麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第190回)

2009-09-26 00:47:57 | Weblog
9月26日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

体調が悪くて、なにも書けそうにないので、読書の途中経過だけを。

「聊斎志異」は今第二巻の111ページまで読みました。
もっと進むはずでしたが、サルトルの「自由への道」(第一部「分別ざかり」後編)が出たのでそちらを読み進めていました。まだ半分も読めていません。

新刊情報としては、この「自由への道」と同時に岩波文庫から、チェーホフの「子どもたち・曠野」が出ました。この中に、「賭け」という短編が入っています。22歳ころ読んで感激した作品。また読んでみようと思って買ってきました。読んだことがないという方には、ぜひ一度読んでみてほしい傑作です。



では、また来週。
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生活と意見 (第189回)

2009-09-20 22:12:18 | Weblog
9月20日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

今週も、引き続き本代による破産危機です。
ついに、というか、まったく予想外というか、平凡社ライブラリーから、蒲松齢の「聊斎志異」が発売されました。全6巻のうち、今回は第1~2巻。一冊1500円。高いけど、これを買わずにすますことはできません。今週はかなり、めしを食うための仕事がいそがしかったのですが、寝起きと寝る前の時間で、すでに300ページ読みました。

おもしろい。おもしろすぎる。
読み始めると止まりません。以前通読した角川文庫の柴田天馬全訳は、これもすばらしいのですが、再読するには、紙は茶色くなっているし、活字も小さいしで気が引けます。かといって岩波文庫の抄訳は、訳文があまり好きになれないし、なにより作品の選び方がちょっとまじめすぎておもしろくない。てごろな文庫で何度も読めるようにならないかなあ、とずっと思っていました。今回それが実現してとてもうれしいです。
読んだことがないという方は、ためしに1巻だけでも読んでみてください。たぶん、やめられなくなると思います。



コンラッド「闇の奥」、読了しました。20年ぶりくらいです。正直、昔読んだときのほうが感動しました。結局クルツもまた、若者だけが思い描くことのできるヒーローではないか、という気が今回はしました。また、「整然とした文明社会に生きる、洗練された都会人」であるという作者の自己意識が強いからこそ、その目には怪物と見えるクルツを創造したのだろうとも思います。でも、東洋の島国の貧民階級に生まれた人間は、もとから作者の考える未開人に近いところも多いので、クルツをそれほどの怪物とは感じられないのでしょう。なによりも、クルツはある意味芸術家であり、芸術家が本当の怪物になどなれるはずがありません。芸術家が怪物になれると作者が考えている時点で、すでに若者の考えだという気もします。いずれにしても、「青春」のほうが、まっすぐでよい作品だと私は思います。

やはり、私が考える怪物的な人物像は、ニコライ・スタヴローギンにつきるといえます。もしくはドン・キホーテか。いずれも芸術家の創造したものですが、どちらも芸術家ではありません。狂人です。



では、また来週。
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生活と意見 (第188回)

2009-09-12 14:45:26 | Weblog
9月12日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

今週は、おおげさにいうと、本代で破産するかもしれないというくらいいろいろな本が(全部文庫ですが)出ました。

まず、光文社の古典新訳文庫から、
コンラッドの「闇の奥」、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」、ダーウィンの「種の起源」、バルザックの「グランド・ブルテーシュ奇譚」が出ました。「闇の奥」は待ちに待った新訳。現在、読了手前です。

それから、以前ここで報告した「ボヴァリー夫人」(河出文庫)の訳者の手による「感情教育」が同じ河出文庫から出ました。「出ればいいのに」と思っていたので本当にうれしいですね。

また、ちくま文庫からは「源氏物語」の第5巻が、さらに小学館のファンタジー文庫から、高橋健二(ヘッセの訳で有名ですよね)による「完訳アンデルセン童話集第一巻」も出ました。

簡単な感想としては、「ギャッツビー」は、ちょっと読みにくい。とくに会話がひっかかってしまって読みすすめられない。正確さはより徹底されているのでしょうが、いまのところ、この訳はおすすめできません。やはり、村上訳のほうがよいと思います。

「種の起源」は、とても読みやすい。岩波文庫は退屈ですぐに挫折しましたが、もともと当時のベストセラーだったのだから、原文はもっとおもしろく読みやすいのでは、と思っていたのが、そのイメージどおりに訳されている感じです。

バルザックは楽しみにとっておくつもりです。「感情教育」は、30歳ころ岩波の生島遼一訳で1回読んだだけ。ただ、これももっと完全にすずしくなってから読みたい感じです。なんとなく。フローベールの初期作品に「十一月」がありますが、そのくらい秋が深まってから。

「闇の奥」については読み終わったらなにかひと言書くつもりです。



では、また来週。
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生活と意見 (第187回)

2009-09-06 20:56:49 | Weblog
9月6日


行き慣れない町に、用事があって行きました。
ふだん見慣れない、若いカップルや、親子連れの人たちを見ていると、幸せそうで(もちろん、実際はみんななにかを抱えているのでしょうが)、とりあえず、「平日はちゃんと稼ぎをあげて、休日は楽しんで」みたいに生きていくのが普通の人生であり、そこになんの不満があるのかと、ふと感じてしまいます。

でも、それは、100%自分のやりたい仕事に就けている人だけが楽しめる生活のはず。そうでない場合は、やはり、ただの「気晴らし」に過ぎず、再び仕事に向かうときには、休日楽しんだぶん余計に「耐え忍ぶ」感が強くなるのではないでしょうか。そうして気晴らしに費やす時間が多くなればなるほど、自分の中のなにに重心を置くかがブレてしまい、最後にはなにが楽しいのかもうわからなくなる。求めるのは、最初のうちに経験した刺激の思い出を、刺激を積み重ねることで感傷的に追うことだけ。

それではいけない。私は気晴らしなど求めません。なぜなら、自分のすべての時間が楽しさと同義になることしか望んでいないからです。すべて楽しさに満たされた人に気晴らしは必要ありません。そうして、その希望は達成されないだろうと感じつつも、しかし、いつか達成できるのだと考えてやってみることだけが、その姿勢だけが本当に楽しいことにつながると私は信じています。なにも形を得られなくても、そういうおとぎ話の中で生きることが、私のリアルであり、唯一の楽しさなのです。



では、また来週。
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