麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第21回)

2006-06-25 00:01:36 | Weblog
6月24日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。


とうとう、本当に夏が来ましたね。
賞味期限の切れたレトルトパックを温めるように、すでに死につつあるこの私を夏が温めたところで、まったく無益なわけですが……。
間違って、心だけ沸騰したとしても、体がついていかないので、なおむなしい。

ラジオ体操 帰ってきてからまた眠り

こんな句をなにかの雑誌の編集後記に書いたのは、20代のころ。いまではそう書いた自分をなつかしむ30代の自分をなつかしんでいる、といったような心境です。

今日、いつも食事をする中華料理屋で、隣のテーブルにいた60歳くらいの男の人が、連れの初老の女性ふたりに、なにかのうんちくを垂れていました。「本来なら……」「それが正しい道なんだよ」「いまはそういう時代になっているけど……」私の壊れた耳ではよく聞こえませんが、その人は語気荒くそんなセリフを吐き、男特有の「自分で自分の語気の荒さに興奮して、思ってもみなかったはっきりした自分を手に入れたような気分になる」といった状態に入っていったようです。女の人は、また、そういうとき女の人がとる態度として最も賢い態度――終わるまで黙って待つ。なぜなら、口を挟んでうんちくが長引けば食事がまずくなるから――をとり続けていました。
むなしい。なんというむなしい場面。また、なんという男のむなしさでしょう。自分に「生きていてもいい」と言うために、つねに理屈をこねあげていなければならないむなしさ。さらに、その理屈の根拠を自分ではなく、「社会とはそういうものだ」とか「世間が許さない」とか「大人としての責任が」とか、彼らがどこかにあるという絶対的正義(私はそれがどこにあるのか知りませんが)に置いて、結局発言の責任のがれをしているむなしさ。本能的に、そういう男のうんちくには価値がないことを知っている女に尊敬や愛情を求めるむなしさ。それでもその男の人が寝たきりになれば、大小便の世話はその女の人たちがするかもしれず、それでもなお男は大小便とともにうんちくを垂れ続け、女の人は物を扱う手際のよさで、それを処理するだろうむなしさ。そうして、やがて両者ともあとかたもなく消え去り、誰一人彼らを思い出すこともなくなるというむなしさ。

 それでも、いま、現実に夏が訪れ、まだ曇っていない意識を持っている年少の人々には、やがて強烈な思い出を残すかもしれない現在がここにいるという強烈な厚み。

――やっぱり、脳だけ無益にも加熱されてしまったようですね。

ラジオ体操 帰ってきたら血圧測定

 これがいまの私の句でしょうか。

 今週は、なんとなく6年前に書いた詩のようなものを読んでいただこうかと思います。書き出しの「こもよ」は、ご存知のように、万葉集の最初の歌の書き出しです。いまだに全体の三分の一しか読んでいませんが、死ぬまでには残りも読む予定です。

では、また来週。
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古典風

2006-06-24 23:59:46 | Weblog
こもよ。こもこもこもこ。私のあそこはおまえを見るともこもこだ。

さあ、おまえの欠損部分に俺の過剰部分を差し入れて生み出そう。

なにを?

世界を。

またか。股か。また書くのか。股掻くのか。いい気持ちになろうっちゅうのか。
そこ、下品。消して。

なにを?

世界のスイッチを。

もういいだろう。みんな満足してる。やる? やらない? うっそー。まじまじまじ。ひどーい。さいてー。やりてー。もう最高ッス。

日本語なんかいるかよ。こんなくそみたいな概念しかないのに。

そこ、じゃま。消えて。

なにが?

人間ども。

今日は、暖かかった。ということは冬か。季語を見つけなければ。たらちねの。しだりおの。はらわた凍る夜や下痢便。

なんだ。恥ずかしがっているのか。馬鹿者。もう何処にもいなくなった馬鹿者よ。
あああれだ。伝統にのっとれば、いとものぐるおしけれ。見つかった。

なにが?

書き出しが。それは精液と溶け合った押し入れの中の闇だ。
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生活と意見 (第20回)

2006-06-17 23:14:33 | Weblog
6月17日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

更新が遅くなってすみません。

どうも湿度が高くて不調です。
とくに、私の場合、それでなくても聞こえない耳がよけい聞こえなくなるので、気分がふさぎこんでしまいます。
22~23歳くらいのころでしょうか。耳鳴りが止まらなくなり、大学病院にいくと、「進行性難聴・原因不明」と言われました。「聴力は60歳並」とも。
それ以来、いくつか病院に行きましたが、「処置なし」としか言ってもらえず、耳鳴りは20年以上1秒も止みません。
「音を伝える神経が摩滅していてもう生えてこない」のだそうで、なぐさめの薬すらくれません。
まあ、といっても、耳鳴りには慣れたし(慣れるまでが大変でしたが)、ふだんは補聴器を使ったりしてなんとか補っていますが、今日のように湿度が高いと、ものすごく調子が悪くなってしまうのです(頭そのものがつんぼになった感じです)。

