麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第13回)

2006-04-29 10:53:14 | Weblog
4月29日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

しばらく前から、マルセル・プルーストのことを書きたいと思いながら、いったいなにから書いていけばいいのかわからずに、のばしのばしにしてきました。
プルーストについて語る人は、たいがいこのあたりで(つまり4行目あたりで)、「彼のような偉大な作家が」とか「20世紀の最高傑作」とか、「これは、『時間』というものの実態を」とか、そういう重々しい言葉を並べて、読むほうをうんざりさせてしまうのが常です。
そういったことを言わずに、「失われた時を求めて」について語り、まだ読んだことのない人に読む気を起こさせるにはどうすればいいのか。
それには、「この本の趣旨を述べることは一言ではとてもできない」などと、賢そうな、あるいは自己弁護的なことを言わないで、一言で言い切ってみることでしょう。

「失われた時を求めて」は、千一夜物語、つまりアラビアンナイトです。

語り手の「私」は、シェヘラザードであり、語られるのは冒険です。ただし、それは、真の冒険、つまり心の中の冒険です。

千一夜物語は、シェヘラザードの語る話が全体の99パーセントを占めますが、また、それを聞いている王と彼女にも物語があり、その王と彼女の話は千一夜物語の全体の「額縁」になっており、そのため額縁小説と呼ばれたりもします。

「失われた時を求めて」では、「私」の成長が、この「額縁」の役目を果たします。一人の人間の人生。それは、誰もがすんなり入って行くことのできる額縁でしょう。

千一夜物語に千一夜ぶんの短編小説が含まれながらも、読者には、「シェヘラザードは最後には殺されてしまうのか?」といった興味が、ずっと続いていくのと同様、「失われた時」では、「私」が目にし、耳にしたさまざまなことが語られていく――登場人物の誰かをそのつど主人公としながら――のですが、「私」の運命はどうなるのか、といった興味が、読み手にはインプットされており、その興味が読書の推進力になるのです。
もう少し言えば、「私」は、どちらかというと、才能のなさそうな人物――それは、プルースト自身から傲慢な自信(もちろん、こんな天才が傲慢でなかったはずはないので)を取り去った(あるいは取り去ったように見せた)人物です――に設定してあり、読者であるわれわれはやはり、自分には少しは才能があると思っているが、それほど自信もない、という場合が大半ですから、より彼の運命が自分の運命のようで常に気にかかるように作ってあるのです(たとえばそれは、『バカの壁』で自分がバカの部類には入らないと確認したがったり、『人は見た目が九割』で、自分の容姿はなんとか見られるほうに入ると確認したがったりする、そういう興味と同じです)。
もちろん30歳をはさむ3年間でこの小説を読みきった私も、「プルーストって謙虚な人だな」と、最初は「私」と作者を混同していて、そうだったからこそ、読み終えることができたのです。

 「失われた時を求めて」は、『「私」の人生』を額縁とする千一夜物語です。
 これが、第一の、この小説の素顔だと、私は考えます。

それでは、また来週。
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夜たちの墓場

2006-04-29 10:51:08 | Weblog


月と
星が
外出して
外泊している夜

暖炉のそばで
少年はおじいさんにたずねる
――ねえおじいさん、夜はどこへ行ってしまうの?

おじいさんは明日の天気の心配をしている
――どこにも行きはしないさ。夜は朝に変わるんだから

『夜』が耳を澄ましている

少年はもう一度
――ねえおじいさん、僕の言ってるのは朝のことじゃないよ。夜のことなんだ。僕が眠ったあとで夜がとこに行ってしまうのか知りたいんだよ

『夜』は耳をそばだてる

おじいさんは言う
――だから言ってるじゃないか。夜はどこにも行きやしない。おまえの眠ったあとで夜はだんだん明けていくんだよ

――ちがう!
少年は心の中でそう叫ぶ

おじいさんも先生と同じ。大人はみんな同んなじ。子どもの問いかけにまともに答えてはくれない。大人は子どもの問いかけを、いつも子どもが問いかけたのとはまるで違うものに作り変えて、勝手にそれに答えて安心しているだけ。問題はまったく解決されていないのに

