麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第4回)

2006-02-25 22:04:06 | Weblog
 2月25日 

 立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

 寒いですね。
 脳まで冷えるというか、頭のてっぺんあたりで出た信号が手足に伝わるのにまごついているのがわかります。
 まあ、それは天候のせいというよりも老いのせいで、私という「余熱」が引いていく現象を私が体感しているということなのでしょうね。きっと最期の瞬間も、私は苦しみながら、しかし、余熱が引いてく現象を他人事のように眺めることでしょう。
「早くこいこい冷え切るとき」
 などと。
 
 今回の短編は、前回同様、夢をテーマにした「変電所」です。「風景をまきとる人」(第4回)と一緒にどうぞ。

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変電所 (短編4)

2006-02-25 21:58:02 | 創作
 舞台の上では、奇妙な劇が演じられていた。
 スポットライトの円の中に、ひとりの背の低い男が立っている。男は右手に刃の鋭そうな斧を握っている。
「俺はこのハエに、もうがまんがならないのだ!」
 突然、男はそう叫んだ。
 彼の頭の上に、ショウジョウバエが一匹止まっている。そんなに小さなものが、なぜこんなにはっきりと見えるのかわからないが、たしかこの劇の原作では、そのハエはそこに、もうかれこれ三十年もそうして止まっていることになっていた。
 男は、さっと斧を振り上げた。次の瞬間、男はその斧で自分の首を切り落とした。同時にスポットライトが消え、劇場全体が暗闇と化した。

 劇はそれで終わった。
 客はみな、拍手を始めた。パチパチという音が闇の中に響き、そのうち、それは音の渦になった。
 僕は、
「こんなくだらない劇に拍手なんかしてやる必要はない」
と思っていた。
 原作を読んだとき、少しだけ「おもしろいな」と思ったからきてみたのだが、いまは後悔していた。
「完全に評価を誤ったな」
と考えて、僕は席を立とうとした。すると、そのとき、舞台のほうから、
「殺人だ! 殺人だ!」
という叫び声があがった。拍手がぴたりとやんだ。

 舞台の上が明るくなると、そこに十人ほどの男女が円陣を作るようにして立っているのが見えた。
 その中のひとりが客席のほうに向きなおした。
「みなさん、大変なことになりました。Fが実際に死んでしまいました」
 Fというのは、さっき、自分の首を切り落とす役を演じた役者の名前である。
「おもしろいことになってきたな」
 僕は心の中でつぶやいた。劇が退屈すぎたのだ。なにかおもしろいことがなければ、ここにきた甲斐がないというものだ。
 ところが、そんなふうに思っているのは、僕ひとりのようだった。
 ほかの客たちはみんな、なぜかしらシクシクと泣いているのだった。
「偽善者め」
 僕は気分が悪くなって立ち上がった。すると、周囲の客の目がいっせいに僕に集まった。暗闇の中で、彼らの目はまるで猫の目のように異様に光っている。
「疑われている」
と、僕は思った。このまま外へ出てゆくと、不利な立場におかれてしまうだろう。
 思い直して僕は席に着いた。
「このままじっとしていよう」
 そう決めて、僕は再び舞台のほうへ目をやった。
 すると、舞台の上を照らしていたライトがふっと消えた。
 劇場は、また暗い宇宙空間と化した。
「どうなったんだろう、いったい……」
 不可解な気持ちのまま、僕は舞台のある方向を見守っていた。

 突然、まばゆいばかりの棒状の光の束が視界に入った。
 それは、客席の最前列あたりだった。
 ひとりの美しい女の人が、そこに立っていた。光はその女の人の体から発せられたものだった。暗い闇の中で、彼女はまるで青白い炎の柱のように見える。
 女の人は、ゆっくりと前を横切り、出口のほうへ向かって歩いてゆく。
 僕は、吸い寄せられるように席を立った。
「あの女の人を追おう」
 そう思った。
 せまい客席の間を一度もつまづかずに通り抜け、僕は急いで女の人が消えていった出口へ向かった。
 ほかの客たちも今度は誰一人、僕に注意していなかった。
 入場したとき、日はまだ高かったと思うのだが、いま、ロビーを通って外へ出ると、もうすっかり夜になってしまっていた。