さて、夏前の不快な季節ではありますが、そんな時期だからこそ、読みたくなるジャンルの本があります。
怪奇小説です。
うれしいことに、創元推理文庫の「怪奇小説傑作集・全5巻」が、大きな活字になって刊行中です。このシリーズは、もう、ごちそうの山といいますか、ハズレがないといいますか、どれを読んでもすばらしい(最も好きなのは「炎天」という短編)。もちろん、同文庫には、私が言うまでもなく、ポオ全集も、ラヴクラフト全集も、MR.ジェイムズ全集もあり、どれもハズレなどあるはずはありません(エイブラハム・ストーカーの傑作「ドラキュラ」も、もちろん)。
同文庫は、西洋の怪奇物の宝庫ですが、怪奇小説といえば、中国も日本も忘れてはいけません。中国のものは、筑摩の旧文学大系や、教養文庫のアンソロジー、岡本綺堂や駒田信二先生(と呼ぶのは、学生時代授業を取っていたからです)編集のアンソロジーなどで主に読みましたが、やはりその白眉は、なんといっても「聊斎志異」でしょう。現在、岩波文庫から、全2冊で、抄訳が出ていますが、私は、角川文庫で完訳されたものを読みました(いまでも、90年ころに復刊になったものが、古本屋で手に入ると思います)。そうして、日本なら、これはもう「雨月物語」でしょう。一番こわいのは、「吉備津の釜」。「あけたるといいし夜は、いまだ暗く……」ひーっ。こわい。この短編はあまりに好きなので、何度も読むうちに、原文で読めるようになってしまったほどです。
現代の作家のものでは、遠藤周作「怪奇小説集」が好きです。高校生のとき、学校を自主休講すると、よく市立図書館に行っていましたが、繰り返し読んだのが、この本と「ボルヘス怪奇譚集」と「老子」です(「老子」は怪奇小説ではありませんが)。
――まったく別の話になりますが、私がこのブログに載せた掌編は、「ボルヘス怪奇譚集」の影響が最も強いと、最近自分で思いました。
そうだ。「怪奇小説傑作集」のロシア編には、ニコライ・ゴーゴリの「ヴィイ」も入っているはずです(旧版が部屋のどこかにはあるはずですが、どこかわかりません)。これも怖い。
――まったく別の話になりますが、ニコライ・ゴーゴリは、ものすごい天才だと思います。略歴とかを読むと、かなりの変人だったようですが、着想といい、語り口といい個性のかたまりで、しかもわかりやすく、どこまでも庶民的なのです。「外套」「鼻」「狂人日記」「肖像画」「死せる魂」等々代表作はいわずもがなですが、どこかで見かけたら「昔気質の地主たち」という短編を読んでみてください。「不治の病」「死」「誤解→和解」などという小道具をいっさい使わずに、もし人間の世界に「愛情」というものが言葉だけでなく、それに該当する概念が本当にあるのなら、それこそここに描かれているものがそうかもしれないと思えるすばらしい作品です。

長くなりました。

短編は「頭」(後編)です。

ではまた来週。
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頭 (短編18・後編)