――おやすみ
失望した少年はベッドへ向かう

――ああ、おやすみ
おじいさんは明日の天気の心配をしている
――明日雨が降ったら……

明日雨が降っても(それは雨の日になるだけだし)
晴れでも(それは晴れの日になるだけだし)
本当はどっちだっていいのだが
おじいさんはこうやって天気の心配をすることが大好きなのだ

少年は
悲しい気持ちのままベッドに入る

――今日こそ夜がどこへ行くのか、この目でたしかめるぞ
今夜もそう考えて、少しのあいだ目を開いているが
すぐにまぶたは重くなり
眠ってしまう

すると少年は夢の中にいた
夢の中で少年は夜を追っていた

さっき
夜が空からはがれて
ひらひらと飛び始めたので
少年は一目散に追いかけた

山を五つ越え
川を六つ渡ると
少年は
夜が向こうの谷に舞い降りるのを見た

少年は急いで崖っぷちへ行った

そこで少年は何を見たか?

それは
夜たちの墓場だった

今夜
昨夜
おとといの夜
…………
…………
少年の生まれた夜
…………
…………
おじいさんの生まれた夜
…………
…………
…………
…………
…………
…………
一番初めの夜

夜たちの美しいなきがらは
折り重なって
谷底を埋めつくし
それはまるで
黒い
ビロードの
マントの海のようだった

それは
少年の求めていた
本当の答えだった

――やっぱり……
そうつぶやいた少年は
うれしかったのだろうか?

……いや
夢の中の少年は
どうしてか
とても悲しかったのだ

その悲しさは
少年の父親が死んだときの悲しさとはちがい
母親が死んだときの悲しさともちがった

その証拠に
少年はいま
泣いてはいない

涙なんてものでは
とてもごまかしきれない
それは
もっと深い
もっと冷たい
もっと透き通った
もっとさみしい
悲しみだった

――こなければよかった
少年は思った

――おじいさん……
ふと口をついて出た言葉で
少年はおじいさんを思い出した

毎日
毎日
明日の天気のことばかりを考えている
おじいさん
いつもは
――なんてバカバカしいんだろう
と思う
そのおじいさんの姿が
いま
なぜか少年には
とてもあたたかく
ユーモラスで
幸せそうに
思い出された……

暖炉のそばで
おじいさんは
まだ明日の天気の心配をしている

少年はベッドの中で
楽しい夢を見ているのだろう
おだやかな顔で眠っている

「これでよかったのだ」
『夜』は
そうつぶやくと
ひとり
墓場へ行く身支度を
始めたのだった
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生活と意見 (第12回)

2006-04-22 14:49:34 | Weblog
4月22日

立ち寄ってくださってありがとうございます。

先週はちょっとつらいことが重なって、どうにもやりきれず、書きなぐってしまい、申し訳ありません。

基本的には、なにも好転していないし、プラス材料はなにもないのですが、私という個体を利用して自分の複製を作れるチャンスを狙っているDNAが、漠然と「生きるのはいいことだ」という気分に私をさせ、それでいまも生きているのだと思います。
まやかしですが、生きていること自体がそういうまやかしなのでしょうからしかたありません。

まだ、世界の意味について、いくつものロマンチックなおとぎ話を信じていたころは、どれだけ落ち込んでも、翌日にはその苦境もおとぎ話のディテールのひとつとして取り込んで、さらに世界をロマンチックなものに変えさせたものでした。必ずこの曲がりくねったストーリーには、行き着く先があり、それはハッピー・エンドに違いないのだという楽天的な気分が、いつもありました。
しかし、今の私には、そういう気分になれた原因が、ただ、若さ、つまりエネルギーにあったということがわかりすぎるほどわかっています。生まれたときの化学反応の余熱。その余熱がまだ十分残っているうちは、世界に意味を感じるのは簡単です。しかし、その熱が引いてきたら、自分の体が半分土(校舎の裏の冷たい土)であるのを感じてきたら、もはや、そう簡単にはいきません。

