麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第17回)

2006-05-27 16:28:38 | Weblog
5月27日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

 今週は、学生時代にノートに殴り書きしたまま放っておいた「さかさま連盟」という短編に手を加えて、いちおう結末をつけてみたので、「風景をまきとる人」(第17回)と一緒に、それを読んでいただこうと思います。

 そういうことをする気になったのは、風邪を引いて寝込んだからです。
やっぱりなにか仕事(飯を食うための仕事ではなく)にかかろうというのは、「もう残された時間は少ないかも」と体で感じるときですね。
とっくに、毎日が「残された時間」になっているというのに。去年ひと月半の入院から帰ったあとは身にしみてそれを感じていたはずなのに。やはり日常というのは恐ろしいものですね。直接体力の衰えを感じるまで、そのことを思い出せないなんて。

 DNAのせいでしょうが、結局人間は生きている間は、「自分は死なない」と感じているのでしょう。「脳は『生きる』という方向にしか機能しない」といってもいい。
 私はいつも思いますが、この事情は「もう生きているのがいやになった」とたんかを切って自殺する人でも同じだと思います。そういう人をちょっと不快に感じるのは、その人が、「無」に向かっているからではなく、「死ねば楽に『生きられる』」と考えているのがわかるからです。それは、執着としては生きていくことと同じであり、ただ他人にそういう自己主張をしてみたかったというだけのことだからです。
 もし、くたばりたいと思ったとしても、私はたんかなど切らずに、黙ってくたばりたいと思います。
 できれば、それまでにあと2冊ほど書いておきたいとは思いますが……。

 それでは、また来週。
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『さかさま連盟』盛衰記 (短編16)

2006-05-27 16:25:12 | 創作
 1.

 ある朝、となりの席の一郎がいきなり、
「えかさふりま」
 と、僕に言った。
「なんじゃ、そら」
 ヤクザが答えたのではない。小学4年生の僕が言ったのだ。僕の生まれた町ではこれが標準語だった。「僕」は、「わし」。「きみ」は、「われ」。「です、だ」は、「じゃ」。用例としては、こうだ。「ちいとでええんじゃが、わりゃ、わしに自転車貸してくれいや」「ええで」(「ちょっとの間でいいんだけど、きみ、僕に自転車を貸してよ」「いいよ」)。町角で、5歳にもなった男同士の間では(もちろん、声変わりまでは程遠い、ドスの効かない声ではあるが)普通に交わされる会話である。
「なんじゃ、そら」は、「なんだよ、それは」の意味だ。
「えかさふりま」
 一郎はまた言った。
 今度は僕にもすぐにわかった。それで、
「うろちいだよし」
 と言い返した。一郎は「よしだいちろう」というのだ。
「ちがう。うろちいだしよじゃろうが。あほ」
「あ、そうか」
 僕たちは笑った。

2.

 一時間目は国語だった。谷本先生が僕に当てて、僕は教科書を持って立ち上がった。『花の好きな牛、ヘルジナンド』を朗読するためだ。
「えかさふりま、えかさえかさ」
 一郎が途中で笑わせようと何度もそう呼びかけ、僕はがまんしていたが、ヘルジナンドが蜂にお尻を刺されて暴れだし、元から凶暴な牛だと間違えられてしまうかわいそうな場面で、とうとうふき出してしまった。ふたりとも谷本先生に怒られた。

 3.

 休み時間になると、川崎たけしと篠田まさたかが僕たちのところへやってきて、こう言った。
「名前をさかさまに呼ぶんじゃろ」
 その瞬間に、僕の中で、この遊びは終わりを告げた。一郎もたぶん、そうだったと思う。
 篠田まさたかが、
「しけたきさわか」
 と、呼びかけると、たけしは、
「かたさまだのし」
 と返した。二人は大声で笑った。僕は二人に早く向こうへ行ってほしかった。

 4.
 