2006-06-17 23:12:42 | Weblog

 夢を見ていた。
 夢の中で、僕は、現実と少しも違わない場所にいた。
 僕は、主人に髪を切ってもらっているところだった。
 気持ちが落ち着いて、のんびりしていた。
 主人は気のいい人で、ときどき僕に冗談を言った。世代の差を感じさせるような、あまりおもしろくもない冗談だったが、僕はいちいち大声をあげて笑っていた。
 すると、主人が急に黙りこんだ。僕が馬鹿みたいに大きな声で笑ったのが気にさわったのだろうか。
 僕は今度は、自分のほうから冗談を言い始めた。ところが、その冗談は気の利かないものばかりだった。主人のことをいい人だと思っているのに、なぜか主人を傷つけるようなことばかり言ってしまう。言ったあと、すぐに後悔するのだが、それでも言わずにいられない。一番いけなかったのは、
「ご主人の顔はネズミみたいですね」
 というひとことだった。
 僕はいってしまったあとで、自分はもう殺されても仕方がないと思った。全身から汗がふき出した。
 けれども主人は、
「そうですか」
 と言ったきりで、べつに怒っている様子もない。
「寛容な人だ」
 と思うとうれしさがこみ上げてくる。
「おい、ラジオをつけてみろ」
 主人が言った。
 奥さんの姿が、目の前の鏡の中を横切った。たしかに奥さんだと見えたが、思い出してみると、なにか人間ではないものだったような気もした。
「ミナサン。センソウハ、オワリマシタ」
 ラジオが、まるでロボットのような声で言った。
 そういえば、さっきから店の外がオレンジ色に明るく光っていた。あれは、地震で町が焼けていると思っていたのだが、そうか、戦争だったのか、と僕は思った。
 気がつくと、主人と奥さんとごま塩頭の男が、僕の目の前で棒立ちになって泣いていた。
「戦争なんてたいしたことじゃない」
 主人への暴言と同じように、そんなひとことを彼らに向かって言いそうになり、僕ははっとして口をつぐんだ。
 三人はまだ泣き続けている。奥さんだけが、ときどき僕のほうを横目で見る。そのたびに、僕は自分が責められているような息苦しさを感じる。
「さあ、それでは『日本語のヘンカク』の始まりです。この曲をどうぞ」
 ラジオが、底抜けに明るい声でそう言った。続いて、聞いたこともない奇妙な音楽が流れてきた。「日本語のヘンカク」と、どういう関係があるのかまるでわからない。おおぜいの人間が、好きなようにラッパを吹いているだけの、でたらめな曲だった。それを聞いていると、心が緊張して、胃が痛くなってきた。が、それは、本当は曲のせいではなくて、空腹のせいだということが僕にはわかっていた。
「空腹感と胃痛を混同しているな」
 心の中で僕はそう言った。

「お客さん、お客さん……」
 耳元で声がした。
 一瞬、最終電車に乗ったまま居眠りをして、とんでもないところまできてしまった、という錯覚を起こしたが、目を開けると同時にそれは消えた。
 目の前に縞模様の布が広がっている。
 整髪料のにおいが鼻をつく。
 そうだ、僕は散髪にきたんだ……。
「お客さん、お客さん」
 主人の声が、ようやく現実のものとして聞こえてきた。
「はい」
 僕は、そう答えて頭をあげた。まだ、寝ぼけているのだろう。頭がふらふらと揺れるような気がする。
「終わりましたよ」
 主人が言った。
「そうですか」
 僕は言った。
 眠る前までの出来事が、ぼんやりと頭の中に蘇ってきたが、記憶があいまいで夢との区別がつかなかった。
 おそらく、みんな夢だったのだろう、と僕は思った。そうでなければこうして生きているはずはない。
 そんなことよりも、僕は自分が居眠りをしていたことが気恥ずかしかった。きっと、だらしない顔で眠っていたに違いない。そのうえ、あの夢を見たのだ。寝言のひとつも言ったかもしれない。
「どうもすみません」
 僕はそう言いながら、隣の椅子のほうへちょっと目をやった。
 あの客はもういなかった。いや、ひょっとしたら最初から僕の前に客などいなかったのかもしれない。
 頭のどこかのねじがはずれたみたいに、その辺の記憶さえはっきりとしない。
 散髪あとの頭皮が空気にふれるせいか、頭がスースーする。
「頭が軽くなったでしょう?」
 主人が言った。
「ええ、すっきりしました」
 僕は言った。正直な感想だった。
 仕上がり具合を確認しようと、僕は正面に向きなおした。が、鏡の中を覗いたとたん、
「え」
 と思わず声が出た。
 奇妙なことに、僕の髪は、少しも短くなっていなかった。
 だがそれは、かさばっていたわけでもない。楕円形の頭に、長い髪がべったりと張り付くように伸びているのだ……。
 その僕の頭の横で、主人はいま、にやにやと笑っている。
「あの……」
 僕は鏡の中の主人に向かって言った。
「本当に終わったのでしょうか」
 いやな予感がした。
「終わりました」
 主人は表情も変えずに言った。
「でも、髪が……」
「すっかり仕上がりました」
 主人は僕の言葉を遮った。
 不安が、少しずつ僕の心の中に広がってきた。その不安は、僕が以前からよく知っている不安のようだった。
 主人は一歩後ろに下がり、ゆっくりとした動作で僕の体を覆っていた布をはずすと、静かに言った。
「あなたの頭は、りっぱなゴム風船に仕上がりました」
 不思議なことに、そう言われても、僕にはあまり驚きがなかった。主人がそういうことが前もってわかっていたという気がした。この場所で、ずっと以前にも、同じことを経験したことがあったように思えた。
 僕はおそるおそる右手を上げ、顔に触れた。
 すっかり凸凹のなくなったゴムの皮膚が、指の下でぶよぶよと伸縮した。
 指を放し、今度は手のひらで頭を軽く弾いてみた。
 ぱあん、と乾いた音がして、僕の頭は、細くなったままの首の上でふわふわと漂い始めた。
 いつのまにか、僕の頭は中身が空っぽになり、本物のゴム風船になっていたのだった。
 僕は、頭の揺れを両手で止めて、もう一度自分の顔を見直した。
 耳が押しつぶされていることを除けば、正面から見たのではそんなに変わっているようには見えない。が、横顔がひどかった。横を向いても、頭の形はただの楕円形の輪郭だけで、前を向いているときと少しも変わらない。
「これからは、誰にも横顔を見られないようにしよう」
 と、僕は考えた。が、そう考えたあとで、すぐにそれがこの場の状況とはちぐはぐな間の抜けた考えだと気づいた。
 僕はもう一度、右手で頭を弾いた。力が入りすぎたのか、頭は大きく揺れ、めまいがした。急いで揺れを止めた。
「風船だ……」
 言葉と同時に胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、僕は泣き出した。
 これではもう、まともな社会生活を送ることはできないだろう。もちろん、結婚することもできないだろう。頭がゴム風船になった男を夫に持ちたがる女などいないだろう。
 そんなことを考えながら、僕は泣いた。
「散髪、しましょうか?」
 主人が、ふいに事務的に言った。
「もちろん、ハサミやカミソリなど、刃物を使う以上、あなたの頭が割れてしまう恐れが十分あるわけですが……」
 ハサミ、カミソリという言葉が、これほど恐ろしく耳に響いたことはなかった。
「いいえ、いいえ、もう、このままでいいです……」
 僕はそう言った。これ以上、ひどい目にはもうあいたくなかった。ゴム風船の頭は元に戻らないとしても、とにかく割れてしまうよりは、このままでも頭があるほうがましだと思った。
 僕は泣きながら椅子から立ち上がった。
 と、体を前にかがめた拍子に頭が大きく揺れて、鏡の下の棚に置いてあったカミソリの刃に触れた。
 たちまち僕の頭は粉々に飛び散った。
 僕は、破片になった目から涙を流して、なお泣き続けた。
 すると、やはり破片になってしまった僕の耳に、主人と、いつのまにか戻ってきたらしい隣の客のカラカラという笑い声とともに、
「いや、あの人もこれでよかった」
 という、聞き慣れない、不思議に説得力を持った声が聞こえてきた。
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生活と意見 (第19回)