――ドン・キホーテになるのだ。
いつも結局は、そこにたどり着きます。
ドン・キホーテで一番泣ける部分は、以下の部分です。
気の狂ったドン・キホーテをある旅の男の集団が痛めつけ、笑います。
ドン・キホーテは、自分が世界を救おうと立ち上がったその決意、ドルシネーア・デル・トポーソという自分の思い姫の美しさ、そして自分がいかに真心から彼女に忠誠を誓ったかを語ります。
男たちは、その姫さまはどれくらい美しいのか、一度見せてくれよ、と笑いながら言います。見せてくれれば、俺たちだって、彼女を崇拝もしよう。そのとき、自分自身も彼女をちらと垣間見たことしかないドン・キホーテは答えます。
「見て愛するなら誰にでもできる。見ずに愛し、身命を捧げることこそ騎士である」と。
女の正体が、貞淑な美女でも、ただの浮気女でも、娼婦でも、「見ずに愛し身命を捧げる」のです。もし、世界が娼婦であっても、見ずに愛し、身命を捧げれば、まだ騎士として死ねる可能性は残っているのです。

なんとか、もう少し生き延びられそうです。

「いつも、おまえはそんな大げさなことを考えながら生きているのか?」

ええ、いつも。ウンコしているときもそうなんです。
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彼の青春 (短編11)

2006-04-22 14:47:39 | Weblog
 彼は美しくない青年だった。どれくらいそうかといえば、およそ下位五分の一に入るくらいだろう。少なくとも自分自身では、そう感じていた。
 だから、彼は自分には存在意義がないのだと感じていた。
 ――いったい、美しくない青年に生きる意味があるだろうか?
 この、若さという難所を越え、だらだらと生きていれば、彼にも少しの財力ができ、そうすれば使い道も出てくるかもしれない。
 女性はいい。若い女性は、たとえ美しくなくても、すでに自分のエネルギーの衰えを感じた中年や老年の男からすれば、つねに意味がある。
 もし、美しくない青年に意味があるとすれば、それは、父親の財力のおかげで「育ちがいい」「金持ちである」という場合だけだろう。
 貧しい家に生まれた美しくない青年に、いったいどんな意味があるというのか? なにもない。
 彼には、そのことがよくわかっていた。
 大学の教室に入っていくとき、クラスの女の子の目が、さっとこちらを向く。本能的に品定めをせずにはおけない若い彼女たちの目が、すぐに、「何の意味もない男」と、彼に対して答えを出し、そらされるのを彼は何度感じたことだろう。
 それは、電車やバスの中、サークルの部室などでも同じことだった。

 彼は自分の醜さを知っていたので、服装や髪型に気を使ったことが一度もなかった。
 第一、鏡を見るのが耐えられなかった。たかが髪を撫でつけようとするのさえ、「おまえはそんなどうしようもない容姿なのに、髪を撫でつけるのか」と、自分で自分を非難せずにはいられなかった。
 また、とうとう破れてしまった、何年も着古したシャツを買い換えようと、安物売りの店に入っていくだけで、「おまえは服を買うのか? そんな容姿のくせに」という思いがこみ上げてきて恥ずかしさで赤面し、結局何も見ることができずに出てくるのだった。

