5月27日
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
「生活と意見」は、「トリストラムシャンディの生涯と意見」(またまた、現在、岩波文庫で復刊になっていますね)からいただいたものですが、その「トリストラムシャンディ」に倣って、ここを「創作」のスペースにしてみようか、と思います。ひとつには、私にはこういう形でしか、もう創作をする時間がないだろうと思うからですし、創作という形にすることで、自分も少しいままでとは違う気分になれると思うからです。
創作と、思いつきの文のどこが違うのかも、いまのところあまり深く考えないようにしようと思っています。「私」は、とりあえず、「語り手」という登場人物です。
また、創作である以上、この「語り手」という人物には、書く目的が必要ということになりますが、その目的とは、この語り手の「中学3年生の夏のキャンプの夜のおよそ一時間のことを語る」ということにしたいと思います。
ここでこれから語られることの全てが、いつか語り始められるはずのその場面をより理解しやすくするための準備なのです。――しかし、もちろん、準備だけで終わってしまう可能性もあるでしょうし(たとえば、「私」を登場させている私が、やる気をなくしたり、死んだりして、です)、その場面が語り始められるまでに10年くらいかかるかもしれませんが、とにかく、この文の目的は、その場面を書くことにあるのです。
なぜ、その場面を書きたいのか、というと、たぶん、その一時間が、私の人生のピークだったからだと思います。私は、高校に入ってから身長が数センチも伸びたような晩熟な人間ではありません。肉体・精神の発達はすべて十五歳で終わっています。以降、脳は曇っていくばかりで、いまやすべてが霧の中といってもいい状態です。その場面を書くことを目的とするのは、何かを書いて自分で読んでみて、霧の粒をひとつひとつ見極め、そうしているうちに、自覚するとなくなる恐怖みたいに、ときどきふっと霧が晴れて、自分をあの夜に連れて行ってくれるのでは、と考えているからだと思います。
というようなことも、いま書いていて初めて自覚できました。
書くというのは、ボケ防止にもってこい(「もってこい」なんて会話で使ったことはないですが)ですね。
ひょっとすると、霧が晴れたときに、いきなり目的の場面のことを語り始めるかもしれません。しかし、話し方はきっと断続的になると思います。
いや、そんな予想などどうでもいいですね。とにかく、そんなふうに、始めるつもりです。見かけはなにも変わりませんが。
あらためて、よろしくお願いします。
今日はじめっとしていますね。
変な日に始めてしまったものだと思いますが、ベケット風にいえば、「始めてしまったからには、始まったのだ」という感じですね。
雨が降っていますね。いや、雨が降っていませんね。
では、また来週。
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
「生活と意見」は、「トリストラムシャンディの生涯と意見」(またまた、現在、岩波文庫で復刊になっていますね)からいただいたものですが、その「トリストラムシャンディ」に倣って、ここを「創作」のスペースにしてみようか、と思います。ひとつには、私にはこういう形でしか、もう創作をする時間がないだろうと思うからですし、創作という形にすることで、自分も少しいままでとは違う気分になれると思うからです。
創作と、思いつきの文のどこが違うのかも、いまのところあまり深く考えないようにしようと思っています。「私」は、とりあえず、「語り手」という登場人物です。
また、創作である以上、この「語り手」という人物には、書く目的が必要ということになりますが、その目的とは、この語り手の「中学3年生の夏のキャンプの夜のおよそ一時間のことを語る」ということにしたいと思います。
ここでこれから語られることの全てが、いつか語り始められるはずのその場面をより理解しやすくするための準備なのです。――しかし、もちろん、準備だけで終わってしまう可能性もあるでしょうし(たとえば、「私」を登場させている私が、やる気をなくしたり、死んだりして、です)、その場面が語り始められるまでに10年くらいかかるかもしれませんが、とにかく、この文の目的は、その場面を書くことにあるのです。
なぜ、その場面を書きたいのか、というと、たぶん、その一時間が、私の人生のピークだったからだと思います。私は、高校に入ってから身長が数センチも伸びたような晩熟な人間ではありません。肉体・精神の発達はすべて十五歳で終わっています。以降、脳は曇っていくばかりで、いまやすべてが霧の中といってもいい状態です。その場面を書くことを目的とするのは、何かを書いて自分で読んでみて、霧の粒をひとつひとつ見極め、そうしているうちに、自覚するとなくなる恐怖みたいに、ときどきふっと霧が晴れて、自分をあの夜に連れて行ってくれるのでは、と考えているからだと思います。
というようなことも、いま書いていて初めて自覚できました。
書くというのは、ボケ防止にもってこい(「もってこい」なんて会話で使ったことはないですが)ですね。
ひょっとすると、霧が晴れたときに、いきなり目的の場面のことを語り始めるかもしれません。しかし、話し方はきっと断続的になると思います。
いや、そんな予想などどうでもいいですね。とにかく、そんなふうに、始めるつもりです。見かけはなにも変わりませんが。
あらためて、よろしくお願いします。
今日はじめっとしていますね。
変な日に始めてしまったものだと思いますが、ベケット風にいえば、「始めてしまったからには、始まったのだ」という感じですね。
雨が降っていますね。いや、雨が降っていませんね。
では、また来週。