 舗装されていない細い道を、女の人は歩いている。歩いている、というよりも、地面すれすれに浮かんで空を滑っていくように見える。
 道の左右は雑木林である。
 僕は五メートルほどの間隔をあけて、女の人の後ろをつけて歩いた。
 やがて、月の光の中に、腐りかけた木製のベンチが見えてきた。
 バス停に着いたのだ。
 女の人はなおも発光しながら、そのベンチに腰掛けた。
 僕も女の人の隣に腰掛けた。
 女の人は、まっすぐ前の雑木林のほうを向いて微動だにしない。
 僕は、ときどき、女の人の横顔を盗み見た。
 夜気に冷えたベンチから尻へ、その冷たさが伝わってくる。しかし、その冷たさ以上に女の人の美しさは冷たい。
 いま見てきた劇の話でも女の人としたいと思ったが、どういうわけか、僕はもうストーリーを忘れてしまっていた。

 バスが来た。
 夜ではあるし、このバスは街のほうへ向かうのだから、客はほとんどいないだろうと思っていたが、意外にも車内は満員に近い混みようだった。
 女の人に続いて、僕は乗りこんだ。
 車内には電気がついていない。
 乗客たちは、みんな立ち上がった影法師のように見える。女の人が発する光の領域に入っても、彼らは影法師のままなのだ。
 僕は女の人を斜め後ろから見れるような席に座った。
 彼女の白い足首や、うなじをゆっくりと観察したかったからだ。
 音も立てずに、バスは動き出す。

 道が三筋に分かれている場所で、バスが停まり、女の人は降りた。
 僕も降りた。降りたのは二人だけだった。
「ここは……」
 僕の心の中に、不安が少しずつ広がってくる。
 真ん中の道を行けば、その先に変電所があることを僕は知っている。
 見ると、女の人はためらうこともなく、変電所に続く真ん中の道を歩き始めている。
「だめだ」
 僕は心の中で叫んだ。
 女の人の背中は、どんどん僕から遠ざかってゆく。
「だめだ」
 僕はその場に立ち尽くし、女の人を見送った。これ以上、彼女を追うことはできない。理由はわからないが、僕は変電所へは行ってはならなかったからである。
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生活と意見 (第3回)

2006-02-18 17:47:11 | Weblog
2月18日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

迷ったあげく、やはり、今日のできごとをここに書きとめることにしました。

私はけさ、西新宿五丁目――以前長くそこに住んでいた――にいました。
かかりつけの医者に診てもらうためです。このところ、風邪がなかなか治らないで困っていたのですが、とうとう一昨日くらいから咳のせいで夜ちゃんと眠れないほどになってしまいました。
 こういうときは、たとえすぐに治してくれなくても、慣れ親しんだ医者の顔を見るだけでも少しほっとするものですよね。
 そう考えて出かけていったのです。

 診察の話は省略します。医者は薬を出してくれました。
 去り際に私は、
「そういえば、先生。Kさんは退院されたんですか」
 と、聞いてみました。Kさんは、去年私が心不全で某総合病院にひと月半入院していたときに、大部屋の私の隣のベッドにいた85歳のおじいさんです。実はKさんも私も、いま目の前にいるこの先生の紹介で、その総合病院に入院した、という経緯を持っていました。
「いや、あの人は亡くなったよ」
 と、医者は言いました。
「いつですか」
 なにか挑みかかるように前かがみになって、私は聞きました。
「去年、6月くらい。麻里布さんが退院してすぐくらいだね」
 
