画用紙の夜
ある夜、僕は部屋の中で、革表紙の厚い本を読んでいた。それはメシアのことについて書かれた本だったが官能的だった。
メシアは犠牲者となって人間を救おうとしたのだが、彼はそうすることで犠牲者になりたいという私欲を満たしたので誰も救われなかった。
僕は本を窓ガラスめがけて放り投げた。
ガラスは、いかにもガラスが破れる時のような音を立てて破れた。
僕は立ち上がった。
すると、下の方からからだが溶けて、ダリの絵みたいに、あるいはちび黒サンボの虎のバターのようにカーペットに積もってゆく。
ふにゃふにゃになりながら窓の方へ行き、破れていない側の窓を開けると、夜が遠くにいるふりをしていた。
そこで、僕は正体を暴こうと、右手をつき出した。
バリ! と音を立て、画用紙の夜は破れた。僕は右手で向こう側をつかんだ。
なんだかふにゃふにゃしているな、と思ってふと見ると、いつのまにか僕のまわりは僕の下半身と同化していて、僕は黄色いふにゃふにゃの混とんの中で、右腕に破れた画用紙の夜をはめたまま、今やこちら側となった向こう側をにぎりしめているのだった。
ほんとうにあったこと
ある夜、部屋でぼおっとしていると、突然、自分が神さまであることがわかった。
koisso calbo, koisso shue………………。
と、わけのわからない言葉を口にしながら、僕は外へかけ出した。
一歩玄関から足を踏み出したとたん、バサバサバサというものすごい音とともに夜空が落ちてきた。
「きゃあ!」
と叫んだ瞬間、僕の頭は向こう側へつきぬけていた。――そんな場面がどうして頭の中に浮かんだのかわからないまま、四歳の僕は、聖母幼稚園に向かって歩いていた。
「今、僕はたしかにオトナの人だったのに」
と思ったが、やがて幼稚園に着き、おともだちのノリヨシくんとマンガの話をしているうちに、そのことは忘れた。
酒宴
T大学病院前の道を、僕は一人で歩いていた。夜中の三時である。
闇は獣のように生き生きしていた。
ビルがビルにささやきかけていた。
「こんなマネをいつまで続ければいいのか」
夜はこう言った。
「昼は不潔である」
天上からは酒盛りをしているらしい神々のにぎやかな声が聞こえた。
「どうして僕を仲間はずれにするのか。僕は人間の仲間ではないのに」
僕はそう叫んだ。
「たしかにお前は人間ではない。が、われわれの仲間でもない。お前も酒のサカナにすぎん」
天は答えた。
風景をまきとる人
夜道の散歩は気持ちがいい。
特に、水銀灯の冷たい光の中に、作りもののような桜の花びらが浮き立って見える、春の並木道なら最高だ。
その道の途中には、いったいどこまで伸びているのかわからないくらいに高い赤レンガ造りの病院がある。
月は三日月がいい。
空は群青色がいい。
もちろん、自分以外には誰もいない。
理想的な風景にするなら、道はずっと向こうまでまっすぐに続き、その彼方の中空にはドッジボールくらいの大きさの惑星が浮かんで見えているべきだ。
そして、その惑星が、生物の死滅してしまった地球であるならなおすばらしい。
核分裂よりも大きなエネルギーを持った快感が僕をバラバラにしてくれることだろう。
――夢の中で、僕は、そんな風景の中を歩いていた。
歌が自然に飛び出す。
他に音をたてるものは何もないので、僕の歌声は宇宙中に響く。
夜の壁がびりびりとふるえる。
(ということは、夜はくもりガラスなのか?)
その音が、僕の傷ついた鼓膜をつらくしたので、今度は口笛を吹いた。
すると、夜が、ぴーんと張りつめるのが感じられた。
(ということは、夜はセロハンなのか?)
病院の建て物を右手に見ながら、僕が新しい曲を吹き始めようとした時、後の方でカサコソ音がした。
ふりむいてみたが誰もいない。
僕は再び前へ進もうとした。
すると、やはり後でカサコソ音がする。
が、すぐにふりむくと、どうせまた逃げられると思ったので、今度は心の中で、
「僕はふりむかない」
と呟きながら、ゆっくりふりむいた。
そのとたん、
「ひきょうもの!」
と、すごく大きな声が宇宙中に響いた。
その声の主は、僕の背後の風景を、絨毯をまくように、きれいに巻きとっている大きな人だった。
「見られたからには生かしておけぬ」
大きな人はそう言うと、風景といっしょに僕をまきとり始めた。
ペラペラになってまきとられてゆく僕の目に風景はとてもおもしろく見える。
増築
王はたくさんのドレイを使って、ペニスの増築をさせた。
もっともむずかしい作業は、神経を一本一本、石ヅチで鍛えて伸ばすことだった。
王はその作業のあいだ中、大声でわめきまくり、乾いた空にヒビを入れた。
「バベルのチンポ」
と、民衆は言った。
「王は乱心か」
とメロスは言った。
王の名はカリギュラ。精神的な王であった。
やがて王のペニスは月を突いた。
「あっぱれ、あっぱれ」
民衆はどよめいた。
しかし、カリギュラは、静かの海を亀頭でまさぐりながら、
「猿ども。女と性交することしか知らぬ猿め。私は天とまぐわるのである。天幕の外側に射精して宇宙を白濁させるのだ。そして、それは他でもない、お前たち不幸な猿のためにやるのだ」
と射精しそうになるのをおさえて叫んだ。
偉い人
むかし、ある村に、一人のキチガイがいた。
頭は完全にいかれていたが、人に害を与える気遣いはなかったので、人々は男を放っておいた。
この男は、他人に会うと、
「俺はとても偉い人だから、そのうちに鳳凰がお迎えにやってきてくれるにちがいない」
と言うのが口ぐせだった。
人々はこれを聞いて笑っていたが、ある夜、本当に鳳凰が舞いおりてきて、男を連れていった。
この光景を見た者たちは皆、
「ほお」
と言って怪しんだが、いったい男のどこが偉かったのか誰にもわからなかった。