2006-06-10 22:51:05 | Weblog
6月10日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。


東京では、お昼ころは、夏のにおいがしましたね。

いまから9年前の夏、私は約10年間勤めていた会社を辞めました。
自分の担当していた雑誌が廃刊になったからです。社長は、以前担当していた雑誌に戻ってやらないか、と言ってくれましたが、断って辞めました。その会社では、後半5年間は正社員だったので、退職金と失業保険が出ました。それで、私は、しばらくなまけることにしました。
 1997年。あの、学校を卒業して以来10何年ぶりにやってきた夏休み。
 一人暮らしに戻ってちょうど1年。家では誰に気兼ねすることもなく、外ではもちろん誰にも会わなくていい。まさに私にとっては天国のような生活。
 なまけ始めると、あっという間に、社会人としての10数年は溶けて便器に流れ去り、表面の傷んだ「私」という着ぐるみの中にいるのは、ほとんど学生のころと変わらない自分という感じになってしまいました。37歳。まだ、若かったんだな、と思います。
そうして、ちょうどその休みの間に、私は小説『風景をまきとる人』の草稿を書き始め、1985年の出来事について調べ始めました。それは本当に、夏休みの自由課題を進めるような感じでゆっくり進んでいったのです。(いまでも手元にありますが、その草稿の最初の一行は「僕たちは彼を、いつも『センセー』と呼んでいた。」というのです。進行中の仮タイトルもずばり「こころ」でした)。

 さて、いつも言い忘れていますが、長編小説『風景をまきとる人』は、書籍で読んでいただくほうが、読みやすいと思います。このブログに掲載しているのは、原文といってもいいもので、本のほうでは、出版社の編集さんが、表記の統一や、校正をものすごくていねいにやってくださったからです。
 よかったら、ぜひ本でも読んでみてもらいたいです。あらためてよろしくお願いします。

 今週の短編は、「頭」(前編)です。

では、また来週。

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頭 (短編18・前編)