Kさんは、千葉に生まれ、16歳で中野坂上の大工の親方に入門、やがては自分が親方になって西新宿の地で開業、ほんの10年まえまで仕事をしていらっしゃいました。
「いや、75を過ぎたらだめだね。屋根に上るのが怖くなった」
 といって自分が齢をとったと悩むのですが、私からすれば、75歳でようやく恐怖を感じたなんて普通の人とは思えません。
 自分の仕事を為し終えて引退した人らしく、何も奢らないし、なにも今以上に望まない、大部屋のほかの老人に比べて看護婦さんにも泣き言を言わない、男らしい人でした。
 散歩が好きで、自分で外出許可証をもらっては、ジャケットを羽織り、帽子を被ってぶらりと出かけていき、帰ってくると、
「今戻ったよ」
 と、声をかけてくれます。
 その、好きな散歩の途中に、突然、死が襲ってきたのだそうです。

 Kさんに聞いていた話からだいたいの場所の見当はついていたので、私は病院を出ると、まるで行ったことのある場所に向かうようにどしどし歩いていきました。
「あ、あの人に聞けば、必ずわかる」
 と感じたので、山手通りから路地を入ったところで歩いてきたおばあさんに、
「大工のKさんのお宅はどちらでしょうか」
 と聞くと、おばあさんは、わざわざ先にたって玄関前まで案内してくれました。
 ベルを鳴らすと、入院していたころ、毎日のようにお見舞いにいらしていた奥さんが出てこられました。
 私がここに来た理由を述べると、奥さんはすぐに部屋に上げてくれました。
 いちばんに感じたのは、広くもないし、ぜいたくでもないのですが、部屋がものすごく落ち着く感じの作りになっていることでした。陰気さのない、しかし明るすぎない本当の和室という感じがしました。
 奥さんは西新宿の出身で、入院中もよく、空襲の話などを聞かせてくれました。――奥さんにとっては、ここは西新宿というより、角筈であり、淀橋であるということになるのでしょうが。
「ほら、これがその病名なんですよ」
 焼香を終えて立ち上がると、奥さんが、紙切れを差し出して言いました。そこには、「心臓……突然死……」というような聞いたことのない病名が奥さんの手書きで書かれていました。
「めずらしい病名だから書いておいたの」
 夫の死因となった病名を書いた紙と半年以上たったいまも、暮らしている……。まるで、生きている夫の病名を知らされて、それと戦っていく覚悟をした妻のように……。
「いまも、ぜんぜん信じられないのよ。本当によくなっていたんだから」
 奥さんが心の底から、Kさんの全快を信じていたのがわかり、私はなにも言えなくなりました。

 もっとも悲しくなったのは、奥さんにあいさつをすませ、辞去してから山手通りの歩道を歩き始めたときでした。
 急に、Kさんと11階の病室の窓から、新しく建てられている病棟の工事を見ていたときのことを思い出したのです。
「俺が入院したときは、まだ、うんと下で工事をしていたのに、いまはこの階と並んだ」
 Kさんがそう言ったときの、Kさんの肩が、自分のすぐそばにあったこと、その体は生きていたし、あの瞬間の世界の素材のひとつだったに違いなかったこと、それを、その感覚を思い出したからです。


「きみはいったいどこが悪いんだね」
 Kさんは、よく私にそう言いました。
「どこも悪いところはないように見えるが」
「心臓が、やる気がないみたいなんですよ」
 と、私はいつもごまかしていましたが、Kさん。私は頭の中がイカれ、心が空っぽなのです。
 重症です。

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昼食 (短編3)

