11月28日
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
本日、50歳になりました。
若いころ考えていたほど不快ではないですね。
どうでもいいという感じです。
やはり、若いうちは、誕生日にも意味があるような気がして、星座占いなども気にしてみましたが、それも子供のころの「自分についてのおとぎ話」を信じればこその話。
自分についてのおとぎ話どころか、世界についてのおとぎ話をなにひとつ信じていないいまとなっては、いつ生まれようが死のうがそれこそどうでもいいこと。
もちろん、拙作「風景をまきとる人」のヒロイン・足田久美がいうように、「おとぎ話を持たずに生きている人はいない」のでしょうから、私もまだ信じているのでしょう。しかし、私の場合、それはただ発狂しないため(と同時に飢え死にしないため)に、うすっぺらな、その場限りの、すでに10歳ころ捨て去ったおとぎ話の亡霊を身にまとっているということにほかなりません。登場人物はすべて半透明化しており、透けて見える背景は「無」そのものです。なぜそうまでして生きているのかといえば、もはや理由はありません。死ぬのがもう少し怖いだけです。
☆
「風景をまきとる人」は、うまく書けてはいないけど、やっぱり自分のすべてだと思います。この仕事をする時間を自分で作ったということだけが、生まれて唯一誇れることかもしれません。もちろん、その半透明化した「誇り」の背景は「底なしの無」ですが。
☆
角川文庫から、万葉集の新版が出始めました。1、2巻、買ってきました。集英社文庫ヘリテージの「萬葉集釈注」の筆者と同じ伊藤博氏の仕事です。「釈注」の読書は現在6巻の前半で停滞しています。両方を使って、のんびり読んでいこうと思います。
☆
では、また来週。
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
本日、50歳になりました。
若いころ考えていたほど不快ではないですね。
どうでもいいという感じです。
やはり、若いうちは、誕生日にも意味があるような気がして、星座占いなども気にしてみましたが、それも子供のころの「自分についてのおとぎ話」を信じればこその話。
自分についてのおとぎ話どころか、世界についてのおとぎ話をなにひとつ信じていないいまとなっては、いつ生まれようが死のうがそれこそどうでもいいこと。
もちろん、拙作「風景をまきとる人」のヒロイン・足田久美がいうように、「おとぎ話を持たずに生きている人はいない」のでしょうから、私もまだ信じているのでしょう。しかし、私の場合、それはただ発狂しないため(と同時に飢え死にしないため)に、うすっぺらな、その場限りの、すでに10歳ころ捨て去ったおとぎ話の亡霊を身にまとっているということにほかなりません。登場人物はすべて半透明化しており、透けて見える背景は「無」そのものです。なぜそうまでして生きているのかといえば、もはや理由はありません。死ぬのがもう少し怖いだけです。
☆
「風景をまきとる人」は、うまく書けてはいないけど、やっぱり自分のすべてだと思います。この仕事をする時間を自分で作ったということだけが、生まれて唯一誇れることかもしれません。もちろん、その半透明化した「誇り」の背景は「底なしの無」ですが。
☆
角川文庫から、万葉集の新版が出始めました。1、2巻、買ってきました。集英社文庫ヘリテージの「萬葉集釈注」の筆者と同じ伊藤博氏の仕事です。「釈注」の読書は現在6巻の前半で停滞しています。両方を使って、のんびり読んでいこうと思います。
☆
では、また来週。
私はブログの更新はすっかりご無沙汰になってしまっております。。。
感動できた本もあるのでブログに書き加えたいとは思っているのですが、なかなか筆無精になってしまいました・・・
「およげたいやきくん」さんのブログに拙作についての記述を見つけたときの感激は忘れられません。ヨタヨタと続いていきますのでこれからもときどき寄ってみてください。ありがとうございました。