 彼は、当然、どんな女性とも触れ合ったことがなかった。大学時代、女性と会話をしたのは、一度きりだった。
 それは、ほとんど出向くことのなかったサークル(映画研究会)の部室でのことで、たまたまある女の子とふたりきりになったときだった。
 会話といっても、ただ彼はそのとき、自分の好きな古い映画について、聞かれるままにひとりごとを言っただけだった。
 その女の子は彼を映画に誘った。
 待ち合わせをして、ふたりは映画に行った。
 彼はまったく緊張などしなかった。というのも、彼は、彼女が自分に特別な好意を抱くなどということは、まったくありえないとわかっていたからだ。それが当然であり、そんな彼女に対して、もし自分がほんの少しでも彼女を特別に意識などしてしまったら、それはなにより彼女に悪いことをすることになる。そう思った。
 彼女はそのとき、恋人と別れたばかりで、そういうときの女の子がなりがちな、「誰でもいいから一緒にいたい」というような気持ちがあった。しかし、そこからまた、彼を好きになる可能性もゼロではなかったことだろう。
 古いラブストーリーだったので、女の子はなんとなく非日常的な気分になり、ほんの少し、隣の座席の彼のほうへ体を近づけてみた。
 とたんに彼は彼女をはねのけ、
「バカにしないでください」
 と言った。
 「誰でもいいと思っている気持ちがばれたかな」と、彼女は一瞬考えたが、そんなところまで、まだ自分のことを彼に話してはいないはずだ。
 彼は、彼女にからかわれたと思っていた。自分のような男に、異性が少しでも好意を持つわけがないというのは、彼にとって、三角形の内角の和は180度であるということと同じ定理だったから、そのうえで、彼女がこんなことをする理由は、自分の醜さをバカにし、からかっている以外ないと結論したからだ。彼はふいに席を立ち、映画館を出た。くやし涙がぽろぽろと出た。

 しばらくすると、彼女は、同じサークルの中に新しい恋人を見つけた。
 相手は美しいというほどではなかったが、上位三分の一くらいに入る容姿の男だった。
 ベッドの中で、彼女は、醜い青年とのことを恋人に話した。
「あいつは頭がおかしいよ」
 と、恋人は言った。そのひとことで、彼女の復讐心と自尊心は満たされた。

 青年は、ふたりが仲よくキャンパスを歩くのを見かけた。そうして安心し、心の中でこうつぶやいた。
 ――彼女がなぜあのとき僕をバカにしようと思ったのかはわからない。だが、それがきっと女性特有の残酷さというものなのだ。
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生活と意見 (第11回)

2006-04-15 22:21:22 | Weblog
急にあれですが、私には本当に、とくに生きている理由もないな、とつくづく思います。
なによりも、私には、四十六歳にして子供がいない。
世界が舞台なら、誰もが自分の遺伝子という役者を受け継ぎ、受け渡し、劇に参加していくわけですが、子供がいない人間というのは、「自分の代だけで、後の舞台には参加しない」ということであり、遺伝子的には自殺することだと思います。
だから、「生活と意見」といっても、私には本来、世の中に対しては、まったく意見などないのです。なぜなら、未来には参加しないので、未来などどうなろうと関係ないからです。(生まれてこない私の子供は、人類に貢献することもない代わりに、迷惑をかけることもありません)。実際のところ、政治にも経済にも、まったく興味がありません。これまで新聞を取ったこともありません。
こんなふうに、子供を持たないだろうな、とは中学のころ予感がありました。
もちろん、できてもおかしくないときもあったのですが、できればほしくないと思っていました。
それも簡単な理由で、私はこの資本主義社会では、とても不利な階層に生まれました。自分では損をしたと思っています。「努力すれば何でもできる」と言うのは簡単ですが、やはり、生まれたところの貧しさは、なにをするにも足かせになるのです。こんな不公平なところに生まれてきて、私は本当にいやでした。
そうして自分自身も現在、その生まれた階層のなお下のほうにいるわけですから、こんなところからスタートするとしたら、子供がかわいそうです。しかも、私が父親では、私は結局なにもやり遂げられなかったので、「人生はすばらしい」と、子供に言ってやることはできません。これでは、最悪でしょう。
これは、もう否定的見解というよりは、笑えるくらいの事実です。
資本をもっている方は、もちろん遺伝子を残すべきだし、その遺伝子で未来に参加するのだから、参加者としてこれから世の中がどうなるのかを考えるのは義務です。
しかし、私は考えません。
ただ、後ろ向きに、自分の過去のことだけを見つめ、一代限りの残り時間をやり過ごしたいと思います。

