麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第553回)

2017-02-19 22:13:17 | Weblog
2月19日


もうすぐ「詩経」は「国風」(くにぶり または こくふう)を読み終わります。筑摩の世界古典文学全集「詩経国風/書経」と岩波の中國詩人選集「詩経國風」を参考にしながら海音寺訳で読みました。途中で白川静訳の東洋文庫も500円で手に入ったので参考にしましたが(これまで東京堂で長く立ち読みしたことは何回かありました)、いまのところ海音寺訳がベストだと思います。なんといったらいいのか、これは、いまから万葉集の残り十巻を(正確には九巻と少し)読むための、勉強しながらの休憩だということが自分ではわかっています。でも、ここでもときどき書いてきたように中国の古典も本当に大好きであることは間違いありません。

先週神保町の古本屋の外の棚に箱もないまま、1冊100円のシールを貼られて筑摩世界古典文学全集「杜甫Ⅰ・Ⅱ」と「李白」が風にさらされているのを発見。300円で3冊買ってきました。さっと見てみましたがぴんときたのは杜甫の一行。「だれからも相手にされない長安の小市民おれ」(吉川幸次郎訳)。

だれからも相手にされない東京の小市民おれ

まさに自分のことだなあと思い、そうしてなぜかここにツァラのダダ宣言が自然につながってうかんできました。

だれからも相手にされない東京の小市民おれ
僕はいまでも自分のことをとても感じがいいと思っている

意味なし。
次のフレーズも。

今日ママンが死んだ。
名前はまだない。


いかれてる。
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生活と意見 (第552回)

2017-02-05 22:59:13 | Weblog
2月5日

去年のいまごろ、新しい職場に行かざるを得なくなって目を酷使したあげく、大学時代に買ったメガネをかけないと生活できなくなっていました。が、ようやく約1年経って、おおかた回復し、また裸眼で生活できるところまで来ました。無駄にしぶといですね。このじじいは。

海音寺潮五郎訳「詩経」(中公文庫)を手に入れました。実は詩経も、万葉集と同じでさまざまな本を見たり買ったりしてきましたが(筑摩古典文学全集・詩経国風・書経、平凡社東洋文庫・詩経国風、角川文庫ビギナーズクラシックス詩経・楚辞、岩波・中國詩人選集・詩経など)、気に入ったものがなく(ビギナーズはいいけど量が少なすぎるので)、「なぜ昔歌として歌われていたものをかたくるしくしか訳せないのか」とずっと思っていました。海音寺訳はその悩みをほとんど解消してくれるすばらしい仕事です(これまでこの著者の文章をなにひとつ読んだこともなく、こんな本が世の中にあるのも知りませんでしたが)。一気に60ページほど読みました。といっても、訳文に古語が混じるので、上に書いた本を参考にしたり、辞書を引いたりして注を手書きで書き込みながらです(口訳万葉集も、岩波・旺文社と読み比べながら、また、地名が出てくるところには現住所を、同じ作者の歌には前出の番号をつけたりして読んでいるので時間がかかっています)。本当に、いい。これも宝の一冊ですね。よい出会いだったと思います。また、店のほうでつけた値段もすごくいい。定価980円の本を1500円。これは、本の価値を十分わかっていて、しかも高すぎない、昔ながらの良心的な設定だと思います。アマゾンで見たら、2000円で出ていたので、フッ、と優越感を感じました。しかし、アマゾンも価値がわかっているということ。いいですね。変人・孔子が愛してやまなかった詩経。正直孔子はそれほど好きではありませんが、孔子が論語の中で「詩経最高」と言わなかったら(そういう言い方をしていたわけではないけど意味は同じです)、後世の学者たちがここまで研究対象にしたかどうか。なんにしても、顔回のどこが気に入っていたのかはよくわからないけど、詩経のすばらしさは、このぼんくらにもよくわかりますぜ、孔先生。いや、孔丘さん。

先週「反抗的人間」について触れました。いい加減に書いたわけではありません。それは、創作同様完成度の低い自分の卒論の中軸になった本の中の一冊です。私にとっては本当に青春の一冊と呼べるような本です。いまでも、私はカミュ以上に誠実な文学者はいないと思っています。この一週間はしばしばカミュのことも考えました。イエス=反抗的人間ということについても。とても頭がすっきりして、若々しい気持ちを思い出すことができました。
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