2006-02-18 17:44:42 | 創作

 夏の昼下がり、乾いた影をつれて、僕は町外れのレストランへ昼食を食べにでかけた。
 その店は紙でできている。
 真っ白いボール紙を、うまくはめこみ式につなげて作ってある。
 いつ来ても店の中はがらんとしていて、ほかの客を見かけたことはない。
 店員のほうも、黒いサングラスをかけた、おかっぱ頭の女の人がひとりいるだけで、その人も僕に料理を運んでくると、いつもそのままプイとどこかへ消えてしまう。
 僕はトンカツを注文した。
 いつものように、女の人はトンカツを、僕のいる一番奥のテーブルに運ぶと、ドアを開けて行ってしまった。
 ドアは正面に見えている。
 今日はなんだかさびしいので、一緒にいてほしかったのだが、「ここにいてください」とは言い出せなかった。女の人が出て行くとき、真っ白い光がドアのすき間から射しこんだのを覚えているが、いま、閉じてしまったドアの向こうと僕は、絶対に届けない距離に遠ざかってしまったような気がする。
 どこから照らしているのかわからないが、店の中には赤い光があって、それがボール紙の地肌を浮き立たせている。
 こういう店で、昼下がりに、たったひとりで食事するのが僕には似つかわしいようでいて、そんなことが似つかわしい僕自身の身の上がさびしい。
 けれど、憂うつな気分であっても食欲は旺盛だ。
 あっという間に僕は、皿の上のものを平らげた。
「さて、勘定はどうしたらいいだろう」
 僕は考える。
 この店には何度も来ている。当然、その回数だけ勘定を払っているはずだ。けれども、いくら考えても、この前ここに来たときにどうやってそれを済ませたのか思い出せない。
「店員もいないし」
 僕には、さっきの女の人が、もう帰ってはこないのがわかっている。
「このまま帰っては食い逃げということになる……」
 手持ち金は、ズボンのポケットに紙幣が一枚あるきりである。紙幣をテーブルの上に置いていこうかとも思うが、そんなことをすれば、僕は無一文になってしまう。
 いったいどうしたらいいのか。
なにか気分が、さっきとは違う重苦しい感じになって、僕は少しだけ吐き気がした。
「そうだ。裏口がある」
 突然、そういう言葉が浮かんだ。裏口があるということと、勘定を済ませるということのどこにつながりがあるのかわからないが、僕はもう問題を解決できたような気持ちでいる。
 後ろを振り向くと、そこには、通り過ぎるときにいったん体がすっぽりとはまりこんでしまう小さなドアがあった。
 僕はゆっくりと立ち上がり、そちらへ近づいていく。
 ドアを押し開け、予想通りいったん体がすっぽりはまりこんだのを感じたあと、外へ出る。と、そこは屋外ではなく、天井の異様に高い本屋の中だった。
店の中には二十以上もの巨大な木製の本棚が置いてあり、その本棚のすべての段に岩波文庫がぎっしりつまっている。
「岩波文庫にはこんなに種類があったのか……」
 僕はその本の数に圧倒された。
 ひとつひとつ背文字を読んでいくと、名前も聞いたことのない作者の本が数多くある。また、それらの本の題名はすべてカタカナで書かれているのだが、その音感がどれもみなおもしろくて、僕はやがてそれらを手に入れたくてたまらなくなった。
 こっそりと一冊の本を抜き出す。
 周りを見回す。
 店の隅には、カウンターがあるが、店員はいない。僕以外客もいない。
 僕は抜き取った本をズボンのうしろのポケットに入れた。
 外へ出よう、と思って見ると、正面に大きなガラスのドアがあるのに初めて気がついた。おおぜいの人が、ドアの向こうを、ガラス面とすれすれに通っていく。
男も女も、みな黒いサングラスをかけ、誰もが猫背で背丈が低い。
「見られただろうか」
 一瞬ぎくりとしたが、誰ひとりこの店の存在にすら気づかないかのように、人々はただ足早に通り過ぎる。僕は安心した。
 ドアのほうへ行き、思い切って開く。
 と、すべての人が一瞬にして消え失せ、僕は外国の、教会へ続く石畳の道の上にひとりたたずんでいる。
夏の音がものすごい密度で僕を取り囲み、熱風がほほを撫でていく。

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生活と意見 (第2回)

2006-02-11 22:51:11 | Weblog
2月11日土曜日。

立ち寄ってくださってありがとうございます。

今日はわりと暖かい感じですね。
先ほど、日用品を買いに100円ショップに行ってきましたが、その店舗が入っている駅ビルのスーパーでは、バレンタインのチョコレートが山積みで売られていました。きっとどこの町でもこんな光景が見られるのでしょうね。

