麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第48回)

2006-12-30 10:45:08 | Weblog
12月30日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

さわやかに晴れていますね、東京は。

なぜ、こんなおだやかな顔を持つことができるのに
世界は生き物という緊張状態を生み出す必要があったんでしょうか。

あわただしく性交した結果、血まみれで生まれてきて
自分だけを大事にし他人を恨み
ねちねち復讐しながらうわべの関係を続けて
くたびれて癒しを求め
元気を取り戻したら
また復讐に出かける。

緊張状態なので、それを保たねばならず
ゆるんで原子に還元することは死ぬことなので
緊張を保てるように水と食料を
確保するため
あわただしくすごす。
そうして、あわただしく性交して、あわただしがる子どもを生む。

さわやかに晴れていますね。

緊張状態がほどけることを
還元されることを
気にもかけない世界は
まるで自分の子どもを「知らねー」と
うそぶく親のように
今日は、在りますね。

よいお年を。

では、また来週。
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生活と意見 (第47回)

2006-12-24 03:30:22 | Weblog
12月24日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

続けて読んでくれた方が、どれだけいらっしゃるかわかりませんが、「風景をまきとる人」は、今回で最終回を迎えました。

 私は、いまでもこの作品を持ち歩き、ときどき読み返します。
 何十万部と出版されるプロの作家たちの作品に比べて、完成度も、描写の才能もたしかに劣っていると感じます。
 けれども、私はやっぱり、この作品が好きです。この本に書いたことは、「どうしても書いておきたかったこと」ばかりだから。以前書いたように、私は全てからすたこらさっさと逃げてきた人間ですが、この本を書くことからは、この本を正直に書くことからは、この本を与えられた猶予の中でせいいっぱいの完成度に仕上げることからは逃げませんでした。自分の限界も丸出しにし、自分の幼い考えも、それがいまの自分にまだかけらでも残っていて毎日の生活に影響しているものなら、恥ずかしげもなく書きました。自分をいくつかの人格に分け、どれに肩入れすることなく、やりとりをながめました。そうして、自分の本音に耳を傾けました。また、自分の中にある、雰囲気、そのつどそのつど違う世界の雰囲気をなるべくたくさん放り込みたいと工夫しました。全編が同じAmのコードにはならないように。人物設定でも、コードCの人間にもA♭の瞬間が何度もあることを、さらに急にEに転調することもあることを忘れないように気をつけました。なぜなら、不協和音と転調を繰り返すのが現実の世界だから。Gという性格の輪郭づけをされた登場人物はソシレでしか発言も行動もしないというような物語は私は書きたくないし、嘘だと思うからです。

「世界のしくみ」の始まる前夜、展示作業を終えたとき、宮島氏が言いました。
「なんか、恥ずかしいですね。自分の才能はこれしかないって言い切っているようなもんですからね。全部見せてますからね」
 宮島氏の才能が「世界のしくみ」のようなものだけだとは、私はぜんぜん思いません。しかし、彼の気持ちは、痛いほどわかりました。私も、「風景をまきとる人」の本を手にしたとき、そう感じたから。
 その本を持って、30店くらいでしょうか、本屋をまわりました。取次ぎさんから取り寄せてもらい、店頭においてもらうためです。以前、雑誌の責任者であったとき、自分の雑誌の営業ならやったことがあります。そのときは、記事の中から売れそうな要素をアピールすればよく、目的とやり方ははっきりしていて迷いはありませんでした。
 でも、自分の本となると、事情はまったく違う。いったい、私は本屋さんになにを買ってほしいといっているのかといえば、「私」なのです。付録も何もない、売れる保証もない、どこの馬の骨ともわからない「私自身」なのです。
 最初の何店かは、本当に恥ずかしくて仕方ありませんでした。けれども、そのうち、快感に変わってきました。「これが私です。どうか買ってください」。これ以上シンプルな営業はありえないですよね。でも、私は、結局は前からそうしたかったこと、自分の芸を売る以外やりたいことはないのだということをはっきり知りました。これでいいのだと思いました。

 書き上げたのは2004年の3月だから、もうすぐ3年になります。来年には、なにか新しいものを作れればいいな、と思っています。無理かもしれませんが……。

 こんなこと、オヤジがいうのもなんですが、メリークリスマス。

 では、また来週。
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生活と意見 (第46回)

2006-12-17 17:09:47 | Weblog
12月17日


 立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

「世界のしくみ」に来てくださった方々、本当にありがとうございました。
1週間という短い開催期間で、午後1時から7時という、かなり自由になりにくいと思われる時間の中、予想以上に多くの方に見ていただいて、宮島氏も私も驚きです。
 小さい催しですが、2人とも、今年はこのために仕事をこなしてきたようなもの。それがなんとか形になって、なおかつ多くの人に見ていただけてよかったです。

 これから、展示物を片付けにいってきます。

 今週は、前から書いてみたいと思っていた「ピアニスト」という創作を頭だけ読んでいただこうかと思います。ストーリーはまったくなく、長くなるか短いまま終わるかもわかりません。よければ、ちらと読んでみてください。

