麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第256回)

2010-12-31 01:36:01 | Weblog
12月31日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

ハイデッガーを読むのは、またいつかにしようと思います。
あらためて、なぜ以前「有と時」をゆっくり読めたのかと考えてみると、そのころほとんど仕事をしていなかったということを思い出しました。「風景をまきとる人」のノートもせっせと書いていました。まったく誰にも会わずに。なんという幸せな時期。もう二度とこないのだろうな、と思います(環境としてはあるかもしれないけど、あのころほど体力がないので)。



これからも、ただのグチがおもになるとは思いますが、それでもよければまた立ち寄ってください。

よいお年を。



では、また来週。
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生活と意見 (第255回)

2010-12-26 17:32:54 | Weblog
12月26日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

そういうわけで「現象学の根本問題」を買いました。
今完全に仕事脳になっている私にはさっぱりわかりませんが、いいですね。
音楽で言えば、コードもメロディも聞き取るだけの余裕がないけど、ベースとタイコの刻み方だけは伝わってくるという感じでしょうか。ハイデッガー、いい感じ。



「悪霊」新訳、読んでいます。いいですね。いまのところ小沼訳と比べてどうこういうところまで読み進んではいませんが、新潮文庫よりいいことは明らかです。江川卓さんの訳にしては、本当に新潮文庫の「悪霊」はおもしろさがわかりにくい。

しかしこのままいくとあっという間に1巻を読了してしまいそうです(なにしろ4回目くらいですから)。まだ2巻が出ていないのが気になる。新訳文庫さん、2巻お願いします。



今年は何を勘違いしたのか「ニーチェの言葉」が売れたりしておかしなことでした。
「現象学の根本問題」を買ったのを機に、ハイデッガーの「有と時」やその他の本を出してきてパラパラめくっていたら、「形而上学入門」の中にこんな言葉を見つけました。

哲学は本質的に反時代的である。なぜなら、哲学は、いつも、自分自身の時代のうちに直接の反響をけっして見いだしえない、また、けっして見いだしてはならない、という運命をもつ、かの稀なことがらに属するからである。直接の反響が起きているように見えるとき、哲学が流行になるときには、本当の哲学は存在しないか、あるいは、哲学は誤解されて、なにか哲学とは異質の意図にしたがって、日常の要求のために悪用されているのである。(ハイデッガー全集第40巻/岩田靖夫訳)

濁った現在の頭ではこの言葉の本当の深さを直接感じ取ることはできませんが、基本ベース音は痛いほど伝わります。ハイデッガー、いいですね。



脳が寝てるみたいな……。



では、また来週。
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生活と意見 (第254回)

2010-12-19 23:14:45 | Weblog
12月19日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

いま一番読みたい新刊は「現象学の根本問題」(ハイデガー・木田元訳・作品社)です(全集表記ではハイデッガー。この本ではハイデガーになっています)。集中して読めたら、たぶんお経を読むのと同じくらい心を鎮静化できると思うのですが。ああ。

では、また来週。

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生活と意見 (第253回)

2010-12-11 20:04:10 | Weblog
12月11日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

みなさんそうだと思いますが、
年末進行で余裕がまったくありません。

そんな中、20年くらい前に買っていままで読まずにいた、ナボコフの「マルゴ」を読んでいます。あと80ページくらい(午後10時読了しました)。

すごすぎる。うますぎる。

まあ、なにもうまく作れずに、ここまできた人間としては、
「こんなに上手いものを書いてなんになるっていうんだ? 上手いからといってなんだというんだ」とでも吠えておきましょう。やれやれ(村上春樹ふう)。

ナボコフはご存じのとおり、「ロリータ」の作者です。



ちくま文庫から深沢七郎コレクションが2冊で出ています。
若いころ、しばらく深沢七郎しか読めなくなった時期がありました。
とくに「人間滅亡の唄」は何度も読みました。心にしみ込んでいるはず。
小説では「東京のプリンスたち」が好きです。
新編集もいいけど、文庫で絶版になっているものももう一度出してほしい。ほぼ全部持っていますが、紙が黄色くなってきたので。



ちょっと疲れています。
寝ようと思います。

では、また来週。
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生活と意見 (第252回)

2010-12-04 09:25:44 | Weblog
12月4日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

ブログに書いたもので、創作に近いもの、少し手を加えると創作になりそうなものを、まとめてみたいと思っています。もちろん、ただワードでプリントして、製本だけ業者にお願いして3~4部作って友だちに配る、というだけですが。その作業をするのに1週間ほど家にこもれたら、さぞ楽しいでしょうね。しかし、そうすると、また一からメシをどうやって食うかの算段をしなくてはいけなくなるのがわかっているのでできません。終わりまでこれが続くのでしょう。むなしい人生。



5~6年前からテレビが壊れていて、見ていません。何年か前、ワンセグチューナーが出たときに買って、ノートパソコンで週に30分から1時間くらい見るでしょうか。それも多くは仕事のためです。さっき、なんとなく朝のバラエティを見たら、出演者の笑顔を見ていて気持ち悪くなりました。実際、ちょっと吐き気を感じました。昔は平気だったのに。5分で切りました。



少し前、山口百恵のことを書いたときに、「中学生を好きというおっさんが気持ち悪かった」と書いたのですが、あれは、自分の「まともさ」を言おうとしているわけではもちろんなく、ただ、若いとき、女の子よりはるかに晩熟な男が、自分の同級生の女子が想像もできない大人たちに性的対象として見られているというのがどんな気持ちだったかを書いただけのこと。今まさにおっさんからじいさんへ移ろうとする自分が、中学生の女の子を好きにならないとは断言できません。



やっぱり、内田百ですね。「柳検校(本当は旧漢字)の小閑」(中公の「日本の文学」では「磯辺の松」)を3回目くらいだと思いますが読みました。もう、すごい。難しい言葉はひとつもないのになんという深み。ただ、作者はやはりユーモアの人なので、恋愛というテーマだと、あと一歩で少年のテレのほうが前面に出そうになっていて少し笑える。でも、それがまた男の、ばかばかしくも純真な恋心のあらわれなのだということを、あらためて思い出させてくれる(男の恋なんて、自分への突っ込みとの戦いですからね)。これは恋する小学生男子の心を完全に解剖して書いた恋愛小説といっていいのかもしれません。



では、また来週。


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