麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第8回)

2006-03-25 15:12:24 | Weblog
3月25日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

今週は、『風景をまきとる人』(第8回)とあわせて、3年くらい前に書いた『リポビタンD 2/3』を読んでいただこうと思います。

先週、2カ月ぶりに、ヴィレッジヴァンガード下北沢店に行ってみました。『風景をまきとる人』(ぶんりき文庫・彩図社・780円+税)、あと7冊になりました。もしよければ、お買い求めいただいて、本の形で読んでいただければ、大変うれしいです。

今日は、これから三鷹に行く予定です。親しいカメラマンのM氏と打ち合わせをするためです。いま、彼の撮った写真に文章を組み合わせて何か新しいものができないか、とぼんやり考えていて、そのままだとふたりともぼんやりしたまま今年もまたやり過ごしそうなので、そうならないように具体的に考える時間を持とうではないか、ということになったのです。しかし、時は春。どうなりますことやら。

それでは、また来週。
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リポビタンD 2/3 (短編7)

2006-03-25 15:10:46 | 創作

 さっきまでとても暗い気持ちだったが、リポビタンDを3分の2飲んで風呂に入ると、まわったらしく、別の考えが浮かんできたのだった。自分がインタビューをされているような気分で頭の中でひとり言を言うクセが昔からあるが、ヒゲを剃っているとふと「あなたはどういうときが幸せなのか?」と質問された。「町をぶらぶらしているとき」と、すぐに答えが出た。「たとえば新宿のような街。銀座とかはよく知らないのでダメです。新宿のように道を熟知していて、いま自分がどこそこにいるということをまったく意識しないでも正確にわかっていて、それで頭の中ではいつものようなわけのわからないことを――たとえばハイデッガーの顔は高血圧っぽいというような――生活に何の関係もないようなことを考えながらぶらぶらする。そうして腹が減ったら、桂花に行き――桂花が嫌いな人もいるのはよくわかりますが私は好きなのです――その桂花も三丁目のところがいいのですが――そこで体を気遣うフリをして『完全食』をたいらげ、そのあとで三丁目駅地下のルノアールへ行ってコーヒーを飲みながらタバコを吸う――これはもう宇宙一の幸せものというところですね」「アミューズメントスポットがあなたはお嫌いなようだが?」「ええ嫌いです。――ここで楽しめ、オラ! どうだ楽しいか? オラ! ――そういわれているみたいで、まるで無理して勉強しているような気分になってしまう。すぐ帰りたくなるんですよ。この感じは、私の場合、あの、『休め!』といわれて左足を前に出す、あの命令と同じ感じがします。というのも、私は運動会の行進練習などが大嫌いで、それ以上にその練習の途中で、『その場で座ってしばらく休め』といわれたりするのが大嫌いでした。ここで休んでいても、マンガを描くこともおやつを食べることも音楽を聴くこともできないのに、なにが『休め』なんだ? こんなんで休むより続けて練習して早く終えて、こうやって先生たちがあてはめている、この枠そのものから解放してくれよ。――それが私の気持ちでした。いつでも、どんな場所でも、いやになったら自由に立ち去りたい――幼稚園のころから、私はそう考えていました。友だちなんかといっしょにいても、そこにいっしょにいることを『義務』にしようとする奴が出てくると、即座に何もいわずに私はその場を立ち去ったものです――それは、他人の書いたものの中では、あの『地下室の手記』で初めて同じ感覚を読みましたが――そんなとき、私はただ、『自分が好きなときに立ち去れること』を自分に証明するためだけに立ち去るのです――しかし、このような態度が、『大人にならなければ』と考えてしまう一時期――それを過ぎればまたそんなことは考えなくなるのですが――には、いけないことだと思え、とくに恋愛の場などですと、私はどんなにうまくいっているときも、ふいに立ち去りたくなるのですが、そう感じれば感じるほど『それではいけないのだ』と考えていっしょにいるようにしてしまったものです。それを、私がとても執着している証拠だと取り、しつこいとさえ感じた女性もいたことでしょう。しかし私の頭の中はいつも反対で、そうして反対を押し切ってそうすることでとても疲れてしまうのです……」
 リポビタンDの効果が少し薄れてきたのを私は感じた。すでに少し暗いほうに頭が向かっていたから。3分の2ではこんなものだろう。150円だし。しかし、全部飲むといまだに鼻血が出るので飲めないのだ。ユンケルはそんなことはない。きっと栄養ドリンクにも相性があるのだ。
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生活と意見 (第7回)