 給食の時間になると、教室のあちこちで、さかさま言葉あそびをしている声が聞こえた。
 僕が、また、パンを食べずに机の中に隠していると(貧しい家の子どもなのに贅沢な話だが、あまりにかさかさしてまずいので、僕はどうしてもそれを食べられなかったのだ)、たけしがまたやってきた。こんどは篠田まさたかのほかにも何人かの生徒が一緒だった。
「『さかさま連盟』を作ろうと思うんじゃが」
 たけしは言った。僕は一郎と顔を見合わせて、「またか」と思った。たけしは、僕と一郎が始める遊びにすぐに影響を受けて自分でもやり始める。そうして次には、必ずそのことの権威になりたがった。
少し前に、僕が一郎と、文房具店『ちゃたに』のサービス券を使って戦車を作り始めたときもそうだった。僕たちは、授業中という制約の中で、どれくらい工夫できたかをお互い先生の目を盗んで見せ合う、というのがおもしろくてやっていた。だが、たけしはそれを本格的な工作競技にしてしまい、休み時間にみんなの作品の発表会を開いて、どの戦車がいいのか順位をつけ、賞状を作って配ったりしていた。
 『さかさま連盟』とは、当時僕たちにとっては必読書のひとつだった、偕成社のシャーロック・ホームズ・シリーズ(290円)の『赤毛連盟』から取ったに違いない。
「勝手にやれいや」
 と、一郎が言った。
「ええんか? わしは、おまえらのどっちかが会長になってくれりゃええと思うたんじゃが」
 たけしは言った。
「わしゃ知らん」
 僕は言った。
「ええんじゃの?」
 たけしは念を押すように言った。僕はみんなに早く向こうへ行ってほしかった。
「しけたー、おまえがやれいや。さかさま連盟の会長、いや、いめんれまさかさの、うよちいかじゃ」後ろのほうにいる誰かが言った。
「そうじゃ。しけたうよちいか、しけたうよちいか」
 一緒にいた生徒たちがはやした。

 5.

 その日の午後、『さかさま連盟』の会長は、会員証を作ることを副会長(かたさまだのし)に命令し、副会長はそれをある男に依頼した。その生徒は、いつも画用紙のノートを持っていて、クラスでただひとり、24色の色鉛筆を学校に持ってきている男だった(家は「スナック」をやっているということだったが、僕にはそれがなんだかはわからなかった)。会員証は会長、副会長、書記、(ただの)会員、の身分によってそのふちが、金、銀、深緑、えび茶(さすがに24色だ)に塗り分けられていた。
 こうしてクラスの中で、会員証を持つ10人の生徒は、さかさま言葉遊びのエリート集団を自認するにいたった。

 6.

 翌日になると、『さかさま連盟』は、ほかのクラスにも、その勢力を伸ばし始めた。どうやらどのクラスでも、ただの優等生は除いてそのクラスの実力者をとりこんだようだった。
 休み時間に廊下で、隣のクラスの樫元つよし(通称・カッパさん)に会ったとき、カッパさんはなぜか忍び足で僕に近づいてくると、上着のポケットから「さかさま連盟会員証」(深緑のふち)を出して、言った。
「いめんれまさかさ」
 僕がなんの反応もできずにいると、
「なんじゃ、おまえ入っとらんのか?」
 と言った。
「じゃあ、合言葉を知らんのも無理はないのう」
「合言葉?」
「いけん! 会員以外には教えちゃいけんのじゃ。悪りぃの」
 カッパさんはそう言ったが、がまんできなかったらしい。
「おまえは幼なじみじゃけ、特別に教えちゃる。『いめんれまさかさ』って言われたら、『いざんば』って答えるんで」
「ふーん」
 カッパさんは、言ったあとで周囲を見回してから、さらに、いまでは4年の6クラス全部に『さかさま連盟』の支部ができたこと、今度の土曜日には、八幡神社の裏手の池のところの公園で、連盟主催の「ろくむし(ふにゃふにゃのゴムボールを使う、鬼ごっことドッジボールを混ぜたような遊び)大会」が開かれること、また、会員の能力テストとして、長い言葉をどれだけ早くさかさまに言えるかの競技が行われ、その結果によっては、ただの会員にも書記や副会長への道が開けていることなどを教えてくれた。

 7.

 こんなふうに、たった二、三日の間に大躍進を遂げた『さかさま連盟』だったが、なにぶん急速に大きくなりすぎた。
 次の週になると、授業中に会員証を見せ合っていた生徒が先生に見つかり、職員会議で問題にされた。先生たちはこの組織を即刻解散させることとし、最初にしかられた会員が迷うことなく白状してしまったその名前から、会長・川崎たけしを首謀者として厳重注意した。
 こうして、一時は、会員証の発行枚数百枚超え(女子も含めて)を誇った『さかさま連盟』は、その短い命を終えた。


 8.