――要するに、今日の気分は最悪です。
ごめんなさい。
先日、ひとつ年上の知り合いが死んだと聞きました。最後は飯も食わず、死んで2日後に見つかったそうです。才能のあるライターで、業界の先輩でした。おしゃれで、無国籍風で、いつも飄々としていました。「プロのライターとはこんな感じか」とあこがれました。磨けば、私の三千倍くらいよいものが書けたでしょう。磨かなくても千倍はよかったから。
彼にも子供はありませんでした。
部屋で、故意に餓死していたという知り合いは、彼で二人目です。
神とかそういうものは、絶対にいない、と私は思います。
どういうおとぎ話をつくって自分に言い聞かせようが、
それはただ、そのひとが、自分が生きやすいように理屈と物語をでっち上げているだけで、この世界は考えうる限り最悪の世界、それ以外、今日の私には何も見えません。
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天文学の発達としての人生

2006-04-15 22:17:24 | Weblog
初めは誰もが唯一無二の天体である。
「父」「母」「兄弟」などという小衛星を抱えているにしても、この天体は宇宙の中心にすえられ、自分では動かない。
 やがて「交通」という望遠鏡により、彼は無数の天体が存在していることを知る。
 しかし、あいかわらず、彼は宇宙の中心にいるという感覚を失わない。
「これほど多くの天体がある中で、私が宇宙の中心であるこの不思議」を神に感謝したりして。
 彼の中では、他の天体がどのような軌道で活動するのかは自明のことだ。彼はそれを研究してみたし、そのことについて自分で見つけた「法則」を持っているから。
 しかし、やがて、どうしてもこの「法則」から外れてしまう天体の存在に彼は気づかずにいない。
 どうも、おかしい。「法則」が間違っているのだろうか? 
 彼の中で葛藤が始まる。
「法則」を捨てることは、自分が宇宙の中心にあるという安心感を捨てることであり、それはつまり、自分を失うことだ。
 彼はなかなかこれを認められない。
「法則」には「例外」としての註記が付け加えられていき、やがては「注記」の分量が「法則」の本文を超えてしまう。
 彼は「法則」を捨てなくてすむように、自分の「法則」を信奉してくれそうな人間を「友だち」と呼び、それ以外の人々を「馬鹿」と呼び、そうすることで「法則」を死守しようとする。
「馬鹿」を魔女裁判にかけ、ときには焼き払うことさえする。
 だが、そんな努力も、真実には勝てない。
 彼は自分と友だちの天体が、宇宙の、どこでもいい、どうでもいい場所に、ただ放り投げられて在るのを知る。
 若さの減退とともに「友だち」もつつましくなり、すべてを謎のまま放り出し、子どもを作ることに向かう。
 せめて子どもにとって自分が恒星であろうとして。

 彼はひとりで「辺境」の意識に身をゆだねる。
 ここは、宇宙の中心でもなければ、選ばれた太陽系でもない。
 無数の銀河の、無数の太陽系の「外れ」なのだ。
 
 自分を特別な星だと思ったころの自信も喜びもすべて消え失せた。
 選ばれていると思えばこそ時々感じられた、神の善意も、運命というドラマも、もう何もない。
 どこに行ってもどこでもない以上、彼はもう立ち上がることさえできない……立ち上がる動機も、幼児のころの天体図と一緒に失ってしまったので……。
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生活と意見 (第10回)

2006-04-08 21:11:58 | Weblog
4月8日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

強い風が吹いていますね。

やっぱりこの季節は、どこか「狂的」な感じがしますね。そういえば、このブログで読んでいただいている短編の、夢を材料に書いたもの、そのほとんどの元ネタは、二十歳ころの、こんな不安定な季節に見た夢だったような気がします。先週、少し思い出して書いた、あの元入院病棟だった部屋で、です。

というわけで、今週は、再び、夢を材料に書いた『尾行』を読んでいただこうと思います。『風景をまきとる人』(第10回)とあわせてどうぞ。

それでは、また来週。
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尾行 (短編9)