2006-06-10 22:31:46 | Weblog

「どこかこのへんに床屋があったはずだが」
 と考えながら、夏の午後、僕は坂の下の町を歩いていった。
 このあたりには、昔からの小さな家が多い。木造の古めかしい家々が軒を連ね、家と家の間には、野良猫がうろつくのにふさわしい、暗い細い路地がある。
 小さなパン屋とそば屋の間のそういう路地の奥に、例の、青赤白の理髪店の看板が見えた。
「理容ナカモト」
 看板にはそう書いてある。
 僕が探していたのはその店ではなかった。こんなところに理髪店があるとは知らなかった。けれども、べつにかまわない。
 僕は路地に入っていった。
 少しだけ冷たい風が吹いてきて気持ちがよかった。
 店の前まで来ると、僕はちょっとの間立ち止まり、明るすぎる空を見上げた。
 まぶしい光のせいで、すぐに目を元に戻さなければならなかった。が、再び視線が路地の上に戻ったとき、僕はふと、自分がさっきとは違う場所にいるような気がした。
 目に見える風景はまったく同じなのだが、路地全体の雰囲気が、なんとなく、さっきと違っているように思えたのだ。
 それに、いま、ほんの数秒前に見た雲ひとつない青い空が、なぜかとても古い記憶の中の風景のような気がして、なつかしいような感じがするのも不思議だった。
「こんなときがあるものだ」
 と、僕は思った。
 初めて通った道なのに、以前たしかに通ったことがあると感じたり、ある場所であることを初めてしたときに、これまで何度となく自分がその同じ場所で同じことをしたことがあるような気がしたりすることが。
 それにはなにか理由があるのだろうが、僕にはわからない。

 横開きのガラス戸を開け、中に入った。
 小さな店だった。
 奥の仕事場では、ここの主人らしい五十歳くらいの男が、ひとりの客の髪をカットしている最中だった。
 クーラーがよく効いて涼しかった。理髪店独特の、シャンプーや整髪料のにおいが快かった。
 すぐには気がつかなかったが、入って左にある客用の長椅子には、ひとりの男が腰かけて順番を待っていた。
 主人と同じくらいの年齢だろうか。頭はもう、ごま塩になっている。
 男は、黒のビニール張りの椅子に深く体を埋めてタバコを吸っている。
 僕はその男の隣に座った。
「四十分くらいかかるかな。もっとかな」
 と、考えた。
 雑誌でも読もうと思って探したが、そういうものがない。新聞すらないのだ。
「ヘンな店だな」
 と思ったが、ないものはしかたがない。
 なんとなくあいまいな気分のまま、僕は壁に背中をもたせかけて目を閉じ、少し眠ろうとしてみた。
 けれども冷たい空気のせいで、頭はさえてくる一方だった。僕は姿勢をくずさずに目を少しだけ開け、隣の男を見た。
 作業服のようなものを着ているが、なにをやっている人なのかはよくわからない。小さな印刷会社の経営者、といったところが一番似合うような感じだ。
 タバコの灰を灰皿に落とすときの動作で気づいたのだが、男は右腕の肘から上が自由に動かせないようだった。さらによく見ると、右手の指が、親指を除いてすべてくっついている。指と指の境あたりには、薄い膜が張っているのだ。
「野口英世」
 と、すぐに、小学生のころ「どうとく」の授業で習ったことを思い出した。
「火傷かなにかだろうか」
 僕は考えた。それ以上見ているのは悪いような気がしてやめた。
 店の中は静かだった。
 シャツにしみこんだ汗が冷えて、胸板がひんやりした。
 ハサミの音が規則的に響いていた。
 僕はタバコを吸い始めた。すると、隣の男が、それまで自分の手元に置いていたガラス製の灰皿を僕のほうに押してよこした。
「どうも」
 と、僕は言って、頭を下げた。相手も同じように頭を下げた。
 煙を吸い込むと、薄荷タバコのような味がした。

 やがて、僕は短くなったタバコを消した。
 主人はいま、客の頭を洗っている。
「この客がすんで、そのあと隣のごま塩頭、それから僕か……。やっぱり四十分くらいだな、ちょうど」
 と、僕はまた考えた。
 仕事場の奥のドアが開いて、初老のやせた女の人が出てきた。ここの奥さんらしい。仕事場を通り抜け、奥さんは入り口のほうへやってきた。
「どうぞ」
 僕に言ったのだろうか。僕は、隣の男をちょっと見て、それから奥さんのほうへ向きなおした。
「いいんですよ。その人は」
 奥さんは微笑んで言った。やさしそうな人だとは思うが、どことなく、爬虫類を思わせるような表情だ。
「そうか。この人はいいのか」
 と、僕は奥さんの言葉をオウム返しに心の中でつぶやいて立ち上がった。
 ごま塩頭の男は、きっと主人の知人なのだろう、と僕は考えた。世間話でもしに来たのだろう。こういう小さな町ではよくあることだ。
 以前、坂の上の理髪店で、主人とその知人の男がテレビの競馬放送を見始めたために、髭をそっている途中で十分くらい放っておかれたことがある。僕はシェービングクリームを顔の片側につけたまま首を持ち上げて、ぼんやり競馬放送を見ていた。

