麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第551回)

2017-01-30 06:56:01 | Weblog
1月30日

万葉集はとてもゆっくりのペース。サリンジャーの初期作品を読んでいます。本当にすばらしい。そんなことを書いても意味はないけど、やはり、前にどこかで書いたように、サリンジャーの作品は「カラマーゾフ」の「少年たち」のクラソートキンの話をいつも思い出させます。ものすごい作家なのに、生涯4冊しか公刊しなかったこと、自分が行き詰っていく過程を正直に書き残したこと、どちらも偉大だと思います。なによりもいいと思うのは、初期の習作ですら作品のための作品にはなっていないこと。つまり文芸ではなく、文学であるところです。本当に必要な時だけ筆をとる、という姿勢はショーペンハウアーにも近いと思います。また、モンゴロイドから見れば風貌も似ているカミュにも近いでしょう。しかし、ずっとイエスだけを書き続け、「反抗的人間」にその結論を見たカミュと違い、サリンジャーはつねにイエスとマリアを自分の中に持とうとした。いったい男にそんなことができるのかどうか……。私のような無意味な人間が語ることではありません。――「ウエストのぜんぜんない1941年の若い女」は、公刊されたどの作品とも違い、官能的でとても新鮮に感じられました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活と意見 (第550回)

2017-01-22 23:10:03 | Weblog
1月22日

座って書く、というのが、まだちょっとしんどい感じです。たぶん、原因は老いだと思います。寒くて調子が悪い。それだけでしょう。――ずっと万葉集の世界にいるからでしょうか。突然アメリカ人の血が騒いで――純粋な日本人ですが――サリンジャーを読んでいました。「買っておけばいつか読むだろう」と思ってかなり前に格安で手に入れた東京白川書院版のサリンジャー作品集全6巻です。荒地出版版とは訳者も違い、本の体裁も違います(こちらはソフトカバー)。なにより、荒地版には入っていない「シーモア 序論(序章)」が入っていて、ライ麦と合わせると、これでサリンジャーの全集になるというのがいいところ。ナイン・ストーリーズやフラニー、ズ(ゾ)ーイーなどは、野崎訳に慣れ親しんでいるのでそのほうがいいとして、初期作品の2冊などは荒地版よりはるかに読みやすいです。第1巻の「若者たち」収録の短編を読んでいると、どうやって作者の頭の中にシーモアが形作られていったのか、その過程がちょっとわかるような気がします(最初に荒地版で読んだ二十歳のころは全部「古い話だな」としか感じませんでした)。そんなこんなでサリンジャー関連の蔵書(ライ麦はハードカバーと新書。また、野崎訳で文庫になっているものも、全部単行本でも持っていたりします)を本棚から出してながめていたのですが、柴田元幸訳のナイン・ストーリーズの奥付を見てびっくり。3年ぐらい前に出たと感じていたのに発行日は2009年3月です。なんと8年前……。ここからその感覚で8年経ったらもはや生きているかどうかわかりません。ほんとうにあと少しですね。それは毎日のように感じています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活と意見 (第549回)

2017-01-15 22:05:22 | Weblog
1月15日

まだ調子が悪くて、ちょっと弱っています。いちおう、口訳万(萬)葉集だけは上巻を終わり、下巻の第十一巻に入りました。また、昭和54年刊の講談社文庫のサキ短編集を300円で手に入れて少し読みました。とてもいい訳です。正直、新潮文庫の訳はときどき意味がとれないところもあって、あまりいいとは思いません(なぜ改訳版を出さないのか不思議ですね)。いまだと白水Uブックスから短編集が、たしか2冊出ていると思います。ちょっと高いので私は買っていませんが、新潮文庫で挫折した方は試してみる価値があると思います。内容薄くて申し訳ありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活と意見 (第548回)

2017-01-09 13:47:45 | Weblog
1月9日

体調激不良。万葉集第十巻半ば。情けない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活と意見 (第547回)

2017-01-02 18:15:33 | Weblog
1月2日

お知らせを見て、突然、原始人としての血が騒いだので、「世界遺産 ラスコー展 クロマニョン人が残した洞窟壁画」に行ってきました。ウゴ、ウゴ、と鼻息も荒く会場に入っていきましたが、場違いもいいところ。なんというか、こと絵画に関して、原始人も現代人も違いはなにもないですね。そう感じました。自分がよく知っているものたちを自分で正確に(細密にでなく、生きている雰囲気として正確に)描けるとそれが永遠の命を持ち始める。肉は食えば終わりだが、絵画は無限回、イメージを味わわせてくれる。すでに魔法ですよね。それを発見した人間の喜びが、まるで昨日描かれたもののように絵から直に伝わってくる展示でした。2月19日まで上野の国立科学博物館でやっています。

最近、自分が年なので、1000年とかが、あまり遠い昔という感じがしない。100歳のじじいが10人いて、それを縦に並べたら(意味不明)もう1000年でしょう? ラスコーの壁画は2万年前ということですが100歳のじじいが200人ですよ。万葉集は100歳のじじいが12~13人。たいしたことはないですよね。ヘーゲルが「歴史哲学」とかいっていますが(わが師ショーペンハウアーの教えに従って読んだことはないけど)、あと1万年経ったらそんな哲学、ただのお笑いですよ。あ…。――ボケ老人の寝言のような気がしてきました。このあたりで。

万葉集、第九巻途中。大伴家持=甘えん坊のクソ坊ちゃん。いい家に生まれて才能もあって女にモテて、よかったな、この野郎。そんな感じです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする