麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第56回)

2007-02-25 17:24:43 | Weblog
2月25日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

 風邪を引いたおかげで、なかなか行けなかった床屋に昨日、行ってきました。
 ここ20年、私は同じところで髪を切ってもらっていて、いま住んでいるところからは近いといえない場所なのですが、ほかに行く気がしません。

「風邪を引いたおかげで」というのは、大げさに言っているわけではありません。私は1年に2回か、多くて3回しか散髪に行きません。行くと、ほとんど坊主あたまにしてもらい、あとはそのまま伸ばすだけです。
 当然のごとく、散髪の日は、床屋に入っていったときとは別人のような感じで出てくることになります(ブサイクなことに変わりはありませんが)。
 だから、冬のこの時期にその日がくると、散髪後には、頭がスースーして、寒くてたまりません。よって、風邪を引いているときには、わざとひどくしようとでも思わない限り、散髪は見送らなければならないわけです。

 そういうわけで、いまは坊さんのように頭を丸めたかっこうで、パソコンに向かっています。

 床屋は、恵比寿にあります。
 27歳ころから約10年間、私の職場があった街です。
「風景をまきとる人」でもちらと書きましたが、20年前の恵比寿といえば、本当に飲み屋と古着屋しかない、静かで落ち着いた街でした。駅もおんぼろで、東口の階段などは、まるで田舎の駅のような、石と木の板の手作りで「ああ、山手線は渋谷までで、いったん文化が終わってるんだな」という、「文化果てる」感が漂っていたものです。
 
 駅前に「レスポアール」という昔ながらの喫茶店があり、ここで作ってくれる食べ物がおいしいので、よく行きました。その店が、半年前ころからシャッターを下ろしたままなので、床屋のご主人に聞いてみると、「マスターがガンで死んだんだよ」とのこと。まだ65歳くらいだったとか。ということは、私がよく通っていたころは、マスターはいまの私より若かったということになる……。またもや、体の一部が死んだような冷たい感じが脳に伝わりました。

ひさしぶりに、宣伝を。
私の書いた「風景をまきとる人」(彩図社刊)は、どこの書店でも注文できます。また、ネットでも購入可能です。
よろしくお願いします。

では、また来週。
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生活と意見 (第55回)

2007-02-17 02:03:45 | Weblog
2月17日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

まだ、風邪が治りません。

いろんなことが
全部いやになってくるような体調の悪さ。

自信を持った女の(ということはすべての女の)
ハイヒールの音
自信を持った若者の
精液くさい理論
自信を持った子どもの
かしこそうなバカ面
自信を持った初老男の
口臭

たたきつぶし
ひねりつぶして
世界のカーペットの冷たい裏側に
放り込み
上から足でつぶしていく

だめだ

なんにもならない
人生と同じように
そんなことをしても
なんにもならない

こう書いても
なんにもならない


なにか今日は改行して書くほうが
楽な感じ。

下にもひとつ書いてみました。

いつも言ってることの繰り返しですが……。

では、また来週。
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無題

2007-02-17 02:01:57 | Weblog
子どものころ
眠ったあとで世界がどうなるのか
すごく知りたかった
だって
昼は、ものにニスを塗ったみたいに見せているけど
夜は、ニスをはがして、ざらざらした肌触りになって
とても同じ世界とは思えなかったから
昼に学校で父さんがいまなにをしているのか
考えるのと
夜に布団の中で、窓から夜を見るのは
ぜんぜんちがう
昼は何かに緊張する
なにもなくても緊張する
夜はだらっとする
なにか世界の全部が隣にある感じ
こんなふたつがどうやって入れ替わるのか
いつも知りたかったけど
がまんして目を開けていても
気がつくと朝だった
見ることができない時間は
僕になにか説明を求めた
だから僕は
夜は毎日空からはがれて
夜たちの墓場へ死にに行くと説明した
いつも僕は説明した
わからないところは
全部物語にして
自分に説明した
僕には世界が何のためにあるのかわからない
僕には僕がいる必要があるのかどうかわからない
僕には人が何のために生まれてくるのかわからない
僕には偉い人という言葉の意味がわからない
だから、全部物語にして
自分に説明している
そうしないと生きられないから
でもそれが
本当は僕がつくったお話だと
僕は知っている
僕がいなくなれば
そのどれもが
だれにも必要のないお話になることも
もちろん
「僕」というお話も

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生活と意見 (第54回)

2007-02-11 18:57:00 | Weblog
2月11日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