この光景にとっては私が、私にとってはこの光景が、お互いまったく不必要な関係ですが……。
多くのものとそんな関係になってから、ずいぶん経ちます。
 
 先週、自己紹介から始まって、なんだかいきなりわけのわからない方向へ入ってしまい、申し訳ありません。自分では、いったいどんな動機で『風景をまきとる人』を書き始めたのかを書いておこうと思ったのですが、そんなこと、余計ですよね。

 貴重な読者のひとりである、「およげたいやきくん」さん。
 高田馬場の芳林堂さんで、あなたが最後の1冊を買ってくださったと聞いて、先週さっそくもう一度、行ってきました。おかげさまで、また5冊、置いてくれることになりました。というわけで、現在『風景をまきとる人』(彩図社・ぶんりき文庫)は、ヴィレッジヴァンガード下北沢店と、高田馬場F1ビルの芳林堂書店には、在庫があります。よろしくお願いします。あ、もちろん、全国どこの書店でも、注文していただければ、取り寄せてくれます。できれば、本の形で読んでみてもらいたいです。

 さて、今回は、短編『リンカーンのような人』を掲載してみます。『風景をまきとる人』第2回とあわせてどうぞ。
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リンカーンのような人 (短編2)

2006-02-11 22:45:23 | 創作

 知らない町を歩いているうちに、のどが渇いてきた。
 せまい路地を通り、公園でもないものかと探しているうちに、僕はいつの間にか小学校の門の前に来ていた。
 それは、信じられないくらい古ぼけた木造の学校で、一階だけの小さな建物だった。
 いまどき、こんな学校があるわけはない、と思ったが、ひどくのどが渇いていたので、僕はそれ以上考えず、校庭へ入っていった。
 屋根つきの渡り廊下を通り、教室のほうへ向かう。
 暗く湿っぽい空気を吸いながら行くと、奥のほうにぼおっと黄色い光が見えた。それは、教室から漏れている明かりに違いなかった。
「いったい誰がこんな廃屋のような教室にいるのだろう」
そう思い、足音を立てないように注意しながら、僕はその教室へ近づいていった。
やはり一番奥の教室に明かりがついている。
廊下に面した側の窓ガラスはすりガラスで、ところどころひびが入っていたり割れていたりした。桟にはもう何年も掃除をしていないと一目でわかるほどの埃の堆積が見られた。
明らかにここは、廃屋であるに違いないのだ。
しかし、教室には明かりがついていて、そればかりか、国語かなにかを教えているらしい女教師の声までが聞こえてくる。
僕は、おそるおそるガラスの破れ目から中をのぞいた。
驚いたことに、そこには、ひどく古い型の洋服を着た女教師と、五、六人の着物を着た子供たちがいた。女教師の美しさには注意をひかれたが、子供たちは背中を向けているので、顔は見えない。
「これは幽霊に違いない」
と、思った。急に怖くなり、身震いしたが、どういうわけか目をそらすことができないのだった。
「みなさん。廊下に新しいお友達がいます」
 突然、女教師が、のぞいている僕の顔を指さしてそう言った。
 その声を聞くと、いままで教師のほうを向いていた子供たちが、いっせいに僕を振り返った。
 なんとも恐ろしい瞬間だった。子供たちだとばかり思っていた彼らは、首から上がまるで猿のようにしわくちゃで醜い老人の顔をしていたのである。
 僕は、ギャッと叫んで駆け出した。
 自分でも信じられないくらいスピードが出て、周りの風景が目の中でゆがんだ。
 気がつくと、僕は自分が通っていた小学校の校舎の中を走り回っていた。
 誰もいない鉄筋コンクリートの壁に、僕の呼吸音が反響した。
 誰もいないと思っていたら、三年五組の教室の前で、僕はいきなり誰かとぶつかり、その人を五メートルも吹っ飛ばしてしまった。
「どうもすみません。すみません」
 一所懸命謝りながら近づいてゆくと、それは人間ではなく、箒だった。
 それを掃除用具入れにしまってから、僕はゆっくり階段を下りていった。
 裏庭には、シダ類の林があった。空気のにおいで、僕は自分が再び、あの廃屋のような校舎の裏庭へ戻ってきたことを知った。
 しかし、僕にはもう、恐怖感はなかった。
 見ると、手前十メートルのところに、棺桶ほどの大きさの大理石が置かれていて、その上ではリンカーンに似た人がチェロを抱えて椅子に座っていた。
 燕尾服に身を包み、右手に弓を握ったまま、その人は、シダ類の林の奥をじっと見詰めている。
 彼の目にはなにかが映っているに違いない。
 けれど僕は、彼の視線を追いたくはない。
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生活と意見 (第1回)

