麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第216回)

2010-03-29 09:31:10 | Weblog
3月29日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

風邪をひいてしまい、寝ていました。



水声社のヘンリー・ミラーコレクションの「セクサス」と「プレクサス」が出ました。同シリーズの新刊は何年ぶりでしょうか。
新しい訳で読み返してみたいですが、1冊5000円とはちょっと高い。古本屋に下りてくるのを待とうと思います。



では、また来週。
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生活と意見 (第215回)

2010-03-20 16:11:30 | Weblog
3月20日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

白水社Uブックスから、ショーペンハウアーの「存在と苦悩」が出ました。私が子供のころに出て、今も単行本として発売中の本の新書化です。例によって、この大げさなタイトルはどうかと思いますが、とりあえずショーペンハウアーの一巻選集としてはいい本です。以前書いたように、ショーペンハウアーには、2作品しか著書はないといってよく、そのタイトルは、ひとつが「意志と表象としての世界」であり、もうひとつは「余録と補遺」です。本のタイトルを「存在と苦悩」とか「孤独と人生」にしようと決めたのは日本の出版社で、本人のつけたものではありません。たぶん、著者本人が見て、「それならいい」というに違いないアンソロジーのタイトルは「笑うショーペンハウアー」(白水社)だけでしょう。



5月に筑摩書房から、マラルメ全集の第一巻が出るようです。これが最後の配本で、私がぼんやり覚えている限りでは、最初の巻が出てから20年は経っています。とうとう、という感じです。マラルメの作品は、正直ほとんどわかりません。でも、散文詩と詩の中にいくつか好きなものがあります。ご存知の方も多いと思いますが、マラルメは、「世界は一冊の書物へと至るためにつくられている」と言った人で、小説「失われた時を求めて」は、ときどき、プルーストがマラルメのこの言葉を実践したかのように見えるという意味で「一冊の書物(本)」と呼ばれることがあります。



私はやはり、「本」という形へのあこがれが強く、「風景をまきとる人」を書いたときも、「おまえは、自分に著書がないということを許せるのか?」と聞いて「それは許せない」と思ったことが書き続ける推進力のひとつになりました。同様に「おまえは子供を持たなくていいのか?」と聞いたときには、「問題にならない」と、すぐに返事が戻ってきました。



では、また来週。
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生活と意見 (第214回)

2010-03-15 01:22:09 | Weblog
3月15日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

小学館から出ている、「日本の古典をよむ」シリーズの「宇治拾遺物語/十訓抄」で宇治拾遺物語を読みました。前からカバーのイラストとデザインがいい、と思っていたのですが、原文併録で(ということは扱われている部分は少なくて)1800円とかでは高い、と思っていました。いつもの古本屋に800円で出ていたので、それなら、と思って買ってきたのです。

有名な、こぶとりじいさんや、わらしべ長者の原典などがおさめられていてとてもおもしろく、セレクトされた37話をあっというまに読み終わりました。と、最終ページを見ると、「もっと読みたい方へ」と、「日本古典文学全集」の広告が。さすがです。



ちくま文庫から新訳の「ヘミングウェイ短編集」が出ました。
読みましたが、好きになれません。会話が死んでいる訳文。訳者には、たぶん、詩人的レベルの言葉へのこだわりがあるのだと思いますが、その価値観を、会話文にまで及ぼすのはどうでしょうか。また、ミミズを「蚯蚓」と書いてルビをふらなければいけない理由がなにかあるのでしょうか。まったくわかりません。

たぶん、このような人に質問したら「『ミミズ』では美しくないから」というような答えが返ってくるのでしょうね。ヘミングウェイの描く世界に入る前に、訳者の存在がちらつく翻訳。被写体に意識が行くより先にカメラマンの存在が気になる写真のような。私にとっては価値のない新訳でした。

新潮文庫の高見訳のほうがはるかにすぐれた仕事だと思います。いまのところ、高見訳よりいいのは、わずかに、光文社新訳文庫の「武器よさらば」の金原訳だけだと思います。金原訳は本当にすばらしい。最初の1ページで頭に一発弾をくらうような衝撃がありました。たぶん、それは、ヘミングウェイの文を忠実に日本語にうつそうとした結果なのだと思います。

気に入らなかったもののことはなるべく書かないようにしようとは思っているのですが。それだけ期待してしまったからでしょう。



では、また来週。
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生活と意見 (第213回)

2010-03-06 17:47:27 | Weblog
3月6日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

「アルハンブラ物語」、読了しました。
すばらしい。たったひとりでアラビアンナイトに対抗しようとしているかのような傑作です。

書き手がアルハンブラに滞在することになったいきさつから、そこで生活し、別れを告げるまでを描いた部分が、アラビアンナイトのシェヘラザードと王の生活を描いた部分と同じ「額縁」になり、アルハンブラで聞いたり読んだりした伝説が額縁の中の「絵」として描かれるという構成。

最後の「グラナダに別れを告げる」を読んでいるとき、なぜか夏休み最後の日のような気持ちになりました。もしかすると、この本は、アーヴィングにとって、人生の夏休みの絵日記だったのかもしれません。ときどきとても退屈なページがあるのも、夏休みと同じです。この本も「スケッチ・ブック」同様永遠であることは間違いありません。

「スケッチ・ブック」のあとがきもそれほどていねいに読んでいなかったので、作者の履歴についてあまり知らなかったのですが、アーヴィングは生涯独身だったそうです。「やっぱりな」と思わずにいられません。イカボッド・クレーンやリップ・ヴァン・ウィンクルの創造者に、家庭や子供などまったく無用でしょう。

今回、もっとも作者らしいと思ったのは、下巻冒頭の「アフメッド・アル・カーミル王子の伝説」です。占星術師の予言のせいで、成年に達するまで女性に接することなく育てられた王子が、遠くの国で同じような境遇にいる王女のことをハトから聞き知り(王子は鳥語を使えるので)その王女に会うために城を抜け出し、哲学者を気取るフクロウをお供に旅に出ます。2人は、途中、世界中を旅した経験を持ち、仕入れた知識を街頭で面白おかしく語る(人間の言葉で)のが得意な、人気者のオウムに出会います。王子はこのオウムに王女のことを聞いてみようとします。以下、引用です。

――王子はこのオウムに面談を申し込み、まだ見ぬ王女への恋心ゆえに、こうして巡礼の旅に出た経緯を、縷々(るる)説明した。オウムは、王子が話し終わるか終らないうちに、かすれ声でけたたましく笑い出し、全身をよじらせ、ついに眼に涙まで浮かべた。
「いや、失礼」と、オウムは言った。「愛だの、恋だの、と聞くと、それだけで笑い出すくせが拙者にはありましてな」

最高。
王女への情熱を胸に旅立つ王子もアーヴィングなら、ぶつぶつ文句を言いながらお供をするフクロウもアーヴィング、そしてその王子の情熱を、涙が出るほど笑い飛ばさずにはいられないオウムもまたアーヴィング自身。この場面を書いた時に作者本人がオウムと同じくらい笑ったことは間違いないことと思います。



ティム・バートンが「アリス」を撮ったんですね。
それを機に、なんと河合祥一郎さん訳で角川文庫から「不思議の国~」と「鏡の国~」が出ました。「不思議~」を少し読みましたが、やはりこれまでの訳より格段読みやすく、いいと思います。それについては、またそのうち書きます。



では、また来週。
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