11月19日
しかし、それだと人間は後天的な環境だけがすべてを決めるというような感じになって、それは正しくない。環境以上に先天的に受け継いだ遺伝子には誰もが大きく左右されるだろう。いまは絶交して30年になる不津田という私の親友は、知能指数が高いことをいつも誇りにしていたものだが、彼のような天才的な子どもは、この、大人に対して、あるいは同級生に対して「何をやれば高い効果があげられ、その場の状況が自分にとって有利になるか」をごく幼いころからつねに考えていたらしい。そういう話を私は中学のころ、よく彼としていたものだ。コウモリのように返ってきた超音波で世界の輪郭を確かめる。そしてそのデータを分析してその場所で自分の地位を確立することに活用する。それが優秀な子どもの考えだったらしい。ところがろ鈍の私ときたら、返ってくるデータにこれまでの世界観をかき乱されてただ呆然とし、あげくその場所から逃げ出してしまう。幼稚園から小学校一年生まで、私は自分の思いついた時間に下校していた。教師にはろ鈍どころか白痴だと思われていた。私には自分がどこかに所属しているということが理解できなかったし、去ってきた場所や人に何の執着も感じていなかった。ましてやその場所で自分がどう評価されようがまったくどうでもよかった。いたくないので出る。それだけだった。聖母幼稚園の優秀な仲間よ。矢部ひろしに二谷あきらよ。高見沢しんじよ。みんな金持ちの坊ちゃんらしくくりくり目玉の上品な子供たちだった。ただ俺だけが、貧乏くさい謎の中国人の子供のように糸のような細い目をし、しかも写真ではすべて目をつぶっている。バカ丸出し。