8月30日
夏休みの宿題のことを書いたことがあったかどうか。
六年生の時、担任の先生が「今年の夏休みは課題を出しません。その代わり、このノートが全部なくなるまで、自分の好きな勉強や研究をしてください」と言って六組全員に一冊ずつ大学ノートを配りました。ほかの組もそうだったのか、うちの組だけそうだったのかはわかりません。
とにかく、私は燃えました。ものすごく楽しかった。好きなだけ算数の計算問題をやったあとで漢字の練習をし、また、自分の好きな電気の研究(大人の読む参考書を自分なりにまとめる)をし、絵日記のような漫画のようなものを書く。歴史の年表を作ってまた算数をやる。あっという間にノートは埋まりました。表3まで。このときの快感を私はずっと忘れられませんでした。
完全にそうとはいえませんが、そのノートは、六年間学校や家で勉強してきたことを確認し、まとめ、そうすることで作った、自分なりの、世界についての研究報告書だったのです。
大学の卒論も、文庫本にした物語も、私にとっては、自分なりの、世界についての研究報告書であり、実際書いているときはよく、この六年の夏休みの大学ノートのことを考えました。
私は怠けものですが、“生涯得点”という意味不明の目的とは別の、テーマ・形式ともに自由な「宿題」のことを忘れたことはありません。そうして、まだそれが残っていると感じます。もちろんそれも、複製を作りたい遺伝子がそんな錯覚を与えて無駄に生き延びさせているだけのことかもしれませんが。
夏休みの宿題のことを書いたことがあったかどうか。
六年生の時、担任の先生が「今年の夏休みは課題を出しません。その代わり、このノートが全部なくなるまで、自分の好きな勉強や研究をしてください」と言って六組全員に一冊ずつ大学ノートを配りました。ほかの組もそうだったのか、うちの組だけそうだったのかはわかりません。
とにかく、私は燃えました。ものすごく楽しかった。好きなだけ算数の計算問題をやったあとで漢字の練習をし、また、自分の好きな電気の研究(大人の読む参考書を自分なりにまとめる)をし、絵日記のような漫画のようなものを書く。歴史の年表を作ってまた算数をやる。あっという間にノートは埋まりました。表3まで。このときの快感を私はずっと忘れられませんでした。
完全にそうとはいえませんが、そのノートは、六年間学校や家で勉強してきたことを確認し、まとめ、そうすることで作った、自分なりの、世界についての研究報告書だったのです。
大学の卒論も、文庫本にした物語も、私にとっては、自分なりの、世界についての研究報告書であり、実際書いているときはよく、この六年の夏休みの大学ノートのことを考えました。
私は怠けものですが、“生涯得点”という意味不明の目的とは別の、テーマ・形式ともに自由な「宿題」のことを忘れたことはありません。そうして、まだそれが残っていると感じます。もちろんそれも、複製を作りたい遺伝子がそんな錯覚を与えて無駄に生き延びさせているだけのことかもしれませんが。