9月24日
謹訳「源氏物語」一巻読了。すごくいいですね。先週書いた「距離感」は単純に主語があるからだと思いました。いま、ほとんど同時期に「日本文学全集」から新訳が出ています。立ち読みした解説か何かのところに「簡潔な訳」というようなことが書いてありましたが、それはたぶん、謹訳が長いことへの批判でしょう。でも、「簡潔」にこだわるなら、与謝野訳で十分な気もします。――登場人物たちの行動の悠長さを現代語に置き換えて表すと、これぐらいの長さになるのが当然ではないか。北山に病気治療に訪れた光源氏を迎えに来た頭中将兄弟たちが、ただ自然がきれいで珍しい場所だというだけで即興のコンサートを始めてしまう……こんなのんきな展開、現代庶民の生活でありえませんよね。それがリアルに伝わってくるのは、この訳のなかで、そんな行動に見合ったゆったりした時間が流れているからに違いありません。それでいい、という感じがすごくします。おそらく謹訳は外国語に訳されるのにも適しているでしょう。これが外国語になっていくつかの注釈がつくなら、それを別の国の人が読んでも原作の雰囲気を日本人と同じぐらいに感じとることができるでしょう。そういう、世界のスタンダードになることを訳者は視野に入れていると思います。
謹訳「源氏物語」一巻読了。すごくいいですね。先週書いた「距離感」は単純に主語があるからだと思いました。いま、ほとんど同時期に「日本文学全集」から新訳が出ています。立ち読みした解説か何かのところに「簡潔な訳」というようなことが書いてありましたが、それはたぶん、謹訳が長いことへの批判でしょう。でも、「簡潔」にこだわるなら、与謝野訳で十分な気もします。――登場人物たちの行動の悠長さを現代語に置き換えて表すと、これぐらいの長さになるのが当然ではないか。北山に病気治療に訪れた光源氏を迎えに来た頭中将兄弟たちが、ただ自然がきれいで珍しい場所だというだけで即興のコンサートを始めてしまう……こんなのんきな展開、現代庶民の生活でありえませんよね。それがリアルに伝わってくるのは、この訳のなかで、そんな行動に見合ったゆったりした時間が流れているからに違いありません。それでいい、という感じがすごくします。おそらく謹訳は外国語に訳されるのにも適しているでしょう。これが外国語になっていくつかの注釈がつくなら、それを別の国の人が読んでも原作の雰囲気を日本人と同じぐらいに感じとることができるでしょう。そういう、世界のスタンダードになることを訳者は視野に入れていると思います。