2006-04-08 21:01:19 | Weblog

 夜だ。
 群青色の空に黄色い三日月が鮮やかである。
 僕は、両側を背の高い板塀にはさまれた細い路地に立っている。道はずっと向こうまでまっすぐに伸びていて、闇に溶け込んでいる。
 僕は腕時計を見た。
 月明かりの中で、星型の腕時計の盤上を動いているのは一本の針である。
 針は、五分前を指している――ように思えた。
「急がなければ」
 と、僕は思う。僕にはこれからやらなければならないことがあるのだ。
 いまから五分後に、この道と交わる道を、ひとりの男が歩いてくるはずである。僕はその男を尾行しなければならない。
 そのためには、この道にたったひとつだけあるはずの四つ角へその男よりも先についていなければならない。
 僕は走り始めた。
 どこまでもついてくる三日月の嘲笑を腹立たしく思いながら。

 やがて、四つ角の目印である水銀灯が見えてきた。走るのをやめ、僕は再び腕時計を見た。二分前……。
 早歩きで僕は四つ角に向かう。
「間に合った」
 板塀の陰に隠れて、男がやってくるはずの道を覗いてみた僕は、そこに誰の姿もないのを確認してほっとため息をついた。

 男の姿はまだ見えない。
「それにしても」
 僕は考える。
「その男はいったいどんな人物なのだろう?」
 しかし、それは愚問だった。
 僕がその男を尾行するのは、義務であり、運命なのだ。運命は自分自身のことであっても、それを欲している意志は僕にはまるで関係がない。大事なことは義務を果たすことであり、それ以外いっさいはどうだっていいことだ。
「来る」
 腕時計をじっと見ていた僕は心の中でそう言った。
 板塀の陰に身を縮めて、僕はその瞬間を待った。

 驚いたことに、水銀灯の光の領域に最初に現れたのは、一頭のけだものの頭部だった。思わず声を上げそうになる。
 それは虎だった。黒と黄の縞の額の下に爛々と輝く目を持った猛虎……。
 僕は、いまにも虎が気づいてこちらへ襲いかかってくるのではないかと緊張で身震いした。が、幸いなことに、虎は僕に気づいた様子もなく、まっすぐ前をにらみ進んでいく。
 ほっとしている僕の目の前に「その男」は姿を見せた――。

 それは、僕自身だった。
 僕が尾行しなければならないのはもうひとりの僕だった……。
 僕は、もうひとりの僕が向こうの路地へ消えるのを息を殺して見送った。
「よし!」
 心の中でそうかけ声をかけ、音を立てないようにすばやく、板塀の陰からすべり出た。
「うわっ」
 今度は本当に僕は叫び声をあげた。そうせずにはいられなかった。
 どうしたことだろう? たしかにいま、向こうの路地へ歩いていったはずのもうひとりの僕の姿はかき消されたように失せてしまっていた。
 僕の目の前に広がっているのは、さっきと同じ、ずっと板塀の続く人っ子ひとりいない路地と群青色の空、三日月、それだけだった。
 自分が何度も同じことを繰り返す永遠の中に放り込まれたような気がして、呆然としている僕の背後に、もっと恐ろしい真実を知らせる、けだもののうなり声が聞こえた。
 僕はぎょっとして振り向いた。
 そこには、涎をしたたらせ、牙をむいた黄色いけだものを従えて、もうひとりの僕が、勝ち誇ったようにニヤニヤ笑いながら立っていたのだった。
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生活と意見 (第9回)

2006-04-01 21:14:18 | Weblog
4月1日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。