 最近は、そのときそのときのことを書いた文章がほとんどありませんが、これはなによりも、日銭稼ぎの仕事が忙しいからです。
 年が明けて、2月ころになったら、以前のペースを取り戻して、思いつきの感想文なども書いていこうと思います。
 もちろん、「友だち」も進めていきます。

 よろしくお願いします。

 では、また来週。
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ピアニスト (第1回・不定期連載)

2006-12-17 17:00:04 | Weblog
 ……ピアニストは、椅子を引き、腰かけた。
 ゆっくり腰かけるイメージを頭の中では描いていたが、尻を椅子の板の上に沈める瞬間、焦りを感じ、動作が速くなってしまった。それは、ピアニストが恐れを感じたからだった。彼にはそのことがはっきりわかっていた。
 どんな恐れか。つまり、自分は椅子に座れないのではないかという恐れだ。椅子に座るには、椅子が存在しなければならない。しかし、彼は、彼の尻の下で、椅子がどこかへ滑り出してしまうかもしれない可能性を思いやった。これは比ゆだ。これは、いま表現した言葉が想像させるような、たとえば、椅子を誰かが押して椅子の位置が変わってしまう、というようなことではない。本当には、椅子の存在が消えることである。椅子という存在は、別の存在に対して「それは空気ではない。それはピアノではない、それはドアではない、それはドアノブではない、それは私ではない」というところで、椅子という存在であるわけだが、彼にはいま、その椅子が、どこを境界線として椅子であるのかが、わからなくなりそうだったのだ。だから、椅子の存在がいまにも消えてしまうのではないかとおそれたのだ。しかし、このことは、彼が椅子に座ろうとした動機がどういうものであるのかを明かしている。もし、彼が疲れて自分の体を足で支えておけなくなったのなら、彼は椅子の存在を意識もしないでその上に腰かけることができたろう。それこそがふだん現実と呼ばれるものであり、そうやって腰かけた椅子は、椅子と意識されないことで、鼻血の出そうなほどの存在充実を持つからだ。しかし、彼はいま、そのような動機から椅子に腰かけたわけではなかったのだ。では、その動機とはなにか。それは、彼が「僕は椅子に腰かける」という文を成立させたいと願った、そのことである。彼は、「僕は椅子に腰かける」という文を成立させることで、休息したかったのだ。
                        (第2回に続く)
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生活と意見 (第45回)

2006-12-10 02:08:54 | Weblog
12月10日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

この1週間、「友だち」(第4回)の出来のひどさが気になってしかたなかったのですが、めしを食うための仕事があまりにいそがしくて、どうしようもありませんでした。

今日、改稿してみたので、また頭から読んでみてください。
よろしくお願いします。

さて、いよいよ月曜日から「世界のしくみ」が始まります。
見に来ていただけたらうれしいです。

http://www.placem.com/j/schedule.html

場所をひと言でいえば、新宿御苑の大木戸門のすぐ近くで、新宿通りから一本御苑側に入った通りにあります。

5分でも、ふだんの生活とはまったく別のリズムのひとときを持ってもらえれば、と宮島氏とふたりで思っています。

先週も書きましたが、おそらく紀伊国屋書店本店のどこかに案内はがきがあると思います。また、下北沢のヴィレッジヴァンガード下北沢店にもはがきがあります。見てみてください。

「風景をまきとる人」も、あと2回となりました。
作中の最後と同様、クリスマスイヴに終わる予定です。

「世界のしくみ」の会場では、文庫本「風景をまきとる人」を販売しています。
よかったら、買って読んでみてください。ブログに載せたものと文章は同じですが、本のほうは編集者の方が表記の統一と校正をしてくださったので、はるかに読みやすくなっています。

「友だち」の続きは、来週載せようと思っています。

それでは、また来週。
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生活と意見 (第44回)

2006-12-03 03:37:04 | Weblog
12月3日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

今日は、ひさしぶりに、「友だち」の続きを読んでいただこうと思います。
第4回ということになりますが、もはや、1~3までをどなたも覚えてらっしゃらないと思うので、1~3も同時に載せます。読んでみてください。

まったく荒削りのままなのですが、くたくたになりましたので、今日はほかのことは書く余裕がありません。

あ、でも、11日からは、「世界のしくみ」が始まります。
たった1週間しかないので、よろしくお願いします。
いちおう、新宿の紀伊国屋書店本店に、案内のはがきを100枚あずけてきました。
店員の方が、「全階に聞いてみます」といってくれたので、どこかには置いてあると思います。見てみてください。
 また、本多劇場前のヴィレッジヴァンガード下北沢店にもはがきが置いてありますので、探してみてください。加えて、こちらでは、文庫本「風景をまきとる人」も20冊仕入れてくださいました。もしよかったら、買って読んでみてください。
 
 では、また来週。
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