2006-02-04 22:12:41 | Weblog
最初の土曜日がやってきました。

今日から週に一回の予定で、『風景をまきとる人』を連載のような形でお送りし、また、短編をひとつ併載させていただきます。

まずは、なんといっても、自己紹介を、遅ればせながら、させていただくべきですよね。といいつつ、「、」ばかりが並ぶのも、私があまりそんなことをしたくないという心の表れだと思います。
しかし、やはり、何もそういうことをしないのも失礼かもしれないと考え、書きます。

麻里布栄は、もちろんペンネームです。
麻里布とは、私の生まれた町の名前、栄は母の名前です。
戸籍にも書いてありますが、私は麻里布町一丁目で母の股から生まれました。
ですから、このペンネームは、自分にとって、「ゼロ地点」というような意味になるかと思います。
性別は男。1959年11月生まれです。
父方の薩摩地方の血と母方の中国地方の血を併せ持つ混血児です。
小学校から高校まで、地方の公立校に通い、地元で1年浪人したあと、東京の私立大学に入学し、上京しました。2年留年し、社会に出てからは、30代の半ばまでは主に編集者として飯を食っていました。そのあとは、ほぼ、『風景をまきとる人』を書くことと、それを本にすることに費やしたといっても過言ではありません。

これが、だいたいのプロフィールです。

もう少し、内面的なことを書けば、高校2年生の前半まで、およそ文学とは縁のない人間で、好きな科目は唯一数学、趣味は音楽でした。
高2の半ば以降、急に文学が好きになり(よくあるパターンだと思います)、文系に鞍替えしたかったのですが、すでにコースは理系で決まっており変更は不可。そのせいもあって、学校に行かなくなったり、出席しても2限で帰るなどという生活が続き、何とか進級できましたが、卒業時には2科目追試を受けました。
1年後、第一志望の大学に受かったのはいいのですが、1限が8時20分開始ということにまず驚き、続けて大学が出席を取るということにも驚き(私は、文学部というところは1年中本を読んでいれば卒業できると思っていたのです)、あわわと思っているうちに、3年が過ぎていきました。しかし、そうやって教養課程で留年している間に少しずつやりたい勉強が見えて、専門に進級してからは、自分でも驚くほど勉強しました。強制されない勉強はとても楽しかったです。

学生当時から、やはり、文学部の学生ですから、自分で何か書いてみたいと思い、何度かやってみましたが、当時は原稿用紙2枚以上の文章をつづるのは私にとって至難の業でした。たぶん、少し神経症的な病気だったと思うのですが、「僕は、今日とんかつを食べた」というような単純な文を書くのさえ、「『僕』とは、なんのことだ? おまえはその意味をわかりながら書いているのか」などと疑念がわき、『僕』という概念は何なのかということを考えているうちに、一文字も進まなくなるのです。
このような状態から、なんとか脱出したいと思い、やり始めたリハビリは、寝ている間に見た夢を書くことでした。
夢に出てくる風景や人物は、たしかに、元々は私が作り出したものなのでしょうが、その、元になった経験と、夢の世界の因果関係は、無意識の領域内に隠されていて知ることはできません。それをいいことに、私は、「それはどういう意味なのか」という自分自身の突っ込みに、「知らないよ、意味なんか。夢で見たんだから」と言い訳をすることで、少しずつまた文が書けるようになりました。
(このころ書いた短編もこれから、載せていくつもりです)