 僕と一郎は、それからも授業中に楽しめる新しい遊びを考え出しては、飽き、忘れていった。そして、その中のいくつかは、川崎たけしにより、メジャー化され、組織化され、学年に広まった。
 一郎は4年生の終わりに、父親の転勤で、生まれ故郷の東京へ帰っていった。そのころから、僕は、一人で遊べて、どんな遊びの要素も全部そこに入れることができる――つまり「空想」を唯一の遊びとするようになった。それはマンガや推理小説として紙に書かれることもあったが、大半はただ思い浮かんだというだけで、それで終わりだった。
 川崎たけしとは、中学での進路が違ったので(家が金持ちだった彼は、僕たちの町から電車で一時間ほどの地方都市にある私立の学校へ行った)、そのあと彼がどうなったのかは知らない。もちろん、いま、どこでなにをしているのかも知らない。
 しかし、彼は、おそらく成功者となっているに違いないと僕は思う。
 なぜなら、『さかさま連盟』の例に見るように、世の中とは、もうすでにおもしろみを欠いた(あるいは欠きはじめた)ものの集積場所であり、そういうものでもおもしろいと感じて飽きない人や、それを演出したり、組織化して大きくしたりすることで自分は何かをやっていると感じる人のための場所だからだ(先生方は、川崎たけしのやったことを、怒らないで、逆にほめてやるべきだったのだ)。
 なんとなくそうなのかな、と予感し始めたのは中学生のころだが(それまでは、自分のほうが、川崎たけしのような人たちより世の中で成功するに違いないと思っていた)、そうだとはっきり知って死にたくなったのは20歳のころだ。
 そうして、いま、予感通り僕は人生の失敗者になってしまった。
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生活と意見 (第16回)

2006-05-20 21:24:03 | Weblog
5月20日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

東京は、夕方になって天気が急変しました。
 さっき商店街を歩きながら、「暑いな。夏だ。暑いな。夏だ」(すでに思考力が奪われていました)と思っていたのが、何日も前のことのように感じられます。いまは、少し冷たい感じの部屋で、荒れ模様の天気にわくわくしながら、これを書いています。

 こんな天気になると、私はいつも、シューベルトの『魔王』を思い出します。小学生のころ、音楽の時間に音楽室で聴いた、あの、「風のよに、馬を駆り、走り行くものあり」というやつです(その一回だけしか聴いたことはありません)。学校で教わることにしてはめずらしく、最後は子どもが死んでしまうという救いのない展開に、おどろおどろしいメロディもあいまって、当時でもぞっとするものを感じました。音楽を聴いて映画みたいに情景が浮かんだのも初めてでした(もちろん、その原詩をゲーテが書いたということも知りませんでしたし、「うまをかり」のところは、何十年も「馬を借り」だと思っていましたが)。

 (ただいま、思いつくままに書いています。ご了承ください。)

