麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第177回)

2009-06-28 17:24:10 | Weblog
6月28日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「創造者」も、「自由への道」と同時に岩波文庫から出ました。作品集を作ろうとして書いたものではなく、部屋の中を探して見つかった文を集めたものだそうで、「内的必然性」によって生み出された短編や詩ということです。
レベルはAとZほど違いますが、私の「画用紙の夜・絵本」は、同じような経緯でできたもの。作品の大半は、一気に書き上げたもので、そのあとほとんど一文字も直していません。もちろん、初めから誰かに見せようと思って書いたものでもありません。

ボルヘスは、ジョイスの「ユリシーズ」について、「私なら、時間をかけてそれを書くより、そのような本がすでにあるという設定で、その架空の本への書評という形の創作をするだろう」と、どこかで言っています。ただの読者としては、もちろん、「ユリシーズ」を実際に書いたジョイスも好きだし、ボルヘスの態度も好きです。「伝奇集」には、その態度が具体的に適用された傑作が何篇もおさめられています。

古めかしくて評価の定まったものにしか手を出さないのかと思っていたら、最近の岩波文庫は少し変わりましたね。前にもここで書いた、幻の大澤正佳訳「ユリシーズ」も、文庫に入ればうれしいです。ついでに「特性のない男」なども入ったらよりすばらしい。



では、また来週。
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生活と意見 (第176回)

2009-06-21 22:10:21 | Weblog
6月21日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

岩波文庫から、サルトルの「自由へ道」が出始めました。
昨日、その1巻「分別ざかり・前編」が新訳で出ているのを知り、買ってきて、さきほど読了しました。
さすがにサルトル。おもしろい。

「嘔吐」は3回ほど通読しています(断片的にはもっと読んでいますが)が、「自由への道」をここまで読みすすめたのは初めてです。
というのも、これまでの訳は、昭和20~30年代に初訳されたもので、訳文が古く、とくに会話文は石原裕次郎時代の日活映画みたいな雰囲気で、どうしても入っていけなかったからです。(「嘔吐」は、ロカンタンの一人称小説なので、会話の場面は少なく、若いころにも、あまり気にすることなく読めたのです。)

新鮮な感じ。と同時に、自分の心が、若いころのリズムを刻み始めるのを感じました。「嘔吐」もそうですが、サルトルの小説は、基本的には青春小説(ということはモラトリアムの文学)であって、永遠に若さを閉じ込めてあるからでしょう。
これに比べたら、たとえば「夜はやさし」などは、大人の文学であり、人生の苦さ、老いと疲労のつらさが刻み込まれています。

普通の意味で一生結婚せずに、子どもも残さなかったサルトルにとっては、文学の意味は青春を描くこと以外になかったのだと思います。
ただ、その書き方は、非常に率直、正直で、作中人物・マチウが心に決めている「自分自身に絶対に嘘をつかないこと」を自分でも守っているかのような作者の筆は、青春を材料としながらも、その底の底まで入り込んでいくので、強烈な、世界のリアリティを感じさせます(世界が隣にいる感じ)。その中には、自分がもはや忘れつつあるリアリティもあって、ひさしぶりに出会ったそれは、若いころのリズムを思い出させてくれたのです。

訳者のひとり、澤田直さんは、たしか私と同い年。サルトルの「言葉」の新訳もされている新世代のサルトル研究者です。受験生のころまではきっとそれほど大差ないサルトルファンだったはずなのに、私がひたすらボンクラになっていく30年の間に、いっぽうは立派な学者になっている。ここにきて、若いころ読んだアンリ・ミショーの言葉が身にしみます。「25歳を過ぎた男にとって すでに人生は貴重であり」……。「人生」じゃなく、「時間」だったかな?  
こんなことだからすべてがダメなのですね。

旧訳でなら、「分別ざかり」の続きも(もちろん)持っていますが、来月2巻が出るまで楽しみに待つことにします。

では、また来週。
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生活と意見 (第175回)

2009-06-14 23:19:48 | Weblog
6月14日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

最近、気がつくと「ツァラトゥストラ」を手にしています。
なぜなのかわからないけど、好きなんでしょうね。
たぶん、今は超人思想に共感を持つというよりは、ニーチェの詩集のようなものとして読んでいると思われます。
あいかわらず「墓の歌」が好きです。

ショーペンハウアーの「自殺について」の新訳がPHPより出ました。単行本です。
「読書について」に続いて二冊目。ほかにももう少し出ればうれしいところ。二冊は半端なのでたぶん出るでしょう。
とてもいい訳です。ぜひ、読んでみてください。

また、最近、ベルクソン全集やデカルト著作集も、昔のものがソフトカバーの新装で復刊になっているので、ショーペンハウアー全集もそうならないかと期待しています。

ショーペンハウアーを読むと、男らしい書き方とはなにか、ということが学べます。ショーペンハウアーは、どうしても書きたい気持ちが抑えられなくなったとき以外は筆をとらないという姿勢を貫いています。だから著作の数が少ない。
逆にニーチェは、とりあえず、どんなことでも飛び去る前に記録しようという姿勢で書いています。それだけに遺稿の量が多い。もちろん、ひらめきがそれほど多くある、すばらしい頭脳だからでしょうが、同時に、どこか優等生的な、「大事なことは、ほら、俺がもう先に見つけていたんだぞ。どうだい」といいたくて仕方ないせっかちな感じも見受けられるような気もします。

ショーペンハウアーは、主著が無視されて、いい気分でなかったことは明らかですが、それをもっと読まれるようにしようというような配慮はまったくしない人。しかし、ニーチェは「ツァラトゥストラ」が無視されると、「善悪の彼岸」という別のスタイルで同じテーマをわかりやすくしようとしています。

師匠と弟子で性格はかなり違いますね。まあ、ショーペンハウアーは哲学者で、ニーチェは芸術家だからといえばそれだけのことなのでしょうが。

ソクラテスやブッダには著作そのものがないわけだし。



では、また来週。
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生活と意見 (第174回)

2009-06-07 22:45:32 | Weblog
6月7日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

パルコ出版から「ソクラテスの弁明 関西弁訳」が出ました。
訳者の名前は初めて聞きましたが、とてもすばらしい仕事です。
約10年前に、講談社学術文庫で新訳が出て以来のこと。しかも、今回の訳のほうが、はるかに読みやすい。関西弁に抵抗のある方は別として、まだ読んだことがないという方は一読されることをおすすめします。
ただ、「クリトン」だけでなく、「パイドン」まで、できれば併録してほしかったと思います。この本が売れたら出るのかもしれません。

現在、ギリシャ、ローマの古典は、京大学術出版会の「西洋古典叢書」がゆっくりゆっくり訳本を出しています。一昨年、「饗宴」と「パイドン」の新訳が出ましたが、「弁明」はまだです。このシリーズはとてもきれいな本でいいと思うのですが、値段が高すぎる。まだ、一冊も買っていません。

ついでに「饗宴」は、99年に鳥影社というところから出たものが、私の読んだ限りではもっともわかりやすい翻訳です。岩波、新潮、中公版でうんざりしたという方は読んでみてください。とても楽しいです。



名作文学をマンガの文庫にした企画で、ついにジョイスの「ユリシーズ」とプルーストの「失われた時を求めて」が出ました。後者は、まあちょっと無理がある縮め方ですが(それでも十分おもしろい)、前者はなかなかいいと思います。



今年の夏も去年同様暑くなる。今日はその予告のあった日でしたね。



では、また来週。
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