仕事に就いてからは、自分では「さらなるリハビリ」と称し、ありとあらゆる文章を書きなぐり、書き捨てました。もちろん、そうしないと生活できなかったから、というのも事実ですが、そうすることで、文章に厳密な突っ込みをする自分を抹殺し、その代わりに三流ジャーナリストとしての、「書きゃいいんだよ。埋めりゃいいんだよ」というニヒリスティックなキャラを自分の中に作り上げ、そいつに奉仕するマゾ的自分を楽しむ……。なんだかそんな復讐的な動機で「書くこと」に接していたように思います。自分を苦しめるだけ苦しめ、そのくせ才能は与えてくれなかった文章の神に対する復讐的な気持ちで。

当然、文学に対する考えも変わっていきました。出版の世界にいると、さまざまな仕掛けが見えてきます。いやらしい話もいろいろ聞きます。近くで見もします。「どんな文学書も商品に過ぎない」。いつのまにか私の中のニヒリスト・ジャーナリストは、私の全部をのっとって、そう言い始めていました。
また、大人になった私には、以前にもまして、作家の、その作品を書いた動機が見えるようになり、その動機がどうやら最終的には、どれもこれも自分の自慢なのだと考えるにいたって、作ろうとしている人すべてに、うんざりしました。
作家たちのことを、まるで「自分キチガイ」のような人間の集団がいる、というふうにしか感じられなくなっていったのです。

……長くなりすぎました。

この続きはまた来週。

今回、掲載します短編は『絵本』という童話です。23歳ころ書いたもので、ノートに殴り書きで一気に最後まで書き、いまだにどこも直す必要を感じないという、唯一の作品です。
短編のほうは、『夢』、『童話』、『詩(の様なもの)』、『その他』に分けられるような感じです。ランダムに提出していくつもりです。

それでは、『絵本』と、『風景をまきとる人 第一回』をよろしくお願いします。

                                麻里布栄
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絵本 (短編1)