 そのことに関連して思い出すのは、やはり同じ音楽室でよく歌った、当時の小学校の校歌で、とくにその歌詞のつぎの部分です。
「見よや、りりしく立てる、幼きわれら」
 こうして読むだけなら、昔の校歌によく見られる、何の変哲もない歌詞です。しかし、ここは歌ってみると、「見よや~、りりし~、く~たてる、お~さなっきわれら~」となり、私の頭の中では完全に、「見よや、りりし、くたてる、幼きわれら」と文節は区切られてしまいます。
 私は、「りりしい」という言葉を知りませんでしたので、まず「りりし」の意味の解明はパスすることになり、つぎに「くたてる」を解明しようとします。この言葉には、とてもなじみ深い「たてる」という言葉が入っているので、「りりし」よりははるかに親しみが持てます。それで、意味もすぐにわかりそうな気がしますが、気がするだけで、まったくわかりません。わからないのに、「立てる」はなじみ深いので、わからない苛立ちは倍増します。
「くたてる」とはなんなのか。なにか、少なくとも、立派に立っている感じではない。「くた」だから。なにかを組み立ててみせることだろうか。「くたてる」。たくさん立っている感じだろうか。「くたてる」。大きなものが立っている感じだろうか。「くたてる」……。
 私はとうとう、こんなときに窮地を脱する呪文を使うことにしました。
「大人になれば、わかるだろ」
 それが、その呪文です。
 さて、いつが大人になったときなのか――初めて夢精した日か、陰毛が生えた日か、童貞を失った日か、仕事についた日か。それはわかりませんが、私は大人になりました。
 しかし、「くたてる」の意味は、あいかわらず解明されていないのです。
 もちろん、大人になる前の段階ですでに、「りりし、くたてる」が、「凛々しく立てる」だということはわかったし、「なんだ、そうか」とも思ったのです。
 しかし、それとは関係なく、まるで、自分が音速で遠ざかればずっと響きを聞くことのできる鐘の音のように、私の疑問は宇宙を漂い、消えることなくその解明を迫ってくるのです。
 世界のどこかに、「くたてる」が、生活に欠かせない言葉となっている国がある。「くたてる禁止」「明日、くたてる」「みんなでくたてよーぜ」「なるべく、くたててから寝ること」……。
 その国こそが、「大人の国」。「くたてる」が解明できない限り、私はその大人の国の住人にはなれそうにありません。

では、また来週。
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トランジスタラジオ (短編15)

2006-05-20 21:15:18 | 創作

 すすきが群生している原っぱの真ん中を、ゆるやかな傾斜の坂道が通っている。
 ゆっくりとその坂を上っていくと、途中に朽ちかけた木造の家屋があった。
 こわれた開け放しの玄関口から中を覗いてみたが、中は暗く、人の気配はない。
 僕はふらふらとその廃屋の中へ入っていった。
 長い廊下を行くと、左手にふすまの開いた畳敷きの部屋があった。
 そこは、見覚えのある部屋のようだった。
 僕は部屋の中へ入った。
 破れたガラス窓から射しこむ黄色い光の中で埃が舞っていた。
 畳は腐っていて、床は少し傾いていたが、
「まあ、僕はここに住んでいるわけではないから」
 と、考えた。
 部屋の奥に、なにやら仏壇のようなものが見える。
「仏壇なんかが置いてあるのか」
 と、少し気味悪くなったが、よく見ると、それは仏壇ではなく、それと同じくらい大きなトランジスタラジオだった。
 ラジオだとわかったとたん、部屋中にけたたましい音楽が鳴り響いた。
 スピーカーが壊れているのだろう、その音は聞くに堪えない。
 僕はラジオのほうへ近づいた。
 見ると、いままでは黒一色に見えていたラジオの表面板には、緑、赤、紫など極彩色のランプがいたるところについている。また、そのランプの下には、それと同数の、すべて同じ形をした銀色のスイッチがついている。
 僕は、ラジオを消そうと思っているのだが、これではどのスイッチを切ればいいのか見当がつかない。
 なかばやけくその気持ちになって、僕はまず赤色のランプのスイッチを切った。が、音楽は鳴り止まない。
 とそのとき、僕は背後に人の気配を感じて振り向いた。
 そこに立っていたのは、僕がよく知っている人の影法師だった。
 僕はその人の暗い足元を見ながら、なぜか赤面し、
「このラジオ、生まれてからいっぺんで消せたことがない」
 と、照れ笑いで言った。

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生活と意見 (第15回)

2006-05-13 20:07:24 | Weblog
5月13日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

このブログを立ち上げて、すでに4カ月が経ちました。
これまで書いたものを読み返してみると、若いころの自分なら「恥ずかしくて消してしまいたい」と思うに違いないような文もたくさんありますが、いまは、これも全部自分だと思えるまで、どうやら年寄りの厚顔無恥が徹底してきたようです。

それでも、自分で自分にツッコミを入れたいところも何カ所かあり、その最たるものは、私が、プルーストやセルバンテスなどの巨匠と呼ばれる文学者をとてもよく研究しているかのように、引き合いに出してくること、そのことでしょう。つまり、
「エロ本屋の話を自費出版しただけの人間が、なにを言っているのか。おまえとプルーストに何の関係があるのか」
というものです。
そうして、このツッコミには、「確かに。まったく関係ありません」とでも答えるほかありません。

