4月21日
思いつくまま。
岩波文庫のボルヘス作品集で、唯一まだ買っていない「続審問」を立ち読みしていたら、アメリカ文学はホーソーンからが重要で、ワシントン・アーヴィングを含むそれ以前の作家には触れる必要がない、というようなことが書かれていて驚きました。初めてボルヘスに反発を感じました。ワシントン・アーヴィングこそ真の天才であり、人間がいなくなるまで読まれ続ける作家なのに。
稲垣足穂「フェヴァリット」を再読。やっぱりすごくいい。でも、以前から思っていたのですが、関西を舞台にした話なのになぜ少年たちの会話は東京弁なのでしょうか。おそらく、関西弁にすると都会的な雰囲気が崩れるから、ということだろうと思いますが、そうまでして自分たちの世界を美化して書く必要があるのか。自分で再読したときにいやな気持ちにならないのだろうか。私にはそういうことはできない――そんなことを考えました。
思いつくまま。
岩波文庫のボルヘス作品集で、唯一まだ買っていない「続審問」を立ち読みしていたら、アメリカ文学はホーソーンからが重要で、ワシントン・アーヴィングを含むそれ以前の作家には触れる必要がない、というようなことが書かれていて驚きました。初めてボルヘスに反発を感じました。ワシントン・アーヴィングこそ真の天才であり、人間がいなくなるまで読まれ続ける作家なのに。
稲垣足穂「フェヴァリット」を再読。やっぱりすごくいい。でも、以前から思っていたのですが、関西を舞台にした話なのになぜ少年たちの会話は東京弁なのでしょうか。おそらく、関西弁にすると都会的な雰囲気が崩れるから、ということだろうと思いますが、そうまでして自分たちの世界を美化して書く必要があるのか。自分で再読したときにいやな気持ちにならないのだろうか。私にはそういうことはできない――そんなことを考えました。