5月27日
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
今週は、学生時代にノートに殴り書きしたまま放っておいた「さかさま連盟」という短編に手を加えて、いちおう結末をつけてみたので、「風景をまきとる人」(第17回)と一緒に、それを読んでいただこうと思います。
そういうことをする気になったのは、風邪を引いて寝込んだからです。
やっぱりなにか仕事(飯を食うための仕事ではなく)にかかろうというのは、「もう残された時間は少ないかも」と体で感じるときですね。
とっくに、毎日が「残された時間」になっているというのに。去年ひと月半の入院から帰ったあとは身にしみてそれを感じていたはずなのに。やはり日常というのは恐ろしいものですね。直接体力の衰えを感じるまで、そのことを思い出せないなんて。
DNAのせいでしょうが、結局人間は生きている間は、「自分は死なない」と感じているのでしょう。「脳は『生きる』という方向にしか機能しない」といってもいい。
私はいつも思いますが、この事情は「もう生きているのがいやになった」とたんかを切って自殺する人でも同じだと思います。そういう人をちょっと不快に感じるのは、その人が、「無」に向かっているからではなく、「死ねば楽に『生きられる』」と考えているのがわかるからです。それは、執着としては生きていくことと同じであり、ただ他人にそういう自己主張をしてみたかったというだけのことだからです。
もし、くたばりたいと思ったとしても、私はたんかなど切らずに、黙ってくたばりたいと思います。
できれば、それまでにあと2冊ほど書いておきたいとは思いますが……。
それでは、また来週。
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
今週は、学生時代にノートに殴り書きしたまま放っておいた「さかさま連盟」という短編に手を加えて、いちおう結末をつけてみたので、「風景をまきとる人」(第17回)と一緒に、それを読んでいただこうと思います。
そういうことをする気になったのは、風邪を引いて寝込んだからです。
やっぱりなにか仕事(飯を食うための仕事ではなく)にかかろうというのは、「もう残された時間は少ないかも」と体で感じるときですね。
とっくに、毎日が「残された時間」になっているというのに。去年ひと月半の入院から帰ったあとは身にしみてそれを感じていたはずなのに。やはり日常というのは恐ろしいものですね。直接体力の衰えを感じるまで、そのことを思い出せないなんて。
DNAのせいでしょうが、結局人間は生きている間は、「自分は死なない」と感じているのでしょう。「脳は『生きる』という方向にしか機能しない」といってもいい。
私はいつも思いますが、この事情は「もう生きているのがいやになった」とたんかを切って自殺する人でも同じだと思います。そういう人をちょっと不快に感じるのは、その人が、「無」に向かっているからではなく、「死ねば楽に『生きられる』」と考えているのがわかるからです。それは、執着としては生きていくことと同じであり、ただ他人にそういう自己主張をしてみたかったというだけのことだからです。
もし、くたばりたいと思ったとしても、私はたんかなど切らずに、黙ってくたばりたいと思います。
できれば、それまでにあと2冊ほど書いておきたいとは思いますが……。
それでは、また来週。