 仕事中の主人の脇を通り、僕は空いている理髪用の椅子に腰かけた。
 座り心地はまあまあだった。正面の大きな鏡に、髪の毛のかさばった自分の姿が映っている。
 奥さんが、理髪店ではおきまりの、青と白の縞模様の布を持ってきた。大きなよだれかけのようなその布を、奥さんは目の前でゆっくり広げ、僕の体を覆った。
 布は洗いたてのシーツのようないいにおいがした。僕は目を閉じた。
 奥さんが後ろに回り、首のところで布を止めようとするのがわかった。
 と、つぎの瞬間、僕は、いきなり後頭部を殴られたような衝撃を受け、目を見開いた。頭の中で、ブーンと低い音が鳴り、視界が暗くなった。
 それが、奥さんが布を恐ろしい力で絞りあげたからだと気づくのに数秒かかった。
 驚きのあとで、今度は苦痛が僕を襲った。
 布で直接首の骨をこすられたような激痛が走り、軋むような鈍い音がした。僕はうめき声をあげた。
「ちょっと、きつかったかしら」
 奥さんの声が、がんがん響く。それにしても、このやせた女の華奢な腕のどこに、こんな力が潜んでいたのだろう。
 布は生き物のように僕の首を締めつけている。それは、「ちょっときつい」などという程度ではなかった。が、僕はなぜか平静さを保とうとして、
「え、ええ、少し」
 と言った。声が震えた。自分の声だとは思えなかった。
「ごめんなさいね」
 奥さんはそう言って、僕の首に巻きついた布にもう一度手をかけようとした。僕は苦痛のうちにも、ほっとした気持ちになった。
 そのときだった。さっきから、隣で客の頭を洗っていた主人が、突然、大声をあげた。
「やめろ」
 僕は思わず身震いした。気の遠くなりそうな緊張感が、僕の体を貫いた。これまでうすくぼんやりと感じられていたその姿が、急に鮮やかな色つきになって現れたという気がした。
「やめろ」
 主人は低い声で繰り返した。
「だって、あなた」
 奥さんはそう言ったが、その声は、なにか、抗議をしても仕方がないというような弱々しいものだった。それほど主人の声は圧倒的だった。
「きついのは、その人の首が太いせいだろう」
 主人は、冷静に事実を述べているだけ、といったような感情のこもらない口調で言った。
僕は薄目を開けて鏡を見た。暗くぼうっとした視界の中に、ゆがんだ僕の顔が見えた。首がいまにもちぎれそうなほど細くなっている。
――首が太いからだって?
 僕はのどをヒューヒュー鳴らしながら考えた。
 僕の首はそんなに太くはないはずだ。肥満体でもないし、いままで誰にもそんなことを指摘されたことはない。それに、もし僕の首が太いとしても、それがなんだというのだ。首が太いということがなぜ、こんなところで拷問を受ける理由になるのだろう。
「へへへへへ」
 どこからか、そういう笑い声が聞こえた。
 それは、洗面台の上に顔を伏せて、主人に髪を洗ってもらっている隣の客の笑い声だった。陶製の洗面台に反響して、こもってはいるが大きな声で男は笑い続けている。
「お、お願いします。これを少し緩めてください」
 卑屈ともいえる言葉遣いで、僕は主人に懇願した。そう言った僕の声は、死にかけた怪鳥の鳴き声のようだった。
 しかし、主人も客も、なんの反応も示さない。主人は忙しくて仕方がないというような顔で客の頭を洗い、客のほうもされるがままになっている。僕は、まるで場違いな冗談を言って座を白けさせた人間のように無視された。「わずらわしいから、もういうな」。僕はふたりが無言のうちにそう言っているような気がした。
 僕は「奥さんなら……」と考えて、必死でその姿を探した。が、さっきまで鏡の中に見えていたのに、いまはどこに行ったのか、姿が消えてしまっている。
 主人にも、隣にいる客にも、そしておそらく奥さんにも、初めから僕を助けようという気持ちなどぜんぜんないのだ。ようやく、それがわかってきた。
 僕が彼らになんの理由で苦しめられているのか、自分がこんな目にあわせられるような、どんな悪いことを彼らにしたのか、まるでわからなかったが、そんなことは考えても意味のないことだった。いまの僕にあるのは、ひとつの事実、理髪店で絞首刑に処せられているという事実だけだった。
 僕の頭は、だんだんぼんやりとしてきた。意識が遠のいていくのが自分でもわかった。目をいっぱいに見開いても、もうなにも見えなかった。耳鳴りがやんで、頭の中がしんとした。
「このまま死んでゆくんだな」
 と思った。
「もうどうしようもないんだな」
 そう思うと、いままで必死で抵抗してきたことが、ひどく馬鹿馬鹿しい、無駄なことだったように感じられた。
 全身から力が抜けていく。
 薄れていく意識の中に、昔好きだったある女の顔が浮かんで見えた。
 気を失う寸前、それは、奥さんの、爬虫類のような笑顔にすりかわっていた。
                             (後編に続く)
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生活と意見 (第18回)