けれども、私は、決して自分を、自分の能力を思い誤ったりはしていないつもりです。
例としてプルーストではなじみが薄いようなら、夏目漱石(今でも結局日本文学で最も好きな作家は漱石です)としてもかまいません。
私は漱石を尊敬しています。尊敬する要素はたくさんありますが、なによりも、その書く姿勢を尊敬しています。
では、私が尊敬する漱石の「書く姿勢」とはどういうものかといえば、それは、自分の描こうとする世界と、それを描くのに使う言葉の設定です。漱石は、自分の能力や教養より、何メートルか下がった地平を作品の世界に選びます(全作品がそうとは言い切れませんが代表作のほとんどはそう言っていいはずです)。おそらく、「こころ」で採用している文体や語彙などは、漱石がふだん自分の頭の中で使っている言葉より、ランクが何段階も下のはずです。
これを、われわれの世代のお得意の言葉を使って言えば、「漱石は偏差値80の能力をもって偏差値60の世界を描いた」と言えばいいでしょうか。
そうして、この20の余裕が、登場人物を上から下から眺め回し、1人の人物だけが正しい(賢い)と見えたりしないようにさせ、また、ひとつのことを言うのに単純な表現をいくつか積み重ねる労をとらせ、言葉そのものが難解になることがないよう(ある一定の心の状態でいるときにしか理解できないような表現ではなく、どんな状態からもその周縁までは近づけるような表現に)させる力になるわけです。
プルーストも、セルバンテスも、啄木ももちろん、その姿勢を貫いています。
私は、この姿勢を学ぶのに、能力の差は関係ないと思っています。
私の能力の偏差値は、45くらいでしょう。ということは、私が、創作で自由自在に扱える世界は、せいぜい偏差値35の世界ということになるでしょう。私は、そこに自分の描く世界を設定しなければならないし、その世界を描く言葉の設定をしなければなりません。
しかし、どんなに卑近な世界しか描けなくても「姿勢」は同じでありたいのです。
冒頭から「俺は偏差値75だ! どうだ、まいったか」というような声が聞こえてくるような作品や、偏差値60の人が、65の言葉を操ろうとして息切れが伝わってくる作品など、絶対に読みたくも書きたくもないし、それは、私の考える文学ではありません。

(以上のことは、創作という料理の仕方と、盛り付ける器の問題といえるでしょう。「材料」は、能力とは別の問題です。だって、他人が抱えている問題をいくら深刻ぶって書いても意味はまったくないでしょうし、逆に、他人から見ればただ笑うしかない問題でも、それが本当に自分にとって大事な問題なら、それを材料とすることに迷う理由はないからです。)

以上のことをまとめると、つまり、フェラーリは持っていなくても、フェラーリについて考えつくせるだけ考えるのがファンというものであり、自分の車選びにも、フェラーリのすばらしさの千分の一ポイントくらいは適用している、といったことでしょうか。

それでは、また来週。
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勃起 (短編14)

2006-05-13 20:05:22 | 創作

 僕は、灰色の乗用車で林の間を突っ走った。夕暮れ時で、風は秋のにおいがした。
 以前、やはり秋の夕暮れにここへ来たことがあった。そのときは、なにかの化石を採取するために来たはずだが、何の化石だったのかは覚えていない。
 スピードがどんどん上がってゆく。このままだとハンドル操作を誤ってどこかへ突き当たりそうな気がするが、心のどこかではそれを望んでいるような気もする。
 舗装のされていない急な坂道を一気に登りきると、とたんに日が沈んだ。
 目の前には、アスファルトのハイウェイが一直線に伸びている。
 さらにスピードを上げ、なにかから逃げるように走り続けた。
 気がつくといつのまにか雪が降り始めている。
「スリップしないだろうか」
と、心の中でつぶやいたとき、体が宙に浮く感覚に捉えられた。
 てっきり暗闇の中を落下してゆくのだと思っていたら、黄色い、どぎつい光の中へ車は舞い降りた。小さな公園のようだった。
 大勢の人が僕の車の周りを取り囲んでいる。しかし、見えるのは腰から下だけで、誰一人として顔を持っていない。
 僕は車から降りた。僕は自分がここでサーカスの曲芸をなにかひとつやらなければならないような気がした。
 群衆の中から、アメリカ人の警官が僕のほうへ近づいてきた。
「恥ずかしい野郎だ。ペニスをあんなに突っ立てて」
 警官が言った。
 見ると、ズボンのチャックが開いていて性器がむき出しになっていた。大勢の人に見られているから、そのせいで性器は勃起している。
「恥ずかしい野郎だ」
 警官がまた言った。
 僕は自分でも恥ずかしかったが、その恥ずかしさを警官への怒りに転化した。
「馬鹿にするな! 性器を出しているからといって馬鹿にするな!」
 僕は叫んだ。が、その言葉の意味が彼に通じたとは思えなかった。
 僕は群集のほうへ歩き出した。
 雪が、小さな花びらのような雪が、ゆっくりと落ちてきて亀頭の上で溶けた。

