やっぱりすごくいい。でも、以前から思っていたのですが、関西を舞台にした話なのになぜ少年たちの会話は東京弁なのでしょうか。おそらく、関西弁にすると都会的な雰囲気が崩れるから、ということだろうと思いますが、そうまでして自分たちの世界を美化して書く必要があるのか。自分で再読したときにいやな気持ちにならないのだろうか。私にはそういうことはできない――そんなことを考えました。

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生活と意見 (第642回)

2019-04-14 12:14:07 | Weblog
発光する裏山


裏山は、根を持つ種族の人口密集地であり、都市だ。彼らにとって、根を切り捨てて動きまわる種族はあわれな愚か者にすぎない。好きに移動できるようになった代償に「補充しなければ枯れる」という時限爆弾をかかえ、タイムリミットまでに水と食物を手に入れようとやっきになる。個体としての寿命はわずか。不安と焦りで動作はつねにせかせかし、せかせかと食べ、せかせかと性交し、せかせかと死んでいく。根を持つ種族からすれば、早送りでビデオを見ているようなものだ。それでも、裏山で彼らと共存している根のない種族には利用価値もある――たとえば体毛や糞を介して種を運ばせる――からまだいい。だが、彼らが「裏庭」と呼ぶ平地で、わがもの顔で騒いでいる毛のない猿どもときたら。「まったく意味がわからない。彼らはなぜ根を切り捨てたのだろうか。自由? どこに自由があるというのか」。根を持つ種族の長老が、そう思考するあいだに――彼らの思考は動作以上に非常に緩慢に実行されるので――長い時が経った。気がつくと、根のない種族はいつのまにかいなくなっている。地球の様子もさまがわりしているが、根を持つ種族には悲しみも恐怖も苦痛もない。やがて宇宙のほとんどを占めるという「暗黒物質」が、黒板消しで消し去るように裏山を包んでいく。そのとき、根を持つ種族は急に燃え上がり、裏山が発光した。ぼんやりと、しかし美しく。この星に存在した生き物が持っていた、すべての思い出と自由への憧れが燃え移ったというように。
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生活と意見 (第641回)

2019-04-07 21:20:06 | Weblog
4月7日

たぶん何十万人という人が書いていると思いますが、令和ってどうでしょうか。大伴旅人の梅花の会は、万葉集でもとても印象に残るくだりなのでいいとして、「令」ですぐに浮かぶのは、やっぱり「巧言令色」ですよね。「すくなし仁」ということで、まさに首相Aが無意識に自分の本質を露呈した元号という気がしますね。もうすぐくたばる人間にはそれこそどうでもいいことですが。

いま検索したら、このブログの「生活と意見 第110回」(2008年3月9日)に旅人の梅花の歌を一首うつしています。よかったら見てみてください。
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