2006-06-03 21:26:17 | Weblog
6月3日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。


 今週は、とてもうれしいことがひとつだけありました。
 それは、新潮文庫で、ヘミングウェイの『武器よさらば』の新訳が出たこと。
 全短編が新訳で出て、そのあと、『日はまた昇る』が出、「『武器よさらば』も出ないかなあ」と思い続けていたので、とてもうれしいです。
 しかし、できれば一年前に出てほしかった。というのも、去年入院しているときに、『誰がために鐘は鳴る』と『海流の中の島々』を読み(両方とも初めて読みました)、ヘミングウェイの文章が体に刻み込まれたような感じになって、その勢いで、退院後ひさしぶりに旧・大久保康雄訳で『武器よさらば』を再読してしまったから。そのとき自分に見えた場面や雰囲気の余韻がまだ残っているので、新訳はもう買いましたが、やっぱりすぐには読めそうにありません。
 
 ヘミングウェイは、若いころはそれほど好きな作家ではありませんでした。しかし、いまは、とても好きです。最高だな、と思うのは『武器よさらば』、つぎに『日はまた昇る』。つぎには、『老人と海』、『エデンの園』、『海流の中の島々』です。『誰がために鐘は鳴る』は、パブロという人物についての描写とエピソードが好きです。
作品以外では、「自分がよく知っていることについて書け」「自分が理解できたことについて書け」という、どんな創作理論よりも深い言葉が好きです。たぶん、現実に会ったら、あまり好きにはなれそうにない感じがしますが、尊敬しています。

 今年前半は、本に限って言えば、なかなか豊作だったなあ、と思います。
ヘッセの『シッダルタ』の新訳、ナボコフの『ロリータ』の新訳、リチャード・バックの『イリュージョン』の新訳、文庫版『ノヴァーリス作品集』、『カフカ・コレクション』などなど。
また、著作権が切れたということで、『星の王子さま』の新訳が、これでもかというくらい出ましたね。
 私は、池澤夏樹訳で初めて最後まで読みました。すぐ続けて『南方郵便機』を読みましたが、2作はまったく同じテーマだと思いました。完成度は『夜間飛行』のほうが高いのでしょうが、一見こんとんとしている『南方郵便機』のほうが正直で、作者は自分にとって深刻なテーマを扱っていると思います。それをいちおう解決できたのが『星の王子さま』であり、解決できてから死んでよかったな、と思います。

 それから、買ってはいないけど、忘れてはいけないのが『ファーブル昆虫記』の新訳が出始めたことでしょう。私は「誰々の文章がすごい」と人が言っているのを聞くと、「文章がすごいってなんだよ?」と、腹立たしくなります。それくらい、「文章がうまい」とか「文章がすごい」という表現は、あいまいで意味がないと思います。言葉は、正確さがすべてであり(リズムも含めて)、その正確さは、観察と思考の正確さからくるものだと思うからです。そうしてもし、「正確な文章」を「いい文章」と呼ぶのなら、アンリ・ファーブルの文章こそ、「いい文章」の極致であると思います。いまは絶版になってしまいましたが、旧・岩波少年文庫の『昆虫と暮らして』(昆虫記の中から、ファーブルが自分について書いた部分を集めたもの)は、私の宝物のひとつです。なんといったらいいか、あまりに正確で、あまりに飾り気がないので、そのシンプルさに、ただそれだけで身が震えるような感動を覚えます(だから、何年に一回しか読まなくていいのですが)。
 今度の新訳は、立ち読みした限り、虫に関する注釈も豊富だし、訳語もわかりやすい。でも、値段が高すぎて手が出ません。一生貧乏だった原筆者は、この本を見てどう思うでしょうか。

 どんな創作でも「昆虫記」と同様「人間記」なのでしょうから、ファーブルのように書けるのが私の理想です。もちろん、100%無理なのはわかっていますが、以前言ったことと同じで、姿勢だけは学びたいと思います。

では、また来週。
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ある夢 (短編 17)

2006-06-03 21:22:29 | Weblog

 一

 都会を歩いていた。冬のようだった。
 空はなぜか黄色く濁り、道には車が一台も通らず、時間は永遠に腰を上げそうにない。
 動物園の門が見える。僕は門を抜けて中に入ってゆく。と、僕は理科室のような部屋にいる。目の前には、赤い光が、そして黒人が多くいる。誰かの声。
――これから、おまえに映画を見せてやろう。ただし、この映画は、お前がこれまで見てきたのとは違う。この映画は始まった瞬間から、見ているものをストーリーに参加させるのだ。
――もう、そろそろ始まる!
 今度は、黒人たちはいっせいにそう叫んだ。