2006-03-18 18:41:06 | Weblog
3月18日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

 今週は、先週の続きで、長編『風景をまきとる人』(第7回)とあわせて、掌編集を読んでいただこうと思います。
 ここに書かれているのは、もちろんただの物語ですが、実生活でも私には、子供のころから夢と現実が区別できなくなることがとても多くあって、いまでも、こうしている自分が、小学校3年5組の学級新聞を書いている自分の、マジックインキの揮発性のにおいの中にいるだけで、ある日学級新聞を書いている自分以降の自分はそのマジックインキのにおいとともに消え去り、3年生の自分の不思議な思い出となって頭をかすめるのではないか……そんな気がしたりもするのです。

 病院に電話するのは、待ってください。

 あなたも、きっとそうでしょう?

 
なんだか、「世にも奇妙な物語」のタモリ氏みたいになってきましたね。

 では、また来週。
 
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短編 (6-2)

2006-03-18 18:38:02 | 創作

画用紙の夜


 ある夜、僕は部屋の中で、革表紙の厚い本を読んでいた。それはメシアのことについて書かれた本だったが官能的だった。
 メシアは犠牲者となって人間を救おうとしたのだが、彼はそうすることで犠牲者になりたいという私欲を満たしたので誰も救われなかった。
 僕は本を窓ガラスめがけて放り投げた。
 ガラスは、いかにもガラスが破れる時のような音を立てて破れた。
 僕は立ち上がった。
 すると、下の方からからだが溶けて、ダリの絵みたいに、あるいはちび黒サンボの虎のバターのようにカーペットに積もってゆく。
 ふにゃふにゃになりながら窓の方へ行き、破れていない側の窓を開けると、夜が遠くにいるふりをしていた。
 そこで、僕は正体を暴こうと、右手をつき出した。
 バリ! と音を立て、画用紙の夜は破れた。僕は右手で向こう側をつかんだ。
 なんだかふにゃふにゃしているな、と思ってふと見ると、いつのまにか僕のまわりは僕の下半身と同化していて、僕は黄色いふにゃふにゃの混とんの中で、右腕に破れた画用紙の夜をはめたまま、今やこちら側となった向こう側をにぎりしめているのだった。



ほんとうにあったこと


 ある夜、部屋でぼおっとしていると、突然、自分が神さまであることがわかった。
 koisso calbo, koisso shue………………。
 と、わけのわからない言葉を口にしながら、僕は外へかけ出した。
 一歩玄関から足を踏み出したとたん、バサバサバサというものすごい音とともに夜空が落ちてきた。
「きゃあ!」
 と叫んだ瞬間、僕の頭は向こう側へつきぬけていた。――そんな場面がどうして頭の中に浮かんだのかわからないまま、四歳の僕は、聖母幼稚園に向かって歩いていた。
「今、僕はたしかにオトナの人だったのに」
 と思ったが、やがて幼稚園に着き、おともだちのノリヨシくんとマンガの話をしているうちに、そのことは忘れた。



酒宴


 T大学病院前の道を、僕は一人で歩いていた。夜中の三時である。
 闇は獣のように生き生きしていた。
 ビルがビルにささやきかけていた。
「こんなマネをいつまで続ければいいのか」
 夜はこう言った。
「昼は不潔である」
 天上からは酒盛りをしているらしい神々のにぎやかな声が聞こえた。
「どうして僕を仲間はずれにするのか。僕は人間の仲間ではないのに」
 僕はそう叫んだ。
「たしかにお前は人間ではない。が、われわれの仲間でもない。お前も酒のサカナにすぎん」
 天は答えた。



