麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第173回)

2009-05-31 16:26:14 | Weblog
5月31日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

もともと現代小説(というより、生きている作家の本)をほとんど読まない私ですが、必要にせまられて、初めて重松清さんの「その日のまえに」という短編集を読みました。目が覚めるほど上手いですね。これがプロだな、と本当に思いました。なにか涙が出そうになったのですが、それは内容のためではなく、もし自分がこの人のように才能があり、世間で認められていたなら、どんなに両親を喜ばせることができたろう、と思ったからです。

「物書きになる、とか言っていた変わった子だったけど、そういう道が向いていたんだね」。母親にそんなふうに思ってもらえるに違いない、立派な作品。たとえ、100年間修業しても、こんなふうに書くのは無理でしょう。同時に、ここに描かれた世界が私にとってリアルに感じられることも永遠にないでしょう。あらためて、私は自分が職業作家にはなれないことを痛感しました。



以前、マイナー出版社から出ている名訳を2つ紹介したいと言いながら、「白鯨」以外のもうひとつについて書くのを忘れていましたが、もう1冊は「ハックルベリ・フィンの冒険」(文化書房博文社)です。これは98年に出版されたもので、勝浦吉雄さんという方が訳されたもの(ちくま文庫の「マーク・トウェイン自伝」の訳者)。「ハック~」にも、さまざまな訳本があり、何冊かは持っていますが、最後まで読めたのは勝浦訳だけです。

この作品については、通読に挫折する理由をあげるのは簡単です。原文がどうやら方言で書かれているらしいので、どの訳者も工夫を凝らしてさまざまな語り口を採用しているのですが、それが読者の好みに合うかどうか。それがポイントです。

文体は小説の命。そうなのかもしれませんが、そのやりすぎで途中で読むのがイヤになるようでは本末転倒です。もちろん、個人の嗜好の問題ですが、私には野崎孝訳も、加島祥造訳も大久保博訳もいまひとつ言葉がうるさくて入っていけませんでした。勝浦訳はしつこさがなく、すっとハックの目線に入っていける感じで1日徹夜して読みきりました。もし、「ハック~」は挫折して読めなかったという人がいたら、立派な装丁ではないし、安くもないですが、この本で読んでみることを強くすすめます。



では、また来週。
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生活と意見 (第172回)

2009-05-24 21:39:09 | Weblog
5月24日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

この10日間くらい新訳「夜はやさし」を読み続けていて、さきほど読了しました。
ちょうど去年のいまごろ出た集英社版です。

まだ感想を口にする段階ではないかもしれませんが、とにかくすごくおもしろかった。昔、角川文庫版で読んだときは、上巻の真ん中くらいで挫折しました。以前にも書きましたが(ご存知の方も多いと思いますが)、「夜はやさし」には、2種類のテキストがあって、著者生前に出版されたものがA、死後に、作者の遺志にしたがって構成し直されて出されたものがB。角川文庫のものはBを基にしたもので、今回私が読了したのはAタイプ、つまり、オリジナル版を基にしたものです。

私は今回のもののほうが、とても入りやすかったです。いきなりスイスの精神病院から始まるBでは、「長編なのに、最後までこの病気の話が続くのか」といった重い気分になってしまいます。最初挫折したのもきっとそのせいだと思います。また、まだ結婚した経験もなかったので、「妻が心を病んでいる」というようなテーマに興味を持てなかったのだとも思います。

しかし、今この年齢でちゃんと読むと、この創作はきつい。というか、つらい。自分のつまらない経験の記憶もいつのまにか呼び起こされて、切迫した気分になりました。フィッツジェラルドは、本当に巨匠だったのだ、と思いました。ヘミングウェイは「自己憐憫」という言葉を使っていましたが、それは正しくないように感じました。作者は自分と正面から向き合っている。まったく逃げないで戦い抜いている。しかも、これを書けたということはその戦いに作者は勝利していると思います。きっと、これは、自分の復活のために必要だったのに違いありません。

しかも、天才作家は、この作品が根本的には静的で内面的なテーマだとわかっているからこそ、随所にアクションシーンをちりばめて読者を飽きさせない工夫をしたり、主人公夫婦にさまざまな場所に立ち寄らせ、ヨーロッパやアメリカの都市の風景を目に見えるようにその筆で描くことで、物語としての厚みを生み出しています。主人公とまったく同じで「愛されたい」と考えていたに違いない作者は、この小説があまり評判が良くなくて落胆したらしいですが、それは構成の良し悪しの問題ではなく、たぶん、作者が戦っている相手が、多くの読者にはよくわからなかったからではないか、と思います。私にもそれがわかったかどうかはわかりません。

そうだ。なんとなく、この小説を読んでいると「人間失格」を思い出しました。ふたつはとても似ていると思います。

私の場合、なんにしても「おもしろかった」以上の賛辞はありません。つらくておかしな気分になりましたが、最高におもしろかったです。



では、また来週。

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生活と意見 (第171回)

2009-05-17 22:10:42 | Weblog
5月17日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

