麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第582回)

2017-09-24 23:39:10 | Weblog
9月24日

謹訳「源氏物語」一巻読了。すごくいいですね。先週書いた「距離感」は単純に主語があるからだと思いました。いま、ほとんど同時期に「日本文学全集」から新訳が出ています。立ち読みした解説か何かのところに「簡潔な訳」というようなことが書いてありましたが、それはたぶん、謹訳が長いことへの批判でしょう。でも、「簡潔」にこだわるなら、与謝野訳で十分な気もします。――登場人物たちの行動の悠長さを現代語に置き換えて表すと、これぐらいの長さになるのが当然ではないか。北山に病気治療に訪れた光源氏を迎えに来た頭中将兄弟たちが、ただ自然がきれいで珍しい場所だというだけで即興のコンサートを始めてしまう……こんなのんきな展開、現代庶民の生活でありえませんよね。それがリアルに伝わってくるのは、この訳のなかで、そんな行動に見合ったゆったりした時間が流れているからに違いありません。それでいい、という感じがすごくします。おそらく謹訳は外国語に訳されるのにも適しているでしょう。これが外国語になっていくつかの注釈がつくなら、それを別の国の人が読んでも原作の雰囲気を日本人と同じぐらいに感じとることができるでしょう。そういう、世界のスタンダードになることを訳者は視野に入れていると思います。
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生活と意見 (第581回)

2017-09-18 23:01:27 | Weblog
9月18日

「もう秋か。」と思ったら、いきなり“地獄の季節”がぶり返しましたね。
うんざり。心底うんざり。

「マハーバーラタ インド千一夜物語」(光文社新書)を読みました。
16のエピソード集ですが、半分はまだ読んだことがない物語でした。すごくよかったです。

祥伝社文庫から「謹訳 源氏物語」が出始めました。単行本の時、一巻だけ買って、結局物語に入っていけずにやめたような記憶があるのですが、今回はすんなり入れました。なるほど、こういうやり方があったか、という感じ。私は「雲隠」までを谷崎訳で読み、そのあとは与謝野訳で読んだのですが(大塚訳も途中まで読みました)、印象はまるで違いますね。登場人物がいまいる場所、いま、物語の中心で動いたり話したりしている人の周りで、その他の登場人物はなにをしているのか。そんなディテールは、謹訳が一番よくわかります。でも、光源氏と読者(私)の距離感がちょっとありすぎる。谷崎訳で読んだときは、もう、すぐ目の前に光源氏がいるような、息遣いが感じられるような読書だったのに。といっても、谷崎源氏が読めたのは、私にまだ比較的時間があったころの話。時間の余裕は、注意深く読むための必須条件です。谷崎源氏を通勤電車で読むことはできません。しかし、謹訳ならそれができる。やはり、これは画期的なことだと思います。
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生活と意見 (第580回)

2017-09-10 21:41:07 | Weblog
9月10日

「暗夜行路」読了。2回目。

「儒教」ほぼ読了。これを読んで「春秋左氏伝」がちょっと気になって、前から持っているビギナーズクラシックス版を少し読みました。パロディとしては、自分の中学時代の教科書の落書きにどういう意味があったのか、注釈をつけていけば面白いかなと思いました。いくつかの創作ができるはず。しかし、とりかかるだけの時間と体力はどこにもありません。

ひさしぶりに「詩経・小雅」を少し読み進めました。
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生活と意見 (第579回)

2017-09-03 21:15:05 | Weblog
9月3日

講談社学術文庫の「儒教」を半分読みました。
若いころから孔子についていろいろ読んだのに、なぜキリストやブッダやソクラテスほどには興味を持てなかったのか。その理由が本書を読むとよくわかります。

ふと考えましたが、この町にきて17年たちました。
いまから同じ時間が経過するころには死んでいるはず。
まあ、もう少しですね。
このバカバカしいあがきも。

どこかでまったく同じようなフレーズを書いたかもしれません。お許しを。
いつも同じことしか考えていないので。
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