風景をまきとる人


 夜道の散歩は気持ちがいい。
 特に、水銀灯の冷たい光の中に、作りもののような桜の花びらが浮き立って見える、春の並木道なら最高だ。
 その道の途中には、いったいどこまで伸びているのかわからないくらいに高い赤レンガ造りの病院がある。
 月は三日月がいい。
 空は群青色がいい。
 もちろん、自分以外には誰もいない。
 理想的な風景にするなら、道はずっと向こうまでまっすぐに続き、その彼方の中空にはドッジボールくらいの大きさの惑星が浮かんで見えているべきだ。
 そして、その惑星が、生物の死滅してしまった地球であるならなおすばらしい。
 核分裂よりも大きなエネルギーを持った快感が僕をバラバラにしてくれることだろう。
 ――夢の中で、僕は、そんな風景の中を歩いていた。
 歌が自然に飛び出す。
 他に音をたてるものは何もないので、僕の歌声は宇宙中に響く。
 夜の壁がびりびりとふるえる。
(ということは、夜はくもりガラスなのか?)
その音が、僕の傷ついた鼓膜をつらくしたので、今度は口笛を吹いた。
すると、夜が、ぴーんと張りつめるのが感じられた。
(ということは、夜はセロハンなのか?)
病院の建て物を右手に見ながら、僕が新しい曲を吹き始めようとした時、後の方でカサコソ音がした。
ふりむいてみたが誰もいない。
僕は再び前へ進もうとした。
すると、やはり後でカサコソ音がする。
が、すぐにふりむくと、どうせまた逃げられると思ったので、今度は心の中で、
「僕はふりむかない」
 と呟きながら、ゆっくりふりむいた。
 そのとたん、
「ひきょうもの!」
 と、すごく大きな声が宇宙中に響いた。
 その声の主は、僕の背後の風景を、絨毯をまくように、きれいに巻きとっている大きな人だった。
「見られたからには生かしておけぬ」
 大きな人はそう言うと、風景といっしょに僕をまきとり始めた。
 ペラペラになってまきとられてゆく僕の目に風景はとてもおもしろく見える。



増築


 王はたくさんのドレイを使って、ペニスの増築をさせた。
 もっともむずかしい作業は、神経を一本一本、石ヅチで鍛えて伸ばすことだった。
 王はその作業のあいだ中、大声でわめきまくり、乾いた空にヒビを入れた。
「バベルのチンポ」
 と、民衆は言った。
「王は乱心か」
 とメロスは言った。
 王の名はカリギュラ。精神的な王であった。
 やがて王のペニスは月を突いた。
「あっぱれ、あっぱれ」
 民衆はどよめいた。
 しかし、カリギュラは、静かの海を亀頭でまさぐりながら、
「猿ども。女と性交することしか知らぬ猿め。私は天とまぐわるのである。天幕の外側に射精して宇宙を白濁させるのだ。そして、それは他でもない、お前たち不幸な猿のためにやるのだ」
 と射精しそうになるのをおさえて叫んだ。



偉い人


 むかし、ある村に、一人のキチガイがいた。
 頭は完全にいかれていたが、人に害を与える気遣いはなかったので、人々は男を放っておいた。
 この男は、他人に会うと、
「俺はとても偉い人だから、そのうちに鳳凰がお迎えにやってきてくれるにちがいない」
 と言うのが口ぐせだった。
 人々はこれを聞いて笑っていたが、ある夜、本当に鳳凰が舞いおりてきて、男を連れていった。
 この光景を見た者たちは皆、
「ほお」
 と言って怪しんだが、いったい男のどこが偉かったのか誰にもわからなかった。
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生活と意見 (第6回)

2006-03-11 15:06:40 | Weblog
3月11日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

今日は、長編『風景をまきとる人』第6回と同時に、二十歳前後に書いていた掌編を読んでいただこうと思います。学生時代、そのいくつかを、一度だけ加わった同人誌に載せました。
『風景をまきとる人』は、もともとこの掌編の中のひとつのお話だったのです。