ずいぶん前に書いたような気もしますが、私はずっと、ライフというメーカーの、表紙が布張りになったノートを使っていて、現在使用中のものが15冊目。1997年の秋から、それまでありあわせのノートや原稿用紙にメモを書いていたのを、すべてこのノートに書き込むようにしました。一冊目を買ったのは紀伊国屋書店の裏側にあった紀伊国屋の文房具売り場でした(今はマンガ専門のコーナーになっているところです)。最近は、世界堂に注文して取り寄せてもらっています(ちなみに一冊2000円)。

日記のようなことを書いているページも少しありますが、10冊目までは、おおかた「風景をまきとる人」のメモ、草稿、調べものの写しなどです。そのあたりの古いノートは、もうあまり見返すこともなかったのですが、最近しばらくぶりに読み返してみました。と、そこには、自分が今、どこを書くのにどういう点で悩んでいるかということや、この小説を書く意義についての自問自答などが書かれていて、とても新鮮でした。

創作は、ただ自分だけのためにするもの。そんな当たり前のことを、昔の自分がきちんと思い出させてくれました。読者を得ることができて、何かを感じてもらえればそれはうれしい。でも、それはむしろ望外の幸せであって、書き上げるまでは、ただ自分のためだけに仕事をする。基本に戻って、自分のために、またこつこつやるしかないのだろうな、と思いました。



駅ビルの一階はスーパー。二階は本屋。下からはエスカレーターで上がれるのですが、その乗り場の前のスペースが、スーパーの「お買い得品」コーナーになることも多い。昨日の夕方、本屋に上がっていこうとすると、お母さんが、幼稚園児くらいの2人の子どもを両脇に従えてエスカレーターの乗り場前で「お買い得あられ」を凝視。つまり、自分の股から自分の遺伝子をもつ自分の「復活」ともいえる生き物を二体生み出し、三体に増殖した生き物が、さらに自分の嗜好的食欲を満たそうとあられを見つめていたおかげで、私は階段を使わざるを得ない羽目になりました。瞬間、頭に浮かんだのが次の言葉です。

あなたの幸せは横幅をとりすぎている



では、また来週。
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生活と意見 (第170回)

2009-05-09 23:58:22 | Weblog
5月9日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

未知谷という版元から、ニコライ・ゴーゴリ「外套」の新訳が出たので読みました。とてもいい。童貞のまま死んだといわれる変人ゴーゴリ。偉大な孤独者。私の心の師匠の1人。できれば、「ディカーニカ近郷夜話」の新訳も出てほしいのですが。せめて岩波文庫版を新仮名遣いにして復刊してほしいのですが。「やりたくないのですが」(バートルビー)というわけではないと思うのですが……。

文春より「フィッツジェラルド/ヘミングウェイ往復書簡集」が出ました。すでに読みました。これもとてもすばらしい。とくにフィッツジェラルドの「日はまた昇る」と「武器よさらば」の草稿への感想とアドバイスは具体的でおもしろい。後者の手紙の最後には、ヘミングウェイが「くそくらえ」と殴り書きをしているのですが、そういいながらも、尊敬する友だちの真摯な言葉に感謝しているのが伝わってくる。その証拠にヘミングウェイは、彼がダメ出しをした箇所を削除したり再検討したりしている。こういう友情こそ、私が生涯ほしくて手に入れられなかったもので、才能のない人間にはついに手の届かない世界です。――ヘミングウェイが「夜はやさし」について述べている手紙もまた感動的なほど率直。このような天才の世界に手は届かなくても、この本を読んでいると、また自分でも物語を作りたい気持ちがわいてきます。結末をどうするかで悩む長い時間、何十回も書き直した書き出しが決まった瞬間の楽しさ、そういう、自分でも少しだけ経験したことのある楽しさをもう一度味わえたら……。それは本当にセックスなど問題にならないほどの持続する快さです。

最近、古典文学がマンガの文庫になって出ています。「バカバカしい」と思う方もいるかもしれませんが、私はけっこういいと思います。とくに、読んだ中ではドストエフスキーの「悪霊」がよかった。以前も書きましたが、新潮文庫の訳では「悪霊」のおもしろさは伝わらない。訳文のせいだけではなく、この小説はあまりに生々しい性的な問題なども含んでいるので、作者がそれを直接にはわからないようにするために、ステパン氏という狂言回しを前面に立てているのでわかりにくいのです。マンガでは、当然のごとく主人公ニコライ中心に話が進んでいきます。完全に原作のままではない箇所もあるのですが、小説「悪霊」を読んで「おもしろくなかった」と感じた方は見てみてください。もう一度小説を読み直してみたくなると思います。


では、また来週。
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生活と意見 (第169回)

2009-05-05 19:10:17 | Weblog
5月5日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

いちおう風邪は治ったのですが、
たぶん、天候のせいなどもあって憂うつが抜けません。

あれから、少年少女古典文学館の「今昔物語集」を読みました。今昔も何種類か現代語訳を持っていて、過去に旺文社文庫で本朝世俗は読みました。今回も、ほぼ本朝世俗だと思いますが、やはりおもしろかったです。

では、また来週。
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