今日は、きっと、花見から戻られたという方も多いのでしょうね。
しかし、桜にとってはじゅうぶん暖かいのかもしれませんが、人間には、夜はまだちょっと寒いですね。

満19歳の春、上京してきたころのことを思い出します。
念願の大学生活が始まったというのに、なぜか心は暗く、アパート(というより下宿)は、昔病院の入院病棟だったのを改装したところで、心と同じように暗く、結局入学してほぼ1週間で大学に行かなくなった私は、その部屋の中でやたらタバコばかりふかしていました。いまでは、たんなるホームシックだったと笑って言えるわけですが、当時はなにかわけのわからない大きなものと戦っているような気がしていて、そうして、自分は大学生になりおおせたことで、それに負けそうになっているような気がして、しかし、ほかにできることもなにもなくて、それがいらだたしくて、ただタバコを吸っていました。
誰とも交際をしようとは思っていませんでしたが、やっぱり昔だからでしょうね。アパートの先輩たちは、3人いた新入生の中でもとくに私に目をつけて、かわいがってくれました。奥のトイレ(共同)の横の、昔蔵だった部屋に住んでいたのは、当時政経学部6年生(取得単位10単位)のIさんで、この人には、たくさんごはんをたべさせてもらいました。
 午後3時。起床した私が顔を洗っていると、後ろの戸ががらがらと開いて、やはり起床したばかりのIさんが出てきます。
「麻里布、腹減ったか?」
「あ、Iさん……はい」
「じゃあ、豆腐買ってきてくれたら飯食わせるぞ」
 というわけで、私とIさんは、彼の部屋(私の部屋の2倍くらいの広さがありました)で、『太陽にほえろ』の再放送を見ながらご飯を食べるのです。
 山さんの顔に緊張感がみなぎるようになったころ、血糖値もあがり、ふと、疑問がわいてきます。
「先輩……俺たち、これでいいんでしょうか」
「バカ。いいわけないだろ」
「先輩、俺はいまだに単位のことがよくわからないんですが、先輩のとった単位数で、このあと8年生までやって、卒業できるんですか」
「できるわけないだろ」
「じゃあ……」
その先を聞くのもむなしいので、いつものようにうやむやにして、私は食わせてもらったお礼に皿を洗うのです。
 そうして、登校をしない2人は、ひとりは古本屋街へ、ひとりはクラブのメンバーがたむろしている雀荘へでかけていきます。すぐに夕闇が訪れ、古本屋街へ行ったほうの男はなにかわけのわからない本を数冊買って戻ってくると、暗い部屋でそれを読み、なにも得るところがなくてまた不安になり、午前7時過ぎに眠くなるまで、大きなガラスの灰皿に、吸殻の山を築くのです。

今週は、童話ふうの短編、『にわとこの木』を読んでいただこうと思います。以前読んでいただいた『絵本』を書いたのと同じころ書いたものです。長編『風景をまきとる人』(第9回)とあわせて、どうぞ。

それでは、また来週。
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にわとこの木 (短編8)