 当時、これらを読んでくれた女の人ふたりが、感想をくれたのをいまでも覚えています。
 ひとりは、友だちの奥さんで、そのころ妊娠中でしたが、こう言ってくれました。
「すごくよかったよ。私が、子供のころに言いたくていえなかったことをいってもらった感じなの」
 ほかのどんな表現よりもうれしく、体が震えました。その言葉が忘れられないまま、長編『風景をまきとる人』の中でも足田久美のせりふとして使わせてもらいました。
 もうひとりの人は、
「麻里布さんの書くものは、ネルヴァルに似ていますね」
といってくれました。
 いまでは、マルセル・プルーストの先駆者として日本でも著名であり、私自身も『シルヴィ』や『オーレリア』は、愛読書のひとつになっていますが、恥ずかしいことに当時、私はネルヴァルを知らず、
「ネルヴァル? メルヴィルじゃなくて?」
などといってしまいました。
 (それより前、やはり私の書いたものを「稲垣足穂に似ている」と、友人に言われたときも、私はイナガキタルホを知らなかったのです。)
 そんなふうに言われたら気になるもので、すぐに図書館で調べてみましたが、ネルヴァルは、最後は発狂して首をくくって死んだ作家だということがわかりました。いまなら光栄に感じる余裕もあるのですが、当時の私は、持病の耳鳴りが始まった時期でもあり、自分でもやばいと思うときがあって、「なんでこんな不吉な作家に似ているなどと言われなきゃいけないんだ」と、本気で思ったものです。

 
☆先々週でしょうか。高田馬場の芳林堂さんへ行ってきました。
『風景をまきとる人』(ぶんりき文庫・彩図社・780円)、置いてあります。
 おそらく、ヴィレッジ・ヴァンガード下北沢店にもまだあると思います。
 よろしくお願いします。

 ではまた来週。
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大きな人 (短編6-1)

2006-03-11 15:00:25 | 創作
大きな人


 僕はキチガイになりそうだった。
 つまり、風景の一部をつまんで裏返しにできそうな気分だった。
 夏の真昼。
 僕は街へ出かけた。乾いた歩道を歩き、四つ角へ出た。交差点の信号は赤だった。僕は立ち止まって煙草を吸った。
 すると頭の上から大きな灰の固まりが、ぼこんと落ちてきた。
 驚いて見上げると、非常に大きな人が立っていて、僕のほうを見下ろしながらうまそうに煙草を吸っていた。



月を支える人


 ある夜、街を散歩していると、「うそくさい三つ角」と僕が呼んでいる場所で、風景の端っこが女のドレスのすそみたいにヒラヒラめくれていた。
 おもしろそうなので、そこから風景の裏側へ入ってみると、つっかえ棒のついたベニヤ板の山のうしろで、大きな人が三日月を両手で支えていた。
「星はどうしたのです?」
 とたずねると、
「非番だ」と大きな人は言った。
 僕はしばらくそこにいたが、飽きてきたので外へ出た。すると、出たところは僕の部屋の押入れの中だったので、僕は洗いたてのシーツに顔を二、三回こすりつけてから、そのままねむってしまった。



今のはまちがい


 春の宵、僕は縁側で、いそがしく動きまわる蟻を踏み殺していた。すると僕の鼻先を、すうっと秋が通りすぎた。
「たった一秒の秋」と、僕がジョジョー詩人のように呟くと、体半分馬である神さまが天からかけおりてきて、
「今のはまちがい。今のはまちがい」
と言った。
「わかってる。わかってる」
と僕が言うと、
「それではどうも」
 とだけ言い残し、神さまは再び疾風のごとく春の天に昇っていった。



わすれていたこと


 はて、今夜は何か重要なことをわすれているような気がするのだが……。
 僕は腕組みをし、背中を138階建てのビルにもたせかけながらそう考えていた。
 すると、いきなりビルが後ろへ倒れた。
 びっくりした、びっくりした、びっくりした、と、一秒のあいだに僕は三回も叫んだ。
 僕は、夜の建物は押せば倒れるということを忘れていたのである。

                             (短編6-2に続く)
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生活と意見 (第5回)

2006-03-04 23:43:49 | Weblog
3月4日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

今日は、私の好きな本について少し書こうと思います。

私の現在の蔵書は約2000冊。
これは、ピーク時の半分ほどの量であり、ここ数年の間になんとか現在の冊数まで減らしてみた、といった感じです。
そのほとんどは、文学と哲学(私は一応「哲学科」の卒業生です)の本ですが、私の場合とくに顕著なのは、8割が海外文学・哲学の翻訳本であることです。
受験生のころは日本文学科志望で、松尾芭蕉の研究をしたいと思っていましたが、前にも少し書いたように、教養課程で2回留年している間に、徐々に興味が哲学のほうに移っていったのです。

