麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第591回)

2017-11-26 23:20:15 | Weblog
11月26日

講談社学術文庫の新刊「七十人訳ギリシア語聖書(モーセ5書)」を読んでいます。文献学的なことはなにも知りませんが、単純に旧約聖書の最新現代語訳だと思って読んでいます。いま、出エジプト記の、もうすぐ十戒というあたり。すごくいいですね。ぜひ読んでみてください。
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生活と意見 (第590回)

2017-11-19 21:40:31 | Weblog
11月19日

しかし、それだと人間は後天的な環境だけがすべてを決めるというような感じになって、それは正しくない。環境以上に先天的に受け継いだ遺伝子には誰もが大きく左右されるだろう。いまは絶交して30年になる不津田という私の親友は、知能指数が高いことをいつも誇りにしていたものだが、彼のような天才的な子どもは、この、大人に対して、あるいは同級生に対して「何をやれば高い効果があげられ、その場の状況が自分にとって有利になるか」をごく幼いころからつねに考えていたらしい。そういう話を私は中学のころ、よく彼としていたものだ。コウモリのように返ってきた超音波で世界の輪郭を確かめる。そしてそのデータを分析してその場所で自分の地位を確立することに活用する。それが優秀な子どもの考えだったらしい。ところがろ鈍の私ときたら、返ってくるデータにこれまでの世界観をかき乱されてただ呆然とし、あげくその場所から逃げ出してしまう。幼稚園から小学校一年生まで、私は自分の思いついた時間に下校していた。教師にはろ鈍どころか白痴だと思われていた。私には自分がどこかに所属しているということが理解できなかったし、去ってきた場所や人に何の執着も感じていなかった。ましてやその場所で自分がどう評価されようがまったくどうでもよかった。いたくないので出る。それだけだった。聖母幼稚園の優秀な仲間よ。矢部ひろしに二谷あきらよ。高見沢しんじよ。みんな金持ちの坊ちゃんらしくくりくり目玉の上品な子供たちだった。ただ俺だけが、貧乏くさい謎の中国人の子供のように糸のような細い目をし、しかも写真ではすべて目をつぶっている。バカ丸出し。
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生活と意見 (第589回)

2017-11-12 20:37:25 | Weblog
11月12日

このずれはどこで始まるか。自分を意識してしまうことは。もちろんそれは欲望を満たしてもらえないときに現れるだろう。泣いてすぐに訴えが伝わり、欲が処理される限り他者は存在しない。だが他者の都合や気分で欲が無視されると自分がスライドする。急停車した車から慣性の法則で飛び出してしまうように。私は世界に触れてしまう。以前は世界も私だったのに。ここから探検が始まる。手探りで。指標は自分の欲望をかなえられるかどうか。明かりもないので心もとないがやってみる。ずっと泣き続けるより時々やめてまた泣くほうが効果があるようだ。なんだかわからないが世界とは、「ずっと泣き続けるより時々やめてまた泣くほうが効果がある場所」だ。それが世界の最初の定義。いつも目の前に見える欲望を処理してくれる自分ではないもの。いつもいるそれが明かりだ。とりあえず明かりは点いた。愛情? だが、すべての間違った判断もここからはじまる。それが一生続く。おそろしくバカバカしい話。
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生活と意見 (第588回)

2017-11-05 23:20:37 | Weblog
11月5日

だいぶ前に古本屋で買った「マーシェンカ」(ナボコフ)を読み始めたら、その新訳も含めた「ナボコフコレクション」の一巻が出たという情報が入ってきました。不思議な感じ。とてもきれいな本で、ほしいけど、ぜいたく品ですね、いまの自分には。

なんと「ソクラテスの弁明」の新訳が出ました(西洋古典叢書)。これは自分にとって「ぜいたく」ではなく「必需品」なので買ってきました。これで「弁明」「クリトン」「饗宴」「パイドン」の新訳が同叢書でそろいました。とてもうれしいです。
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