2006-04-01 21:11:53 | 創作

「にわとこの木」
と、白い紙の右はしのところに書いてから、それを書いた絵本かきのおじいさんは、
「おや? わしはなぜこんな題名にしたのかな?」
と思いました。
 なぜなら、おじいさんは、それを書き出すまで、にわとこの木のことなど思い出しもしなかったし、だいたい、言葉だけ知っていても、にわとこの木がどんな木か知らなかったのです。
「しかし、知らず知らず書いていたが、こりゃなかなかいい題名じゃな」
と、おじいさんは思いました。
おじいさんは自分を芸術家だと思い続けていましたし、えらい芸術家は神様からひらめきをいただけると信じていたのです。
 それに、「にわとこの木」と紙に書いてから見ると、その文字がいつからかずっとその紙の上のいまの場所にあったような気がしてきました。
「ふーむ」
おじいさんはこの一行に満足したので、パイプに火をつけて一服しました。煙を吐くとむらさき色の煙と一緒にとてもいい香りが部屋いっぱいに広がりました。
「神様がわしにひらめきをくださったのだ」
 おいしそうにパイプをふかしながら、おじいさんは思いました。頭の中にこれから書き進められる「にわとこの木」のお話があれこれ浮かんできて愉快でした。
 けれども、そのうちおじいさんは、「にわとこの木」だけでは少しもの足りないな、と思いました。それで、なにげなく、「さびしいにわとこの木」と、「にわとこの木」の上に「さびしい」と書き足してみました。
 すると、おじいさんは急に、自分がもう長いあいだこの部屋にひとりで住んでいることを思い出して、本当にさびしくてしかたなくなりました。さっきまでまるでうかれて踊るようにパイプからのぼっていたうすむらさき色の煙までがいまはなんとなくさびしそうに漂っているのです。ずいぶん昔に死んでしまったおばあさんのことなどを思い出すと、おじいさんはもう少しでなきそうになりました。
「や、これではだめだ」
 おじいさんは「さびしいにわとこの木」の「さびしい」を消しゴムで消してしまいました。
 すると、またさっきと同じように愉快な気持ちが戻ってきたような気がしました。パイプの煙も元気をとりもどしたように見えました。
 おじいさんはほっとして、今度はまたなにげなく、「うれしいにわとこの木」と、「にわとこの木」の上に「うれしい」と書いてみました。すると、今度はさびしくはなりませんでしたけれど、なんだかそれでももの足りないような気持ちがし始めました。
 それで、今度は、
「しあわせなうれしいにわとこの木」
と、「うれしいにわとこの木」の上に「しあわせな」と書いてみました。
 けれども、どうしたことか、これでもまだもの足りないような気がしました。それで、また、
「たのしいしあわせなうれしいにわとこの木」
と、「しあわせなうれしいにわとこの木」の上に「たのしい」と書きました。
 そんなふうに、おじいさんは、何度も何度も題名を変えてゆきました。けれども、どうしてもあの、初めに「にわとこの木」と書いたときのしあわせな気持ちが戻ってこないのです。いえ、そればかりか、もの足りない感じはだんだん強くなっていくのです。
 おじいさんは、いまは、まるで鬼のような恐ろしい顔になってどんどんどんどん題名を変えてゆきました。すると、その、題名だけを書いた紙が100枚にもなりました。
「村のはずれの川のほとりの黄色い葉っぱの赤い花のバラの木のとなりのうつくしいやさしげなかわいそうなちいさなきれいな……たのしいしあわせなうれしいにわとこの木」
 おじいさんは、もう無我夢中で、気がついてみると、そんなにたくさんの言葉を100枚もの紙に書いていたのでした。
「だ、だめじゃ。どうしても、あの、初めのいい気持ちにはなれない!」
 鬼のような顔のおじいさんはそう悲鳴をあげました。
 いつのまにか机の上に放り出されたパイプの火は、とうに消えています。
「神様がわしにひらめきをくださったのに」
 そう叫ぶとおじいさんは机の上に伏せってしまいました。そして長いこと100枚の紙の中に顔をうずめてそのままでいました。
 けれども、おじいさんは、はっとなにかに気がついて顔を上げました。
「そうだ。わしが書き足したところを全部消してしまえば……」
 なぜそれに早く気がつかなかったのだろう、とひとりごとを言いながらおじいさんは、消しゴムでごしごしと100枚の紙に書かれた「にわとこの木」以外の言葉を消し始めました。本当はみんな捨ててしまえるとよかったのでしょうが、おじいさんには代わりの紙を買うお金がなかったのです。
 ごしごしごしごし、おじいさんはものすごい速さで文字を消してゆきます。消しゴムのかすが机の上に山のように積もりました。やがて99枚が全部もとの白い紙に戻り、最後におじいさんは「にわとこの木」までも消してしまわないようにと注意をしながら「しあわせなうれしい」を消してゆきました。
「よし、いいぞ!」
 元通りになった最初の紙を両手でかかげて、おじいさんは言いました。
「やあ、またこれでいい仕事ができる」
そう思いながら、おじいさんはその「にわとこの木」をしばらくのあいだ見つめていましたが、やがていきなり、紙が鉄にでもなったかのようにうでをおろすと、大きなため息をついてこうつぶやきました。
「にわとこの木? とんでもないもんくだ。なにひとつ思い浮かばない。つまらない言葉だ。こんな言葉を神様のくださったひらめきだなんて思ったとは。……わしはバカだ」
 そういうと、おじいさんは、初めにはあんなに愉快な気持ちを運んできたその紙をとうとう破ってしまいました。
「どうせわしはたいした芸術家ではない。しがないこどもむけの絵本かきだ」
 おじいさんはさびしそうにそうつぶやくと、机の上をそのままにして、いつもの酒場へと出かけてゆきました。

  ☆

 まずしい絵本作家の老人が翌日道端で凍え死んでいるのを、市場へ出かける途中のパン屋の女将さんが見つけました。
それは、よく晴れた冬の朝早くのことでした。
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