とうとう風邪を引いてしまって、まいっています。
湿度が30パーセントを切っているのに、いま気がつきました。

「友だち」を進めたいのですが、どうしても入っていけません。
すみません。

今週も、ノートから文章を写してみます。

では、また来週。
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ノートから

2007-02-11 18:55:13 | Weblog
 ハイデッガーのすごいところは、くまなく自分を提示しているところだろう。
「有と時(存在と時間)」には、小説を読むようなおもしろさがあり、読書の悦楽がある。この本で、ハイデッガーは、こう言っている。
「新しい時代だって? テクノロジーの、非人間的な、ただ『進むから進む』だけの進化にのっかって、せかせかと生産、商売にはげむおまえたち。いくらおまえたちが生き生きと人生を生きているツラをしていても、おまえたちに根源的な意味はない。なぜ人間はあるのか? そもそもそれがわからなければ何が意義のあることなのかわかるわけないだろう? 俺は立ち止まるぞ。俺だけは立ち止まる。そうして、おまえたちに、時代遅れだ、陰気だと言われながら、俺は考え抜く。本当の生の意味を。それだけが本当の行為だ!」
 このメッセージは、「偉大さ」にあこがれる若者のストレートなメッセージであり、あまりに人間的である。
「出版されるやいなや、哲学界に深刻な影響を与えた」と、どの翻訳書の解説にも必ず書いてあるが、そんなもってまわった言い方をしなくても、学者たちは、ただこう言えばよかったろう。
「うおーっ。全面的にあんたに賛成だ。ハイデッガーっ!」と。
 ショーペンハウアーの言葉に倣えば、「商売として大学で哲学を教えているやつら」は、おおかた、いったい自分が学問に奉仕しているのか、国に奉仕しているのか、家族に奉仕しているのか、それとも自分は実生活ではなんの役にも立たないガラクタなのか、自信が持てなかった。そこにハイデッガーが出てきて、自分たちの目的、学者としての存在理由をはっきりさせてくれたのだ(これは、ニーチェのいう「あらかじめ想定されたのでなければ存在しなかった真理」だが)。
「そうだ。俺はそのために学者であったのだーっ。これが、俺の言いたくて言えなかったことなのだー」
 そういうメッセージは、真の芸術になら必ず聞かれるものであるが、彼らはそれが「学問的」に叙述されていることが、またとても気に入ったのだ。
 しかし、こういう仕事は誰にでもできるものではない。
 信奉者たちは、自分の素直な感動をナマでは表現できないプライドの持ち主なので(だから学者になったわけだが)、この感動をこねくりまわし、原著よりも何倍も難解な「ハイデッガー論」を書くことで、とりあえず「なにかやること」を見つけた。

「ニーチェ」の冒頭を読むと、しかし、ちょっと不安になる。ハイデッガーは、ジャーナリスティックな面を持っている。なぜなら、彼は基本的に作家だからだ。私には、ニーチェが、「力(権力)への意志」を自分の到達点と考えていたとは、まったく思えない。なぜなら、ニーチェも真の作家であり、その点では、ハイデッガーよりも偉大な作家であり、そうであれば、その著作における「私」は、つねに一人称ではあるが、物語の複数の登場人物であり、ということは、登場人物のすべてがつねにひとつの主張を繰り返す物語はありえないからだ。
「ツァラトゥストラ」にしても、ツァラトゥストラが、つねに周囲から見て自分は何者であるかを意識しているのは、この書物が、宗教書でも思想の体系を述べたものでもなく、創作だからだ。
 ニーチェにはゲーテと同様のバランス感覚がありすぎて、ひとつの思想の説教者にはなれない。
ニーチェの場合、創作の雰囲気を作り出す風景や、プロットとしての恋愛事件などが欠如した物語を書く作家なのだ。
 なぜそれが欠如してしまったのか。
 それは、彼がいつも、感覚に酔うよりも、倫理・道徳のことを考えていたからだ。コリン・ウィルソンの言葉を借りれば、ニーチェには「天才が持ってよい健全なうぬぼれ」が少ない。それは、道徳的に自分に厳しいからで、なぜそうなのかといえば、彼は聖職者の息子だからだ。おそらくオイディプスコンプレックスも含めて、彼は父親に対し罪の意識を強く感じていたはずだ。感じたからこそ、自分の、詩人となるべき感受性を殺し、有能な秀才ぶりを世間に認めさせるために文献学の教授になどなったのだ。
「父ちゃん、俺は道を外れることは外れたけど、有能は有能なんだよ。詩人のような道楽者ではないよ」と、言うために。
 結局、爆発は起こってしまったが。
 ニーチェが若いうちに、もっとうぬぼれを抱き、家出少年にでもなれていたら、それこそ彼が望んでいたような詩人に、もっと早くなれたことだろう。
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生活と意見 (第53回)

2007-02-04 17:55:24 | Weblog
2月4日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

私の住んでいる町には、古本屋が2軒あります。
以前は4軒あったのですが、この7年で半分になりました。
2軒目がつぶれたのは、まだ去年のこと。
「いやー、売れない。ちょっと前まで、定期的にまとめて買ってくれる人もいたんだけどね。その人もすごく年をとっちゃって、最近こないんだよ」
と、ご主人が私に話してくれたことがあります(閉店の日、ジェイムズ・ジョイス伝・上下巻を1000円という激安価格で売っていただき、ありがとうございました)。

残る2つのうち、1軒は、まあなんというか、リサイクル的というか、コンビニで売っているマンガの単行本(ぽい本)や、最近出たばかりの文庫などが置いてある店。こちらはたまにしか行きません。
もう1軒は、マンガも多いけど、廃刊になった旺文社文庫や現代教養文庫のコーナーもあって、いいものにはそれなりの値段が付いている店(マニアにしてみれば、自分が「価値がある」とわかっている本がそれなりの値段になっているかどうかで、その店が本当に古本屋をやる気があるのかどうかがわかります)。
毎週、土曜日曜にこの店をのぞくのは、私の楽しみのひとつです。