 巨大な大理石の球の中から、目のつりあがった中国人か韓国人の女が飛び出してくる。彼女たちは、三人のようでもあり、四人であるのかもしれない。皆けばけばしく艶のある長い袖の衣装をつけ、そのまばゆい光沢は狂気を感じさせた。僕はその場を逃げ出した。
 走ると、血の泉がそこらかしこに湧き出ている。その間を通る凸凹の道は、僕を冷たくあしらう。気がついてみると、僕は、どこか暗い部屋の中で女の膝に顔を埋めていた。女の顔は見覚えのない顔で、それでいて懐かしい、美しい、美しい顔だった。
――美しい……美しい。
 うわごとのように僕は繰り返す。女は浮き出るような鮮やかなピンクの衣に身を包んでいて、右手で僕の頭を撫でている。女が言う。
――あなたは幸せでしたね。
――なんのことですか? それに、あなたはいったい誰です?
――私は「絶対者の女」です。あなたは幸せでした。あなたは私に気に入られたのです。
――気に入られた? 僕が……。僕は……いえない。適切な言葉をどこかに忘れてきたらしいのです。気を悪くしないでください。うまくいえないのですが……僕は、あなたになりたい。
――そう。ここにいる以上、あなたは私です。私はあなたを気に入ったのだから。
――僕を……。誰かほかにもここに来た人がいるのですか?
――誰もがここに来ました。そして映画を見て……けれど、皆、私の気に入らなかったのです。
――それはなぜです? どうして? どういう行動を映画の中でとればあなたに気に入られるのです?
――べつに。なんの決まりも基準もありません。すべて私の気まぐれなんですもの。
――では、あなたに気に入られなかった人はどうしたのです?
――私の命令で、虎に食べられてしまいました。
――虎に食べられた? 多くの人が……彼女に気に入られなかったために……僕は彼女に気に入られ、こうして膝に顔を埋めている……。

 二

 ふと気づくと、僕は友だちふたりと一緒に歩道を歩いている。ふたり――KとYは、妙にニヤニヤ笑いながら、いそがしく口を動かし、僕のほうをときどき横目で見る。けれど、彼らが何をしゃべっているのか、僕には少しも聞こえない。ふたりは、僕より先へどんどん歩いていく。少しずつ彼らと僕の距離が開き、そのうちKとYの姿は動物園の門の中へ消えてしまった。門までかけってゆき、中を見ると、ふたりがすばやく物陰に隠れる気配がした。
――ふん! 僕があそこを通りかかったら、ふたりでおどかすつもりだな……
 僕はそう考え、そっと彼らの隠れたコンクリートの建物に近づいた。壁の陰から、僕が顔をのぞかせると、目の前にはふたりの人間がいた。当然のように思えるだろうが、実はそうではない。そのふたりとは、KとYではなく、見知らぬ白人男だったのだ。そのうちの一人が、僕を見たとたん、叫んだ。
――こいつ、いつの間に脱走しやがった!
 僕は、気の遠くなるのを感じながら、昔――それはたぶん僕が0歳以前のころだろうが――自分が囚人だったのを思い出した。

 三

 檻の中にいた。鳥かごをそのまま大きくしたようなその檻の、中くらいの高さのところに板が渡してあり、僕はその板に腰かけて、ポカンと口を開けていた。
 下には虎が三頭見える。まだ虎は檻の中には入っていない。
 檻の外にはYがいて、僕にいろいろと慰めの言葉をかけている。そんなことより、僕は時間を気にしている。空腹であることから判断しても、もう正午は過ぎたはずだ。虎たちもそろそろ腹を空かしているだろう。
 案の定、一頭の虎が、僕をにらみながら檻の中に入ってきた。猫のように、冷たい金属製の檻にじゃれつきながらも、絶えず僕のほうをうかがっている。
 僕はというと、Yの言葉をひとことも漏らさず聞き取ろうとしている。そうすることによって虎を意識しなくなり、そうすれば虎が消えるだろうと思っている。

 四

「結局、主人公は、『絶対者の女』に裏切られたんだね」
 夢の中の僕は言った。
「いや、違う。彼は女が自分を気に入ったということを知ってしまい、それを知ったうえで、もう一度映画に参加したんだ。選ばれることの快楽をもう一度味わうためにね。けれど、今度はうまくいかない。女に気に入られようという意識が働き、それで逆に、女の気分を損ねてしまったのさ」
 夢の中でも、Yは、いつものように聡明である。
 一、二、三のストーリーは、実は、夢の中のYが持っていたピンク色の表紙の本の内容である。
 そのとき、夢の中の僕は、白と黒のストライプの表紙の本を持っていたのだが、それが、なんだかひどくつまらない本なので、少し恥ずかしかったのを覚えている。

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