こんなふうに、ちょっと偏っているコレクションですが、もちろん、日本文学も好きなものは昔から変わらず好きです。その一部は、拙作『風景をまきとる人』でもエピソードとして出てくるのですが、中でも、名前は超有名なのにいまでは誰も読まなくなった(教科書以外では)と思われる文学者に石川啄木がいます。
啄木は、小説家になりたいと思いながら果たせず、その無念さを書きなぐった短歌で世に認められるという皮肉な成功の仕方をしました。
 私が若かったころは、いまよりもっと啄木の作品はたくさん出版されていて、小説『雲は天才である』なども文庫で読めました。しかし、啄木の小説は、私のように「散文ならどんなに苦労してでも一応読む」という態度をとろうと決めている者でもちょっとしんどい。読者として、実に退屈なのです。
 ところが、短歌となると、もちろんこの人は天才であり、一瞬で読む者の胸を抉っていきます。
 この落差はやはり資質の問題なのでしょう。漱石が俳句のような短い形式で言い切るのに向かず、散文を書いて文豪になるしかなかったのとまったく逆に、啄木は自分のすべてをたった三行で言い切れたから、小説家になれなかったのだと思います。
 私は、詩や和歌や俳句などは気取っているように感じられてほとんど読みませんが(とくに現代詩など手に取るのもゴメンです。一行も理解できません)、啄木の短歌は、『ルバイヤート』と並び、一年に何回かは読み返さずにいられません。今日は、なんとなく、その石川啄木の短歌をここに書き写したいと考えて、ここまでの前振りを作りました。たぶん、啄木の中でもそれほど引用されることのない作品だと思いますが、あらためて読んでみてください。もちろん、私も書き写しながら、もう一度味わうつもりです。

何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
汽車を下りしに
ゆくところなし

何がなしに
さびしくなれば出てあるく男となりて
三月にもなれり

浅草の夜のにぎわひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心

一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと

人といふ人のこころに
一人づつ囚人がゐて
うめくかなしさ

死にたくてならぬ時あり
はばかりに人目を避けて
怖き顔する

人みなが家を持つてふかなしみよ
墓に入るごとく
かへりて眠る

そうれみろ
あの人も子をこしらへたと
何か気の済む心地にて寝る

「石川はふびんなやつだ。」
ときにかう自分で言ひて
かなしみてみる

何故かうかとなさけなくなり
弱い心を何度も叱り
金かりに行く

何となく
自分を嘘のかたまりの如く思ひて
目をばつぶれる

こころよく
我にはたらく仕事あれ
それをし遂げて死なむと思ふ


 ☆
啄木のすばらしさを教えてくれたのは、広島の予備校時代に知り合った女性で、作中人物・足田久美の高校時代のエピソードは、彼女の本当のエピソードです。
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遠足 (短編5)