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生活と意見 (第14回)

2006-05-06 22:22:17 | Weblog
5月6日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。


前回は、またいきなりプルーストのことを書き始めて、「なんだ、これは」と、思われた方もいらっしゃったことでしょうね。
いまはまだ自分にとって生々しすぎるのでちょっと言えないのですが、先週は自業自得の私的事件のため、頭が混乱していて、どうしても自分のことが書けなかったのです。

なにか書いてみようとしても、支離滅裂な内容になってしまい、なんとかプルーストについて書くことで、バランスを一瞬だけ取り戻せたので、それを読んでいただくことにしました。

ですが、もちろん、「このところプルーストのことを書きたかった」というのは本当で、そのきっかけは、集英社文庫ヘリテージ・シリーズから、鈴木道彦訳の「失われた時を求めて」が、刊行され始めたことです。これは、最近では(というのは30年以上前に新潮文庫に何人かの共同訳があったから)、ちくま文庫の、井上究一郎訳(1992年9月第一巻刊行)以来のことで、画期的な事件です。
以前、ユリイカのプルースト特集増刊で、井上訳の不備を指摘していた鈴木道彦氏が、どんな訳文を作るのかは、それだけでも興味深かったのですが(そのユリイカを読んだころには、私はすでに、筑摩の文学大系の井上訳で、「失われた~」を読み終わっていました)その成果が単行本になり(ものすごく高い本で、私には手が出ませんでしたが)いま文庫本になったと思うと、それこそ「時」というものを感じずにいられません。

それにしても、いまの若い人たちは(とくに外国文学や哲学の好きな人は)本に恵まれていてうらやましい。ジョイスのユリシーズも、あのフィネガンズ・ウェイクまでもが文庫で読めるなんて……。プルーストの翻訳が二種類も文庫で読め、カフカの作品集が新書ですべて読めるなんて……。文庫でニーチェの全集が読め、ハイデッガーの「存在と時間」が文庫と新書で読め、ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」も新書で読め、セリーヌの「なしくずしの死」が文庫で読め、ダンセイニの短編集が全て文庫で読め、指輪物語も活字の大きな文庫で読め(昔の文庫の字の大きさは、一番サイズの小さな聖書を読むくらいひどかったですね)、ユイスマンスのさかしまも、ネルヴァルの火の娘たちも文庫で読める……。卑怯だ! と叫ばずにいられません。私が若いころ、これらの本を読むのに、どれほど時間と金を使ったか……。一例ですが、都市出版社の「フィネガン徹夜祭(フィネガンズ・ウェイクの抄訳)」は、いまはなき池袋の芳林堂の上の古本屋で1万5000円も出して買いました。それも、不完全もいいところの共同訳なので、なにがなんだかさっぱりわかりませんでした(まあ、この本に限っては、いまでもさっぱりわからないことに変わりありませんが)。

しかし、そんなよい方向とは反対に、新潮文庫のドストエフスキーの「未成年」は、なぜ20年前に絶版になったままなのでしょうか。なぜ、この長編だけが絶版なのか。また、同文庫の「南回帰線」と「セクサス」は、なぜ絶版のままなのか。深沢七郎の諸作品の文庫も。カミュの「カリギュラ・誤解」も、「太陽の讃歌」と、「反抗の論理」も。また、若いとき絶対に一度は読むべきだと思う、サルトルの「嘔吐」も、訳者が亡くなってもまだ文庫になっていなかったり、一度文庫化された「悪魔と神」「聖ジュネ」も絶版になってひさしかったり。もっとマイナーなところでいえば、角川文庫のダンテの神曲、福武文庫に収められていたフローベールの三つの物語、プルーストの楽しみと日々なども、どこかの版元が復刊するべきだと思います。