2006-02-04 22:06:56 | Weblog

 絵本の中の3ページめで、主人公の、青い目の赤いジャケットの小さな男の子は、自分のお話に飽き飽きしました。
 なぜって、もう何百回となく同じ森の中を通ったり、同じ女の子と踊ったり、同じ山に登ったりしたのですから。
「あーあ、なんてつまんないんだろう」
と、男の子はいつもの森の切り株の上に座ってため息をつきました。
「これからまたあの女の子に会って『やぁおはよう』『踊ろうよ』『じゃあまたね』って言わなくちゃいけないんだなあ」
 空には、いつものように赤いでんでん虫のようなおひさまがはりついています。
 でも、男の子は、いくらうんざりしても、同じことをくりかえすしかなかったのです。
 なぜって、男の子は自分が絵本の中にいるのだとは知らなかったし、だから絵本の外にも世界があるということも知らないのです。
「ああ、なんてつまんないんだろう」
と、また男の子はため息をつきました。
 すると、向こうからもう何百回も見慣れた女の子がかけってきます。
「やあ、おはよう」
と、男の子は言います。いくらうんざりしても男の子はこう言うしかないのです。
「あら、おはよう」
と、青い目の白いエプロンの赤いスカートの女の子は言います。女の子のほうはいつも本当に楽しそうで、何百回も同じことを平気でやっています。男の子にはそれがふしぎでふしぎでなりませんでした。
 でも、男の子だって初めからうんざりしていたわけではありません。
 初めの百回くらいまでは、絵本の最後まで行ってまた最初のページに戻ると、もうどんなお話だったか忘れていたのです。
 けれども何回目からかは覚えていませんが、男の子はだんだんお話を思い出すようになったのです。そして「ああ、これからぼくは山へ登るんだっけ」というふうに、山へ登る前のページあたりでわかってしまうようになったのです。そのうちには10ページ先のことまでもわかるようになり、いまではもうお話をすっかり覚えてしまっています。
 自分のお話を全部覚えてしまった絵本の中の主人公がどうしてうんざりせずにいられるでしょう!
 目の前に立っている女の子に、
「踊ろうよ」
と、男の子は言います。本当は、もう踊りたくないんだけれど。
「ええ」
 女の子は言います。
 ふたりは森の動物たちといっしょにワルツを踊ります。ト長調の美しい曲でしたが、男の子にはうんざりでした。
 でも、男の子の顔はにこにこ笑ったままです。男の子はその顔以外の顔のことを知らないのです。いえ、男の子にとっては顔というのは、にこにこしている顔のことでしかないのです。
 男の子と女の子は踊りながら森をぬけ、もうひとつ森をぬけ、おまけにもうひとつ森をぬけていきました。すると、大きな川のそばまできたところで夜になりました。
 いったい何ページくらいたったのでしょう? いっしょに踊っていたはずの動物たちはいつのまにかみんないなくなってしまい、群青色の空には赤いでんでん虫のおひさまのかわりに、今度は気どった紳士の横顔のような三日月のお月さまが出ています。
 女の子は夜をこわがってふるえています。
 男の子は、けれども夜が大変好きで、だからこのページがいちばん好きでした。
 川のそばでお月さまを見ていると、そのときだけ男の子は「ああ、もしかしたらこのお話よりほかにも別のお話があるのかもしれない」と思うことがありました。
 絵本の外のことが、男の子には少しわかるのでした。
 女の子は男の子のとなりで、飽きもしないでぶるぶるふるえています。
 すると、おきまりのオオカミが森の中から現れて、
「食べてやるぞー」
と、言いました。
「た、助けてオオカミさん」
 女の子は泣きながら叫びました。
「ぐるるる、うまそうな子どもたち、どっちを先に食べてやろう?」
 オオカミは言います。
 それからオオカミは女の子に飛びかかり、それを男の子がぽかりぽかりと打ちこらしめて、オオカミはすごすごと森へ帰ってゆく、というのが、この絵本のお話です。
(なんてつまらない絵本でしょう!)
それで、オオカミは女の子のほうへ飛びかかりました。「キャーッ」と、女の子が叫びました。
でも、どうしたことでしょう? 男の子は女の子を助けないのです。
男の子は、お月さまを見ているうちにふしぎな気持ちになって「ぼくは女の子を助けない」と、初めて自分で自分のことを決めることができたのです。
オオカミも女の子も、これにはちょっとびっくりしたようでした。けれどもオオカミも絵本の中の月の光のせいでしょうか、いつのまにか本物の、おなかをすかせたオオカミになっていたのです。
オオカミになったオオカミは、むしゃむしゃと女の子を食べはじめました。
女の子は「キャー」とか「痛い」なんて言わないで、にこにこ笑いながらオオカミに食べられていきました。いつもなら、男の子がオオカミをぽかぽかとげんこつでなぐっているのをうれしそうに見ている時分だったからです。
にこにこ笑いながらオオカミに食べられている女の子を見ながら、男の子はうれしくてうれしくてしかたありませんでした。
といっても、女の子が食べられるのがうれしいわけではありません。
そんなことはどうでもいいのです。
男の子は、自分がいつものお話とはちがうことができた、そのことがうれしかったのです。
オオカミは女の子をすっかりたいらげてしまっても、まだおなかがいっぱいになりませんでした。だってオオカミは、この絵本ができてからずっと、何も食べていなかったのですから。それでオオカミは今度は男の子を食べようとおそいかかりました。
男の子は、すなおに足のほうから食べられていきました。
男の子もやっぱり、食べられながらにこにこ笑っていました。
でも、それは、女の子とはちがって本当にうれしかったのです。
男の子は、初めて本当にうれしくてにこにこ笑いながら、オオカミのおなかの中へ消えてゆきました。

お話の主人公のいなくなった絵本は、もうどこにもありません。
いえ、こんなつまらない、いいかげんな絵本など、もちろん初めからありはしませんでした。
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