2006-03-04 23:41:34 | 創作
「遠足の日の朝って、いつもくもりだ」
 と、一郎は思った。
 幼稚園のときもそうだった。
 小学校に上がってから一回目の、春の遠足のときもそうだった。そして、二回目の今日も。
「どっちかなあ」
 灰色の雲にすっかり埋められた空を見上げて一郎はつぶやいた。
「あるのかなあ、ないのかなあ」
 晴れれば今日は紅葉を見に、お城山へ行くのだ。
 一郎はおなかが痛くなってきた。いつでもそうだった。遠足の日の朝は、いつもくもっていて、あるのかないのか考えているといつもおなかが痛くなった。
 一郎は窓を閉めて、枕元のリュックサックのところへ行った。ポパイの絵がプリントしてあるブルーのリュックサックだ。一回目の遠足の前の日、母親とデパートに行き、30分もあれこれ迷った末に買ったリュックサックだ。「もう絶対に変えないぞ」と思って買ったのだったが、なんとなくいまは、「これにするんじゃなかった」と思っているリュックサックだ。
 昨夜、寝る前に、母親と中のものを確認して一つ一つていねいに入れた。一郎が入れるとごちゃごちゃになって全部入りきらないのに、母親が入れると、まだ頭がすっぽり入りそうなほどのすき間ができた。一郎はそんな母親を見ると、まるで手品を見ているような気がした。
 リュックサックを開けてはみたのだが、中のものを取り出すのは気が引けた。せっかく昨夜から、遠足に持ってゆかれるために準備していたリュックサックの気持ちをむだにするような気がしたのだ。
 一郎はおやつのことを考えた。三百円以内で買ってくるように、と林先生は言った。一郎は一時間もかけて、合計がちょうど三百円になるようにした。いつも決まった金額より多く買ってくる友だちもいたが、一郎は三百円ぴったりに買ってゆくほうが遠足にふさわしい気がしていた。
 明治の板チョコ、ロッテのジューシーフルーツ味のガム、カバヤのチューレット、すこんぶ、大塩するめ「かみかみ」、コリスのラムネ菓子(紫色のラムネの味が一郎は好きだった)、グリコのポッキー、カメヤのおせんべい二枚。
 そこまでは思い出したが、まだなにか買っていたような気がした。一郎は中を開けてみたい気がしたが、おやつは一番下に入っている。いまそれを確かめようとすると、中がめちゃくちゃになってしまう。そう思ってやめた。
「どうせ食べるときにわかるだろ」
 と考えて、あとの楽しみにした。
 一郎はリュックサックの口を閉めてパジャマのままそれを背負った。
「だだだだだだだ。キィーン」
 鉄人二十八号のつもりになって部屋を出た。
 居間では、父親が七時のニュースを見ていた。
「おとうさん、おはよう」
 一郎はそう言ってリュックを下ろすと、父親の横に座った。
 ついこの間まで、一郎は両親を「パパ」「ママ」と呼んでいたのだが、いまはなんとなく恥ずかしい気がしてそう呼べなくなっていた。
「一郎、雨が降るらしいぞ」
 父親が言った。
「ほんと?」
 一郎は心の中で「伊賀の影丸が見たいのになー」と思いながら言った。
「天気予報で言ったの?」
「ああ」
 父親はタバコを吸い始めた。
「じゃ、遠足、ないかなあ」
「どうかなあ」
父親は煙をゆっくり吐きながら、あまり関心がなさそうに言った。一郎は、こんなとき、いつも父親が冷たい人のような気がした。けれども一郎は、やがては自分も父親のような大人にならなければいけないのだから、自分のように、あまりなさけないことばかり考えるのはみっともないとも思っていた。
台所のほうから、卵焼きのいいにおいが漂ってくる。
けれども、くもった天気には、そのいいにおいも、もうひとつ似合っていないような気がする。
一郎は台所へ行った(父親は伊賀の影丸を見せてくれそうになかった)。
母親はプラスチックの、運動場のトラックのような形の弁当箱に、焼き上がったばかりの卵焼きを盛り付けていた。
「おかあさん、学校に電話して」
 一郎は言った。
「そうね。今日はないかもしれないわね」
「うん」
 一郎は、母親のそばに立って、色鮮やかなお弁当の中身を見た。これを遠足で食べられないのはひどく残念な気がした。

 天気予報ではお昼から雨だというので、遠足は中止になった。けれども授業はやらないらしい。遠足の集合時間だった十時に、リュックサックにお弁当を入れて、遠足に行くのと同じに登校してくれとのことだった。

 十時ちょっと前に「カッパさん」がむかえにきた。「カッパさん」は樫元つよしくんというのだが、「カッちゃん」からくずれていき、なんとなくカッパさんになったのだった。
 ふたりが昨夜見た「ウルトラQ」の話をしながら校門をくぐったとき、天気予報の「お昼から」は見事に外れて、もう降り始めた。
 教室には朝から蛍光灯がつけられていた。一郎はこんな雨の日に教室に蛍光灯がついているのが好きだった。雨の日にはいろいろなものがいつもと違って見えるのが好きだった。さっき、家で遠足がないと聞いたときはがっかりしたが、いまはもうそうでもなかった。
「今日はざんねんだったわね」
 林先生が言った。若い女の先生で、白いトレパンをはいていた。
「雨が降っているのでお城山には行けません。だから今日は教室の中で遠足をしましょう。机をうしろに下げてください」
「机をうしろに下げる」のも一郎は好きだった。教室が教室でなくなって、違うところのように見えるからだ。みんなが机を下げているあいだに、林先生は、緑と赤と黄色と、青と白と茶色のチョークを使って、黒板に、山と、おひさまと、空と川と木の絵を描いた。生徒たちはその絵の前で円陣を組んで座った。
 一郎はわくわくした。外は雨が降っているし、ここはお城山でもないのだが、本当に遠足にやってきたような気がした。一郎は、自分をこの教室を目的地にして遠足にやってきた人だと想像した。すると、まるで初めてこの教室に来たような気がしておもしろかった。