しかし、ここのところ、あまりほしい本がなく、入って、ぐるりと回って出てくる、というパターンで終わることも多かったのですが、昨日は久しぶりに収穫がありました。河出のグリーン版世界文学全集の「ラーマーヤナ」(阿部知二訳)が100円で出ていたのです。この本のことは、20年以上前から、「ユリシーズ」(旧訳)巻末のシリーズ紹介ページで知っていました。阿部知二といえば、旧岩波文庫「白鯨」の訳などで知られる英文学者。その人がインドの古典であるラーマーヤナを訳している、というのは、本好きにとっては、どういう経緯でなにをテキストに訳したのかと考えるだけで、ちょっとわくわくするような事実でした。しかし、少なくとも神保町と高田馬場の古本屋については途切れることなく歩いている私も、現物を目にしたことはこれまでなかったのです。

しかも、帯まで付いていて、そこには、この本を昭和四十年代の日本で出版することがいかに意義あることか、といったような版元の心意気が語られた文章が載っています。「売ろう」として書かれたおおげさなコピーではなく、訳者がどれだけこの仕事に打ち込んだか、この訳書を待望していた人がどれくらいいるか、などについて誠実に語られた文章です。私は、このような、当時の出版のレベルの高さを感じさせる文章を読むことが大好きなのです。帰ってから、まずは、訳者のあとがきを読みました。そこには、私が、知りたいと思っていたことに答えるかのように、この本を翻訳することになった経緯が詳述してありました。初めはまったく興味がなかったこと。戦時中、虚無的になっていた自分には、無関係な書物に思えたこと。しかし、あるとき、この物語が、神々でさえ人間の力を借りて問題を解決しようとする、ヒューマニズムの書物に思えたこと、もしそれが自分の勝手な解釈でも、自分はそう信じてこれを訳すことで、人間への信頼を取り戻せるかもしれないと思ったことなど、それ自体がひとつの私小説になっているような文章でした。
 
 たぶん、この本は、部屋の中で、あと2年くらいは発酵させることになるでしょう。そうして、ある日突然「そういや、阿部知二訳のラーマーヤナ、持ってたな」と思い出して探し、見つかったら読み始める。「イリアス」や「オデュッセイア」も、たしかそうやって読んだように思います。

 今週は、ノートから、ソクラテスと、その弟子と、その弟子の弟子について書いた文を写してみます。

では、また来週。
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ノートから

2007-02-04 17:53:05 | Weblog
ソクラテスは、わりとふつうの人だった。
彼は、国家を馬に例え、自分を馬の尻を刺すアブに例えたが、ソクラテスにとっては、世間がさしてなんの哲学も持たずに存続していくのは当然のことであり、自分がアウトサイダーなのは了解ずみのことだった。
だからこそ、死刑の判決を受けたからには、それを受け入れるのが当然と考えたわけだ。「世間は哲学も真理も持っていない。つまり誰も善悪とは何か知らない。だが、誰もがそれを知っているかのように振る舞い、その人たちが私を悪と認め、死刑を宣告した。だからとりあえず死のう」というのである。『パイドン』では、「なぜ死ぬことが楽しみなのか」が感動的に述べられるが、ソクラテスがそれを信じていたかどうかはわからない。死を受け入れたこと自体が大いなる皮肉のようにとれなくもない。
 その師の言行を原稿に置き換えたプラトンは、おそらく最初は、ソクラテス(=アイドル)の姿を自分のためにとどめておこうと対話編を書いたことだろう。しかし、なんでも「メタ」になっていくわけで、そのうちには、書いている内容に足をとられて思想を生み出してしまった。
 これをまともに受けた、かたぶつアリストテレスは、世間での成功者になるより、「真理の王者」になるほうがかっこいいように思われたので、学問を打ち立ててしまった。
 彼がいかに浮世離れしているかは、『ニコマコス倫理学』において、「アガトン」(最高善)を知る人間は、観照生活を送る人間だという結論を出しているのを見てもわかる。
 これは、まったく変人の人生論ではないか。
 為政者や実業家はこんなやつのやっている学問を重視する必要はないはずである。むしろ、ソクラテス同様死刑にしたほうが、国としては矛盾がなかったろう。
しかし、アリストテレスは、実務にも長けていたようで、うまく金持ちに取り入って、マケドニア王の息子であるアレキサンダー大王の家庭教師まで勤めている。
痛快なのは、この教え子が、観照生活を最高とする先生について学びながら、およそ正反対な行為=世界征服に出かけたということだ。
史上まれに見る英雄も、担任の教師(アリストテレス)から見れば、その評価は、私の大学時代の成績表のごとく「G」か、せいぜい「F」だったことだろう。その意味は、こうだ。
「不可不可不可不可。いや、不可どころじゃない。『非』だ。このやろー」
 
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