8月7日
小沼訳「カラマーゾフ兄弟」(「の」はなし)をなんとなく読んでいます。以前にも書きましたが、若いころ5回は読んでいるので、ストーリーも場面もなじみ深い感じで、音楽を聴きなおしているような感覚です。いつ読むのをやめてもいいと思っています。
ポケットマスターピースにあったのかどうか忘れましたが、ドストエフスキーが「貧しき人々」について、「『これはマカール・ジェーヴシキンが語っているのであって、私が語っているのではない』というのに理解されない」と嘆いている言葉がありました。こんな本当の巨匠でさえ、そういう無理解に耐えなければならなかったなんて。それを聞けば、「『風景をまきとる人』は丸山浩二が語っているのであって、作者が語っているのではない、というのに理解されない」と、アマチュアぼんくら作家がいくらふんがいしても意味はないですね。――丸山は、おおざっぱに言えば、大学時代、隣の部屋に住んでいた政経学部の後輩をモデルとしていて、彼のお兄さんは本当に京大法学部を出て大学院に進み、法哲学が専門で、「判例タイムズ」にも論文を書いていました(その論文はまったく理解できませんでした)。一度お会いしたこともあります。――丸山はもともと文学部志望でもないし、小説家志望でもありません。芥川賞作家の方たちのようなすばらしい、においたつような美しい文章など書けるわけがありません。もちろん、作者自身が語ったとしても、才能という点では丸山と同レベルであるには違いありませんが。――誰に向けて何のためにこんなことを書くのかもよくわかりませんが、せっかく書いたのだから残しておこう、と思います。