「はい。ここがお城山ですよ」
 林先生が、黒板の絵を指して言った。
「みんなでこれからお城山に登ります。はい、立って」
 生徒たちは立ち上がった。おおぜいで立ち上がるときの音がした。
「はい。では、しゅっぱーつ!」
 林先生はそう言うと、みんなの先頭に立って教室の中をぐるぐる回り始めた。ほかのクラスでも同じことをやっているらしく、おおぜいで教室を歩き回る音が廊下のほうからも聞こえてきた。
 一郎は先生たちのこの思いつきが、とてもすばらしいことに思えた。坂もなにもない教室の床を山道に見立てて登っていくのは、本当の山道を登っているのと同じように楽しかった。
 一郎は歩きながら、急にぱっと飛び上がった。うしろにいたカッパさんが、
「どうしたの?」
 と聞いた。一郎は言った。
「いまね、犬のウンチがあったんだ」
 カッパさんには一郎の言っていることがよくわからなかった。
「そんなもん、あるもんか」
 カッパさんは一郎をバカにして言った。一郎は心の中で「カッパさんはバカだ」と思った。
 一郎はときどきひとりで列を乱して、石や犬のウンチや小川やヘビを飛びこえながら歩いた。
「さあ、つきました」
 林先生がそう言ったとき、「ふしぎだな」と、一郎は思った。なぜなら一郎もいまちょうど頂上についたと感じていたからだった。

「しりとり遊びをしましょう」
 と、林先生が言った。みんなはまた、黒板の前に輪になって座っていた。
「最初に先生から言います。『はやし』。斉藤さん、『し』のつく言葉よ。いいわね」
 そのあとに続いて、しんぶんし、しりとり、りんご、ごりら、らくだ、だむ、むかで、でんわ、わたし、しんごうき、きつね、ねこ、こま、ときて一郎の番になった。一郎は、
「まり」
 と言った。「り」で終わる言葉をいえば、となりのカッパさんが困るからだ。
「り、り、り……」
 案の定、カッパさんは悩み始めた。
「りんご」
「もう出たよ、それは」
 一郎は冷たく言った。
「りりりりり、リトラ!」
 とカッパさんは言った。それは、「ウルトラQ」に出てきた怪獣の名前だ。
「なんですか、それは」
 林先生は聞いた。
「怪獣、怪獣、ゴメスとリトラ」
 誰かが歌うように言った。
「だめです。それではいけません」
 林先生は言った。しょうがないことだった。先生が知らないことは「ないこと」だったから。

 しりとり遊びが終わると、今度は、背中に指で言葉を書く遊びをやった。四列になって、一番後ろの人から一番前の人まで、早く言葉を伝えた列の勝ちだ。もちろん、間違っていたら失格だ。
 一問目の言葉は「つる」だった。
 一郎は左から二列目の前から六番目にいた。ちょうど真ん中あたりだ。
 やがて、後ろの女の子が、一郎の背中に言葉を書く番になった。女の子はちゃんと「つる」と書くつもりだった。
 ところが、目の前の一郎の背中はさっきから、くねくねくねくね動いて、少しもじっとしていない。
一郎はくすぐったがり屋だった。それも、かなりのくすぐったがり屋だった。それで、まだ女の子が指を触れてもいないのに、そのときのことを想像すると、くすぐったくてじっとしていられなかったのだ。
「きゃははははははは」
 女の子が背中に指を置いたとたん、一郎はニワトリみたいな奇声をあげた。
 林先生はびっくりした。そうして、
「吉田さん、ふざけてはいけません」
 と一郎を軽くしかった。
「だって先生、だって先生、だってだって……」
体をくらげのようにくねくねさせながら、一郎はいつまでも笑い続けた。
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