恋人や肉親が不治の病におかされたり、事故で死んだりする本ばかり出版するのは、いいかげんにやめてもいいのではないでしょうか。「感動」という言葉は、「泣けてストレスを発散でき、明日からまた他人を蹴落としながら生きていく力を与えられる」という意味と同義ではなかったはずだと思うのですが。

話が、プルーストとは別方向に進んだまま、今回は終わろうと思います。
来週も、たぶん、プルーストの話には戻ってこないと思います。しかし、これも、プルーストが自作の構成について語ったように、「開きすぎたコンパス」であり、すべてはいつか、このブログ内で、緊密な関係を持つディテールになるのです。(ごめんなさい。嘘です)

来週は普段に戻って、自分のことを何か書こうと思います。
立ち寄ってみてください。

ひさしぶりに、自著の宣伝も。
長編小説「風景をまきとる人」(彩図社・780円)は、全国どこの書店からも、注文していただけます。また、彩図社のホームページからも購入していただけます。
http://www.saiz.co.jp/search/cgi-bin/bookisbn.cgi?isbn=4-88392-478-5

よろしくお願いします。

今日は、更新が遅くなって申し訳ありません。
カメラマンのM氏と、以前少し報告した作品展を開く場所を探していて、手間取りました。こちらのほうも詳細が決まりましたら、また報告させていただきます。
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男の起源

2006-05-06 22:15:41 | Weblog
 
 生き物は生きようとする。
 生殖(子を作る)は生きようとするのと同じ。
 男と女と合わせて生き物。
 生き物の工夫としてできた性別。
 生き物は基本的にはすべてメス。
 メスが産む。
 分業。オスに偵察と警護を分担。
「私はここで産むの。だから、あんた向こうの山でおいしいものとってきて」
 オスは出かける。
 そこで何かに襲われたり、事故にあって死ぬ。
「戻ってこないわ。死んだんだ。じゃあ別の男を」
 メスにとってオスは基本的には誰でもいい。自分の役に立てば。そうして事故にあわずに帰ってくる男には適応力があるから、その男の子どもならいい感じ。

 オスは出かける。
 オスは野生のイノシシを見つける。
 石を投げる。当たらない。
 矢を作る。当たらない。
 それで、2~3日、イノシシと戦ううち、イノシシの行動パターンが見える。
 翌日のため、男はわなを仕掛ける。
 ここに、理性の発達がある。
 ここに、未来を想定し、想像することが生まれる。
 途中で出会った別の女の夫。
 赤い木の実を食べたら死んだ。
 男は観察を始める。
 元は「生きる」に関係ある行為だったが、今度は想像と観察そのものが好きになる。
 男は熱中する。
 自分が何のために出かけてきたのか
 もうわからなくなるくらいに。
 帰らない男。
 やがて思い出す。出かけてきた理由。
 目的の山に向かう。
 おいしそうなマンモス。
 しかしひとりでは無理。
 そこにやってきた別の女の男。
 2人は共同作業でマンモスを獲る。
 共同作業で友情が始まる。
 旅の途中見てきたことを
 男は報告し合う。
 二倍の知識を手に入れたことが喜びになる。
 2人は共同してマンモスを持ち帰り、それぞれの女に渡す。
 女は満足だ。
 男は観察と想像と友情の思い出について女に語る。
「すてき」
と女は言うが、なにも聞いていない。女にはそんなことはどうでもいい。
 ここはあたたかくて、おいしいものがあり、男は自分にとって役に立つ道具。
 男はもの足りない。
 目的とは別のところで手に入れた経験が、思い出として男の頭の中にきらめく。
 男は旅に出る夢を見る。
 早くこの女が、別の獲物をとってこいと言わないか?
 マンモスの味に飽きた女が言う。
「別の山に行ってきて」
 男は大喜びで出かける。
 またあの旅ができると知って。
 女は男が、なにか自分ではないものに楽しみを見つけていることを大目に見る。
 獲物さえとってくれば。
 しかし、男が帰ってくるかどうかはもう男自身にもわからない。
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